月別アーカイブ: 3月 2014

『画廊と私との豊かなる関係』

全国に画廊の数はどのくらいあるのだろうか!? 銀座に限ってみても200以上はあるというから、かなりの数になるであろう。しかし画廊といっても、〈貸し画廊〉というのは、言葉の正しい意味からすれば、唯のレンタル・アートスペース業であって、画廊とは云えない。あくまでも画廊とは、企画で展覧会を運営している所のみを指すべきである。だが、本当に美術が何よりも好きで、しかも眼識が高く知識もあり、その仕事に人生を賭けている画商となると、絞りに絞っていくと上記を更に削った数の、或は10分の1以下になってしまうのではないだろうか。

 

私の場合は、美大の大学院を出てすぐに、故・池田満寿夫氏の計らいで画廊と契約し、全作品が買取りという所からスタートした。以来今日に至るまで云わゆる筆一本でやって来たわけであるが、それは全て自分の力であると言い放つような愚かな傲慢さは私には無い。今思い起こせば、そこには様々な偶然と幸運な出会いと導きがあって、私は今ここにいるのである。そして最も身近な存在として、前述したような、本気で画廊という仕事に理念と誇りを持っている人達との出会いに恵まれていた事が、やはり大きい事のように思われる。

 

日本の現代美術を画商という立場から牽引して来た佐谷画廊の佐谷和彦氏。版画の可能性をひたすらに追求してきた池田美術の池田一朗氏。近年に画廊を閉じるまで、数多くの私の個展を開催してきたが、池田氏もまた、私が作る作品を個展の前に全て買い取りという姿勢を貫かれたので、私もまた全力でそれに応えうる作品を作ってきた。そしてギャルリー宮脇の宮脇一郎氏。ぎゃらりー図南の川端秀明氏。更には現在、個展を開催中の中長小西の小西哲哉氏。そしてその他の方々を含めて、私は本当にプロと呼ぶべき画商の方々との良き出会いに恵まれて来たと云えるであろう。またその他の画商の方で、私の小さなコラージュを含めれば、その数500点以上、私の作品をコレクションされている方もおられるが、ふと考えてみると、これは、やはり凄い事かと思われる。

 

その方々との出会いによって、私の感性とその作品を評価して頂いているという事は、先ず出会った最初において私の作品を自らのコレクションとして購入される事で、私に対する本気度がストレートに伝わってくる。つまりビジネスという現実よりも先に、その人達の感性と私の感性が確かな証しを持って、そこに形となるのである。そして、それが次なる展開への弾みとなっていくのである。

 

或る年の池田美術でのオブジェの個展の時、オープンと共に真っ先に入って来られたのが佐谷和彦氏であった。佐谷氏は会場を一巡りした後、その場で私の最大のオブジェを即決で購入されたのであるが、実はその作品は、制作時に(・・・・この作品は佐谷氏にコレクションして欲しい)と密かに願った作品なのであった。そして、それが佐谷氏の書斎に掛けられてから数ヶ月後に、アンブレラ計画で来日したクリスト氏が佐谷氏宅へ打ち合わせに訪れた時に目に止まり絶賛の評価を受けた事で、私は大いなる自信を深める事が出来、その後の制作への、ぶれない一つの支えとなっていったのであった。今や伝説的な存在として語られ始めている佐谷氏であるが、本当に私はこの人を始めとして、多くの画商の方々から強くて良き波動を与えて頂いたと思っている。

 

さて、今回の個展は、『芸術新潮』をはじめとして美術雑誌のほとんどが記事として取り扱っている。主題にダンテの『神曲』が絡んでいる事もあるが、強度なコラージュやオブジェが集中した個展となっている。会期は4月5日迄なので、残り10日間ばかりとなった。先日は、佐伯祐三や岸田劉生の作品もコレクションされているという私の熱心なコレクターの方が来られて、複数のコラージュを求められた。今回の個展は大いなる成功の内に終るという予感が、そろそろ立ち始めてきている。

 

