月別アーカイブ: 10月 2021

『大規模な個展を開催中』

……東京日本橋・高島屋本店6階の美術画廊Xで、新作オブジェ70点以上が一堂に展示された大規模な個展が、10月20日から始まった。会期は11月8日までと、まだ会期は長いが、個展前日の作品展示作業の時から観に来られる方もいて、その場で早々と数点のコレクションが決まるなど、個展の手応えが早くもあった。……そして初日の幕が開くや、奇跡的にコロナの感染者が激減しているという追い風もあり、個展を待ち望んでいた沢山の来廊者で連日、会場は賑わっている。8月、9月のコロナ感染爆発でその頃は開催も危ぶまれたが、10月に入るや、不思議なまでに信じがたい感染者激減の奇跡が現れはじめ、個展が始まると共に、遠方からの熱心なコレクタ―の方々も遙々観に来られ、久しぶりの嬉しい再会が叶っている。……正に奇跡的な好機での個展開催である。

 

 

毎年、秋に開催されている高島屋美術画廊Xでの個展は今回で13回目になる。この企画展の当初から美術部の福田朋秋さんが長年担当されていて、その眼識の高さは実に鋭く、かつ的確なので、私は福田さんに全幅の強い信頼を寄せている。2月頃から開始した制作も次第に没頭の日々が続くと、さすがに未明の混沌の中に入ってしまう時がある。……私はかなり客観的な複眼で自作を分析出来ると思っているが、それでも時として次第に、大海の中での凪に入った舟のように視えなくなってしまうのである。……そういう時に、福田さんから受ける作品への感想や確かな批評は、再びの自信を呼び起こし、最後の追い込みへと入って行くのである。

 

 

今回の個展の打ち合わせを兼ねて、福田さんがアトリエに来られたのは9月のはじめ頃であった。……アトリエに列べた数々の新作を視るや、速断で、今回の作品が今までのオブジェの中で(その数は既に1000点近くに達している)最も、自在なイメ―ジへと誘う深度と完成度の高さに達している事を指摘された時は、さすがに私も安堵を覚え、かつ確信も実感したのであった。だから、今回の個展は必ずや実現したかったのであるが、9月のその頃はまだ先が見えない感染爆発の渦中にあり、多くの展覧会が中止となっていた頃であった。しかし、私はこのブログでも度々書いて来たが、陰陽師と呼ばれるまでの強い運気と、想いが必ず叶い、手繰り寄せてしまう事が出来る予知的な神通力を持っているので、心中の何処かで期するものがあった。……今思い返せば、確かに9月のその頃、不思議に楽観視しているものがあった。……そして、個展がある10月に入るや、信じがたい現象が起こり始め、感染者激減へと動きはじめたのであった。

 

 

今回の個展は、福田さんが速断で指摘したように、今までの個展の中で最も完成度の高いものとなっており、それと同じ感想を来廊された人達も語っている。……それを証すように、画廊の中で30分以上はゆうに過ごす方が多く、完成度の高い作品が多いので、コレクションする作品を決める迄に2時間以上、作品と対峙して決められる方もおられ、作者としての手応えを実感しているのである。

 

 

昔、私がまだ20代の頃、先達の池田満寿夫さんが私に語ってくれた事がある。「作品への一番確かな批評は、批評家の言葉でなく、作品を観る人達がどれだけ時間をかけて作品の前に佇み、作品と対話するか、つまり、その時間の長さである」と。……私は会場に毎日いて、その言葉を実感しているのである。

 

 

 

 

 

……今回の個展のタイトルは『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』。……縦長の広い画廊空間を劇場に見立て、その中に70点以上のオブジェが各々に放つ幻視を鮮やかに立ち上げようというのが主題の根本にある。本展では、今まで無かった鉄や石による「立体書簡」という連作にも挑戦し、会場に異彩を放っている。……まだご覧頂いてない方は、ぜひご来場頂いて、久しぶりの再会や、嬉しい出逢いとなる事を願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』

会期:10/20~11/8  時間:10:30~19:30

会場:高島屋本館6階/美術画廊X

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

お問い合わせ ㈹:03-3211-4111

 

 

 

 

