美の侵犯―蕪村×西洋美術

『2023年・晩秋を告げる四つの展覧会etc』

……来年秋の高島屋の個展のタイトルが早くも決まった。『YURAGI―レディ・パスカルの螺旋の庭へ』である。来年はつごう四つの展覧会が各地の画廊で予定されているので、各々に向けてスイッチが入るのが、いつもよりも早いようである。……さて今日は展覧会の話である。

 

①11月21日から12月27日まで、福島県立美術館で『現代版画の小宇宙』(金子コレクションから)展が開催中である。福島県の版画のコレクタ―の金子元久さんの膨大なコレクションが美術館に寄託されたので、それを基にした展覧会である。

 

 

金子さんは著名な精神科医である。何回かお会いした事があるが、ある時に真顔で「北川さんの脳を解剖して調べてみたい」と言われた事があった。どうしてですか?と訊くと、「……視覚表現(美術)などの感覚、直観を司る右脳と、言語表現(文芸)などの論理的思考を司る左脳の両方とも得意としている稀な例なので、医者の好奇心として興味があるのです」との事。

 

……「普通、ふつうですよ、開いてみてもグリコのオマケしか出てきませんよ」と話したが、それより、度々このブログでも書いている、かなりの頻度で視てしまう私の予知能力や、鋭すぎる異常な直観力は、自分に対しての客観的な興味として実はある。以前に、よく当たると評判の占い師の女性と、順番を待っている女性たちを視ていたら、その占い師が私に気づき、お互いに妙な緊張が走った事があった。そして占い師は手招きして私を招き寄せ、近づいた私の顔をじっと見据えながらこう言った。「あなた、……一体何者!?」……こうなるともはや陰陽師同士の対決である。

 

②前回のブログでご紹介した『禅と美』展を今一度観ておこうと思って、最終日の前日に、会場のスペイン大使館を訪れた。…凄い数の来観者に先ず驚いた。…会場におられた主催側の戸嶋靖昌記念館主席学芸員の安倍三崎さんから、ブログを読んで来られた方がけっこうおられますと言われたので、微力ながらもブログで紹介して良かったと思った。

 

 

 

2回目に観て、山口長男の黒い特徴的な額に絵具が数ヵ所僅かについているのを見つけて、山口長男は額を付けてからも、なお制作していた事が見えて来た。額とは何か!……山口長男の眼差しの一端がそこから見えて来る。(ちなみにこの制作法はパウル・クレ―と同じである。)

 

……さてこの『禅と美』展の妙味は、展覧会の企画の着想が比較文化論的な視点から立ち上がっている事である。今回は「禅」であるが、例えば「時間」「色」「黒」「詩」「寂」「無」……と様々な主題を立ち上げると、執行草舟さんの三千点以上ある膨大なコレクションから、たちどころに様々な作品が、あたかもそれに合わせて登場する役者のように選ばれて来る。……その企画構想の多層な幅を可能にしているのが執行さんのコレクションの多様な幅であり、美のカノンの横一線の高みなのである。

 

 

 

 

③竹橋の東京国立近代美術館で12月3日まで開催中の棟方志功展に行く。……前回のガゥディ展と同じくたくさんの観客である。会場内には初期の油彩画から晩年迄の作品がうまく展示してあり、また棟方さんの記録映像や肉声が流れていて懐かしかった。……21才の学生時に棟方さんは私の版画『Diary』 を視て絶賛してくれた事が以後のぶれない自信となった契機であるが、私に賞をくれた審査員としての棟方さんの口からスピ―チで私の名前が出る度に、私は自分がこれからの版画史に関わっていくであろう事を予感したのであった。……授賞式が終わり私がエレベ―タ―に乗ると、棟方さんと夫人、そして当時の神奈川県立近代美術館館長の土方定一氏が入って来て、その時に握手を交わした時の手の大きさと温もりを私は今も覚えている。

……かつては民藝運動の域で語られていた棟方さんの作品は、近年は次第に自立した極めて強度な現在形のモダンな作品として、その冴えを増している。衰弱した昨今の美術界の状況をすり抜けて、加速的に評価はますます高まっていくであろう事は間違いない事である。

 

……多くの人が棟方志功展を観て引き上げる中、私は4階までテ―マを変えて展示してある収蔵作品を観るのを常なる愉しみにしている。ベ―コン藤田劉生北脇、……そして、このブログで度々登場する藤牧義夫……などたくさんの作品が展示してあり、いろいろと考える切っ掛けや閃きのヒントを与えてくれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

④昨日(24日)は、美術本出版の老舗で知られる求龍堂の「100周年記念展」の内覧会がある日であるが、私はその前に時間があったので、久しぶりに上野公園に行き、西洋美術館ブ―ルデルの彫刻作品『弓を引くヘラクレス』の写真を二枚(内一枚は股間下から)撮り、

 

次に、気分転換する為に行きたかった上野動物園に立ち寄り、念願のハシビロコウ、ゴリラ、サイ等を観てから根津駅から代々木公園駅で降り、会場の『ARKESTRA』に行った。

 

 

 

 

 

 

 

会場内には100年間の出版活動の歴史から選んだ刊行物が展示してあり、私の作品集『危うさの角度』も並んでいる。……この会場には求龍堂発足後間もなく刊行された『ドラクロアの日記』が展示してあるが、それは私の蔵書から、この展覧会の為にお貸しした本で、戦前に三島由紀夫が座右の書としていた名著である。

