『山口県』

草むしりをする時に、人は二通りに分かれるようである。…地表の草のみを鎌で刈る人と、鎌と手で根こそぎ刈ってしまう人。…私は後者である。平清盛は死の床で源頼朝の旗揚げを聞いた時に、昔、幼い頼朝や義経たちを殺さずに生かしてしまった事を後悔したというが、草を根こそぎに抜いている時に、私はいつもこの清盛の無念を想いながら、源氏を根絶やしにする気持ちで根の果てまでを引き抜いていく。…すると思いの他に根は長くて、それが地中で物凄いネット状の拡がりを見せており、私はそこに「活断層」の有り様さえも重ね見てしまうのである。

 

地震が起きると、地震学者や気象庁の連中が権威ぶって、さも地中のメカニズムについての知ったかぶりの発言をしているが、それが推測や仮説の域を出ず、唯の私的な感想にしかすぎない事を、私達は今回の熊本で起きた地震で知る事となった。…地震を前震、本震、余震と分ける事が、いかに危険であり、余震と油断して二次被害を起こしてしまう事による悲劇を、今回痛感したのである。…つまり、私達は地中奥深くの更なる深部については、ほとんど何も知りえてはいないのである。

 

…そんな事をつらつら考えていたら、ある事に気がついた!…それは、日本国内で何故か山口県だけが地震の被害をさほど受けていないという事実に行き当たったのであった。山口地震…この響きだけが全く聞いた事がないのである。…その事に気がついたら、私はもう止まらない!さっそく調べてみたら、私の直感は当たっていた。…山口県だけが、プレ-トの層が日本国内で違っており、確かに山口県が最も地震の被害から遠いという事も記してあった。…山口県は母親の生地であり、かつて行った秋芳洞や秋吉台の地層には、他であまり見ない岩盤の趣きがあった事を私は思い出した。

 

今回の熊本地震で倒壊した家々の映像を観ていたら、もう一つ思い出した事があった。…それは、昔、進駐軍が日本の各地で建てていた、あのカマボコ状の形をしたハウスの造りが、じつは縦揺れ・横揺れのいずれにも強いという事である。…私達は地震大国・日本に住み、狭い島国故に被曝をしても逃げ場がないという歴然とした現状が在りながら、しかも福島の被害を知りながら、まだ懲りずに原発を数十ヵ所も温存しているという、知性と理性を欠いた、リスクと強迫観念の自縄自縛の中に在り、もう一方では個人としての強烈なアイデンティティーをもたず、浮調で軽薄な不気味な情緒感覚に委ねて生きるという、緊張と弛緩の限りなく捕らえ難い日々を過ごしている。… それを嘲笑うかのように、「歴史は繰り返す」の、知恵と正確な記録を多分に残している古文書の暗示的な記述は、東北から熊本を経て次なる大地震の可能性の場所として「小田原」を指し示している。…つまり、関東である。…横須賀には太い活断層が三つも縦横に走っているが、それは、草むらのあの根の不気味な走りを呼び起こして、なおも奇怪である。…いっそのこと山口県に転居して、カマボコ形の家にでも住もうか!? …そんな事を思いながら、今日も制作に向かっている私なのである。

 

カテゴリー: Words   パーマリンク

コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律