月別アーカイブ: 9月 2012

『個展 – 中長小西』

中長小西(NAKACHO KONISHI ARTS)での個展が、20日からいよいよスタートした。前日の飾り付けは、オーナーの小西哲哉氏のミリ単位での作品展示の位置、照明へのこだわりが徹底されて夜半過ぎまでかかったが、それを反映して洗練された完成度の高い展示となり、作品が更に映えて密度の濃い会場空間が立ち上がった。

 

 

初日の開場と共に、先ず最初に入ってこられたのは日本経済新聞社のK氏であった。会場内をゆっくりと一巡して再び『パスカルの耳』と題したオブジェの前に立ち、即決したようにコレクションとしての購入を決められた。この早い決断は私を驚かせたが、そういう決断はその後も続き、予想以上の作品が、初日からたちまち私の手元を離れていく事となった。もとより作者とは、作品がこの世に形を成すための客体的存在であり、作品からイメージを夢見のように紡いでいくのは、作品を所有する人の主体的な特権である。その意味でコレクションという行為もまた、作者とは異なるヴェクトルを持った豊かな創造行為であるという持論が私にはある。

 

二日目の来場者の中に美術雑誌の編集者のB氏がいた。B氏は今回の作品を見て「今年に入って五百以上の展覧会を見て来た中で、最高にレベルの高い内容だと思う!!」と、私に感想を告げてくれた。いろいろな方が個展の感想を語ってくれるが、B氏のように仕事上も含めて数多くの展示を見ている人はいない。その意味でより客観性を持ったB氏の言葉は、私の現在形に対する自信と確信を強度に抱かせてくれるものがあった。今後仕事に対峙していく上で、このB氏の言葉はひとつの強い追い風となっていくであろう。

 

さて、今回の個展は『立体の詩学 – 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で』という題を付けている。少しそれについて語れば、フリュステンベルグとは、パリ・六区に現存するフランス浪曼派の巨匠- ウジェーヌ・ドラクロワの館がある所の番地名である。その館には美しい庭が在り、私はその場所を、今回の個展で発表する作品のイメージを紡ぐ場所として想定した。ご存知のように昨今の美術作品の多くは、色彩各々が本来持っているドラマやアニマを失って、薄く脆弱なものと化している。しかし本来、芸術とは強度であり、危うく、かつ毒があり、ゆえに深く美しいものであるべきであろう。私はその批評的考えをベースとして「色彩のアニマの復権」をテーマとして立ち上げ、タイトルにそっと、その意図を伏せた。ドラクロワは、その象徴として登場しているのである。「立体の詩学」は、詩の分野だけでなく、芸術創造の最終行為においてポエジーを孕ませることは必須であり、私の作品は美術という分野を超えて、〈詩〉の領域に在るものでありたいという想いから付けたものである。現代の美術の傾向は、ますます無機質な不毛なものへと行きつつあるが、私は、それとは真逆の、有機的な韻を帯びた馥郁として名付けえぬ危うい作品を作っていきたいと思っているのである。

 

 

「立体の詩学 - 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で」BOXオブジェ(部分)

 

「千年の愉楽 - サルーテ聖堂の見えるヴェネツィアの残照 」BOXオブジェ(部分)

 

 

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『中長小西』

1990年代のアートフェアーは横浜で開催された〈NICAF〉などに代表されるように、海外からも一流の画商が参加して質の高いものがあった。私も個展という形で当時の取扱画廊であった池田美術が出品したが、その時は真向かいのブースでドイツの画商がJ・コーネルの箱の作品を十点ちかく出品し、なかなかに緊張感の漂う見応えのある展示内容であった。

 

しかし、次第に個性のある画廊が姿を消して、代わりに右並えの流行ばかりを追った画廊(とは言い難い)がぞろぞろと出てきて、先述したアートフェアーも質の高さが次第に消えていった。数年前に訪れたアートフェアーもかくのごとくで、仕切られた各々の空間での展示は、そのほとんどが唯、並べただけの美的センスの伝わって来ないものが多く、私は未だ途中であったが帰ろうと思って出口へ向かった。すると、或る画廊の空間がふと目に入って来て私は足を止めた。他の画廊とは全く異なる緊張感がそこからは伝わってきて、私は引き寄せられるようにその前に立った。そこに展示されていたのは、私も生前にお会いした事のある天才書家、井上有一の今までに拝見した中でも最高の書(それはクレータピエスと同質の凄みを持っていた!!)、そして瀧口修造デカルコマニー山口長男など、決して数は多くはなかったが、圧倒的な質の高さと、何より張り詰めた美意識がその空間からは伝わってきて私を魅了した。画廊の名前は「中長小西」(NAKACHO KONISHI  ARTS)。初めて知る名前であった。その時、オーナーは不在であったが、私は一人の眼識を持った人物がそこにいる事を直感した。その中長小西のオーナー小西哲哉氏とお会いするのは、それから一年後のことであった。

 