……私は以前に求龍堂の会長であった故・石原龍一さんに三島由紀夫の文を帯にして『ドラクロアの日記』の再版を提案した事があった。……近年、パリで再版をした時にベストセラ―となったのである。再版ならば文庫サイズが良い。しかし、求龍堂は文庫本は出版していない。ならば、このブログは出版業界の人も読まれているので、例えば、ちくま文庫、或は河出書房新社辺りが出版するのが妥当かもしれない。

 

 

……ドラクロアの日記に在る一文「今日、ショパンが死んだ。……」や、孤独で在る事の如何に豊かな事であるかが、随所にちりばめられている。誰か鋭い眼力と実行力のある人材は出版の世界にはいないのか!?……いれば、この『ドラクロアの日記』を私は喜んでお貸ししよう。

……さて、会場では私の作品集『危うさの角度』(普及版・特装本)、また『美の侵犯―蕪村×西洋美術』も販売されている。ご購入を希望される方は本会場、又はお近くの書店、或は直接、求龍堂(営業TEL03-3239-3381)までご連絡を、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

『求龍堂100周年記念展』
日時11月25日(土)~12月3日―11時~18時(最終日は15時まで)
会場・ARKESTRA 東京都渋谷区上原1-7-20
TEL―090-8946-0541

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『必見「禅と美」展が素晴らしい!!』

①個展が終わり、11日は、戦場の後のようだったアトリエを一日かけて片づけた。室内が整理されて、まるで上野広小路のような広さへと一新した。新たな表現に向けての気持ちが自ずと高まって来る。12日は、勅使川原三郎、佐東利穂子、ハビエル・アラサウコ三氏による『素晴らしい日曜日』のダンス公演を観る。

 

13日は、松竹の関係者の方からご招待を頂き『吉例顔見世大歌舞伎』・夜の部『松浦の太鼓』他を観る。今回の座席は前から5列目、念願だった花道のすぐ真横である。間近に見上げて観る役者の顔の表情やその存在がありありと迫って来て、まるで喋る写楽の大首絵、或いは血まみれの芳年の残酷絵の生けるが如しの迫力があり、舞台という正面性を孕んだ平面的な虚構空間から、花道に入った瞬間、三次元に飛び出して来た、活人画のような不思議な生々しさを体感して一興である。

 

勅使川原氏の薄暗い舞台照明が放つ、限りない詩情性を孕んだ闇の透層……。一方の歌舞伎の過剰なまでに強い照明が放って綾なす原色のバロキスム!!……いずれも自分の作品展示の際の善き充電である。

 

 

②パリの出版社FVW・EDITION社から2007年に刊行されたアルチュ―ル・ランボ―の肖像を集めた美術作品のアンソロジ―集には、エルンストクレ―ピカソジャコメッテイミロ……等の作品と共に私のランボ―の肖像をモチ―フとした版画が二点掲載されている。

 

ジャコメッティ

 

 

エルンスト

 

 

クレー

 

 

 

企画編集したCLAUDE.JEANCOLAS氏はランボ―研究の第一人者であるが、その画集に書いた各美術家へのテクストの中で、私の作品について氏は以下のような出だしから始まるテクストを書いている。すなわち「長い間、詩人のランボ―を理解出来るのは我々西洋人だけだと思っていたが、北川健次のランボ―を表現した版画は見事にそれを覆した。」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は氏のテクストを読んで確かに強い手応えを覚えたが、同時に西洋人が抱いている東洋人へのそれまでの根強かった偏見が在った事を知って唖然とした記憶がある。この偏見を飛び越えて私の版画の秘めた髄に直で理解を示したのがジム・ダインであった事は思わぬ嬉しい体験であった。…………ランボ―を作品化する事はこの二点の版画で終わりと思っていたが、西洋人の偏見を更に払拭するに足る文句無しの強烈な作品を作りたいと思ったのは、或いはこの時の体験が導火線になっていたのかも知れないと今にして思う。

 

 

 

ジム・ダイン

 

 

③……今年の7月のある日、高島屋の個展に向けてオブジェを作っていた時、正にその作品の閃きが垂直的に下りて来た。……(天才詩人ランボ―の、十代半ばの未だ早熟過ぎる脳内を透かし視て、あの幻視を紡ぐ言葉の数々が発生した正にその瞬間を可視化した作品は出来ないだろうか!……それをオブジェという立体作品で!!)と正に啓示として、その閃きは直下的に下りて来たのであった。

 

