月別アーカイブ: 8月 2015

『引くに引けない!?』

27日付けの新聞の見出しに『劇場ロゴとは似ていなかった」とするエンブレムの審査委員代表の永井一正氏(86才)の言葉が載っていた。その夜にTVを見ると〈…… 実際はホラ、こんなに苦労してゼロからいろんなアイディアを立ち上げたんですよ〉と、見せたいための原案修正プロセスの図案が幾つか出て、私は笑ってしまった。そして当然のごとく誰もが抱く一つの疑念がここに出て来た。…… つまり、「作ったな、これは!!」という推理である。刑事事件であれば、事務所に入ってパソコンを押収すれば証拠は時系列的に暴かれるのですぐに発覚し、罪は加乗されていく。しかし著作権問題というのは「人格権」がその原点にあり、個人対個人の問題に帰すので、捜査はそこには入らない。私だけでなく、実際に誰もが抱いたであろうこの疑念。その事に含みを入れた「何故今頃にそれを出して来たのか!?」という記者の鋭い質問に、審査委員事務局の一人は「まぁ、そう言われると、そうなんですけれどもね ……」と、言葉に詰まっていたのには、唯あきれ返るばかりであった。この人は案外、正直者なのであろう。

 

新聞に拠ると、「原案は他の商標と似ている点があったため、修正され今の形に決まったという。」とあるが、これも不自然である。他のと似たアイディアであるならば、良識的に見て、当然そこでその作品は落とされるのが筋である。そこから引き出される推理は、受賞はこのデザイナーにあらかじめ決まっていたのでは…という考えである。更に云えば、原案が似ていたという他の商標が、ベルギーの劇場の図案を指し示すのではなく、他に在るといって、焦点をぼかすならば、その〈他の商標〉とやらを、その席で公開するのは、責務として必定の道であろう。又、サントリービールのキャンペーン商品に描き写しがあった問題について問われると、永井氏は「盗作だろう」と断言しているが、これもガス抜き的な発言であり、そういう盗作者がエンブレムに決まったとするならば、それは常識から見て大問題であり、永井氏らが本来正道として責務上やるべき道は唯一つ、それは審査をやり直し、公開で別なデザイナーの案に光をあてる事である。又、事務所のスタッフが盗作したとしているサントリー、他のデザインであるが、当然そのスタッフが出て来て謝罪させた方が、佐野というデザイナーにとっても少しは楽になる筈であるが、そのスタッフなる人物は一向に出て来ない。…… はたして本当にそのスタッフなる人間は実在するのか否や、……である。

 

あらかじめ受賞作品が決められている。…… コンクールにおいて本来あってはならない事が現実に於いては当然のごとく行われている事は、美術やデザインの世界においては残念ながら悲しい通常の事である。私が身を持ってそれを知ったのは20才の時であった。或るコンクールに私は版画部門で応募して受賞した。審査委員の中に棟方志功氏がおられた。後日授賞式とパーティーがあり出席すると、その棟方氏が挨拶の弁を述べる事になり壇上に上がった。氏は最初上機嫌であったが、突然スイッチが入れ変わり言葉が激変した。氏の口から私の名前が飛び出すや、私の作品の表現が如何に優れているかを語り出し、「その北川氏が版画部門の賞ではなく、その質から見て当然大賞を取るべき作品であるのに、初めから大賞が決まっていたとは、そんな馬鹿げた話がありますか!!!私は今回はじめて審査に立ち会ったが、こんなに汚れたコンクールなど、二度と出席しない!!」と激しい怒りを持って、審査の舞台裏を暴露したのである。出席していた連中は、まさか暴露されるとは思っていなかっただけに真っ青になり、会場は水を打ったように静かになった。その中で唯私一人だけは違っていた。この汚い審査に怒るよりも、棟方氏がそこまで私を評価していた事を知り、ふてぶてしいまでの自信がこの瞬間に湧いて来たのである。そしてその場にいた、当時の鎌倉近代美術館長である土方定一氏からは後日電話があり、「お前さんは、あんなくだらないコンクールに出すような人間じゃないのだから、もっと上の高みを目指せ!」と励まされたのだった。私がプロの表現者としての自覚を持ったのはこの時からであり、それは大学3年生の20才の時であった。

