月別アーカイブ: 10月 2011

『真の幻想絵画とは・・・』

神田神保町にある出版社の沖積舎に行く。社主の沖山氏と、私の写真集刊行の打ち合わせのためである。沖山氏は、私の最初の版画集「正面の衣裳」を企画・刊行した人であり、恩人である。会社の階段を昇っていく途中で携帯電話が鳴った。電話は映画プロデューサーのS氏からであった。S氏云わく「銀座の画廊で個展をしている或る画家の絵を見ていて、次第にいらだちを覚えた」との由。その画家は、いわゆる(幻想画家)を謳っているわけであるが、S氏は、いかにも(幻想絵画風)の小道具を並べただけの予定調和の画面を見て、はたしてこれが言葉の正しい意味での「幻想絵画」と云えるのか!?という疑問を抱いたのだという。S氏は数々の映画のヒット作を出してきた才人であり、いつもその発言は私には興味深いものがある。この度のS氏の疑問は正しい。

 

真の幻想絵画とは、物象を物象として描きながらも、なおも立ち上がってくる、あやしくも捕え難い想念を見る者に抱かせる力を持った絵画でなくてはいけない。例えば靉光の「眼のある風景」の直接的なものから、春草の「落葉」、劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」といった暗示的なものまでも含めて、、、。しかし今日の(幻想画家と称する)作家の絵からはそのような表現に至ったものはなく、ありていに云えば、70年代に入ってきたウィーン幻想派の作品をなぞったものにすぎなく、マリセル・ブリヨンが著した幻想の定義からも程遠い。事実、S氏が今見てきたという画廊の画廊主自身が、アートフェアーで他の画商たちに云われた言葉として、「今の傾向で見ると、あなたの画廊の作家たちが、一番癒し系に見えるよ」と、私に笑いながら語った事がある。まあ、この辺りが話の落ちと云えるところであろう。

 

そういった話をS氏と電話でしていると、扉のガラス越しに沖山氏が、早く入ってくるようにと、笑顔で促している。打ち合わせは1時間あまりで主だった話は決まった。特装本には、限定一部だけの様々な写真プリントを各々に入れても良いのでは・・・と私は提案した。複数制の逆説を行くのである。写真家の川田喜久治氏に書いて頂いた実に美しいテクストを英語と仏語で翻訳した文も入れ、また掲載する写真の各々に私が短い詩を書く事になった。これは私の好きな仕事であり、ランボーではないが、一晩で一気に書こうと思う。バタバタと慌ただしいが、そういう中で今日はめずらしくアトリエの庭の芝生に寝そべり、ぶどうを食べながら、空行く秋の雲をぼんやりと眺めた。気象のリズムは完全に狂ってしまっている。しかし、その中でも季節は確実に晩秋へと移ろっている。

 

 

追記:

現代美術を牽引した画商である佐谷和彦氏と、シュルレアリスム研究家の鶴岡善久氏が編集した『身振りの相貌(現代美術におけるヒューマンイメージ)』という美術書が1990年に沖積舎より刊行されたが若干の在庫があり、興味のある方にはお薦めしたい本である。本の帯に記された『39人の日本を代表する詩人・評論家・画家などの論客が迫った、クレーピカソデュシャンたち38人の画家の作品への言葉による活写』という文にある通り、スリリングな試みの本である。ちなみに私はコーネルについて書いている。書き手は他に、岡井隆寺田透大岡信吉岡実、、、など多彩である。

本のお問い合わせは、沖積舎(TEL:03-3291-5891)まで。

 

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『鏡面のロマネスク』

日本橋の高島屋本店での個展が、かつてない大盛況のうちに終了した。多くの方が見に来られたが、十代から八十代までの幅広い層に作品が支持され、多くの作品がコレクションされていった。〈現代美術〉と称しながら、内実は弱く、完成度も全く無い現況の美術界に対する厳しい批評が、例えば私の作品を支持する形になったと思っている。ポエジー、文学性、毒、エスプリ、色彩表現の深度、ミステリー性,完成度の高さ,・・・・その他、視覚芸術に様々な人が求める多面性が私の作品には含まれているという確信が私にはある。以前にも書いたと思うが、自分の作品の前で、見る人の視線を一秒でも長く引きつけていたいというのは,表現者にとっての本能的な気持ちであり、作品の質が明らかに問われる形でもある。そしてその事を思いながら今回の個展会場での観客の動きを見ていると、実に長い時間をかけて、年代は関係なく、私の作品との静かな対話をされている姿が目立った。やはり、誰もが深い感受性を抱いており、その眼は正直なのだと思う。来年の個展の話も早々と決まった。次回はまた、よりハードルを高めた新しい試みに挑みたい。