……私はランボ―の仏語の原詩(『地獄の季節』『イリュミナシオン』各々)を黒字でガラスに刷り、それを砕いてアクリルの透明な箱に入れ、『〈地獄の季節〉―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』、『〈イリュミナシオン〉―詩人アルチュル・ランボ―の36の脳髄』と題したオブジェ二点を一気に作り上げた。…………完成した作品を視て、私はこれらの作品に強い手応えを覚えたが、その反応を他者の眼を通して早く知りたくなった。……ならばランボ―を直感的に理解している人、執行草舟さんをおいて他にはいない。そう思って、個展の数日前の昼前に半蔵門に在る執行さんの会社『バイオテック』内の美術館「執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館」の主席学芸員の安倍三崎さんを尋ね、ランボ―のオブジェ二点を預けて、執行さんの感想を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……私はその後すぐアトリエに戻らねばならず、執行さんは毎夜徹夜で執筆した後に夕方から会社に来られるので、作品を預けるという形をとったのであった。……安倍さんからすぐに連絡が入り、ランボ―のオブジェを二点とも美術館のコレクションに入れたいという執行さんの批評兼答えが返って来た。……コレクションするという行為、何よりも作品に対する最大の評価が返って来たのであった。……よって個展が始まる前に例外的に購入が決まった為に、会期中に来られたたくさんのコレクタ―の方から残念がる声が返って来たが、今回は致し方のない事であった。

 

 

④執行草舟さんとの出会いは強烈なものであった。きっかけを作って頂いたのはNHKエデュケ―ショナルの山本修平さんであった。

山本さんが拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)の事を執行さんに話された事に依る。……あれは何年前の事であったか。……高島屋の個展会場に突然、正に突然来られた執行さんは、広い会場内に展示している75点以上の作品を張りつめた気配で順に観ながら、瞬間的にコレクションする作品を次々に決めていき、この時は15点くらいの作品を購入されたのであるが、それを全て決めるのに要した時間は僅かに1分!!。恐るべき直感力を持った人だと、私は一瞬で理解した。執行さんの中の美の絶対的なカノン、直観という羅針盤が既に確固として在り、それに激しく揺れた作品のみがコレクションされていくのである。若冠十代半ばにして三島由紀夫の知遇を得たという驚くべき逸話も氏の鋭い唯美的な感性を物語っていると思う。

 

…その後、私の作品は個展の度にコレクションされていき、今までで50点以上は執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館に収蔵されているのであるが、執行さんが有している膨大なコレクション総数は既に三千点以上はあるという。……その中から禅の世界に結びついている作品を集めた展覧会『禅と美』スペインからのまなざし展(協力・臨済宗円覚寺、サラマンカ大学)が11月24日(金曜)まで、六本木一丁目の駐日スペイン大使館で開催中である。

 

……先日、私は会場を訪れ、見事な作品選択とその構成によって立ち上がって来る禅と美の融合を体感したのであった。……この展覧会は美の観賞という従来の対の関係の域を越えた、己自身との対話の場、すなわち「観照」の場で在るという事が、一線を画して他の美術展とは大いに異なる点であり、またそれ故の鋭い緊張に充ちた豊かな展覧会になっている。……この展覧会を記念して作られた図録の編纂も密度の濃い内容になっているので併せてお薦めする次第である。

また半蔵門の執行草舟さんの会社に在る「執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館」では、主題を変えながら展覧会を開催しているので、そちらもぜひご覧になられる事をお薦めしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『禅と美―スペインからのまなざし』展

◾️会場・駐日スペイン大使館   (入場無料)

11月24日(金曜)まで

月~木 /10時~17時/金10時~16時/土10時~14時

日曜閉館  (11/23は開館・10時~17時)

東京都港区六本木一丁目3―29

(東京メトロ南北線 六本木一丁目駅・中央改札・徒歩3分)

 

◾️お問い合わせ先・戸嶋靖昌記念館事務局 03-3511-8162

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『……新緑の今、アトリエで一人想う事。』

……この国の四季のうつろいの妙や風情が無くなって既に久しいが、考えてみると、今のこの時期が一年の内で最も気持ちの良い時期なのかもしれない。暑すぎず、寒すぎず、生きているには丁度良い。

 

…………5月が近づくと制作も集中と加速に入る時期だが、しかし充電も大事と思い、先日、二月公演に続いて歌舞伎座の『鳳凰祭四月大歌舞伎』に行って来た。

 

演目は坂東玉三郎片岡仁左衛門による『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』。一階席なので仁左衛門が間近に迫って来て演技をするのが面白い。眼前で江戸の粋が妖しい艶を帯びてリアルに揺れるのである。玉三郎はもはや円熟の極み。泉鏡花の『天守物語』の玉三郎を初演の時に観ているから、この天才が見せる折々の花を観て来た事になる。舞台はおよそ三時間。歌舞伎が放つ様式美と写実の混淆が視せる危うい虚構の華は、確かな充電となって、幕後にアトリエへと急いだ。……今日中にやるべき制作の続きがまだ残っているのである。

 

 

アトリエに着くと郵便受けにギッシリと小包が。……中を開けると二人の詩人から新刊の献呈本が届いていた。高柳誠詩集『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(ふらんす堂刊行)と、野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』(洪水企画刊行)。お二方ともお付き合いは古い。特に野村氏とは共著もあり、今回の対談集には、私も対談者の一人として名を連ねている。タイトルに「楕円」の文字を入れているのは野村さんの機知である。……周知の通り、楕円という形の中には2つの中心点が存在する。それを対談という二人の関係、対峙する形に見立てているのである。

 

 

野村さんとは今まで2回対談をしている。1回目は雑誌の企画でご自宅の書斎。この本に載っているのは、東京.茅場町のビル内に在った森岡書店のギャラリ―で開催した野村喜和夫・北川健次詩画集刊行記念展『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』時の記念イベントとして企画された対談で、初出は『現代詩手帖』に掲載されたものを再構成した内容である。