 

私はこういうコンペに絶望している、しかし才能を秘かにもっている若い美術家やデザイナー志望の人に言いたいのは、こういう親分・子分の構造で成っている(と思われている)各々の分野は、その内実は、張りぼてであり、やはり堂々としている者のみが結局は躍り出てくるように出来ているという事である。「出すぎた釘は打たれない」。そして、親分に媚びて目立たないようにおもねる人間は、「出ない釘は腐る」という言葉の通り、その媚びた感性からは、創造性はたちまち失せて行くというのが、その定理なのである。

 

話は戻るが、ベルギーの劇場デザインを作った、今回著作権侵害を提訴している人は、この度の修正案が幾つも出されたという話を受けて「その原案があると言うのなら、それを採用すれば良いではないか!!」と語ったが、この人の発言は間違いなく「正論」であり、私もそう思う。いや、誰しもが思う事である。そして、ここにベルギーを代表する強力な弁護士が参入して来た事で事態は大きく変化して来ている。世界的に見ても著作権法の論者としてはトップクラスの弁護士の登場で、高圧的であったIOCの今後の出方が見ものとなって来た。ベルギーの裁判で先ず負けた場合、IOCはそこで生じた多額の損害賠償額を、この日本人デザイナーに一転して要求するというリスクが生じて来ているという事を、私は報道で知った。心境としては「引くに引けないところに来てしまった」と思っているかもしれないが、さぁ、この問題はどうなっていくのであろうか。

 

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『2015年・日本の夏』

オリンピックをめぐるゴタゴタが続いている。白紙に戻す事になったスタジアムの、あの形を評して、森は、腐った牡蠣に似ていると言ったが、或る評論家が評した、女性器の形そのものであるという言葉の方がピタリとくるものがある。又、オリンピックの五輪エンブレムを巡るパクリ騒動は、第2弾で入ってきたそのものズバリの複数の盗用が次々とあからさまになるに至っては、もう逃れようが無いものがある。おそらくは、着想のヒントを得る為に様々な視覚情報を見ながら、自分の色に変容させる手法を常としていたのであろうが、その手法の節度がしだいに麻痺していき、やがて自らのキャリアの絶頂において、「好事魔多し」を地で行く落とし穴がその道行きにポッカリと口を開いていたのであろう。さても、先人の残した諺は実に的を得ていると云わねばなるまい。

 

以前から思っていた事であるが、初期の理念がとっくに失われて久しい、このオリンピックなるものは、いっそ止めてしまった方が良いのではないかと思っている。アスリート達を利用しての、つまりは政治家やゼネコンの荒稼ぎの墓場。いや、その一部のアスリート達にしても、その先に待っている(かもしれない)、CMの仕事などへの期待、つまりは拝金・拝金の魑魅魍魎と化した …… オリンピック。私はあの代々木のスタジアムの解体現場を見て思うのであるが、いっそ、あの荒れ地のままの盆踊り会場のような状態にして、そこで開催すれば良いと、真顔で思っている。…… 速く走る事、高く跳ぶ事、速く泳ぐ事…… は、古代のオリンピアの時代では一篇の、それは「詩 ・ ポエジー」とつながっていたが、もはやそこに人体の美・太陽の光輝は失せて無くなった。思うのであるが、その予算を全て、今もなお苦しんでいる東北の復興に充てればよいのである。2020年に日本で待っている世界の祭典!!? … 夢想も甚だしい!! 5年後の夏に待っているのは、熱狂の坩堝ではなく、異常気象の更なる凄惨の夏である。灼熱、そして一変しての集中豪雨…の凄まじい夏の、おもてなしが持っているのである。

 

先日、釣り好きの友人から聞いた話であるが、川に釣りに行っても魚は泳いでおらず、探すと、岩の僅かな陰で群れを成して、唯じっとしているだけであるという。もはや川は水ではなく、どうやらぬるま湯に近いらしい。 …… それにしても、私たちの幼年期の夏に吹いていた涼風が今は唯々懐かしい。

 

