『稲妻捕り』

4月1日から福井で個展があるので、午前中にアトリエで制作してから、明後日の25日まで個展開催中の画廊香月のある銀座に通う日々が続いている。……しかし、最近の私はと云えば、宮沢賢治や正岡子規の臨終前の闘病日記のような気分で、毎日、体温計を計る日々が続いている。昨年までは体温が36.8度と、こども並みに高かった体温が何故か急に下がり、信じがたい34.7度あたりをふらふらしているのである。周りの人は〈よく生きていますね〉と首をひねるが、別な体温計で計っても指す数字は変わらない。不整脈もあるので、まぁいつ不測の事態が訪れても、善き人生であったという気持ちのままにたぶん逝くかとは思われるが、この低体温の日々はいささか憂鬱なものがある。

 

……さてさて、突然な書き出しになるが、美術家の清水晃さんをご存じであろうか!? 舞踏の土方巽が、清水さんの作り出す、なんとも禍々しく不穏な気配に満ちた〈黒のオブジェ〉を愛し、絶賛して、清水さんに〈稲妻捕りの作家〉という言葉を作って献じたほどの異才の人である。土方が寄せる清水さんの才能への評価は高く、かの中西夏之が嫉妬したという逸話さえあるほどの、特異にして鋭いオブジェ〈黒の装置〉の作り手である。私が清水さんと知り合ったきっかけは、確か野中ユリさんからの紹介であったと記憶する。……清水さんのご自宅がある埼玉県の目沼(この名前も清水さんにピッタリである)を訪れたのであるが、清水さんご夫妻とは初めから話の波長が合い、楽しい会話が弾んだ。……すると途中で奥さまが清水さんにヒソヒソの耳打ちをしだした。(あなた、北川さんとウチの○子を……)、と聞こえた

 

途端、(おぉ、それは面白い!!)と言って、私の方を向き、(どうだろう!……良かったらウチの娘と一緒にならないか!?とニコニコしながら話されたのであった。まぁ、話は話として面白かったのであるが、もし話が進んだら、清水さんと私は義理の親子になっていた可能性もあったのだから世の中は面白い。……さてその清水さんであるが、土方巽の仕事に協力して作った舞台衣裳に凄い物がある。それは真っ赤な長襦袢に石をたくさんくっ付けた何とも、狂女を想わせる代物であるが、その衣裳を着た舞踏家の高井富子さんが〈まんだら屋敷〉という公演で踊った由である。……さてこの、石をたくさんくっ付けた長襦袢を私は実際に見たことがなく、以前から見たい見たいと思っていたら、いま開催中の私の個展に、映像作家の宮岡秀行さんが大きな箱を抱えて現れた。私は初対面であるが、話していたら、先ほど清水晃さんのご自宅に行かれて、私の事も話題に出たと言われた。私は実は以前から見たい物があって、と件の長襦袢の話をし出したら、実はいま、この箱の中にあります!!!と言って、長年私が見たかったその長襦袢が、いともあっさりと現れたのには驚いた。宮岡さんは、それをこの個展を開催している画廊香月のオ―ナ―の香月人美さんに5月の両国の舞台で着せて踊らせ、その映像を撮るのだという。……香月さんは舞踏家の大野一雄の弟子であり、この石のたくさんくっ付けた長襦袢を着て踊るには最適の人材だと思って、清水さんから衣裳をお借りして、その足で画廊に来られたという次第なのであった。

 

……長襦袢にびっしりとくっ付けた沢山の小石。……清水さんのこの着想には、しかし思い至るものがあった。それは私の子供時代に遡る。……私が小さかった頃はまだ精神病院といった洒落た物は無く、道行く人群れに混じって、時おり狂女がゆらゆらと揺れながら歩いていたものである。近所にそういう女が棲んでいて、真っ赤な襦袢を肌を露にしながら暮らしていた。小学生だった私は、そのエロチックな姿態にひかれて、学校が終わると走って帰り、その家の前の材木置場の上に上がってランドセルを置き、狂った女が家から出てくるのを、出を待つ観客のようにドキドキしながら待ったものである。想えばあれが私のヰタ・セクスアリスであったか。しかしその女は、ある日忽然と消えた。自ら火をつけたのか失火かはわからないが、真っ赤な襦袢を着て、灼熱の炎の中で絶叫したか、或いは笑ったままに昇天して消えた。翌朝、通学路にその焼け跡が無惨なままの黒の灰塵と化し、その鼻をつく臭いだけが今も私の記憶の淵にある。 ……狂女の話では久世光彦さんから面白い話を伺った事がある。〈狂女〉をテ―マにしたグラビアか何かの企画で、デビューまもない若い女優をモデルにして撮影をした事があった。……若い女優に真っ赤な襦袢を着せて土蔵の前で演じさせたが、演技がいま一つ盛り上がらない。久世さんは閃いて、その女優に道に落ちている小石を拾って投げ始めた。それにつられたかのように他のスタッフ達もまた、その女優に小石を投げている内に、女優もまた火が点いたらしく、狂った妖しい表情を浮かべながら迫真の狂女へと化していったその様を見て、久世さんはその女優の内面に凄まじい秘めた才能を覚え、この女は出てくるなと直感したという。。……はたして久世さんの読みは当たり、その女優は清楚と狂気とドスを秘めた不世出の演技を開化させていき、最高の地点で逝った。……その女優の名前を夏目雅子という。

 

私が書いた詩に、〈水ぬるみ 光はあらぬかたを指しているというのに ヴェネツィアの春雷を私はいまだ知らない〉という一節がある。私は夏のヴェネツィアで、アドリアの夜の海に銀の閃光を放ちながら凄まじく落ちていく雷を何度か見た事があった。そしてその時の体験の感動のままに「ヴェネツィアの春雷」という連作のコラ―ジュを作った事があった。しかし、土方巽が清水晃さんに贈った言葉〈稲妻捕り〉という造語は、清水さんの生地が富山、土方が秋田という共に日本海側にあり、鈍色の暗い空から大地、或いは海上に落ちる雷の荒ぶる様を知っている者どうしに響き合う「頌」である。私が最も素晴らしいと絶賛する〈犬の静脈に嫉妬することから〉というタイトルを立ち上げた土方巽独自の言語感覚の成せる技なのである。美術の真の舞台裏と、その交遊の様を知らない詩人、或いは学芸員が多いが、このタイトルを瀧口修造、或いは他の作者と勘違いをしている者がいるが、間違いは正されるべきである。少し考えれば、瀧口修造の言語感覚の内にはそこまで実存的に荒ぶるものは無く、似て非なるものである事は容易に透けてくるのであるが、直感の鋭さを欠いた人には、この微妙にして絶対的な差が見えて来ないのは残念な事である。……さて、銀座の画廊香月での個展「立体犯罪学―Victoriaの黒い地図」も、いよいよ25日(土曜)が最終日となった。作品の新しい展開を観るべく多くの人が来られた。そして作品の多くがコレクタ―の人達の所有するところとなっていった。……次の個展は4月1日から福井で始まるので、その制作でかなり神経の張り詰めた日々が続いているが、先ずは、この低体温をなんとか治さねばならないと思っている私なのである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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