 

各々の方が発言してなかなか面白いが、わけても私が面白かったのは、詩人の阿部日奈子さんとの対談「未知への痕跡」である。阿部さんともお付き合いは古い。ヴィラ・グリュ―ネヴァルトという昭和初期建立の謎めいた洋館に住み、才媛にして明晰、その深さはなかなか捕らえ難く、静かな謎を秘めた詩人である。……もしご興味のある方は、書店もしくは以下に申し込んでご購読下さい。

 

 

「洪水企画」

神奈川県平塚市高村203-12-402   TEL&FAX-0463-79-8158
http//www.kozui.net/
価格.2420円(税込)

 

 

 

先日、東京・京橋のア―ティゾン美術館に行った後、日本橋に移転して特別展を開催中の画廊『中長小西』を訪れた。……この画廊の空間が放つ洗練された美意識の結晶深度、そして画廊のオ―ナ―の小西哲哉氏の感性の鋭さは、今日の美術界において別格の突出した存在であると断言していいだろう。送られて来た展覧会図録を見て、私は早く観たくなり展覧会初日に訪れたのであった。

 

……「その作品が優れているか否かは、その作品を茶室に掛けた事を想像すればすぐわかる」という考え方、見抜き方は、偶然にも私と小西さんの共通したものであったが、その事を映すように、移転して新装なったこの空間は、正に茶室のわびさびと今日のモダンを共有した感があり、その展示空間に棟方志功川端龍子山口長男村上華岳池大雅香月泰男……他二十名のジャンルを越えた作家の作品が、静かに、深い静謐な韻を漂わせながら展示されていた。

 

……中でも、棟方志功の巨大な版画が放つ引力は凄まじい。私事になるが、私が二十歳の時に作った銅版画『Diary』を棟方志功は一目見て絶賛し、当時美大生であった私は早々と作家として生きていく自信を氏から得たのであるが、この時の私の版画は表現主義的なものを帯びていた。おそらく棟方志功は私の作品の内に氏自身の感性の映しを視た事は想像に難くない。……その棟方志功こそ、わが国における最初の表現主義の体現者である事はもっと語られ、研究される必要があるであろう。(あまりにも棟方志功の版画は民藝運動の柳宗悦河井寛次郎らの域に組み込まれて語られる感があるが、時代や淘汰を越えて今、更に新しく、強いモダンな相を棟方志功の作品が放っている事に気づいているのは小西哲哉氏くらいであろう。)

 

 

…………画廊の中で、私は恐ろしい作品を視た。村上華岳の『風前牡丹圖』である。一方向から激しく吹く風に揺れながら耐える牡丹の花に配された朱色の滲み。そこに籠められた危うく魔的な何物かの気配、…………私は拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊行)を書いている時に、蕪村が最も執着し、最も多く詠んだ花が牡丹である事を知ったが、その事を思い出したのであった。「牡丹散りて 打ちかさなりぬ 二三片」は有名であるが、私が華岳の絵から連想したのは「地車の とどろと響く 牡丹かな」、「牡丹切って 気の衰へし ゆうべかな」、「散りてのち 面影に立つ 牡丹かな」の三句であった。特に「地車の……」の句が放つ夏の真盛りの光の下の壮麗雄大にしてグロテスクな牡丹の描写は正に華岳のそれと照応する。……察するに、華岳は蕪村の俳句からその多くを吸収している事は間違いないであろう。

 

 

 

 

 

……この中長小西の展示は今月の29日(土曜)で、いったん終わり、次に継続して5月8日(月)から再開し、20日(土)迄の展示予定になっている。昨今の美術界、また表現者の作品は衰弱の感を見せて停滞堕落の一途であるが、芸術は何より強度であり、美術館や画廊は美の感性を鍛える観照の場であるのが本道である。……その意味でも、今回の展覧会は私が強く推す内容である。

 

 

画廊「中長小西」

東京都中央区日本橋3丁目8-13 華蓮ビル6F
TEL03-6281-9516
http//www.nakachokonishi.com/

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『「人形の家」奇潭』

その①……

春三月・早いもので、いよいよ桜が満開を迎える頃になった。昼の制作時の集中のせいなのか、夜は床に就くのがかなり早い。寝床ではいつも読書三昧であり、これが実に愉しい。最近読んだ本は坪内稔典著の『俳人漱石』(岩波新書)。……夏目漱石正岡子規に、著者の坪内氏が加わりながら、初期の漱石が作った俳句百句について各々が自由に意見を述べるという、夢の机上対談である。

 

周知のように、漱石(1867~1916)は森鴎外と共に日本近代文学の頂点に立つ文豪であるが、小説家としてのスタ―トは実は遅く、そのデビュ―作『吾輩は猫である』を書いたのは1905年、実に漱石38歳の時であった。……では、その前は何をしていたかと云うと、親友の正岡子規に作った俳句の添削を仰ぐ熱心な俳人であった。その詠んだ句数はおよそ2000句。しかし子規と比べてみると、漱石の俳句は詰めと捻りに今一つの冴えが無い。

 