カテゴリー: Event & News | タグ: , , , , | コメントは受け付けていません。

『20日から始まる個展のお知らせ―東京日本橋高島屋・美術画廊X』

前回のブログは反響が特に大きかった。文豪達によるスペイン風邪の感染実態の被害状況を具体的に書いた事で、今のコロナ禍がそれに比べるとまだまだ軽いという事が読者諸氏に具体的に伝わり、安心された方が多くおられた事は良かったと思う。そして、明るい兆しが見えて来たと書いたが、あれから実際、コロナ感染者が激減して来て今日にいたっている。……それを受けて、20日から始まる個展に、昨年はコロナ禍で来られなかった遠方の人達からも、今回は安心して個展に行きますよ!という嬉しいメールが届いている。……ほぼ9ケ月の間、新作のオブジェ制作に専心して来ただけに、コレクタ―の方達からのメールに確かな手応えを今、覚えているのである。

 

 

……さて、では本文に入ろう。

……前回のブログで、芥川龍之介もスペイン風邪に2回感染していた事を書いた。龍之介は第1波、第2波とも感染し、なんとか潜り抜けたが、それから7年後に自殺した。「ぼんやりとした不安」が動機だというが、最初、彼はファンの女性(人妻)と日比谷の帝国ホテルで心中するつもりで直前までいった。しかし、女性の友人であった歌人の柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん―画像掲載)が芥川を一喝してこう言った。「そんなに死にたいのなら、あなた一人で死になさい!」と。この言葉が効いたのか、芥川は田端の自宅で一人で亡くなった。……大正の三大美人と言われ、繊細な顔立ちの白蓮の、しかし内面の腹は肝が座っていて、なかなかに面白い。

 

……問題は、前回のブログに登場した島村抱月松井須磨子の悲恋の場合である。どちらも名前が実にいい。良すぎる。……だからどう考えてもハッピ―エンドに終わる名前ではない。この名前の中にしっかりと来るべき悲劇が内包されているようにさえ思われる。いわゆる負の言霊である。……島村抱月、……月は遠くから静かに眺めるものであって、けっして近寄って抱くものではない。抱けば、ルナティックス(月狂い)という言葉が、少しずつ騒ぎ出す。……

 

 

さて、先日、作品を作っていたら急に別件が頭を過って手が止まった。……それは「松井須磨子」という、美しい響きを持った芸名の由来が、はて何に起因するのかという突然にわいた疑問である。私は分裂型なので、頭の中を同時に様々なものが行き交っている。そして突然、疑問がわいて来てその虜になってしまうのである。…………本名、小林正子から芸名・松井須磨子へ。……タブレットでその芸名の由来を調べてみたが、本人がどういう経緯で「松井須磨子」という芸名にしたのかは不明であるという。……これは面白い。暫し考えて、私なりの答えがすぐに閃いた。

 

……月と云えば先ず浮かぶのは「有明」という言葉であるが、松井須磨子の「須磨」からは、月の名所で知られる須磨の地名がすぐに浮かんで来た。……この須磨(兵庫県神戸市須磨離宮公園)の地は、30代の頃に詩人の時里二郎君(2019年に第70回読売文学賞受賞)と歩いた思い出の場所である。確か不思議な作りの古い洋館があったと記憶する。……そして、この須磨の浜には美しい松林があった。……その須磨の浜の松に自分を重ね、抱月に抱かれるように、ずっとその月の光で私を照らし続けていて欲しい。……そんな切ない熱い恋情から、この名前は来たのではあるまいか!?……そういう結論に想い至った次第なのである。…………そんな事を考えて何になるの?……そういう、意味や効率ばかりを問う今時の声が聞こえて来そうな気もするが、しかし、ふと疑問が湧いて来たのだから仕方がない。以前に刊行して話題になった『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊行)や『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊行)、また他の執筆も、最初はこういうちょっとした疑問、着想、仮説から実証への強い興味、様々な閃き、そして確信……から立ち上がって来たのである。……オブジェを作っている時のアトリエの中は実に静かであるが、頭の中では、あまねく様々な物語りの断片が次々と幻のように浮かんで来て、たいそう騒がしい。……さて、そのオブジェが今回は70点以上、画廊としては最大の空間である、高島屋の美術画廊Xに一堂に揃うのである。私にとって美術画廊Xの空間は、幻が飛び交う劇場である。20日から始まる個展が、自分でも今から待ち遠しいのである。

 

 

 

 

 

 

『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』

会期:10/20~11/8  時間:10:30~19:30

会場:高島屋本館6階/美術画廊X

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

お問い合わせ ㈹:03-3211-4111

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , | コメントは受け付けていません。

『あの芥川龍之介も感染していた!』

……今月の20日から11月8日まで開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』の作品制作も、新作オブジェ74点の全容が見えて来て、いよいよ最終段階に入って来た。個展の案内状も、そろそろ発送しなければならない。……朝は8時くらいからアトリエに入り12時間制作をして、後は寝る前に読書という日々が最近続いている。……そんな中で、最近面白い本を見つけたので今はその本を読んでいる。題して『文豪と感染症(100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか)』(朝日文庫)。

