月別アーカイブ: 4月 2017

『……夢みるように』 

戦後の貧困の時代がようやく終わり、高度成長へと景況が移り始めた頃(昭和30年前後)に、時代を映すように二冊の芸能娯楽雑誌が刊行された。雑誌の名前は対照的に『明星』と『平凡』。この少し後に遅れて『近代映画』が続いた。……いずれも嘘で固めたスタアの幻想バブルのオンパレ―ドで、読者も騙される事に酔いながら、しかし時代は今よりも遥かに元気であった。そのどの雑誌かは忘れたが、ある日、或る号の紙面の隅に小さな広告が載った。広告の内容は、全国におられる男女のご縁の薄い方を相互に紹介して縁結びをします……という、今でいうカップリングパ―ティの、先駆けのようなものであった。その怪しげな会社の名前は「北川通信社」、住所は福井の私の家の住所である。私は3人兄弟の末っ子であるが、一番上の兄が楽して金儲けをしようと考えて仕掛けたものであった。……当時、中学二年の頃であった私は、どうせ失敗するとよんでいたのであるが、あにはからんや、この事業(?)はヒットして、連日我が家に全国の悩める男女から手紙(手数料の入った現金書留が主)が舞い込み、兄の部屋は手紙の山となり、学校から帰った私は、便箋に綿々と綴られた男女の悩みを読むのが、その頃の日課になっていた。……まさしく、あにはからんや➡兄図らんやである。この事業(?)は、しかしやがて尻すぼみに終わっていったが、その後の兄は、フ―テンの寅さんのようにパッと消えてはパッと現れる風来坊のようになっていったが、私はその頃は絵画と文芸にのめり込んでいたので、自分の世界に入り込み、兄の存在は次第に薄くなり遠くなっていった。

 

……………その兄が今年の2月に亡くなった。死因は水死。近所の銭湯の露天風呂が気に入っていたらしく、そこに備え付けてあった檜風呂の中で亡くなっていたという。この銭湯の名前が『極楽湯』というのだから、ブラックと言おうか、落語的と言おうか……弟の身としては何とも言えないものがある。しかし、この世とかの世とは実は地続きであり、間違いなく人は死ぬ。どうせなら、何年も苦しんで結局は死ぬよりも、パッと死にたいと答える人が多く、それを想えばなかなかに羨ましい死に方であったかと、今は思えるようになっている。聞いた話であるが、同じように銭湯の中に眠るように沈んでいった人が、発見が早かったので助けられたのであるが、お湯の中で意識が無くなっていく時に、実に気持ちが良くて、悦楽恍惚の夢みるような感覚であったという。……以前のこのメッセージ欄で、私が高校時代にやはり水死しかけた事があった事を書いたが、この人の感想と同じく、至上の恍惚感に包まれて意識が遠くなっていったのを覚えている。……おそらく脳内モルヒネ(多幸感をもたらすというエンドルフィン)とよばれる成分が、この瀕死の際に出てきたのであろうと思われる。……この浴槽での水死、記憶にあるのは、昨年の秋に亡くなった俳優の平幹二朗が、そして上原謙(加山雄三の父)も浴槽の中で亡くなっているが、実はこの浴室での水死は、交通事故死と同じくらいに多いのである。……今回のメッセージの最後は「皆さん、くれぐれも気をつけましょうね」という、いつにない感じのエピローグになってしまったが、まぁ、そういう事なのであります。……次回のメッセージは、間近(5月10日~30日)に迫った写真の個展(東京日本橋浜町のギャラリ―サンカイビにて開催)について、パリやベルギ―での撮影時の話も含めて詳しく書く予定です。乞うご期待。

 

 

 

 

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『無機質なる表象―加納光於展を観る』  

 

東京・京橋に在るギャルリ―東京ユマニテで28日まで開催中の加納光於展『〈稲妻捕り〉Elements 1978』のオ―プニングに行く。画家の谷川晃一さん、名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、深夜叢書の齊藤慎爾さん、CCGA現代グラフイックア―トセンタ―の木戸英行さん、SHUMOKUギャラリ―の居松篤彦さん、詩人の天童大人さん、など見知った方々に再会する。……加納さんの作品は1978年に制作された旧作であるが、保存が良かった為に作品の状態がすこぶる良好である。……密蝋と顔料を揮発性の高い溶剤でゲル状に溶いて硬い紙の上に流し、固い筆の穂先で何物かを捕らえんとする、有機的な叙情性を排した……これは試みなのか!?