子規は一生懸命に添削をして鍛えるが、子規の死後に俳誌「ホトトギス」を継承した高浜虚子などに言わせると、「俳句においては漱石氏などは眼中になかったといっては失礼な申分ではあるが、それほど重きに置いてなかったので、先輩としては十分に尊敬は払いながらも、漱石氏から送った俳句には朱筆を執って○や△をつけて返したものであった」と書いている。

 

 

〈余談であるが、この高浜虚子という名前。以前から実にいい名前であり、構えに隙が無い城郭のようなものとして私には映っていた。しかしこの度の坪内氏の本を読んで、高浜虚子の本名を知って驚いた。驚きのあまり寝床で読んでいる本が顔に当たりそうになった。その本名とは…………高浜清(きよし)。……禅の悟りの境地のような響きを帯びた虚子(きょし)でなく、身近にもよくいそうな、やさしい響きのきよしなのである。それを知って、文藝の山脈の高みから一気に下りて来て、前川清(ク―ルファイブ)、西川きよし……の列に近づいて来た時は何故か嬉しくなってしまった。(察するに少年時の呼び名はキー坊ででもあったのか?)……この人も頑張って来たんだなぁ、そんな感じである。ちなみに虚子と命名したのは正岡子規。〉

 
しかしこの高浜虚子の存在が、俳人から文豪夏目漱石へと変貌する切っ掛けを作ったのだから、その功績は大きい。……虚子は自らが主宰する俳誌「ホトトギス」に何か書くように漱石に薦めた。そして書いたのが国民的小説『吾輩は猫である』であった。……漱石は以後、『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『それから』『門』『こころ』『明暗』へ……と一気に文豪への階段を駆け上がっていった事は周知の通り。……そこで私は考えてみた。漱石はなぜ完成度の高い小説を次々と、まるで堰を切ったように書きえたのか?と。…………そしてその才能の開花の伏線に、23歳の時に正岡子規との交友が始まり、以後、子規の死まで2000句にも及ぶ句作の訓練をした事が膨大なイメ―ジの充電に繋がったに違いないと私は思い至ったのである。

 
漱石の最高傑作は『草枕』であるが、それは俳人・与謝蕪村が俳諧で描いて見せた理想郷を小説化したものである。私は拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)を書くにあたり蕪村の俳句2000句を詰めて分析し、そのイメ―ジの多彩さ、絢爛さ、その人工美の引き出しの多さに目眩すら覚えた。……漱石がその初期から最も心酔し、影響を受けたのがこの蕪村であった。……俳句とは五七五の17文字の中にイメ―ジを凝縮し、爆発的に放射させる力業の分野である。……漱石は、小説家としての出発以前から既にして、〈夏目漱石〉が準備されていたのであり、その才能の開花に大きく寄与したのが、もう一人の天才正岡子規の存在であった事は言うまでもない。

 

 

 

その② ……

昔、銀座七丁目に『銀巴里』という名の日本初のシャンソン喫茶があった(今はそれが在った事を示す小さな石碑のみが建っている)。……私も美大の学生時に知人に誘われて何度か訪れた事があった。三島由紀夫川端康成等も度々訪れた伝説のシャンソン喫茶である。若き日の美輪明宏金子由香利戸川昌子岸洋子……達が専属歌手として歌っていた。……そのシャンソン喫茶にピアフグレコアズナブ―ル……等のシャンソンの訳詞を書いて現れては、なにがしかの翻訳代を受け取って生活している若者がいた。後年、私も2回ばかり銀座で間近で見かけた事があるが、その若者は、獲物を確実に仕留めるような切れ長の、獣のような鋭い眼をしていた。……後の作詞家、なかにし礼である。……以前から私はこの人が書く詩が放つ〈艶〉に興味があった。そして、その詩法なるものに興味があった。……例えば、この人の初期にあたる作詞に『人形の家』という、弘田三枝子が唄ったヒット曲がある。……

 

 

顔もみたくないほど/あなたに嫌われるなんて/とても信じられない

愛が消えたいまも/ほこりにまみれた人形みたい

愛されて捨てられて/忘れられた部屋のかたすみ

私はあなたに命をあずけた

 

 

……詩は一見、哀しくも耐える女のそれと映るが、異例の大ヒットのこの曲に、何か直感的に引っ掛かるものがあった。もっとこの詩には底に秘めた何かがあるに違いない、そうずっと思っていた或る日、なかにし礼本人がその底にあるもう一つの意味を、たまたま観ていたテレビで語った時には驚いた。……この詩に登場するのは、天皇と、召集令状が来て南方へと行き戦死した日本兵士だと、氏は告白したのであった。中国の牡丹江から命からがらに逃げて来た僅か10才の少年、なかにし礼の視た人間が獣と化す地獄絵図。………はたして直感は当たっていた。……なかにし礼における作詞のメソッドには、強かな二元論が入っていたのである。

 

それを知ってから、更にその詩法が知りたくなった。指紋のように付いてくるその艶の正体が知りたくなった。……私が出版編集者であったら、その詩法を書いて本にすれば面白い本になる筈、そう思っていた。……先日、制作の合間を縫って横浜の図書館に川本三郎氏の著書『白秋望景』(新書館刊行)を借りに行った。係の人から文芸・詩・俳句のコ―ナにある筈です、と言われ探したがなかなか見つからない。……すると2冊、目に入る本があった。一冊は先述した拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』。この図書館の美術書のコ―ナ―には拙著『モナリザミステリ―』(新潮社刊行)があるが、この本が文芸の俳句の欄に在る事は作者の執筆意図が反映されていて嬉しいものがある。

