『宗達②』     

今から10年以上も前の事であるが、〈生きた伝説〉という人を、一度だけ見かけた事があった。鎌倉の浄明寺そばの合田佐和子さんという画家のお宅でお茶を飲んでいた時に、庭の向こうの路地裏をゆっくりと歩いている、老嬢と覚しき一人の女性の姿が目に映った。…大柄であるが、秘めた気品というものが窓越しにも伝わってくる。「…原節子よ」、合田さんのその言葉よりも早く、私はそれを直感していた。小津安二郎の『東京物語』の名場面が、そこに重なって見えた。…何やら不思議な時間感覚が、そこに立ち上がり、一瞬後に…幻のように、それは消えた。

 

さて、宗達である。…私は朝の8時半頃に八坂神社下からタクシーに乗り、七条にある京都国立博物館へと向かった。開館は9時半であるが、長い行列を予想していたのである。…博物館前に車が着くと、果たして既に100メートルばかりの列が出来ていた。…光琳以降の、いわゆる琳派と称される作品も多く展示されているが、この日の私は〈宗達〉一人しか眼中になかった。宗達の描いた《風神雷神図屏風》を模写した光琳と、その光琳の絵を模写した酒井抱一の屏風が残っているが、そこに歴然と立ち上がる宗達の圧巻に比べ、光琳・抱一の技量の貧なる事を見ても自明な事であるが、宗達と、光琳・抱一では、表現の幅と深み、つまりは芸術における格が数段も違うのである。

 

…私が未だ30代の頃に『容器』という、1人の木口版画家と2人の詩人、そして私の4人から成るマニアックな同人誌を作っていた頃があった。…この4人の何かの話の流れで、宗達と光琳のどちらを選ぶかという話になった。私はむろん宗達を挙げたが、3人は光琳が良いと言う。木口版画家はさて置くとして、私は2人の詩人の認識のありようを疑った。彼らが神と仰いでいるこの国の最高の詩人、西脇順三郎が昭和27年の『詩学』に書いた一文…「モダニスムの点から見ても、光琳よりも遥かに宗達の方が優れている」という言葉や、漱石の手紙の一文「…宗達の画が大分出ていました。何だか雄大で光琳に比べると簡撲の趣があります」という言葉があるのを、知らないのであろうかと訝しんだのであった。…この『容器』という同人誌から去ろう、そう決断し、それをすぐに実行した。…エビフライと鰻のどちらが好きか?という、云わば、明晰さを欠いた印象批評(気分や趣味のレベルの考えを語る事)に、私は興味がない。私ども表現者がこと芸術において語るべきは、骨太の論理的構造に裏付けされた発言と眼識でなければならない。……そんな遠い昔の事を思い出しながら、私は会場内に入った。先ずは、宗達下絵と本阿弥光悦筆による〈鶴下絵和歌巻〉が目に飛び込んで来た。そして、日本芸術史上の白眉とも言える《風神雷神図屏風》が…目に映った。

 

光琳には《紅白梅図屏風》と《燕子花図屏風》の二点が、抱一には《夏秋草図屏風》の一点が奇跡的に在る事で優れた絵師たりえているが、それ以外の絵はかなり難である。それに比して、宗達はいずれもが、あえて謂えば、その強さと気宇の壮大さを持って、バロックの韻さえも帯びている。「…その構図の奇抜さ、大胆さ、破調が、色彩や、細部の工夫によって補われて、そこにいはば、剛毅な魂と繊細な心とが、対立し、相争うたまま、一つの調和に達している。装飾主義をもう一歩といふところで免れた危険な作品。芸術品といふものは、実はこんな危険な領域にしか、本来成立しないものだ。〈後略〉」と、三島由紀夫は宗達について鋭く記しているが、彼のこの一文と、松本清張の『小説日本芸譚』(新潮文庫)の〈本阿弥光悦〉の章における宗達への記述を読めば、あるいは宗達芸術の核に触れ得るかと思う。…ご興味のある方にはお薦めしたい本である。

 

…数時間をかけて、私は宗達のオリジナルに触れて、その原質を堪能した。私の好きなマチスの言葉〈豪奢 静謐 悦楽〉が、ふとそこに重なってくる。〈眼の享受と至福〉…私はたっぷりとしたものを吸い込んで、会場を後にした。12月からは、また新たな制作の日々が待っているのである。

 

 

 

 

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