月別アーカイブ: 8月 2013

『「指」』

いささか今回のタイトルは松本清張の小説のタイトルのようで凶々しいが、まぁ、その「指」について書こう。それも、歴史上のミステリーに関わる内容であるが・・・・。

 

脚本家の三谷幸喜氏の小説『清洲会議(きよすかいぎ)』〈幻冬舎刊〉を、たいそう面白く読んだ。「清洲会議」とは御存知のとおり、織田信長が本能寺で死去した後の、織田家の相続者を決める会議であるが、そこに登場する人物群(羽柴秀吉柴田勝家丹羽長秀前田利家織田信雄お市・・・・)の心理のかけひきや逆転劇の面白さが凝縮した史実を元に、各々の人間像をコミカルに、かつ哀しく活写していて、私は一気に読んでしまった。その中に秀吉の妻の寧の日記なるものが出てくるが、その中にオヤッ?と思わせる記述がある。

 

「・・・・夫(秀吉の事)は本来暗い人間である。生まれながらに右手に障害を持っていたこともあり、本人の話では、子供の時は、人と交わるのが苦手だったそうだ。・・・・云々」とある。この文中の「生まれながらに右手に障害を持っていた」という記述を読んで、さすがによく調べているなぁと、私はこの三谷氏のこだわりの視点に注目したのであった。

 

歴史の表にはあまり出てこない話であるが、信長は秀吉の事をサル・ハゲねずみ・以外にもう一つ「六ッ」と呼んでいた事は案外知られていない。又、宣教師のルイス・フロイスが記した「日本史」の文中には、秀吉の事を評して「彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六本の指があった。眼が飛び出ており、支那人のように髭(ひげ)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった・・・・」とある。又、秀吉が最も信頼していた前田利家の談話集「国祖遺言」にも、秀吉の指の異形性への言及があり、「・・・上様ほどの御人成りか御若き時六ッゆひを御きりすて候 ハん事にて候ヲ左なく事ニ候 信長公大こう様ヲ異名に六ッめかなと・・・・」とある。現代語に訳せば「上様ほどのお人なら、若いときに六本目の指をお切りになればよかったのに、そうされないので信長公は「六ッめ」と呼ばれていたのだ」となる。・・・・・・・・そう、つまり秀吉の右手には六本の指があったのである。

 

私は医学の専門ではないので、その病名を知らないが、おそらく「多指症」とでも呼ぶのであろうか。この病気は稀ではあるが実際に存在するようであり、そのハンディキャップ故に古くからそういう人達は幼少期に切断していたようである。私が興味を持つのは、それをあえて切らずに貫いた秀吉のタフな神経についてである。一説によると、日本では差別的にしか言わないこの病気を、フィリピンなどでは「神の使い」と呼んでいるようであるが、プラス志向の秀吉が切らなかった理由もそこに関わっているように思われる。当時ルソンとの交流は盛んであったが、秀吉の若い頃にその商人あたりから、「神の使い」という考えがある事を知り、災い転じて福に成していったのではあるまいか!?まさに「異形の王」にふさわしい逸話ではあろう。

 

作家の故・松永伍一さんと安土・桃山時代の裏話について話をしていた折り、松永さんは実に興味ある、そしてほとんどの人が気付いていない或る史実について語ってくれた事があった。それによると、実は秀吉は、信長の命を受けて毛利氏を平定しにいく際に、下層階級出身の自らの出自を隠すために、自分のルーツに関わる一族を皆殺しにしてから向かったというのである。つまり、それが暗示する事として考えられるのは、信長亡き後の次の覇者(はしゃ)としてのヴィジョンを、信長がまだ存命中に抱いていたという事に繋がるのである。それが事実であるならば、本能寺の変の真相も、もっと深いところにあるという事になってくるのである。まさに「事実は小説よりも奇なり」である。秀吉が六本の指を持っていた事は、信長、フロイス、利家という立場の異なる人物たちが一致した内容を、時間軸を異にして語っているのであるから、おそらく史実とみて間違いはないであろう。しかし、私たちが知っているつもりの歴史とは、勝者の都合で脚色されたものである。つまり、歴史の真相はほとんど解明されておらず、全てはあくまでも仮説にしかすぎないといってもいいのである。故に、歴史を推理するという事は、出口のないブラックホールに入っていくようなもの。しかし、それ故の醍醐味というのが又、そこには在るようにも思われるのである。