 

 

その本を読むと当時の文豪の芥川龍之介、斎藤茂吉、志賀直哉、菊池寛……を始め、たくさんの人が感染していた事が、彼らの手紙や小説からわかって来て実に参考になって良い。芥川は父親がスペイン風邪で亡くなり、自身も感染してかなり苦しんだ事が、随筆家の薄田泣菫宛の手紙から見えてくる。

 

時代は大正七年(1918年)~大正九年(1920年)頃で、ちなみにスペイン風邪は第2波まであり、芥川は2回とも感染して苦しんでいる。1918年の三月にアメリカで最初の患者があらわれ、あっというまに世界中に広がった。世界では4000万人が亡くなり、日本国内でも38万人~45万人が亡くなった由。この度のコロナでの日本での死者は現時点で17500人くらいであるから、スペイン風邪の猛威が今とは比べ物にならないくらいに凄かった事が見えてくる。……さてその芥川の手紙から。

 

「僕は今スペイン風邪でねています。うつるといけないから来ちゃ駄目です。熱があって咳が出て甚だ苦しい。」また別な日には「スペイン風邪でねています。熱が高くって甚だよわった。病中彷彿として夢あり退屈だから句にしてお目にかけます。……凩(こがらし)や大葬ひの町を練る」……いたるところから葬式の列が出て、その中を木枯らしが吹いている……といった凄まじい当時の光景が透かし見えてくるようである。

 

また面白いのは、与謝野晶子の『感冒の床から』と『死の恐怖』と題する二作の文章で、「今は死が私達を包囲しています。東京と横浜とだけでも日毎に四百人の死者を出しています。……盗人を見てから繩を綯うというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目に附きます。……」と書いて、当時の政府の後手後手の無策に与謝野晶子は怒っているのであるが、それを読むと当時と今と全く変わっていない事が見えてくる。

 

その100年前のスペイン風邪で最も悲劇的で有名な話は、女優の松井須磨子と恋愛関係にあった妻子ある島村抱月(劇作家で演出家)の死であろう。最初にスペイン風邪にかかったのは松井須磨子であるが、それが島村抱月に感染し、抱月はあっけなく亡くなった。

 

抱月の弟子の秋田雨雀の日記にはある。「大正七年、十月三十日。ぼくは風邪(スペイン風邪)はなおったが、島村先生は須磨子と共に流行性感冒に苦しめられている。すこし心臓が弱いので、島村先生は呼吸困難を感じていられる由だ。須磨子はかなりよくなったようだ。」

 

「十一月五日。今暁二時七分前、師島村抱月は芸術倶楽部の一室で死んだ。みんな明治座の舞台から帰った時はまったく絶命していた。小林氏(須磨子の兄)もまさか死ぬとは思わなかったらしい。実にひじょうな損失だ。須磨子は泣いてやまない。……」

 

「大正八年・一月五日。昨夜、島村先生のマスクの破れた夢をみた。朝、起きてまもなく島村先生の墓地へゆこうとすると、芸術座から電報がきた。〈マツイシススグコイ〉。ひじょうなショックを感じて、思わず立ち上がった。自殺!という連想がすぐ頭を襲うた。

……芸術倶楽部へいった。道具部屋の物置で、正装して縊死を遂げたのであった。半面紫色になっていた。顔が整っている。無量の感慨に打たれた。……」

 

 

……この本には菊池寛の「マスク」、谷崎潤一郎の「途上」、志賀直哉の「流行感冒」、永井荷風の「断腸亭日乗」、斎藤茂吉の「つゆじもより」……など、作家達のスペイン風邪感染の実体験と奮戦記が載っていて実に参考になり、感染症に対する視野が複眼的になってくる。この本から学んだ第一の事は、100年前のスペイン風邪の凄さに比べると、今日のコロナ禍なるものは、甚だ軽いという事であり、しかも今、感染しても死亡率が格段に下がって来ている事は、先に漸くの明るい兆しが見えてきた感がある。……第6波の感染拡大の可能性も未だ多分にあり、迂闊に軽視する事は禁物であるが、しかし、そろそろの感がある。かつてのコロリ(コレラ)も、スペイン風邪の猛威も不思議な事に、だいたい二年で消えていった。……そして、今日のコロナも、まもなくその二年目を迎えようとしている。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律