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『個展 — 画廊:中長小西』

いかにもインチキ臭い変装セット(黒眼鏡・長髪・杖・ひげ)に身を包んだような佐村河内。はたまた、STAPかSTOPか知らないが、空(くう)を見ているような焦点の無い瞳孔の広がりを見せる小保方という名の病理。そういった〈木の芽時〉に相応しい笑える話題も少しづつ失せて、季節は今や、(花粉症)の時期に。しかし、こと私に関しては全く花粉症にかかる気配が無いのは不思議である。少年時代に〈杉鉄砲〉なる物を作るために、杉の木の下で黄色い花粉を頭から浴びながら、その玩具作りに興じていたために体が免疫になってしまったのだろうか・・・・・。

 

さて、今回の中長小西での個展は、画廊空間と作品とが密に共振して緊張感のある展示となっており、訪れた方々を虚構が優位する空間へと誘って、最近の中でも突出した内容となっている事に、作者である私は強い手応えを覚えている。そして未だ存じあげていなかった眼識の高いコレクターの方々との出会いも大きな喜びである。高島屋の個展の時には、一人の男性の方が個展スタートと同時に来られ、その場で六点の作品をコレクションに決めて私を驚かせたが、中長小西の個展初日でも、鋭く骨太の眼識を持った方がスタート直後に来られ、強度のイメージを孕んだ大作のオブジェを一瞬で気に入り、コレクションに決められたのである。その選び方から見て只者ではないと思った私は、奥の部屋でその方とお茶を飲みながらの会話の中で、それを確信する事となった。その方のコレクションの中に、ヴォルスの水彩画やスーラの素描も入っているとの由であるが、そのコレクションの質は、美術館のトップクラスのそれである。結局、初日だけで10点のオブジェやコラージュが〈売約済み〉となり、この個展の為に打ち込んで来た私に大いなる自信を与えてくれたのであった。

 

写真家というよりは、写真術師と云うべき川田喜久治氏が来られ、私が4月12日からイタリアを訪れて写真を撮る際の貴重なアドバイスを頂く。川田氏は今秋から来年にわたってロンドンのテートモダンで開催される、「戦争」を主題とした大規模な写真展の招待作家であるが、我が国の写真集の最高峰と評価され、氏の代表作の一つでもある『地図』を新たにプリントされるとの事。私はその展覧会を見るために今秋に24年ぶりにロンドンを訪れる予定を組んでいる。話の途中で川田氏は突然、ライカのカメラを取り出し、私は肖像写真のモデルへと変わった。写真の被写体になると魂が吸われるというが、それは本当の事である。もの凄い集中力で連写された事で、私の残り少ない余命は間違いなく三年はさらに削られた。そして、撮られた私の肖像写真を拝見し、私はそれを遺影写真にしようと決めたのであった。

 

この国の最も先鋭な知的怪物と云っていい四方田犬彦氏が来られ、久しぶりの再会となった。これまでの著作100册以上の業績が評価されて、今年の芸術選奨に選ばれた由。当然の評価であろう。四方田氏の文章は実に巧みで面白く、再読しても新たなる発見がいつもそこにある。四方田氏が最近刊行した詩集『わが煉獄』のテーマの要にはダンテの『神曲』が在る。そう、今私が開催中の個展『反重力とバルバラの恩寵』と、それは重なってくるのである。何故か今、私たちの脳の中にはダンテの『神曲』が宿り、それが現在形の表現の発露のヴェクトルとなっている事は面白い符合ではある。

 

美学の第一人者である谷川渥氏が来られる。氏が最近刊行した著作名は『書物のエロティクス』。張りぼての権威作りにしゃかりきとなる美術評論家(一冊の著作すらない)が多い中、谷川氏は群れない生き方に徹している。この国の美学者と称する連中が群れて作った美学者学会なるものに、谷川氏が入っていない事は、ひとつの痛烈な批評であろう。

 

短歌の第一人者で、唯美なる世界を詠む歌人・水原紫苑さんより新著『桜は本当に美しいのか ― 欲望が生んだ文化装置』(平凡社新書)がアトリエに送られて来た。万葉集・古今集・枕草子・源氏物語から、西行・定家・世阿弥・芭蕉・宣長から現代までの桜の変容と、その作られた美意識を解析した名著である。私は最近、本居宣長の「敷島のやまと心を人とはは朝日ににほふ山さくら花」の歌の、〈朝日ににほふ山さくら花〉の意味の極みについて、オブジェを作りながら考えていたのであるが、水原女史が上田秋成の文を引きながら、この歌を批判している箇所に出会った。私は本著の女史の文によって、私が本居宣長に寄せていたのが過大評価であった事を知らされた。レトリックを好む私は、そこに深遠なるものの暗示があると思い込んでいた事を、本著によって気付かされたのであった。とまれこの本は実に素晴らしい。ぜひのご購読をおすすめする次第である。