 

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『戦前のこわい話』

今、甲子園では全国高等学校野球選手権大会が炎天下の熱戦をくり広げており、私の地元からは常連の福井商業高校が出場している。乾いたバットの打撃音、選手たちの掛け声、巨大な峰状の白雲、青い空・・・。それをTVで見ていると、蘇ってくる記憶がある。

 

私の家は、その福井商業高校の近くに在り、夏休みになると、小学生の頃の私は小さな自転車に乗り、度々そこへと向かった。目的はその高校のグランドの裏にある神社で昼寝をするためである。考えてみると私はずいぶんと準備の良い少年であったかと思う。昼寝のために自転車の荷台に愛用の枕と新聞紙を乗せていたのであるから、今思えば、なかなかに渋い小学生であった。その神社の近くには小川もあり、風が梢を揺らし、冷たいまでの風が吹いていた。蝉時雨の下、父や母や友達も遠くに在り、唯その時の私は、抒情とだけ結ばれていた。自分の将来がどのようになるのか,又、数十年後には地球が熱波に包まれて動植物が死滅の様相を呈する事など勿論想像する筈もなく、ひたすら私は心地よい午睡の中にいた。・・・私ばかりではない。・・・誰もが夏の到来を待ち望んでいた。誰もが白雲の彼方の青の蒼穹を見ては、今生きている事の喜びの中にいた。

 

時が経ち、1990年の冬の或る日、私はミラノからパリへと飛ぶ機中に在り、眼下にはアルプスの山頂の鋭く尖った白雪が見えた。更に20年の時が経った冬の或る日、再び私の眼下に見るアルプスの山頂には、以前に見た時とは全く異なる、鋭さの全く無い、例えるならば、とろりと溶けたアイスクリームのような雪が在り、溶けてむき出しとなった岩肌が汚く露出していた。それを見た時に、僅か20年での地球の病みと狂いの進行の早さを思い、「あぁ・・・もう、駄目だな」と思ったのであった。

 

夏は終わった。もはや私たちの知っている夏は、唯の観念の中へと消え去り、今、私たちの前に在るのは、熱くグロテスクな、未だ名状し難い不気味なまでの様態である。熱中症で多くの死者が出ているが、未だ見つかっていない死者たちが、クーラーの壊れた家の中でひっそりと横たわっている事は十分に考えられる事である。そのひっそりとした人家の屋根を、唯ひたすらに長雨が濡らしている。通りに歩く人影は絶え、(かつて経験した事のない)唯、しとどに降る長雨が地表を濡らし、家々を濡らし、・・・・・・風景を容赦なく濡らしていく・・・・・・・・

 

消えた抒情を求めるように、最近私は、古書店で一冊の本を見つけた。本の題は『戦前のこわい話』(河出文庫)である。副題に〈近代怪奇実話集〉とある。事実は小説よりも奇なりという言葉の通り、この実話集にはフィクションが適わない事実ゆえの凄みがある。凄惨で不気味極まりない七話集であるが、文中に息づいているのは、まぎれも無いこの国特有の風土が生んだ抒情である。

 

私はこの本を読んで、5年前の夏に訪れた岡山県の美作加茂駅を降りて向かった〈貝尾〉という名の寒村を思い出した。この地名を聞いてピンと来た方はかなりの通であるが、昭和13年5月21日の深夜に起きた、「津山30人殺し」の現場である。私はそこで二人の老婆と話しを交わした。その一人は犯人と幼なじみ、今一人は彼女を除く一家全員が殺された、その生き残りの女性であった。熱い夏であったが、私は今となっては貴重な証言を彼女たちから知らされたのであった。・・・・・・・・眼前の狂った夏は確かに怖い。しかし、もう一つ怖いのが、死者ではなく、現実に生きている人間の心の闇の底無しの無明である事を、この本は教えてくれる。興味のある方はぜひ御一読をお薦めしたい、この時期にピッタリの一冊である。

