月別アーカイブ: 6月 2020

『狂い梅雨―身辺雑記篇』

1……最近は夜の10時頃に床に就くせいか、朝の目覚めがずいぶん早くなり一日がたいそう長い。習慣になっている朝のBBCワ―ルドニュ―スを観ていたら「あぁ、これはもう遂に!!」と思わせるひんやりとしたニュ―スが飛び込んで来た。……シベリアが温暖化の為に気温が異常に高くなり遂に38.0Cを記録したという。かなり異常な事である。ために永久凍土が溶け始め、厚い氷の中に封印されていた、あのかつて猛威をふるったスペイン風邪のウィルスが目覚めて再びの活動が活発化する危惧を呈しているという不気味な報道。……何の事はない、新型コロナウィルスを軍隊に例えたら、終には組みやすい唯の一個師団程度にすぎないと思っていたら、それは唯の尖兵に過ぎず、その後に陸海空の強力な編成部隊が私達へのとどめの陣を成しているようなものか。もはや是非も無しである。……昨今、活動が俄に目立ち始めた巨大地震の予兆、サイクロン並の暴風雨、そして変種を繰り返すウィルスの執拗な終わり無き襲来。…………その中の地震に関してであるが、最近面白い事を知った。作家の森まゆみさんの著書『谷中スケッチブック』に拠ると、東京の谷中だけが、関東大震災の際に倒壊した家が全く無く、また高台にある為に火災の延焼もなく、唯一の被災無しの場所であったという。確かに谷中は寺が多く、寛永寺の歴代将軍の墓を始めとして墓地が多い。察するに巨大な岩盤が地下に在り、江戸時代から人々は谷中の安全性を見抜いていたのであろう。あぁ谷中!……独身の知人が一人谷中に住んでいるが、その顔が余裕しゃくしゃくに見えて来て仕方がない。

 

2. 新型コロナウィルスの恐怖が浸透し始めて来た3月のこのブログで、私は731部隊との関連について書いたが、それから日を追った4月に週刊文春(文春オンライン)が731部隊について言及し、多数の感染者(クラスタ―)が出た上野台東区にある永寿総合病院の創立者・倉内喜久雄院長がかつての731部隊の所属部員である事が書かれており、「731のDNA」が繋がっている事の不気味な因果因縁を想った。ちょっとした近現代版の怪談話のようであり、小泉八雲よりは岡本綺堂あたりが筆をとりそうな話である。……4月中旬頃に上野に出たついでに、かつて少女時代の一時期をこの地で過ごした樋口一葉の旧家跡を訪ねて台東区車坂辺りを歩いていたら、彼方に件の永寿総合病院の大きな建物が見えて来たので、反射的に踵を返すように戻った事がある。……その数日後に濱町にあるギャラリ―に予定があったので伺った時に、画廊主のHさんから、初老の或る人物を紹介された。Hさんは私のブログを読んでおられたらしく引き合わせてくれたのであるが、何とその紹介された人は、父親が731部隊の生き残りの隊員であり、表に出ていない終戦に至る迄の秘められた話の幾つかを生々しく伺う事が出来たのであった。そして想った。……歴史は途切れる事なく繋がっているのだと。

 

 

 

 

3.……コロナ禍が騒がれ始めた2月初旬の頃、私が真っ先に思った事は「皆が突撃するように、新型コロナウィルスのどしゃ降りの雨下を掻い潜って先ずは〈抗体〉を作れば良いではないか!弱き者は仕方がない、兎に角それが終息の為の最短の良策だ!」と思い、周りの友人達に話すと、「あなたの発想は無茶苦茶だ!!」と反対された。しかし、その後で私と同じ発想をした人物がいる事を知った。ご存じ、イギリスの首相―ボリス・ジョンソン氏である。彼の意見は議会で当然反対され、そしてその後に提唱者の本人自身が感染し、一時はかなり重態化した時は、迂闊な我が身をそこに重ね見る思いであった。……古くからの友人で、舞踏家の土方巽の食客でもあった濱口行雄君(輪島市在住)に、電話でその話をしたら思いっきり笑われて彼はこう言った。「それは、あなたの発想が農耕民族でなく、遊牧民の発想だからですよ」と。……さすがに反省し、そして思った。「では、どうして亡くなる人と、コロナウィルスに気づかずに治ってしまう人の極端な二分化が今回は起きるのか?と。基礎疾患がある人が亡くなる率が高いが、基礎疾患の無い人でも急変して亡くなる場合があるという。やはり免疫力の違いなのか……。免疫力の強さと、ではアクの強い人間との間に関連はあるのか否か?……その辺りについて、次回のブログでは、幕末のアクの強い男の代名詞的な存在として先ず浮かぶ、壬生浪士(後の新撰組)の初代筆頭局長芹沢鴨(せりざわかも)について考えてみたいと思っている、梅雨時の少し湿った私なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『永遠の気晴らし―勅使川原三郎・遊戯の精神』