私は加納さんの作品について想う時、かつてフィレンツェのマ―ブル紙の工房で見た職人の熟練した手技の様を思い出す。熟練が絡めとるのは、未知の何物かではなく、そのスリリングな工程の先に在るのは、詰まりは練達が産んだ既知である。……またその穂先のストロ―クの身体性に併せ見るのはジャクソン・ポロックのドロッピングであるが、ポロックは1点を仕上げるのに要する時間は長大であり、その時間の澱の内に宿るのは、濃密なる叙情であり、更に云えばポエジ―である。しかし、加納さんの作品に共通して見るのは、有機的な叙情性を排した、これは一種の意匠に近いものがあると云えるのではあるまいか!? しかし、ここにおける〈意匠〉とは加納芸術の否定ではなく、あくまでも直喩である。―戦後の前衛美術界の礎を築き、今では伝説として語られる南画廊主の志水楠男さんは、デビュ―間もない頃の加納さんの作品を評して「……これは美術作品として、その範疇で括って語れるものではないのではないか!?」と語ったというが、私が志水さんのその言葉を知った時に、志水楠男という稀人の、本質を見抜く眼力の凄みと共に、加納さんの特質とその作品の特異な在りように気付いたのであった。……意匠、さらに云えば、「玄妙なる手技の練達によって捕らえられた、一瞬の色彩の現象学の宿り」と云えば足りるか。…………

私は以前に大英博物館の素描研究室で特別にダヴィンチとミケランジェロの膨大な数の素描を直で手にとって見せてもらった事があるが、ヴァチカン・システィ―ナ礼拝堂の天井画の壮大なヴィジョン―つまり、ミケランジェロの脳裡に「天地創造」の神的な構想が湧いた、まさにそのファ―ストヴァ―ジョンの、コンテの僅かな走りの内に、しかし美術史上、もっとも壮大なスケ―ルを孕んだ素描を見た事があるが、これこそ正に神的な稲妻捕りと想える戦慄があったのを生々しく今も覚えている。まぁそれはさておき、……では、この稲妻捕りと銘打った作品1点に要する時間は、加納さんの場合はどれくらいを要したのであろうか!?……私は試しに横にいた学芸員と、版画家に訊いてみた。1人は2時間くらいと言い、もう1人は半日はかかると思うと言った。しかし、私は僅かに〈10秒〉前後でそれは完了すると見た。個展会場の奥にいた加納さんに直接問うてみると、はたして10秒前後との答が返って来た。併せて展示されていた瀧口修造さんの文章の中に「稲妻、で可能ノ一瞬ヲ垣間見セル。」という謎めいた一文があるが、これは「加納の一瞬の穂先の走りで稲妻を垣間見せる」と倒置的に解せば、その文意は容易に見えて来よう。

 

……会場に、以前のブログでも登場した、我が親友の濱口行雄君が到着したので、詩人の天童大人さんに、濱口君を土方巽のかつての弟子として紹介した。天童さんはピレネーの山頂で啓示を受けたという、謎の朗唱詩人である。道鏡やラスプ―チンを想わせるインパクトがあって面白い。……天童さんは濱口君と私に「自分は雨を降らせる事は出来ないが、降っている雨を止ませる事は出来る!!」と強い語気で言い放った。美術家は仮の姿で本来は陰陽師である私の瞳孔が、ふと光る。まぁ、雨を降らせる事は出来ないが……と云うのは天童さんの謙遜であるかと思うが、……そうこうしている内に、美術界の俗物の版画家や、その他の権威好き、観念大好きの者たちがぞろぞろと入って来たので、それを潮時と見た私と濱口行雄君は会場を去り、二人しての意味ある対話をするために、次の語りの場へと向かった。……これから、私が評価する鋭い批評眼を持った濱口君と、三時間以上の面白い対話が展開されるのである。

 