 

◀お知らせ▶

7月6日〜8月26日まで、和歌山県立近代美術館にて開催中の『美術の時間』展に私の版画三点「DiaryⅡ」「Friday」「ドリアンの鍵」(全て同美術館収蔵)が展示されています。他の出品作家は、ロバート・ラウシェンバーグクリスト河口龍夫工藤哲己他。

和歌山県立美術館:和歌山市吹上1-4-14 TEL.073-436-8690
詳しいお問い合わせは、学芸員・青木加苗氏まで。

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『再び、ベーコン登場』

神田の神保町の古本屋街を一日中歩いて帰ってくると既に夜半であった。TVのスイッチを入れ、着替えをしていると、TVの画面でも私と同じように服を脱いでいる男が映った。どうやらこれから踊るらしい。見るとその男は、俳優の田中泯氏であった。豊田市美術館で開催中のフランシス・ベーコン展の企画としての踊りがこれから映し出されるのである。以前に東京国立近代美術館で見たベーコン展では、大きなスクリーンに舞踏家・土方巽の「四季のための二十七晩」の映像が映し出され、私は企画者のセンスの妙を以前にこのメッセージ欄で讃えた事があった。土方は肉体の権能の極北にまで迫り、それは豪奢で、限りなく危ういまでに美的であり、さらに云えばベーコンの表現をも超えて肉体の闇の深部に迫真していた。さぁ、田中泯氏はどうだろう!?

 

踊りが始まって一分も経たない内に私は「これは、・・・・・違うな!!」と思った。上手い、下手ではない。では何が違うのか・・・?私は頭の中でそれを整理した。①これはコラボレーションでもなくオマージュでもない。②そもそもベーコンの表現を通して肉体(肉魂)の根源を開示しようとする事に難がある。③自身における舞踏家としての核が伝わってこない。④表現として足り得る為のフォルムがない。⑤田中泯氏の才能は、実は、その顔相の特異さ(役者としての)にこそあるのではあるまいか!?⑥⑦・・・etc. 私は見ていて途中から、この踊りの最後はおそらく〈完結〉として閉じずに散文的に分散するな・・・と予感した。はたして私の予感は当たり、踊り終えた田中氏自身の言葉の内にその事への言及があった。「踊っているうちに、自分が何処に行ってしまうのか・・・わからなくなってしまった」と云うのである。企画者の試みへの意欲は私は評価したい。しかし、ベーコンの表現と対峙しうる〈肉魂と傷の裂け口の闇〉の凄まじい体現者はおそらく今は皆無であろう。田中氏は、体のその重心ゆえに、あまりにも地上的であり、例えば勅使河原三郎氏は天上的であり、土方巽のごとき地上性と天上性とをあたかも奇術師のごとく併せ持つ怪物的な才能はもはや残念ながら無いのであろう。番組の最後で、田中氏はベーコンの晩年の作を評して、金と名声に負けた変節と語ったが、デヴィッド・リンチ氏はそこに表現の幅としての解釈を見せていた。私はデヴィッド・リンチ氏と同じ見方である。時代がベーコンに追いついたのではない。時代がベーコンの表現と重なってきて、まさにこの21世紀はグロテスクでオブセッショナルな様相を呈してきているのである。私は以前のメッセージでベーコンの絵画を正に「現代のイコン」と評したが、同じ事をここで再び記そうと思う。

 