 

……そして、その本の近くに、願っていた本が川本三郎氏のすぐ横の詩の欄に『作詩の技法』(河出書房新社刊行)―なかにし礼というタイトルで見つかった。氏が亡くなる直前、2020年に刊行した遺作本である。作詞でなく、作詩と書いてあるのが氏の矜持と視た。

早速借りて来て読むと、一作が出来る迄の膨大な迷い、閃き、更なる言葉の変換が書いてあり、美術家としてでなく、私も詩を書く表現者として実に興味があった。……そして、なかにし礼氏の艶なるものが次第に見えて来た。……それはプロの作詞家になる以前の膨大な、およそ2000曲は翻訳して書いたというシャンソンの翻訳作業時代に培われて来た感性の構築が大きく関わっていると私は視た。……シャンソンの詞が孕んでいる愛憎、哀愁、そして洗練された優雅なるエスプリ。氏はそこから多彩な艶を吸収し、掌中に収めていったと私は視たのであった。

 

 

…………最初に書いた夏目漱石の俳句の修行時代に作った俳句、およそ2000句。そしてなかにし礼氏が食べて生きていく為に書いたシャンソンの訳詞数、およそ2000曲。……不思議な数字の符合である。

 

 

……以前に、ダンスの勅使川原三郎氏と公演の後だったか忘れたが、楽屋で雑談をしていた時、氏はこう語った事がある。「我々は10代から20代の半ば頃迄に何を吸収し、自分の糧としたかで、その後の人生は決まって来る。ひたすら吸収した後は、その放射だけである」と。全く同感である事は言うまでもない。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『企画の冴え―電線絵画展を観る』

今年の2月初旬に刊行した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が引き続き好評で、サイトのトップ頁の購入方法を読まれた方から、詩集購入の申し込みがアトリエに届き、署名を書いてお送りする日々が続いている。一冊の詩集を仲立ちとして、それまで未知であった人と感性、美意識を共有して知り合える事の不思議な人生の縁。そして、読まれた方から感想が届き、次なる制作、執筆への大きな自信、励みとなっている。

 

先日も新聞の文化欄に私のオブジェへの的確で明晰な批評文が載り、併せて詩集に関しても核心を突いた批評文が書いてあった。……その部分を引用しよう。「2月に第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を出した。擬人法やレトリック(修辞)を駆使。すべてを語らない微妙な狭間(はざま)で表現し、読み手の自由な感性に委ねている。」また文化部の別な方からは「時空を越えて豊かなイメ―ジが膨らむ珠玉の詩篇」という讚を頂いた。……私はイメ―ジの発芽を立ち上げるが、芽から息吹いた花を愛で、その意味を読み、その人の感性に則して豊かな対話を続けていくのが鑑賞者や読者であり、その人がもう一人の作者になっていく。……というのは私の持論であるが、今回の詩集刊行の経験を経て、いよいよその考えは強い確信へとなっていっているのである。

 

 

3月のはじめに、日本橋高島屋美術部の福田朋秋さんから、練馬区立美術館で開催が始まった『電線絵画展』が面白い!!というお話しを頂いていたが、オブジェの制作が始まっていたので、なかなか時間が取れないままずっと、その事が気になっていた。そんな折りに、この展覧会の図録編集を担当されている求龍堂の深谷路子さんから、展覧会の図録と招待状が送られて来た。(深谷さんは私の『美の侵犯―蕪村×西洋美術』や作品集『危うさの角度』なども編集担当された方で、既に長いお付き合いをして頂いている。)……送られて来た図録を開き、パラパラと頁を捲った瞬間、早くも熱い戦慄が走った。私が偏愛してやまない浅草十二階関連の写真や絵画(三点)、他に岸田劉生佐伯祐三松本竣介月岡芳年川瀬巴水坂本繁二郎…etc などが載っており、何より響いたのは、「電線」を切り口として、小林清親以来の近・現代の絵画を視点を変えて観てみよう、というその企画力の妙に先ず打たれた。この展覧会はぜひ観ておかなくては悔いが残る、……そう思ったのである。

 

会期がまもなく終わろうとしている或る日、練馬の美術館を訪れた。美術館というのは、たいてい各室に一人か二人の観客がポツンといるくらいが常であるが、私の予想を越えて各室には沢山の観客がいて驚いた。……そして思った。優れた企画の展覧会を人々は待ち望んでいるのだと。つまり、人々は企画の妙に揺さぶられたいのである。ただ、たいていの美術館の企画は学芸員の独り善がりの、社会学的な凡な企画、既に通史としての評価が定まった作品をただ並べ展示しただけの安易な展覧会が多い。……しかし私が常々このブログでも書いているように、企画とは、…企画の妙とは、比較文化論的な切り口から立ち上げねば意味が無いのである。……色の違った2枚の透明な薄いガラス板の部分を重ねると、その部分が全く違った色の変幻を見せてくる。……AとBという各々の色が転じて、AはZという思いもかけない色彩の綾を魅せてくる。つまりは既存の固定したイメ―ジが崩され、作品の眼差しの偏角から、意外な未知の相貌が現れてくるのである。