加納さんの個展の翌日は、5月10日から30日まで開催予定の私の写真展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』の案内状の作成、打ち合わせの為に会場となるギャラリ―サンカイビ(日本橋浜町)で、オ―ナ―の平田さんとスタッフの高嶋さんと一緒に、最後の詰めの話をする。この展覧会に寄せる画廊側の意気込みは強く、案内状のパタ―ンだけで20種類以上も作成し、その最終選択をするのである。…………ようやくそれが決まった後で、私が次に向かったのは、初台にある新国立劇場であった。今日の午後はこの会場で、長年観たかった美輪明宏主演、三島由紀夫作の『近代能楽集』より、「葵上」と「卒塔婆小町」を観るのである。『近代能楽集』、……私の表現者としての始まりは、この『近代能楽集』であったと云っても過言ではない。18歳の私は、三島由紀夫作のこの戯曲を読んで、この戯曲を劇場化した時に最高に耽美的で完璧な舞台美術をやれるのは自分しかいない!!と思い込み、三島が主宰している浪漫劇場方、三島由紀夫様宛てで、その想いを綴った熱い手紙を出した事があった。……根拠が無くても自分を最高の美意識の貴種と思うのが、若者の特権であるが、私もまたその例に漏れなかったのであろう。……そして、その手紙を投函した数日後に三島は自決し、私に大きな落胆をもたらした。人生初めての挫折である。自分の美意識を伝えるに足る唯一の人が亡くなった事で、前途は暗澹となってしまったのである。……それは私が銅版画に可能性を見出だす1年前の事であった。……新国立劇場のその舞台美術は美輪明宏の考えで、ダリの絵の主要なモチ―フである柔らかな時計や、その他で構成されていたが、自分ならば……と想う私がまだそこにいた。『近代能楽集』を観るのはこれで3回目であるが、今回のが最も原作の美意識を生に映していると思った。美輪明宏の放つ華はやはり天性のものがあり、そこに完璧な三島の台詞が相乗して、生霊や、老婆にして絶世の美女が、耽美的に幻視のアラベスクを織り成していくのである。美輪の美意識への確信は、観客をしてもはや、一神教の宗教へと拉致していく凄みがあるのである。

 

 

 

 

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『あぁ、杉田君!』

春である。風景が、空気が、光が、うす桃色の含羞に色づく満開の桜の春である。……しかし話は少し前に遡る。先だって、高校生7人と引率者1人が雪崩に巻き込まれて亡くなった。明らかに業務上過失致死傷罪に相当する人災であるが、私達はあらためて雪崩の恐怖に戦慄したことは記憶に新しい。私はその事故の後に、個展の為に福井に滞在していた。遠景に見る白山連峰の頂には未だ冠雪がその白をとどめており、それを見ていた私は雪崩の恐怖へと繋がる高校時代の、ある記憶を思い出していた。

 

雪崩に巻き込まれた人が、その大量の雪におしつぶされた時、人ははたしてその雪の中でどういう状態になっているのか!?……私は、いや私達のクラスの同窓の友の多くが、それを目撃するという、滅多にない体験をした事があった。………………あれは確か高校2年の冬であったかと思う。校舎を建て直す為にしばらくの間、私達はプレハブの仮校舎で授業をするはめとなった。その日は前日からの大雪の為に校舎の屋根には大量の雪が積もり、窓越しの雪が、重く窓ガラスにおし寄せていて、為にガラスが割れそうな危険な状態にあった。授業をしていた教師が状況を見かねて「誰か、外に行って雪掻きをしてくれる者はいないか?」と言うと、杉田君が勇んで「じゃあ、僕がやります!!」と言って手を挙げた。手を挙げたのは確か杉田君1人だけであったかと記憶する。

 