・・・ところで,昨今の美術館は入場者を得るために(愛)とか(ハート)をテーマにした虚な企画が目立つが、私がもし企画者ならば真逆の企画—obsession(強迫観念)と美の問題を絡めた展示をやってみたいものである。13世紀初頭の、神への礼讃を描いたフラ・アンジェリコの『受胎告知』の巨大なコピーを入口の初めに見せ、次はダヴィンチの『大洪水』による人類死滅のヴィジョンから異端審問による処刑図を経て、時代は一気に19・20・21世紀に飛び、ゴヤゴッホムンクスーチンピカソジャコメッティダリベルメール、そしてベーコンと続き、そこには声無き絶叫のオンパレードが続く。西洋は個人の自我意識が確立しているから、人はその肉の皮膚の内から絶叫の声を放つ。さて・・・日本はと、振り返ってみると、そこに荒ぶるようなヴィジョンが無い事にふと気付く。この国においての〈孤独〉は、時代性の情緒の内に紛れて終には甘美なのである。

 

詩人・野村喜和夫氏との詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』の刊行を記念して開催された、私と野村氏との対談が、現在発売中の『現代詩手帖』八月号(思潮社刊)の巻頭に所収されているので、興味がおありの方はぜひ読んで頂きたい。書評も、「二人の作品は等価どころか、ひとつになって新たな世界を創り出すのに成功している」(中村隆夫氏評)、「詩画集のひとつの達成として興味深い。(略)ここでは視覚作品と詩が、その乖離自体をひとつのオブジェとして呈示してもいるのだ。」(田野倉康一氏評)、「互いの主体の強度は保たれ、作品はぶつかり合うことなく戦い、それが二人の作品の交差となって、この書物の緊迫した膨らみを象り・・・(松尾真由美氏評)など好評であり、売行きも好調で、普及本・特装本ともに近々に完売の可能性も見えてきているようである。

 

対談の中で野村喜和夫氏は「・・・そもそもコラボレーションというのは、詩と美術の場合は、言語表現と造形表現との闘争的な共存であるべきで、本文と挿絵、あるいは作品とキャプションという関係では全くない。」と語っているように、私たちの共同作業の出発点には先ず〈私たち自身への批評眼〉があった。それが読者の多くに正しく伝わっているのだと思う。前述した田中泯氏の踊りに対して〈・・・違うな!!〉と思ったのは、つまりはそこなのである。ベーコンに対峙して肉魂の闇に迫るには、田中氏はベーコンの絵に度々登場する〈こうもり傘〉や、〈不毛な部屋〉といった既存のイメージを援用せずに、自身が抱えている主題で自立したものをやるべきであったのではあるまいか・・・。観者はベーコンの絵画の自立性、田中氏の踊りの自立性を見て、まさに先の田野倉氏の言を借りれば、その乖離自体の中に観者各々が問題意識を立ち上げ、自問するのである。田中氏がこの企画において計った距離の取り方、その在り様を、私は〈・・・違うな!!〉と直観したのである。それにしても、田中氏はあまりにも熱演であり過ぎた。

 

かつて、舞台の下で撮影している若き日の写真家・細江英公氏に対し、土方巽は演じながら〈今、撮れ!!〉 〈今、撮れ!!〉というシャッターチャンスのサインを〈気〉で送っていたという。何という複眼!何という恐るべき余裕と集中力!!そう、演じ手ではない、もう一人の醒めたプロデューサー・土方巽が、実は観者たちの背後の暗部にいて、自身の舞踏の絵姿を一瞬ごとに鋭く冷静に見ているのである。高ぶるのはあくまでも観客であり、演じ手は、何処かで醒めていなくては、作品にフォルムは立ち上がらない。表現主義・現場主義におけるジャクソン・ポロックがその恰好の例である如く、又、我が国の能がそうである如く、カオス(絶対の混純)をカオスたらしめる為には、その作品(化)として支えるための見えない、しかし確かな支持体が要る。その支持体の本質をこそ、真の意味での〈様式美〉と云うのである。

 

ベーコンの絵画がグロテスクを超えて、ついにはイコンのごとく美しい聖性さえも帯びているのはそこであり、ベーコンの画家としての本能は、したたかにも、それを知っているのである。

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