「……生と死はそっくり瓜二つであり、いまにも触れ合い同化しそうでいて、平行線のように交わることなくすれ違い続ける。最終的には、いつかはこの世は滅び、自分はあの世に行くだろう。百閒にとっては、それまでの遅延として営まれるのがこの生なのである。」……内田百閒の名作『冥途』について、わが種村季弘氏が評した言葉である。この遅延という倦怠的な言葉に沿った先には、例えば「遊びをせんとや生まれけん」(梁塵秘抄)のように、人はつまりは遊びを、戯れをするように生まれてきたのではないだろうか、その証拠に、子供の遊ぶ声を聞くと、自ら体が動いてしまうではないか。……という想いとなり、それを継ぐかのように、明治を生きた高等遊民達の気ままなデカダンス、つまりは唯美主義的な自在な生きざまが、このコロナウィルス騒動で萎縮し閉塞している時には、いっそう生の一つの意味ある生き方として羨ましく、かつ生き生きと見えてくるから面白い。

 

……さて、このような重苦しい日常の濁りを払拭するかのように、度々このブログでも登場の機会がある、ダンスの勅使川原三郎氏の『永遠の気晴らし』と題した公演が昨日から(6月20日まで)、荻窪の会場、氏の創作発表の拠点であるカラス・アパラタス(TEL.03―6276―9136)で始まった。『永遠の気晴らし』……今までの公演のかなり練られたタイトルと異なり、一見意外とあっさりしたタイトルに映るが、こういうタイトルの時にこそ、むしろ氏の才気は爆発し、美は御しがたい絢爛を呈する事を私は知っている。果たして、序はシュ―マンの緩やかな曲から始まり、次にハ―ドな現代の激しいテンポのサウンドへと転調し、更に展開する幾様にも異なる音のマチエ―ルと対峙して、変幻自在に異なる身体の妖しいまでの動きを呈し、遂には観客の五官を鷲掴みにして美の酩酊へと誘い、最後は鮮やかな幕切れの闇となって終幕した。デュオとして踊った佐東利穂子さんも凄みある動きを次々に見せて、この傑出した才人の無限の引き出しの多さをあらためて想わせた。正に二人による真剣勝負の美とポエジ―の屹立の競演である。

 

……ダンスにおいては、始まりも無ければ終わりも無い……というのが氏のダンスメソッドであるが、しかし毎回の演出における確かなフォルムの立ち上がりと完成度の高さは他に類が無いと言っていいだろう。分野を越えて昨今の表現者達の作品を見ると、この最も重要なフォルム化への強い意志がまるで無く、故に作品としての存在感を獲得していない。フォルムの獲得こそ、芸術の必須な骨格なのであり、全てだと言ってもいいものである。ではそのフォルムとは何か!についてはまた後日に詳しく書く機会もあるかと思うが、ともかく私はそれを美の規範として作品に向かっている。私が公演の度に時間を見つけて、荻窪のこのアパラタスの会場に足を運ぶのは、氏のダンス表現にそれを多分に視る事が叶うからである。フォルムの無い作品は、決まったように艶が無い。私が強く求めるのは、この艶というものである。……今回のコロナウィルス騒動で、私達の多くが、自分の人生の一回性というものをヒヤリと強く自覚した筈である。しかし、私達はやがて死ぬ。間違いなく死ぬ。……ならば冒頭に立ち返るが、美という、生命の根源に迫り、揺さぶり、私達の生を鼓舞してくれる表現に出来るだけ接して、その一回性の生に豊かな彩りを添えたいものである。……ダンスの分野を越境して既に久しい、このアパラタスでの公演。まだ氏のダンスをご覧になってない方にはぜひお薦めしたい、ポエジ―と直で触れ合える公演、それが今回の『永遠の気晴らし』である。

 

 

……さて、私は10月28日から11月16日の3週間に渡って開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展に向けて制作を粛々と続行中である。既に50点近くが完成しているが、アトリエに入るとその度に感覚が張り詰めて来て、私の生の最も充実した空間で「今」を生きている。ほとんど籠った日々なので、今回の公演で外出したのは本当に久しぶりである。『永遠の気晴らし』……私は久しぶりに強い「気」をもらい、またアトリエに戻って来たのであった。

 

 