「おぉ杉田!……やってくれるか!」と言って教師は喜び、すぐに長靴を履き、重いスコップを持った杉田君が雪を踏みしめ、踏みしめしながら現れた。何が嬉しいのか、笑みを浮かべた杉田君がガラス越しに教室の私達に手をふっている。クラスの何人かがそれに応えて手をふっている。杉田君はすぐに雪掻きを開始して、積もった雪が少しずつ減っていくのが見てとれた。その日は快晴で、作業をする杉田君が早くも汗ばんでいるようであった。…………その時であった。突然、頭上にもの凄い音が響き、私達は咄嗟に天井を見上げ、次に反射的に窓外を見た。そこに、頭上から容赦なく雪崩れ落ちてくる大量の雪にのたうちながら、口を開けて何かを叫び、両の手は虚空に跳ねる杉田君の姿があった。……しかし、そのあがないも虚しく、次々と頭を、そして体に容赦なくのしかかってくる雪の執拗さに耐えかねて、身体を崩して遂には倒れ伏していく杉田君の受難の様を、私達は室内にいて、まさにライブで見ることになったのである。……しかもあろう事か、倒れると同時に一瞬にして杉田君は失神してしまったのであった。目を閉じた物言わぬ杉田君の上を、雪崩れ落ちる雪がなおも襲って、やがて……静かになった。その上をおまけのように雪の固まりがまたポトリと落ちた。……子供の頃に瓶に大量の土を先ず入れて、次に数十匹の蟻を入れ、その瓶の外を囲うように黒い紙を回しておくと、翌日には蟻の巣の断面が瓶のガラス越しにありありと見えるのであるが、丁度それと同じ具合に、私達は、雪崩れの下で雪の重みと冷たさを受けて、グッタリと失神して眠る杉田君の様を、窓越しに驚きと戦慄を持って眺め見たのであった。雪崩れの中で人はこうなってしまうのか!!……表現は悪いが、滅多にないこの視覚体験を私達はまるで学習、更に言えば鑑賞するかのようにして眺めたのであった。………すると教師が、やがて己が身に降りかかってくるであろう責任の重みに気付いて「おい、誰か助けに行って来い!」と叫んで、今度は自らが教室を飛び出して行った。そして杉田君の上の雪掻きをしながら、やがて静かに眠る杉田君を引き上げて、その顔を気付けの平手打ちをして、次第に杉田君は意識を取り戻していくのが、これまたライブで見てとれたのであった。

 

……グッタリとした杉田君が朦朧の内に意識を取り戻した事は、まぁ慶賀ではあったが、私はその様を見ながら、半年前のある光景をふと思い出していた。……それは、九州に行った修学旅行の時の出来事であった。……阿蘇の草千里という所ををご存じであろうか。カルデラのなだらかな傾斜に彼方まで拡がる緑の広野。高い空に浮かぶ白い曇。かつて画家の坂本繁二郎がこの風景を愛し、放牧されている馬や牛を描いた、ゆったりとした穏やかな風景……。その何事もなしの風景を切り裂くように……突然の異変が、私達の内から急に飛び出すようにして起きた。1頭の荒ぶる馬が狂ったように急に走り出したのである。……駆けていくその馬の背に必死でつかまっている人影が見えた。見るとそこに乗っていたのが、杉田君であった。彼は女子高生に良いところを見せたいと思ったのかどうか、ともあれ観光客を乗せて歩く馬に金を払って乗ったまでは良いのであるが、どうやらその馬の(つまりは雄!)微妙なゾーンに近い部分を、何かの弾みで蹴ってしまったらしく、驚いた馬は杉田君を乗せたまま、彼方の遠景へと走り去り、遂には見えなくなってしまったのであった。その拉致されるように走り去る杉田君を追うように、調教師の拡声器から「手綱を引いて、体勢を低くして下さ~い」という声が虚空に響いたのであった。…………その半年後のまたしてもの、つまりは馬から雪への受難を見て、この杉田君のつくづくの運命に静かに想いを馳せたのであった。……月日は瞬く間に経ち、その後の杉田君の人生を私は知らないのであるが、記憶の中の杉田君は、馬と共に今もなお草千里の広野をエンドレスに駆け続けているようなイメ―ジがあるのである。

 

……さて個展である。福井での個展は今月末まで続くが、私自身はと言えば5月の10日から人形町のギャラリー・サンカイビで開催される写真の個展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐ、あの七月の光のように』の準備で相変わらず忙しい。案内状やチラシの打ち合わせは7日に画廊で行われ、それが終われば額装のすぐの準備が待っている。その写真展を最後に私は秋の個展に向けて、アトリエにひたすら籠って制作の日々が待っている。新たな方法論と試みの日々が待っているのである。

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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