私が初めて個展をしたのは、24歳の時であった。その折り、画廊主から美術家連盟なるものに入る事を推められた。美術家の著作権などを守る団体である。しかし推薦人が二名必要だという。一人は池田満寿夫さんがなってくれたが、もう一人の名が必要である。そこで画廊の番頭のK氏が、版画家の森義利さんが良いというので、日本橋だったか?ともかく森さんの仕事場を訪れた。初対面であったが、森さんは私のことを気に入ってくれて、推薦人を快諾してくれた。好々爺にも映ったが、しかし、その眼光は鋭い。話をしていると、そこにお弟子さんが現れてお茶を出してくれた。見ると、私と同じ位の若さであったが、その所作に無駄がなく、森さん以上に目が鋭い。(まさかそんな筈はあるまいが)記憶の中では、羽織袴の姿であったような気さえする。池田さんや美術評論家の坂崎乙郎さんは私を見て「君は神経が表に飛び出している!」と語っていたが、その若者は更に私の上を行く。「・・・・ここは江戸か!?」——-私は本気でそう思ってしまった。お茶を出すと、若者はスッと去り、その場から消えた。「・・・何者だろう!?」同世代のせいもあったが、私はその若者の事が気になり、強い印象となって記憶に焼き付いた。陰明師や井伊大老暗殺を胸に秘めた水戸の脱藩浪士、或は禁門の変事の長州の若き侍、——– そんなイメージがその若者にはあり、ずっと気になったままに、時が過ぎ去っていった。「——-はたして、あの若者は今、何処でどうしているのだろうか・・・?」
さて、話は変わるが、先日養清堂画廊から版画家の西岡文彦さんの個展案内状が届いたので見に行った。西岡さんは版画家であると同時に美術書を何冊も出しており、特にダ・ヴィンチに関する解釈は、その切り口に妙があり、以前から私の好きな書き手の一人である。西岡さんとは今まで面識がなかったが、今日行こうと思ったのには理由があった。前述したが、今、私のモナリザ論を基に番組の企画が動いている。それに絡めて、私は「モナ・リザ」についての或る仮説を最近立てており、西岡さんの意見をぜひ伺いたいと思ったのである。画廊に行くと運良く西岡さんは在廊していた。そして、「北川さんですか」と声をかけてきてくれた。「実は僕は、以前にあなたと会っていますよ」と西岡さんは話して来た。「・・・?」と私は思ったが一瞬で理解した。ずっと気になっていた、あの謎めいた若者が、西岡さん、その人だったのである。「北川さんはあの時、お土産に和菓子を持って来たんですよ。」そんな細かいことまで、西岡さんは覚えていたのであった。そして、短い時間であったが、ダ・ヴィンチの話をして私達は別れた。長い間の胸の中の謎が一つ消え、伺って良かったと思った。
西岡さん、森村さん、そして私の書く文が美術史家の文と比べて説得力があり、ユニークで面白いのには理由がある。それは私達が実作者である事で、歴史を越えてその主題の舞台裏に現場主義的に入っていけるからである。それと、着眼点に想像力の自在な飛躍があるからだと思う。私は今、与謝蕪村と西洋美術の連載を書き、別な主題の選書の刊行を用意している。西岡さんは、現在は何を主題に執筆しているのであろうか。ともあれ、次なる西岡さんの本の刊行を私は楽しみにしている。