 

さて最後になるが、戦前に三島由起夫らに影響を与えた『ドラクロワの日記』をはじめとして、美術に関連する本を刊行し続けて来た出版社・求龍堂から、今年の七月の刊行予定であるが、私の本が刊行される事が決まった。与謝蕪村の俳句と西洋美術に通底するイメージが確かに在る事の〈妙〉を比較文化論的に論じた内容である。文庫ではなく単行本のために、あと7200字追記する必要があるので、今回の個展が終了する4月5日の翌日からイタリアに発つ12日までの1週間で、それを書きあげねばならない。担当編集者は待ってはくれないのである。それは大変でもあるが、嬉しい産みの苦しみでもある。私は、蕪村の三つの俳句に対峙するものとして、ミレー、ルオー、そしてマグリットについて書くであろう。

 

銀座・中長小西での個展は未だ三分の一を過ぎたばかりであるが、私は会期中の昼過ぎ頃から6時頃までは在廊している予定である。前述した方々に加えて個性のある方々が連日訪れている。会期中に主要な作品の多くが眼識のある人たちによってコレクションされ、それらは私の手元を離れていくであろう。個展、— それは私にとって、出来上がったばかりの作品との束の間の会話であり、また別れでもあるのである。

 

 

 

 

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『個展:反重力とバルバラの恩寵—始まる。』

銀座の画廊 中長小西(NAKACHO KONISHI ARTS)で私の個展が、いよいよ明日15日から開催される。タイトルは『反重力とバルバラの恩寵』。サブタイトルは〈ダンテ『神曲』地獄篇より〉である。ダンテの『神曲』に挑んだ芸術家は多い。ルネサンス期のボッティチェリを始めとして、ミケランジェロ、ドラクロワ、ブレイク……ラウシェンバーグetc。私がダンテの『神曲』にいつか取り組んでみたいと考え始めたのは5年以上前からであるが、テーマが壮大で、しかも難題である故に、もっと自分の内面の気と、表現の高まりが熟してからと思っていた。それが今回の中長小西での発表となったのは二年前、第1回目の中長小西の個展の時に、次回の個展の時は、『神曲』をテーマにしようと直感で決めたのであった。それを煽ったのは中長小西の小西哲哉氏である。最初の個展の主題は〈強度なる色彩のアニマと復権〉であった。反響が高く、個展終了前に、私達は早くも次回の個展に話しが言及した。(…作品が出来たら、又その時に‥ )という画廊のオ-ナ-は多いが、小西氏はそれとは一線を画している。〈画商の仕事〉というものの中に、高い美意識が強く入りこんでおり、そこに理想と信念が相乗して刻まれている。…その波動が私をして、感性のボルテ-ジが自ずと高まってくるのである。昔と違い、画廊のオーナーで洗練度の高い美意識の持主である事を感じさせる人物は本当に少なくなってしまった。その意味で小西氏の存在は貴重であり、またその事は、この画廊に一歩入った瞬間に美的緊張として強く伝わってくる事で、それとわかるのである。今回の発表はオブジェ11点・コラージュ35点から構成されている。ダンテの壮大な長編詩『神曲』を絵解きする事に勿論意味はない。それは既にボッティチェリがやり遂げている。ラウシェンバーグの『神曲』は、彼の方法論である〈コンバイン〉という万象の混沌を表現主義的手法で視覚化する試みの内に、つまりは自らの美学にダンテを引きずり込んでいる。そして私は、『神曲』から受けた〈強度なるもの〉を消化し、変奏曲を紡ぐようにして自在な自らの美学に沿って、様々なる「46」の表現世界を立ち上げたのである。ぜひのご高覧をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

北川健次個展

『反重力とバルバラの恩寵 —ダンテ『神曲』地獄篇より— 』

会場:中長小西
〒104-0061 東京都中央区銀座1-15-14 水野ビル4F
TEL/FAX 03-3564-8225

会期:2014年3月15日(土)— 4月5日(土)日祝休
11時〜19時

 

http://www.nakachokonishi.com/
Mail. info@nakachokonishi.com/

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