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『土方巽』

気象観測が始まって130年経つが、今年の夏が一番暑いという自明の報告が出た。間違いなく来年はもっと暑くなり、もはや40度を超えないという保証は何も無い。今はクーラーで耐えているが、そのクーラーもやがて効かなくなる時が早晩に来るであろう。その時の光景はもはや断末魔のそれである。……… こういう事を書いていると、涼やかな風が未だ吹いていた、或る夏の日の情景がふと浮かんで来る。

 

………… あれは今から25年ばかり前の或る夏の日、私と、天才舞踏家であった土方巽夫人の元藤燁子さんは、連れ立って静岡県伊東市の宇佐美駅のホームに降り立った。ドイツ文学者の種村季弘氏からの私への推しもあり、近々に元藤さんが出す『土方巽とともに』という本の表紙の写真装画を依頼され、その資料を見に来たのであった。海からの風が涼やかに吹いて、夏の美しい盛りの時であった。私たちは資料が保管されている横長の一軒家に辿り着いた。玄関を開けて元藤さんが呼ぶと、一人の若者の声が奥から返って来た。……… その一瞬であった。薄暗い天上の高み辺りから私達を見ている鋭い視線のような気配を感じ取り、私がその方を見ると、それは一瞬で掻き消えた。…… やがて、若者が奥から現われ出た。近くの朝善寺にある土方巽の墓を守りながら、この家に住んでいるという。紹介されるや、私はその人に、こう言った。

 

「ここ、…… 出るでしょ!!」と。するとその若者は、ようやく理解者が目の前に現れたといった感じで大きく頷きながら、「毎晩です。家の端から深夜に大きな奇声が発せられると、その次に、この長い廊下を全速力で駆け抜けていく足音が響き、一瞬でフッと消えて、もとの静けさに戻るのです。」と言った。状況から察するに、おそらくそれは土方巽の未だ地上に残っている何ものかであろう。…… 既に知っているのか、元藤さんは面白そうに二人の会話を聞いていた。

 

私をよく知っている人は、私を美術家というよりも、直観の異常に鋭い陰陽師のような人間として見ている人が何人かいる。… それはともかく、この日の私は“よく見えた”。奥の部屋で三島由紀夫寺山修司などが土方の為に書いた直筆の原稿などを拝見していると、机の下にぶ厚い茶封筒に包んだ物がふと見えた。中身は全く見えない筈なのに、私にはそれが何なのか、直観でよく見えた。「『鎌鼬(かまいたち)』ですね!!」…… そう言うと、元藤さんは「よかったら一冊差し上げるわよ!!」と言ってくれたので、有り難く頂いた。土方巽と写真家の細江英公氏の共作による、写真集の金字塔的名作で、100万円以上の高価が付いている。帰りに蕎麦屋で美味しい天ぷらそばを頂いていると、元藤さんから私に「舞台美術をやって欲しい」という依頼が出たが、しかしそれだけはお断りをした。身体表現に対する美意識の在り所が各々に違うと判断したからである。

 

その日から数日して、澁澤龍彦氏の何回目かの法要があり、鎌倉の浄智寺から近くに在る料亭に出席者は移動した。(池田満寿夫氏も未だ元気な姿を見せていた。)『静物』などの名作で知られる詩人の吉岡実氏が挨拶に立ち、こう言った。「土方巽の霊は今もこの地上を流離(さまよ)っている。しかし、…… 澁澤の霊は今や見事に昇天した。」と。参列者たちは皆、その吉岡氏の言葉を聞きながら、それを二人の生き様の違い、形容として感慨深げに聞いている。しかし私だけは、この数日前に、土方巽の悪戯的な視線の気配を察し、あまつさえ、その出没する家を訪れたばかりであったから、この吉岡氏の言葉はリアルであった。しかし、その吉岡氏も翌年の5月に亡くなられ、表現の世界からどんどん本物がいなくなっていった。

 

 

先日、宇佐美駅を私の乗った列車が過ぎていった。駅のホームは無人であった。あの時に共に降り立った元藤さんももはや亡くなられて既に久しい。あの頃に吹いていた涼やかな風はもはや無く、烈火のごとき陽光が、そこにはしんしんと降り注いでいるのであった。

 

 

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