 

図録によると、企画・編集した人は練馬区立美術館加藤陽介氏とある。私は未だこの方とは面識がないが、ネットで視ると、『月岡芳年展』『坂本繁二郎展』も企画されている由で、実は私はこれらの展覧会も訪れている。……美術館の面白さ、魅力とは、つまりはその美術館に企画の才のある人がいるか否かで決まってくる。……このコロナ禍で海外からの美術作品の借り入れは不可能になっているが、企画の妙を持ってすれば、国内にある作品だけでも鮮やかな、私達を煽ってやまない展覧会は十分に可能なのである。……今回の展覧会でも明らかなように、「美術館に人が訪れない」のではなく、「行きたくなる展覧会」の企画力があれば人々は行くのである。……ただ、そのような刺激的な展覧会が、この国はあまりに少ないだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………次回は、一転して『二つの不気味な池』の話を書く予定。ゴ―ギャンが生まれ、また坂本繁二郎が愛したフランス北西部・ブルタ―ニュ地方に現存する奇怪な池と、私の幼年期の記憶の淵にある池をめぐる話。乞うご期待。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『谷中幻視行―part②』

蝉のかまびすしい鳴き声に、ようやく梅雨があけたかという感がある。しかし、七月の長雨にはもはや私達の知っている、あの梅雨の風情などはもはや無く、唯の異常な狂い雨である。テレビに映される最上川の凄まじい氾濫や、押し迫る濁流に退路を断たれて孤立する数軒の家の画像などを見ると、江戸期に詠まれた俳聖達の名作の句も、今読むと、緊迫した実況中継の一場面に見えて来るから恐ろしい。……「五月雨を/集めてはやし/最上川」(芭蕉) 「さみだれや/大河を前に/家二軒」(蕪村)。……蕪村にはまだある。 「春雨の/中を流るる/大河かな」  「さみだれや/名もなき川の/おそろしき」

 

……さて、前回の続きで墓地である。墓地はいい。生者と死者の魂の交感の場であり、やがて訪れる死への覚悟といったものが柔らかく固まってくる。……そして今日は前回の続きで、谷中の墓地に足を運んだ。この墓地は著名人の墓も多く、毒婦とよばれた高橋お伝、徳川慶喜、朝倉文夫、円地文子、鏑木清方、森繁久彌、立川談志、横山大観、長谷川一夫、渋沢栄一、色川武大…………と、きりがない。私の知っている人もこの墓地に四年前から眠っている。彫刻家朝倉文夫の次女で、舞台美術家の朝倉摂さんを姉に持つ、彫刻家の朝倉響子さんである。響子さんは、私が24才で開催した初めての個展に、関根伸夫さん達と共に来られ、その場で波長が合い、以来長いお付き合いをさせて頂いた年長の友であったが、今は朝倉文夫が夫妻で眠る大きな墓に姉の摂さんと一緒に眠っている。その一家を撮した趣のある写真があるので掲載しておこう。左が摂さん、真ん中が朝倉文夫、そして右が響子さんである。

 

 

 

 

……谷中の墓地は実に広い。私はずっと気になっていた、一警察官の過去に纏わる或る事を確認したい事があったので、高橋お伝の墓の側にある派出所を先ずは目指して行った。しかし、中に警察官がいなかったので、その前に、この墓地に眠っているという「島田一郎」という人物の墓を探したが、これがなかなかにわからない。墓の番号は事前に調べてわかっていたが、区域が甲乙丙各々に分かれている為に、これがなかなか見つからない。先ほど挙げた著名人と違い特殊な人物なので、もはやお手上げか……と思ったその時に、目の前に、墓の案内人とおぼしき年配の男性が、まるで待っていたかのように、すっと現れた。「おじさん、島田一郎の墓は知ってますか?」と問うと「あぁ、知ってるよ。じゃ案内するからついて来るかい?」と、私の先を歩き出した。……私が言う島田一郎とは、明治11年5月14日に大久保利通を紀尾井坂近くで暗殺した刺客六人の内の主犯で、西郷隆盛の心酔者である。……「俺もここで、墓を訪ねてくるいろんな人をずいぶん案内したが、島田一郎を訊いて来たのは、あんたが初めてだよ」と言い、「島田一郎は確か鳥取の藩士だったかな?……」と間違った事を言うので「いえ、彼は加賀藩士です」……と私。まだ墓は先らしく、「おたく、あれかい?……訳ありの人かい?」といささか伝法な口調で訊くので「いえいえ、ごく普通の一般人です!」と私。……目指す墓は、横山大観の墓の裏側の葉陰に、他の5人の実行犯と共にひっそりとあった。案内の人に礼を言って、私は暫し、ずらりと並ぶその六基の墓を見回し、紀尾井坂の変当時の光景を想像した。……以前に宮内庁内で、大久保利通が災難時に乗っていた実際の馬車が展示された時があったので見に行った事がある。島田達の暗殺計画は実に巧みで、先ず馬の脚を切り、次に馬車の馭者を刺殺してから、六人で大久保利通に斬りかかった。大久保の最期の言葉は「無礼者!!」であったという。……大久保が敷いたあまりに急速な欧化路線でなく、西郷が考えていた農本主義で、もしこの国が歩んでいたならば、全く別な、少なくとも精神的にはかなり豊かな日本があったかと私は思っているが、如何であろうか!?ともあれ、西郷と大久保という、この二人の巨人の相討ちによって、この国の歩みは歪みを呈していった事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

