『陰影礼讃と共に』

先日の個展に来られた国立国際美術館の学芸主任の中西博之さんから『陰影礼讃』の招待状を頂いていたのを思い出し、何気なく見ると、まさに今日が最終日!!急ぎ六本木の国立新美術館へと向かった。

 

 

この展覧会名は、文豪の谷崎の作品名から借りたものだが、国内の各々の美術館の収蔵作品も、比較文化論的に機知で括れば、なかなか見応えのある展覧会も可能だという事を示す企画と見た。ただ、多角的に「光と影」を切り口としたといっても、成程と思うのもあれば、何故これが?と思うのもあり、今一つの作品選択に精度があれば、と惜しまれる。本展では、高松次郎が何故か浮き上がるように話題になっているようだが、展示されている『影』の作品と下絵を観て、私は35年前のある光景を思い出した。当時はコンセプチュアルアートが大流行し、美大生の周囲の友人達も、未消化なままに、この流行に乗ろうとかぶれていた頃である。当時、高松はスター的存在のようにあがめられていた。・・・そんな或る日の夕刻、銀座の松坂屋裏で、私(当時は学生)は、高松とすれ違ったのである。彼は下を向いたまま、呪文のように聞き取れぬ言葉を呟いていたが、薄暗がりで見るその顔は、げっそりとやせ細り(もともと細面ではあったが、それにしても・・・)、目は窪み、あたかも狂人のような何かが憑いたような相を呈していた。「あぁ『歯車』を書いていた頃の芥川と似ている」———–19歳の私はそう思った。そして、私も半ば興味を持っていた「コンセプチュアルアート」が、言葉の持つ自縄自縛の危険水域を孕んでいる事を直感し、その一瞬で身を引いた。・・・・・今、目の前に在る『影』を見ながら、遠いその日の事をふと、私は思い出していた。

 

本展の中で、主題とは別に、私は一人の画家に目を止めた。須田国太郎である。以前から気にはなっていたが、この捕らえにくい人物は小説のモチーフとして面白い。————-あらためて、そう直感したのである。この男の中にある暗くて静かな〈矛盾〉に目を注げば、意外な主題が立ち現れるのではないだろうか。この直感は、今日訪れた一つの収穫として育ててみたいものである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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