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『追悼・クリスト氏に寄せて―佐谷和彦氏と共に』

先月の31日、歴史的な建造物などをまるごと布で包む壮大な表現活動で知られる世界的な美術家のクリスト氏が死去された。死因は不明との事であるが、来秋に予定されていたパリの凱旋門を包むプロジェクトは本人の希望で進められ、公開される由。……名実共に、現代美術史における最後の巨匠といっていい人であっただけに、その死は実に惜しまれるものがある。私事になるが、私のオブジェの中では一番大作にあたる2m以上はある『反称学―エル・エスコリアルの黒い形象』(佐谷和彦氏収蔵)を、クリスト氏が来日された折りに、打ち合わせで訪れた佐谷氏の自宅で眼が止まり、絶賛の高い評価を頂いた事があった。佐谷氏の自宅のコレクションル―ムは一つの優れた美術館であり、実に心地好い緊張感に充ちている。タピエス、デュシャン、クレ―、ジャコメッティ、エルンスト、そして瀧口修造、……。その作家達の作品が展示してある壁面に拙作の大作のオブジェもまた掛けられている。クリスト氏は、その部屋に入るや、私のオブジェに真っ先に眼が止まり、「この作品はいい、実にいい」と話し始め、作者の事をもっと知りたいというクリスト氏に、佐谷氏は丁寧に答えられた由。そして深夜、クリスト氏が帰った直後に、佐谷氏は実に興奮して事の顛末を私に電話して来られ、私もまた熱い気持ちで、それを受け止めたのであった。これから私はオブジェの新領土に分け入っていこうと思っていた、正にその出発点―原点にあたる作品だけに、クリストという、これ以上は無い審美眼を持った先達に評価されたという事は大きな自信となり、以後1000点近く産み出して来たオブジェ作品の創作力の原点に立つ人なのである。……その後、ジム・ダインという、私が最も影響を受けていた世界のトップクラスに立つ美術家に版画を高く評価された事で、全くぶれない、表現者としての独歩の道を私は歩んでいく事になるのであるが、その表現者としての矜持とも言うべき立脚点に立つ恩人と云える人がクリスト氏なのである。……亡くなられたという知らせを受けた後、私はコレクションの中に在るクリスト氏の作品(画像掲載)を久しぶりに出して来て長い時間、それに見入って時を過ごした。

 

…………クリスト氏から高い評価を得る契機を作って頂いたのは、先述した佐谷和彦氏であるが、氏の運営して来られた佐谷画廊は、クレ―やジャコメッティ展をはじめとして、この国の美術館の追随を許さない最高度のレベルの展覧会を最後まで開催実現して来た、今や伝説的な画廊である。その企画も、クレ―の遺族のフェリックス・クレ―氏や、クレ―財団と直に交渉して最高な質の展覧会を手掛けて来られ、例えばそのクレ―展は、観客数が会期の1ヶ月間で3万人を越え、美術館のそれを遥かに凌いでいる。またライフワ―クとなった『オマ―ジュ・瀧口修造展』は、氏が亡くなられてからようやく美術館でも遅れて企画展を開催しているが、何れも佐谷氏の後追いにすぎない。その『オマ―ジュ瀧口修造展』の最期の企画(つまり、佐谷画廊の最後の企画展)は、私の個展を考えておられたのであるが、企画半ばにして逝かれてしまった。その事の詳細は氏の最期の著作『佐谷画廊の三十年』の、馬場駿吉氏(美術評論・俳人・元名古屋ボストン美術館館長)との対談で語られている。佐谷氏が亡くなられた時、私はそれが一個人の死にとどまらず、この国の美術界そのものの牽引力が無くなり、一気に希薄なものになって行く前触れと予感したが、果たして私の予見した通りの散文的な奈落へと、今の美術界は堕ちていっている。

 

 

 

 

……「芸術は死者のためにもまた存在する」という名言を記したのは、ジャン・ジュネであったか、ジャン・コクト―であったか。とまれ、今、私はオブジェの制作を日々続けているが、作品が出来上がると、私を表現者の高みへと導いてくれた人達を想いだし、その人達の眼になって、自作を視る事が度々ある。佐谷和彦・……駒井哲郎・棟方志功・池田満寿夫・浜田知明・……また、土方定一・坂崎乙郎といった美術評論家や、生前に関わった文学の分野の種村季弘や久世光彦・諸氏。……そしてクリスト氏がその点鬼簿に新しく加わった。このコロナウィルスの騒動の中、生と死の境が曖昧になって来た今、死者と対話する事が何やら日増しに多くなって来たように思われるのである。

 

 

 

 

 

 

 

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