『大久保利通登場』

坂本龍馬が凶刃に倒れて143年が経つ。龍馬暗殺の実行犯は、京都見廻り組の佐々木只三郎以下六名が行った事はほぼ間違いのない事と思われるが、その潜伏先が材木商の酢屋ではなく、京・河原町の近江屋である事を彼らに巧みに知らせた人物がいる。すなわち〈影の仕掛け人〉である。その最もあやしいのが薩摩藩であり、西郷・大久保ラインであると云われているが、この説はここ10年くらい前に俄に大きく出て来た説である。しかし私は今から、30年以上前にそれに関する推理を既に立てていた。私がにらんだのは、薩摩の大久保利通と公家の岩倉具視ラインである。この二人のタッグは実に強力で凄みがある。

 

私は11月15日の龍馬暗殺当日の大久保の行動を知るべく、彼の日記を調べてみた。するとその日、大久保は密かに大阪に入り、武力倒幕を実行すべく猛烈に指示しはじめているのである。(まるで、龍馬の死によって、一度は実った大政奉還の流れが覆るのを前提としているかのように・・・。)大久保と岩倉は、西陣で偽の「錦の御旗」を密かに織らせるなどの準備をし、着々と実行に移していく。彼らが交わした書簡の中に、「我々の間には、あの世に行っても絶対に明かせない幾つかの事柄がある」という記述がある。この中に龍馬の件も入るように、私には思われるのである。

 

さてさて、大久保と共に岩倉の資料を調べていくと、その子孫に意外な人物がいるのがわかって面白かった。その子孫とは、若大将こと(古い!!)、加山雄三である。まあ、それはさておき、岩倉・大久保ラインのフィルターは極めて怜悧でその動きと実行力には容赦のないものがある。龍馬暗殺の数日前に寺田屋のお登勢から龍馬宛に危険を知らせる連絡が入っている。その寺田屋の客は最も薩摩が多い。龍馬と中岡に暗殺の危険を忠告しに来たのは、元新撰組伊東甲子太郎(当時は御陵衛士)であるが、彼も大久保に直結する資金面での繋がりがあった。暗殺計画の話が出て、西郷は了承した。おそらく、その辺りが歴史の真実ではないか、そのように私は思っているのである。

 

 

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