『死にかけた話』

ずいぶん以前のメッセージに書いた事があるが、私はあやうく死にかけた事が七回ばかりあった。二才時に危篤にまでなった病から始まり、崖からの転落、鉄の落下物が頭に激突、ガスもれ、溺死、(あと2つは訳あって伏せ字)……などなどであるが、その時に書き忘れていた事がもう1つあった事に気がついた。……吹雪による遭難である。これは2回。最初は小学生時の福井の街中で。もう1つは厳寒のヴェネツィアであった。……街中で、と書くと信じがたい人もいるかもしれないが、雪国に育った人ならば、雪の恐怖を知っているので、体験がある方もおられるかもしれない。……降雪が一変して猛吹雪になり、呼吸すらかなわず、一寸先さえ見えなくなる、いわゆる……ホワイトアウトという不気味なものである。

 

福井でのそれは、小学6年の時に、駅前の大きな書店でゴッホの画集を夢中になって立読みしている時であった。先ほどまで穏やかに窓外に見えていた雪が、ふと見ると、横殴りの雪へと一変していた。先ほどまでちらほらいた客もいつしか絶えて、気がつくと私一人だけになっていた。……さすがにまずいと思い、店外に出て、乗ってきた自転車を引きずりながら私は家路へと急いだ。街中に行く人は無く、風景は灰色の吹雪になり、八方に横殴りの雪が吹き荒れて、もはや可能な視界は私の足下だけである。次第に呼吸が荒くなり思考が切れ切れになり、子供なりに死を考えた。……その時に、ビルの間に子供一人が避難出来る小さな隙間が一瞬目に入ったので、私は自転車を捨てて、その中に夢中で避難した。……次第に息継ぎが戻り、私は〈生〉の暖かさをはじめて実感した。……そのホワイトアウトという白の不気味な魔群はその後も1時間ばかり吹き荒れて、ようやく去っていった。……あの時にビルの隙間に目がいかなかったならば、逃げ場もなく判断力さえ鈍った私は、街中で凍死していた可能性があった。家に帰ると、ふだんは優しかった父親に激しく叱られた。父は滅多にないこの猛吹雪に、まだ帰宅しない私の事をあんじて玄関先でひたすら心配していたのであるが、叱られた私は、既に別な事を考えて頭の中はいっぱいなのであった。……その日、私は初めてゴッホの画集を見て、頭の中はアルルへと翔んでいたのであった。

 

……2回目はヴェネツィアであるが、それは今思い返しても、ちょっと詩的なものを併せ持った〈死〉の世界との交感であった。……冬・2月のパリ・リヨン駅を夜行で発ち、朝の7時頃にヴェネツィア・サンタルチア駅に下り立ち、私は予約していたホテル、ペンシォ―ネアカデミアの部屋で荷を解いた。……この旅で私は、ある不思議な綱渡り芸人を描いた絵画を観るために、この水都を訪れたのであるが、そのお目当ての絵が何処の美術館、或は館に在るかをあえて調べずに、ともあれ見つかるまではこの廃市を出ないという、なんとも奇妙にして悠長な旅を目論んだのであった。自分にとって具体的な迷宮の街に仕立てあげ、その中をさすらう旅人に自らを演出して、私は毎日、この街を酩酊するように歩き回ったのである。折しもカ―ニバルの最中で、サンマルコ広場は世界中から訪れた旅人で賑わっていた。しかし、それも夕暮れまでの話で、連日の雪がこの街を白く染め上げ、夜にもなると、厳しい寒さのためにいっせいに人群れは引き、釣瓶落としのように街は、無人の冬の劇場と化していった。酒場もレストランも営業を早々と終えて、陸のストレ―ザの街にある家路へと急ぐ為に、この街の冬の夜はあたかもゴ―ストタウンと化していく。……何日目かの夜に私は、どういう訳か道に迷い、不安なままにある広場に出ると、小さなサ―カス小屋のような天幕がかかっており、中に入ると、人形劇を上演しており、観客の子供たちが無邪気に人形劇に歓声をおくっていたのであった。しかし子供たちは私の存在など知らぬげに劇の進行に夢中になっているのであるが、私はこの時間帯に不釣り合いな人形劇と子供たちに次第に違和感を覚えはじめ、天幕の布を祓って外へと出た。……見ると風景が一変し、降雪が激しさをまして吹雪へと変わる直前であった。……いつもは見つかる筈の彫像のある広場が何故か見つからず、歩き回っても、いつも同じ教会の所に戻ってきてしまうのであった。……吹雪はその激しさを増し、人影の全く無いこの迷宮の街を、私は次第に焦りと恐怖を覚えながら歩き回った。……初めの内は〈ベニスに死す〉という小説のタイトルを思いだしながら笑ってもいたが、しだいに深刻になり、凍死の恐怖に包まれていった。アドリア海に臨した水に浮かぶ石の街。そこに降る吹雪は、私から次第に体温を奪っていった。ふと、先ほどの天幕の中の人形劇と、妙に存在感の無かった子供たち、その本来ある筈のない先ほどの光景が、なにやら現実と異界との境界のように思われ、妙な気分の内に次第に思考が鈍くなっていく。……かつて体験したあのホワイトアウトの恐怖が甦ってきた。……私はふと、遭難しかかった時は、思っている反対の道を行けという言葉があった事を思いだし、そのようにして歩きはじめた。すると、絡まっていた糸が緩く解れるように、目指す彫像のある広場が見えてきて、更に吹雪が激しさを増す中をアカデミア橋を渡り、真っ暗な無人の迷宮の街中を更に歩いて、運河沿いにあるホテルへとたどり着いたのであった。その何年か後にフェリ―ニの映画『カサノヴァ』を観たが、ラストの場面で、カサノヴァが、まるで木偶の人形のように凍ったままに冬のヴェネツィアの吹雪が舞う中で死んでいく場面があったが、私は当時の恐怖が甦ってきてゾッとしたものであった。ちなみに私が訪れた時のヴェネツィアは、アドリア海が全面的に90年ぶりに凍ったという厳寒の時であったという事を後で知り、さもありなんと改めて思ったものであった。……………今年の雪は西日本にもその猛威をふるっており、雪に慣れない人たちが街中で何人か亡くなっている事を報道で知る度にかつての昔日を思い出す。人生にはちょっとした違いで生死を別ける時がある。……運もあるのだと思うが、やはり、やるべき事が残っているのかとも思ってしまうのである。ともあれ、かれこれ数えると、合わせて9回、私は死線の近くをさ迷った事になる。……そろそろ次は本番かな?と、ふと思ったりもする昨今の私なのである。

 

 

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