『電話ボックス』

昭和期の詩人・中原中也(1907-1937)は、新しい発明、すなわち文明の力が人間の精神に及ぼしてくる害が多々あるとして、「電話」までなら許す!と書いている。…電話といっても当時は手回しのアナログな物なので、今とはずいぶんと形態が異なってくる。私達に馴染み深いのは、その後の形態であり、街中に見た電話ボックスであるが、それについては有り難かった思い出がある。

 

私の学生時代は、極貧にあえいでおり、生活費が安くてすむ美大の男子寮に住んでいた。朝夜飯付きで確か7000円であったかと記憶する。場所は川崎の溝の口という所で、当時は別名が溝口(どぶのくち)と陰口を言われていた。 確か3年生の頃であったが、夜半に私は誰かと寮の前にある電話ボックスで話しをしていた。たぶん借金の相談か送金の依頼をしていたのではなかったか。…かなり生活に追い詰められていたように思う。話しが上手くいかなかった事の焦りか、それとも弾みだったのか、電話を切る際に受話器を強くガチャンと戻した事は覚えている。…信じがたい奇跡はその直後に起きた!!…電話ボックスを出ようとした私は、聞いた事のないジャラジャラ…という音に気がついて振り返って見た。

 

眼前では、まさしく信じがたい夢のような事が起きていた!!電話のお釣り口から吐き出されるようにして、10円玉が次から次と際限なく足下に落ちてくるのである。うず高く積もる10円玉の山! 触ってみると、息をしている様にかなり熱かった。…おそらく電話会社の社員が回収する業務を怠った為に受話器の箱の中いっぱいに溜まっていた金が、私がガチャリ!と強く叩いたその一撃加減が、何かのショックとなり、作動し始めたのに違いなかった。…無神論者である私が“神”はいる!と思ったのは、この瞬間である。負けずに頑張って芸術の使徒となれ!!- この神の恩寵は、そのようにさえも私には響いたのであった。…そう思うまでに私は興奮の坩堝と化していた。

 

…私は上着を脱いで端を結び、風呂敷状にした中に、ジャラジャラと10円玉をかき集める事に夢中であった。ずっしりと重く膨らんだ神の恩寵!!……その重さは明日からの命の証となるであるに違いない。風呂敷にした上着の薄さは頼りなく破れそうなまでに膨らんでいた。電話ボックスを出て、暗い寮の玄関へと私は向かった。、……… 私は「生きよう!!」と思った。

 

この話しを何かの二次会の席で話した事があった。…するとその中の一人が、満タンではなかったが、やはり10円玉がジャラジャラと落ちてきて本当に有り難かったという共通体験を語ってくれた事があった。〈神は、この男の上にも舞い降りていたのである。〉… アナログな時代に纏わる、もはや時効の恩寵話であるが、ともあれ、テレフォンカ-ドが登場する前までの、電話は良い!!。…中原中也ならずとも、電話は良いのである。

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