中長小西が開廊したのは2009年の秋である。銀座一丁目にあるその空間は、まるで無駄をそぎ落とした茶室を連想させた。黒を基調とした壁面には、山口長男・斎藤義重李禹煥・・・といった現代作家から陶芸の加守田章二深見陶治、そして奥には村上華岳の掛軸がある。又後日訪れた時にはジャスパー・ジョーンズマルセル・デュシャン・・・といった作品があり、時代・ジャンルに促われずにトップクラスの作品だけを紹介していこうという画廊のコンセプトが静かに伝わってくる。オーナーの小西氏は、中長小西の開廊までは14年間、老舗の水戸忠交易で平安時代から現代までの美術に対する修行を積み上げてから独立したという筋金入りの歩みがあり、その眼識に一本のぶれない眼差しがある理由を私はそこで理解した。

 

その中長小西で私のオブジェの個展『立体の詩学 — 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で』が今月の20日(木)から10月6日(土)まで開催される。私の持論であるが、或る作品が本物であるか否かは、例えば、洗練された美意識の極を映した茶室に掛けてみれば瞬時でよくわかる。本物はそこに同化し、偽物は弾かれる。例えばクレーデュシャンジャコメッティー、・・・彼らの作品を茶室に掛けてみる事を想像して頂ければ、私の云わんとするところが伝わるかと思う。その茶室の本質を画廊空間に移したような洗練が、この中長小西には存在する。その厳しい空間での展示は、私の表現者としての本能を激しく揺さぶってくるものがある。オブジェという、この名付けえぬ不可思議な存在物が、〈客体〉となってどう映るのか。個展を間近に控えた私の最大の関心がそこにあるのである。

 

〈マルセル・デュシャンの珍しいマルチプル作品〉

 

 

 

 

 

 

「中長小西」(NAKACHO KONISHI  ARTS)

住所:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目15-14 水野ビル4F

TEL/FAX:03-3564-8225

営業時間:午前11時~午後7時

日曜休 *22日(祝)は開廊


 

 

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『必見 – 川田喜久治写真展』

「幻視者」という言葉は、或いは現実の核にある不気味で異形な実相をも見究められる人の謂ではあるまいか。・・・・昨日私は、フォト・ギャラリー・インターナショナルで開催中の川田喜久治写真展「2011-Phenomena」を見ながら、そう思った。そして本当の意味での写真が持つ権能と力に対峙した思いがした。タイトルにあるPhenomenaとは〈現象〉の複数形。ここは森羅万象と解すべきか。ともあれ、川田喜久治氏の表現世界にこの世の万象が引き寄せられている。そんな印象を抱きながら、耽美と凶事の気配が濃密に詰まった氏の世界を、畏怖を覚えながら堪能したのであった。

 

ゴヤ『砂に埋もれる犬』

アンドレ・マルローの『ゴヤ論』の最終行は「・・・・かくして近代はここから始まる。」という文で終っている。この言葉はある意味で正しく、例えばそれを受け継いだのがマネであり、そこから近代絵画の幅が広がった。しかしゴヤの目は、私に言わせればむしろ近代を超えて現代の実相までも遍く照射しているのではあるまいか。私は昨日の川田氏の個展会場でそこまでも考えてみた。そう思ったのは、その場で見た氏の或る写真(それは太陽と、今一つのどす黒い太陽の巨大なシルエットが共存しているという凄みのあるもの)を見た時の印象が、かつてプラドで見たゴヤの『黒い絵』中の名作『砂に埋もれる犬』と卒然と重なったからである。つまりゴヤの眼差しは、時を経て、絵画ではなく写真の領域の上に —-  川田喜久治氏に受け継がれていると思ったのである。かつてベンヤミンは写真におけるアニマの可能性を否定したが、それは凡百の写真に対してであり、こと川田氏の写真を見る限り、それが間違いである事を観者はその場で体感し首肯するであろう。

 

私のアトリエには、ルドンゴヤ(妄のシリーズ)、ヴォルスベルメールホックニーレンブラント・・・・などの版画が掛かっている。そして私はあえてゴヤの横に川田氏の名作「ボマルツォの奇顔」の写真を掛けているのであるが、その写真が持つ強度な波動は、表現者として生きている私を鼓舞してくれている。ここに掲載した画像は川田氏の巨大な写真集「ラスト・コスモロジー」の中の「太陽黒点とヘリコプター」である。鮮明に掲載出来ないのが残念であるが、太陽の黒点と不気味に飛翔するヘリコプター、そして夢魔のような暗雲と、日付が写っている。したたかなまでに完璧であって、付け足すものは何もない、妖かしの瞬間定着術!!これを見ると、写真家というよりは写真術師と呼びたい衝動に駆られてくる。写真が未だ光線魔術と呼ばれていた頃の手を、川田氏は間違いなく掌中に隠し持っている。(想定外・・・・)などと言い逃れている現代人の盲目を突き刺してくる、これは現象の奥に不気味に息づく「気」を捕えた紛れもない名作であろう。川田氏の写真展は始まったばかり。しかし暑い中を汗を流しても訪れて見るだけの価値は充分にある。ぜひ御覧になられる事をお薦めしたい写真展である。

 

写真集「ラスト・コスモロジー」より見開き(部分)

 

「ラスト・コスモロジー」より見開き(上の写真の更なる部分アップ)

 

 

川田喜久治写真展「2011年-Phenomena」

2012年9月4日(火)~10月31日(水)
フォト・ギャラリー・インターナショナル
東京都港区芝浦4-12-32/TEL.03-3455-7827

月~金 11:00 – 19:00
土   11:00 – 18:00
日・祝日休館 入場無料

JR田町駅・芝浦側(東口)より徒歩10分

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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