『濱口行雄君』  

昨今は、LINE繋がりによる顔の見えない人間関係が主流になっているようであるが、一度しかない短い人生に於て、やはり生涯の友と呼べる人物が存在するという事は、生きている時間に艶と活性を与えてくれるものである。…私にも幸いにして親友と呼べる人物が何人かいるが、濱口(はまぐち)行雄君もまた、その大切な一人なのである。

 

…私は学生時は多摩美大というところの版画科で銅版画を作っていた。学生達は判で押したように版画協会や春陽会といった、入選→会友→会員→幹部という、つまりは芸術の本質とは無縁の、極めて陳腐な親分・子分の構造で成り立っている版画だけの団体展にセッセと応募していたが、私は違っていた。…銅版画という版画の概念ではなく、銅板という硬質な素材を通してしか出来ない表現とは何か…を目指して作品を作っていた。…結果としては、銅版画の範疇に客観的に見て入るのではあるが、私は、ぬるま湯のような版画の団体展ではなくて、立体や巨大なタブロ-作品と共に審査が競われる現代日本美術展などの、よりハードルの高いコンクールに作品を出品して、学生ながら少しずつ、プロの作家へと歩み出していた。

 

まぁ、つまりは若僧なりに尖った独自な造型思考を持っていたのであるが、…その私を評して〈君の神経は表にまで飛び出している〉と面白がっていた池田満寿夫氏や、〈君のような鋭い感性では、将来絶対に神経が持たなくなる〉と評した坂崎乙郎氏などがいたのであるが、その頃、つまりは20才を過ぎた頃の私にとって、同世代の手応えのある面白い学生は周りに全くいなかった。…濱口行雄君と出会ったのは、その頃である。彼はその時、芸大の学生であった。

 

濱口君と最初に出会ったのは、確か…JAF(ジャパンアートフェスティバル展のパーティ会場であったかと記憶するが、定かではない。…彼はこの時、賽子(サイコロ)を三日間休む事なくふり続け、出たそのサイコロの目を一回ごとに撮影した膨大な行為の記録を円筒状の筒の中に封印した作品を出品して受賞をしていた。…当時はコンセプチュアルアート全盛期であったが、私が気に入ったのは、無為とも映るその行為を実践した事のエネルギーと、何よりも、その完結して見せる際のセンスの際立ちに、強く興味を持ったのであった。…この男は面白い!!…私達はその席上ですぐに親しくなったのであるが、話してみると、共に駒井哲郎氏から学んでいる事を知ったのであった。(それを知るや私達は駒井氏宅に行き、つまらない大学教授などを速やかにやめて制作に徹して頂きたい旨を話し、駒井氏を困らせた事、またその後で駒井氏が天丼を注文して私達の空腹が満たされた事などは忘れ難い思い出である。)…そして、もう一つ、彼は暗黒舞踏の創始者―あの天才と狂気を併せ持つ土方巽に師事する食客のような謎めいた人生を生きている途中なのであった。

 

それから私達は頻繁に会って尽きる事のない話しに興じたのであるが、いつも決まって待ち合わせ場所は、帝国ホテルのロビーであった。…将来我々はひとかどの人物に成ってみせるという気概がそうさせたのかどうかわからないが、お互い貧乏な二人の学生の若僧の姿は、帝国ホテルのロビーではよく目立ち、現れるとお互いがすぐにわかった。…私は多摩美大で、彼は芸大で、共に浮いた存在であったが、今思えば、一種の絶滅危惧種的なところが私達にはあるかもしれない。

 

私達は24才の頃に、各々の生き方に徹する為に不思議な感じで交際は中断し、連絡先も不明になっていたが、ふとした偶然で、神保町の古書店で再会する事となった。…私が寺田透の『解読・ドラクロワの日記』を見つけて本棚から取ろうとすると、片側からずうっと伸びてくる手があった。…それが濱口君との30数年ぶりの再会であった。―お互い横にいるとは知らずに、全く同時に、同じ本に読みたい関心が向かったのである。…私達は再会の幸運を喜び合い、近くの喫茶店で話しこんだのであるが、共に共通の問題意識を持ち、またその分析力の切れ味は相変わらず鋭く、私達はそれが面白く、また嬉しく、お互いに合わせ鏡のようにして話題が転回していった。まるで昨日からの会話の続きのようにして。

 

私達、表現に関わる者にとって、先ず持っていなくてはならない必須なものは、批評眼と分析力である。現代の美術の分野で、全くその人材を欠いているのは、美術評論家であるが、濱口行雄君が語るそれを一冊に記せば、たちまち優れた現代の美術評論書が立ち上がるに違いない。しかし彼はその道ではなくて、近々に写真家として、実に興味深い作品を引っ提げて登場すべく準備を着々と進めている。私はその内容のインパクトある特性から見て、先ずは海外からの発信も面白いと思っているのであるが、果たしてどのように動くのであろうか。細江英公氏とは切り口の異なる異形なる光と闇と、その間に蠢く〈一瞬〉の刻印。その数、1000枚以上!!…その作品を目撃しているのは、今のところ、私と、勅使川原三郎氏の二人だけであるが、今の写真界の空白を埋めるに十分たる写真展の開催が私には待ち遠しくて仕方がないのである。〈この写真については、発表前ゆえに詳細を書けないのが残念であるが、発表の際にあらためてご紹介する予定である。〉 … 高い眼識を持った友人の存在は、私の感性を常に研鑽へと導いてなおも貴重である。長い時を経てのこの良き友との再会は、一つの恩寵のように私には思われるのである。

カテゴリー: Words   パーマリンク

コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律