『ギロチン台』

他人の死に対して「逝去」という文字を使うが、あまり好きな言葉ではない。逝の字の中の、折れるという字がいかにも無念さを代弁しているようで、あまりにも悲しいのである。確かに多くの人々は不本意に死んでいくが、前向きに堂々と死んでいった人物は、では、いないのかと思い考えてみたら一人の名が浮かんだ。勝海舟・高橋泥舟と並んで幕末の三舟と云われた山岡鉄舟である。

 

鉄舟はその死に臨んで、床の上で座禅を組みながら天界と自らの合一を計り、悠悠として死に臨み、そして死んでいったという。亡くなる数刻前に勝海舟が訪れたが、二言三言交わしただけのあっさりとした別れだったという。勝も禅で鍛えた人物だけに、お互いに既に〈わかり合った〉最後の訪問だったと思われる。

 

話は少し変わるが、或る年に私の友人・知人が4人も続けざまに亡くなったが、あろう事か、全員が自殺だったのには驚いた。何か自分のせいではないかと思ったほどである。その中の一人は鉄道自殺であった。・・・・ 飛び込む時の気持ちとは ・・・・果たしてどんなものなのか!? 一瞬後に肉体はズタズタになるが、それへの怖れはないのだろうか ・・・・? 私はその友人の死の動機らしき話をいろいろと聞き集め、だいたいの心理らしきものが見えて来たところで、最後のその友人の気持ちに自分を重ねようという想いが強くなって来た。そして飛び込んだという場所に立ち、その人に極力なりきるごとく気分を集中し、やって来る列車を待った。まさに役者がその人になりきるように私は極力その人になり、・・・・やって来る列車を待った。そして、まさに飛び込むというこの一瞬という時に不思議な感覚に私は包まれた。自分であった肉体への未練は全く無く、ゆえに痛さへの恐怖も全く無く、唯ひたすら、自分の肉体から抜け出したいというその想いだけが自分を領した瞬間、不思議な現象が起きた。列車の最前部の上をまるで蛍火のような幽けき私の「気」と思われるものが、スウーッと肉体から離脱して飛び、フッと消え去るのを、もう一人の私の醒めた部分が目撃したのであった。「これか!!」何となく私は、わかったような感覚を掴んでいた。ともかく一刻も早く肉体から抜け出したいという「気」。これこそが自分の本体なのだと思ったのであった。しかし、それにしても、側で見ていた人達は、私を見て、ちょっと要注意すべき気配を感じ取っていたのかもしれないが。

 

何でも体験してみたいという好奇心は強い方と思われるが、今から思うと、かなり危ない体験をした事があった。・・・・それはベルギーの古都ブルージュにおいてであった。画家のクノップフの世界を求めて、この北のヴェネツィアと云われた水都に一週間ばかり滞在していた折、或る日、私は博物館を訪れた。この都市の歴史を表す陳列室を次々と巡り、或る部屋に本物のギロチンが展示してあるのに目が止まった。汚れたヒモをピンと張ったままに、重いズッシリとした刃は、まさにストンと落ちる状態である。それを見ていた私は次第に興奮し、もはや好奇心は抑え難いものとなっていった。今のように監視カメラなど無く、館内はその時、私以外は無人であった。「・・・・ 今しかない!!」私は台の上によじ登って、多くの処刑人が散った板の丸みに首をくぐらせ、体をひねって上を見た。何人もの血を吸ってきた巨大な鉄の刃が、上からじっと私を見据えている。もし何かの振動で、この古いヒモが切れれば、私の首は、今まさにここに落ちる。好奇心の結果の「ブルージュに死す!!」である。しばらくの間、マリー・アントワネットの気分でいたが、幸か不幸かヒモは切れず、私は今も生きている。いろんな体験をした人はいるだろうが、ギロチン台に上った馬鹿な人間は、あまりいないのではあるまいか。もしブルージュに行かれて博物館を訪れられたら、ぜひそのギロチン台を見て、思い出して頂ければ何となくありがたいのである。

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