『後を絶たない天一坊』

〈天一坊〉という人物の事をご存知だろうか? …我こそは8代将軍吉宗の実子−ご落胤であると吹き回り、町奉行の大岡忠相に見破られて処刑された「大岡政談」に登場する男であるが、実在した人物から取材しているという。出自、経歴などを詐称してメッキで装う人生であるが、どうしてもメッキはいつか剥げるものである。…しかし、この類の人間は昔から後を絶たず、騙される者もまた後を絶たない。
 

 
先日、ヒットを連発中の文春の記事で、テレビのコメンテーターで経営コンサルタント、ハーバード大学卒を売りにしていたショ-ン・マクア-ドル川上(本名 川上伸一郎)という人物が、経歴詐称、しかも整形疑惑のおまけ付きで、嘘で固めたそのメッキを剥がされた。甘いマスク、酔わすような低音、淀みのない語り口…。何回かテレビで見た事があるが、私とは対極にいるタイプの人種だと思っていた。私の場合は、この顔で初対面の相手は先ずは身構えるらしく、宙に浮いたような妙な声(しかも早口)、学歴と言えばアメリカではなく、世田谷上野毛のしがない多摩美術大学卒である。私も健次だから、いっそケーン・エクアドル北川とでも名乗ろうか!?…それはともかく、4月からはテレビのメーンキャスターに決まって、さぁこれからといった矢先だけに、「好事、魔多し」という古人の言葉が語った含蓄の知恵には、今さらながら教えられるものがある。

 

…そういえば美術の世界でも似た事があった。 東京芸大卒を東京大学卒と略歴に記していた、その一行の為に信用の箍が外れて、公立の美術館での個展が中止になった美術家がいた事を、このブログを書きながら私は今思い出した。…まだある。ご存命なので実名を略してM氏とするが、そのM氏は日本の版画史に駒井哲郎氏などと同時期に並ぶ重要な作家である。M氏は権威を嫌う孤高の人であるが、何故か私の作品を気に入っておられ、M氏を通じて美術館に私の作品が収蔵された事もあり、いわゆる私における恩人の一人である。…10年ばかり前になるが私が個展をしている時にM氏は画廊に京都芸大の教授の人と一緒に来られて久しぶりの雑談となった。するとM氏の口調が突然低い声になり、私に「北川さんはAという版画家とは親しいのですか?」と問われたので、私は「名前と顔は知っていますが、全く私の関心外の男です。…それが何か?」と答えた。するとM氏は「私もその版画家とは面識も無いのですが、私の個展にカメラを持った人と一緒に突然やって来て、私と並んだ写真を撮り、それが私に無断でそのAの画集に載っており、実は多いに迷惑をしているのです」と話された。察するにAはM氏との間に嘘の関係付けをして、メッキの箔付けを目論んだ思惑がありありと透かし見えて来る。それにしても手がこんでいる。…これは明らかにM氏の肖像権への侵害であり、本来は版元の出版社が掲載前にその許可を打診する義務があるが、後日に私がその編集長に問うと、確認は一切していなかったという、迂闊で呆れた返答が返って来た。まぁ、この国の美術の分野もまた、ことほどさようにメッキによる粉飾が蔓延っているのが実状である。

 

しかし、矛盾するようであるが、そのキャスターや、版画家Aのように経歴詐称や粉飾をする人間の動機を想う時、彼らの心底に流れる根深いコンプレックスや歪んだ上昇志向には、落語に登場する愚者の哀しみに通じるものがあり、呆れを通り越した、もう笑うしかない、何か我々の存在原理の底で蠢いている共通分母の重石を担っているような哀愁さえも私は何故か覚えてしまうのである。この世の物語としての人間劇場には、この種の存在は一種の必要悪にも映って、私はひたすら笑ってしまうのである。 談志は、「落語に登場する人物は、例えば、討ち入を果たした華やかな赤穂浪士ではなくて、討ち入に参加しなかった、その連中の言い訳、詭弁、弱さ、情けなさこそが主題になるのだ」と言っていたらしいが、落語の核を見たような想いがしたものである。…我々も、またピカピカの底浅のメッキに全身を装った彼らもまた等しく、この束の間の生をあたふたと生きて、やがて静かに死んでいくのである。私は彼らの足元のシルエットに、その存在の哀しみを、より見てしまうのである。

 

…さて、今月の26日から短期間であるが、彫像や他の幾つかの主題を併せてパリに撮影に行く事になっている。2年前のイタリアの後の久しぶりの撮影である。現在はアトリエに籠ってオブジェを制作しているが、まもなく頭の切り換えが要求されてくる。視覚を単眼と複眼の二つに、感覚を眼前の光の変幻を刈り込む、もう一人の自分への変身が、この先に待ち受けているのである。

 

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