『……夢みるように』 

戦後の貧困の時代がようやく終わり、高度成長へと景況が移り始めた頃(昭和30年前後)に、時代を映すように二冊の芸能娯楽雑誌が刊行された。雑誌の名前は対照的に『明星』と『平凡』。この少し後に遅れて『近代映画』が続いた。……いずれも嘘で固めたスタアの幻想バブルのオンパレ―ドで、読者も騙される事に酔いながら、しかし時代は今よりも遥かに元気であった。そのどの雑誌かは忘れたが、ある日、或る号の紙面の隅に小さな広告が載った。広告の内容は、全国におられる男女のご縁の薄い方を相互に紹介して縁結びをします……という、今でいうカップリングパ―ティの、先駆けのようなものであった。その怪しげな会社の名前は「北川通信社」、住所は福井の私の家の住所である。私は3人兄弟の末っ子であるが、一番上の兄が楽して金儲けをしようと考えて仕掛けたものであった。……当時、中学二年の頃であった私は、どうせ失敗するとよんでいたのであるが、あにはからんや、この事業(?)はヒットして、連日我が家に全国の悩める男女から手紙(手数料の入った現金書留が主)が舞い込み、兄の部屋は手紙の山となり、学校から帰った私は、便箋に綿々と綴られた男女の悩みを読むのが、その頃の日課になっていた。……まさしく、あにはからんや➡兄図らんやである。この事業(?)は、しかしやがて尻すぼみに終わっていったが、その後の兄は、フ―テンの寅さんのようにパッと消えてはパッと現れる風来坊のようになっていったが、私はその頃は絵画と文芸にのめり込んでいたので、自分の世界に入り込み、兄の存在は次第に薄くなり遠くなっていった。

 

……………その兄が今年の2月に亡くなった。死因は水死。近所の銭湯の露天風呂が気に入っていたらしく、そこに備え付けてあった檜風呂の中で亡くなっていたという。この銭湯の名前が『極楽湯』というのだから、ブラックと言おうか、落語的と言おうか……弟の身としては何とも言えないものがある。しかし、この世とかの世とは実は地続きであり、間違いなく人は死ぬ。どうせなら、何年も苦しんで結局は死ぬよりも、パッと死にたいと答える人が多く、それを想えばなかなかに羨ましい死に方であったかと、今は思えるようになっている。聞いた話であるが、同じように銭湯の中に眠るように沈んでいった人が、発見が早かったので助けられたのであるが、お湯の中で意識が無くなっていく時に、実に気持ちが良くて、悦楽恍惚の夢みるような感覚であったという。……以前のこのメッセージ欄で、私が高校時代にやはり水死しかけた事があった事を書いたが、この人の感想と同じく、至上の恍惚感に包まれて意識が遠くなっていったのを覚えている。……おそらく脳内モルヒネ(多幸感をもたらすというエンドルフィン)とよばれる成分が、この瀕死の際に出てきたのであろうと思われる。……この浴槽での水死、記憶にあるのは、昨年の秋に亡くなった俳優の平幹二朗が、そして上原謙(加山雄三の父)も浴槽の中で亡くなっているが、実はこの浴室での水死は、交通事故死と同じくらいに多いのである。……今回のメッセージの最後は「皆さん、くれぐれも気をつけましょうね」という、いつにない感じのエピローグになってしまったが、まぁ、そういう事なのであります。……次回のメッセージは、間近(5月10日~30日)に迫った写真の個展(東京日本橋浜町のギャラリ―サンカイビにて開催)について、パリやベルギ―での撮影時の話も含めて詳しく書く予定です。乞うご期待。

 

 

 

 

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