神田神保町にある出版社の沖積舎に行く。社主の沖山氏と、私の写真集刊行の打ち合わせのためである。沖山氏は、私の最初の版画集「正面の衣裳」を企画・刊行した人であり、恩人である。会社の階段を昇っていく途中で携帯電話が鳴った。電話は映画プロデューサーのS氏からであった。S氏云わく「銀座の画廊で個展をしている或る画家の絵を見ていて、次第にいらだちを覚えた」との由。その画家は、いわゆる(幻想画家)を謳っているわけであるが、S氏は、いかにも(幻想絵画風)の小道具を並べただけの予定調和の画面を見て、はたしてこれが言葉の正しい意味での「幻想絵画」と云えるのか!?という疑問を抱いたのだという。S氏は数々の映画のヒット作を出してきた才人であり、いつもその発言は私には興味深いものがある。この度のS氏の疑問は正しい。
真の幻想絵画とは、物象を物象として描きながらも、なおも立ち上がってくる、あやしくも捕え難い想念を見る者に抱かせる力を持った絵画でなくてはいけない。例えば靉光の「眼のある風景」の直接的なものから、春草の「落葉」、劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」といった暗示的なものまでも含めて、、、。しかし今日の(幻想画家と称する)作家の絵からはそのような表現に至ったものはなく、ありていに云えば、70年代に入ってきたウィーン幻想派の作品をなぞったものにすぎなく、マリセル・ブリヨンが著した幻想の定義からも程遠い。事実、S氏が今見てきたという画廊の画廊主自身が、アートフェアーで他の画商たちに云われた言葉として、「今の傾向で見ると、あなたの画廊の作家たちが、一番癒し系に見えるよ」と、私に笑いながら語った事がある。まあ、この辺りが話の落ちと云えるところであろう。
そういった話をS氏と電話でしていると、扉のガラス越しに沖山氏が、早く入ってくるようにと、笑顔で促している。打ち合わせは1時間あまりで主だった話は決まった。特装本には、限定一部だけの様々な写真プリントを各々に入れても良いのでは・・・と私は提案した。複数制の逆説を行くのである。写真家の川田喜久治氏に書いて頂いた実に美しいテクストを英語と仏語で翻訳した文も入れ、また掲載する写真の各々に私が短い詩を書く事になった。これは私の好きな仕事であり、ランボーではないが、一晩で一気に書こうと思う。バタバタと慌ただしいが、そういう中で今日はめずらしくアトリエの庭の芝生に寝そべり、ぶどうを食べながら、空行く秋の雲をぼんやりと眺めた。気象のリズムは完全に狂ってしまっている。しかし、その中でも季節は確実に晩秋へと移ろっている。
追記:
現代美術を牽引した画商である佐谷和彦氏と、シュルレアリスム研究家の鶴岡善久氏が編集した『身振りの相貌(現代美術におけるヒューマンイメージ)』という美術書が1990年に沖積舎より刊行されたが若干の在庫があり、興味のある方にはお薦めしたい本である。本の帯に記された『39人の日本を代表する詩人・評論家・画家などの論客が迫った、クレー、ピカソ、デュシャンたち38人の画家の作品への言葉による活写』という文にある通り、スリリングな試みの本である。ちなみに私はコーネルについて書いている。書き手は他に、岡井隆、寺田透、大岡信、吉岡実、、、など多彩である。
本のお問い合わせは、沖積舎(TEL:03-3291-5891)まで。