『土方巽』

気象観測が始まって130年経つが、今年の夏が一番暑いという自明の報告が出た。間違いなく来年はもっと暑くなり、もはや40度を超えないという保証は何も無い。今はクーラーで耐えているが、そのクーラーもやがて効かなくなる時が早晩に来るであろう。その時の光景はもはや断末魔のそれである。……… こういう事を書いていると、涼やかな風が未だ吹いていた、或る夏の日の情景がふと浮かんで来る。

 

………… あれは今から25年ばかり前の或る夏の日、私と、天才舞踏家であった土方巽夫人の元藤燁子さんは、連れ立って静岡県伊東市の宇佐美駅のホームに降り立った。ドイツ文学者の種村季弘氏からの私への推しもあり、近々に元藤さんが出す『土方巽とともに』という本の表紙の写真装画を依頼され、その資料を見に来たのであった。海からの風が涼やかに吹いて、夏の美しい盛りの時であった。私たちは資料が保管されている横長の一軒家に辿り着いた。玄関を開けて元藤さんが呼ぶと、一人の若者の声が奥から返って来た。……… その一瞬であった。薄暗い天上の高み辺りから私達を見ている鋭い視線のような気配を感じ取り、私がその方を見ると、それは一瞬で掻き消えた。…… やがて、若者が奥から現われ出た。近くの朝善寺にある土方巽の墓を守りながら、この家に住んでいるという。紹介されるや、私はその人に、こう言った。

 

「ここ、…… 出るでしょ!!」と。するとその若者は、ようやく理解者が目の前に現れたといった感じで大きく頷きながら、「毎晩です。家の端から深夜に大きな奇声が発せられると、その次に、この長い廊下を全速力で駆け抜けていく足音が響き、一瞬でフッと消えて、もとの静けさに戻るのです。」と言った。状況から察するに、おそらくそれは土方巽の未だ地上に残っている何ものかであろう。…… 既に知っているのか、元藤さんは面白そうに二人の会話を聞いていた。

 

私をよく知っている人は、私を美術家というよりも、直観の異常に鋭い陰陽師のような人間として見ている人が何人かいる。… それはともかく、この日の私は“よく見えた”。奥の部屋で三島由紀夫寺山修司などが土方の為に書いた直筆の原稿などを拝見していると、机の下にぶ厚い茶封筒に包んだ物がふと見えた。中身は全く見えない筈なのに、私にはそれが何なのか、直観でよく見えた。「『鎌鼬(かまいたち)』ですね!!」…… そう言うと、元藤さんは「よかったら一冊差し上げるわよ!!」と言ってくれたので、有り難く頂いた。土方巽と写真家の細江英公氏の共作による、写真集の金字塔的名作で、100万円以上の高価が付いている。帰りに蕎麦屋で美味しい天ぷらそばを頂いていると、元藤さんから私に「舞台美術をやって欲しい」という依頼が出たが、しかしそれだけはお断りをした。身体表現に対する美意識の在り所が各々に違うと判断したからである。

 

その日から数日して、澁澤龍彦氏の何回目かの法要があり、鎌倉の浄智寺から近くに在る料亭に出席者は移動した。(池田満寿夫氏も未だ元気な姿を見せていた。)『静物』などの名作で知られる詩人の吉岡実氏が挨拶に立ち、こう言った。「土方巽の霊は今もこの地上を流離(さまよ)っている。しかし、…… 澁澤の霊は今や見事に昇天した。」と。参列者たちは皆、その吉岡氏の言葉を聞きながら、それを二人の生き様の違い、形容として感慨深げに聞いている。しかし私だけは、この数日前に、土方巽の悪戯的な視線の気配を察し、あまつさえ、その出没する家を訪れたばかりであったから、この吉岡氏の言葉はリアルであった。しかし、その吉岡氏も翌年の5月に亡くなられ、表現の世界からどんどん本物がいなくなっていった。

 

 

先日、宇佐美駅を私の乗った列車が過ぎていった。駅のホームは無人であった。あの時に共に降り立った元藤さんももはや亡くなられて既に久しい。あの頃に吹いていた涼やかな風はもはや無く、烈火のごとき陽光が、そこにはしんしんと降り注いでいるのであった。

 

 

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