 

個展が終って休む間もなく、次は福井県立美術館での個展に頭を切り換えなくてはいけない。そして今日、美術館の野田氏からポスターとチラシの案が送られて来たが、これがなかなかハイセンスな仕上げになっていて、私を驚かせた!!展覧会名は『北川健次展 KENJI-KITAGAWA – 鏡面のロマネスク』。私がお願いしたウンベルト・エーコの「虚像の中に落ちるためには、ただ一枚の鏡の表面をゆがめるだけでよい。」の文も入っている。このセンスでいくとカタログの出来も多いに期待が出来る。またこれからもメッセージで、展覧会に関する新たな情報をお送りしたいと思う。

 

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『美意識の共振』

六月頃に書いたメッセージ「君はお遍路に行くのか!?」で、私は、当時まだ在職中であった菅総理について「彼は秋風が立つ頃、おそらくお遍路に行くであろう」と書いた。先日TVを見ていたらお遍路姿の彼が映っていたので、その的中ぶりに笑ってしまった。しかし、この程度の事は予知という程の事ではない。この人の考えている事は容易に透けて見える。それを予見しただけの事である。

 

さて、日本橋高島屋での個展も後三日を残すのみとなった。三年続けてコレクターの数が増えていき、今回は百点以上の作品がコレクションされていく事になった。まさに継続は力である。十代から八十代までの幅広い層の方に作品が受け入れられたわけだが、この事は私の自信であり、更に誇りとするものである。美意識の共振に年齢は関係ない。私はあらためてそれを実感したのであった。

 

掲載した作品写真は、個展のパンフの為に撮影したものであるが、当初は発表するつもりは全くなかった。初日に来られた、私の長年の大切なコレクターの一人であるO氏から「展示して欲しい」という促しを頂き、プリントして額装し、数日後に展示したところ、欲しいといわれる方が続いて現れ、限定9部の内、既に6点の購入希望が入って、私を驚かせた。私はO氏に感謝しなければならない。

 

 

明日からは連休に入る為、来廊者も多いと思う。高島屋の個展は10日で終了し、次は福井県立美術館での大きな個展へと移っていく。平行して福井の画廊での個展の同時開催もある為、完売し絶版となる作品も出てくるかと思う。美意識の共振を通して、また多くの出会いがあるであろう。

 

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『1888年、その年は・・・。』

前回のメッセージで、厚い本と定規が写っている画像を載せたところ、「これはオブジェですか!?」という問い合わせが何件かあった。まぎらわしい展示ではあるが、これは作品ではなく、今回の個展の着想の舞台裏を見せた一種のディスプレーなのである。

 

 

写真では判読出来ないが、本の表装には1888年とリヨン(フランスの地方名)の文字が記されている。今回の個展のタイトル「密室論 – Bleu de Lyon の仮縫いの部屋で」の原点である。本の中には1888年時の書類がぎっしりと詰まっていた。その書類の束が入った本状の物を見つけたのは、パリ六区、ジャコブ通りにある不思議な物を多く商う店である。1888年の文字をその本の表に見た時、高額であったが私はためらわず、それを購入した。1888年という数字が私の想像力を強く煽ってきたからである。

 

 

 

1888年、その年のヨーロッパは、犯罪史的にも美術史的にも不穏な年であった。前年(1887年)に、シャーロック・ホームズが『緋色の研究』で登場したのを幕明けとするかのように、1888年にロンドンには切り裂きジャックエレファント・マンが同じ時期に同じ場所(イーストエンド地区)に出現し、ローマでは形而上絵画の絵師・キリコが誕生し、アルルではゴッホの耳切り事件が発生している。それらの不穏な出来事が重なって私の想像力を激しく煽り、私はそこに尽きないイメージの立ち上りを覚えるのである。私はその書類を切り取って、そこにコラージュやペイントを施し、ミクストメディアに作り上げた。前回の作品画像「緑の意匠論」、「廃園 – キュピードのいる庭」、「PAVET – 反対称の庭で」などがそれである。

 

個展は10月10日まで。未だ9日間を残して、既に前回以上の数々の作品がコレクターの方々のコレクションするところとなった。全力を尽くして制作に集中した事が、形となって報われている。表現の完成度の高さにこだわった分、それは確実に人々に伝わっている。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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