……次に派出所前に戻ると、やはり中に警察官はいなかった。……仕方がない。まぁ、詳しく訊くのはまたの後日として、私は広い墓地をひたすらに眺めた。………………話は変わって、今から30年ばかり前に鎌倉の海岸近くで交わされた、或る二人の人物たちの会話に話が移っていく。一人は絵画の修復の名人Tと、今一人は画家のKである。KがTの作業場を夕刻に訪れると、未だ弟子達が残っていた。先生!……とTはKの事をよぶ。Kはそう言われるのはあまり好きではなかったが弟子達への立場を知っているので、そう呼ばせていた。……弟子が帰っていくや、TはKの目を見詰め、一転して「Kちゃん!!」と親しく呼んだ。二人は古くからの友人だったのである。Tは他に誰もいないのにKに向かってひそひそ声で「Kちゃん、いい物を見せてあげる!」と言うや、二階から2冊のアルバムらしき物を抱えて持って来て、おもむろに開いた。「どうせ家族の成長記録だろう」……Kがそう思って見ると、それは全頁が、墓地の至る所で展開する、昔の男女カップルの隠し撮りの写真、写真……であった。「どうしてこれが!?」と問うと、Tはその訳を話し始めた。…………ある日、Tが銀座を歩いていると前方からヤクザらしき男が歩いて来た。Tはその男に古い見覚えがあって、「まずい!」と思った。Tは中学時代に番長で、眼前から来るそのヤクザの男は、今と違い病弱ないじめられっ子であった。男もまたTの事を覚えていて、「ようTじゃないかぁ、久しぶりだなぁ」と言い「昔はずいぶん世話になったから、今度、御礼を送るよ!」と言って、住所を訊いて来たので、Tはそのままに教えた。……別れた後から「しまった」と後悔した。いわゆる御礼参りという仕返しを内実怖れたのであった。……しかしそれはただの杞憂で、後日送られて来たのは2冊のアルバムであった。「それがこれ!!」と言い、話すTは嬉しそうにKの顔を見た。そして、アルバムと一緒に入っていたヤクザの男が記した、アルバム入手前の或る男(つまり、その写真の撮影者)について書いてあった手紙の内容を詳しくKに話した。……話に拠ると、その撮影者は、谷中の墓地を巡察して不審者を取り締まる警察官であったが、その警察官自身があろう事か、カップルの秘事を隠し撮りする人物であった由。つまり絶対に捕まらない構図なのである。派出所を移って出世の話が来ても、その警察官は「いやぁ、私はここで……いいですからぁ」と言い、出世の話も拒んで、平の一警察官として生涯を終えたらしく、その退官記念に自身の生きた証し(?)として、写真を焼き増しして何冊かのアルバムにして遺したのだという。……「それが、これ!!!」と言い、回りに誰もいないのにKの耳許に近付いて小声で「Kちゃんにあげるから、気に入ったのがあったら5枚だけ選んで!!」と言ったので、Kもまた折角の話と思い、厳選してアルバムから5枚だけ選んだ。……この少年同士の悪巧みのような会話、ちなみに言えば、この話に登場するKとは、私の事である。……かくして私のアトリエの中にその写真5枚が今もあるのである。

 

 

 

 

 

 

……北原白秋に「墓地」という詩がある。「墓地は嗟嘆(なげき)の、愛の園、また、思ひ出の樫の森。/墓地は現(うつつ)の露の原、また幽世(かくりょ)の苔の土。/ 墓地は童の草の庭、また、あひびきの青葉垣。/墓地はそよ風しめじめと、また、透き明る日のこぼれ。」

 

……「また、あひびきの青葉垣」の垣根越しに、この警察官は生涯、シャッタ―を切りまくった訳である。……では、この詩に登場する墓地とは何処なのか!?……実は北原白秋は前述した、谷中墓地間近にある朝倉文夫の家(現在の朝倉彫塑館)の隣に家があり、その朝倉文夫の家の向かい隣に幸田露伴が住んでいた。……つまり、この詩に登場する墓地は谷中墓地の事であり、撮された男女の服装から察して時代的、時系列的に見ると、この警察官と北原白秋はほぼ同時期に、この谷中墓地で同じ空気を吸っていた観があるのである。……そしていつしか、もちろん名も知らぬ、この警察官の一生に私は強い興味を懐いている。……「窃視症」なる者は、勿論この男に限らずたくさんいて、それは文学にも深い陰を落としている。……川端康成、永井荷風、江戸川乱歩、寺山修司……。特に荷風の場合はそれが高じて、自分で男女の待ち合いの建物を作り、また川端康成の場合は、更に高じて、視線のエロティシズムは『みずうみ』などの作品に見る、危ういネクロフィリアにまで達している事は周知の通りである。また海外ではデュシャンやコ―ネルにもその例はあり、詳しくは拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)を読んで頂けると有り難い。……とまれ、私はまた折りを見て谷中墓地に行き、派出所で警察官に幾つか問う事があるので、このコロナ禍の中ではあるが、出掛けてみようと思っている次第なのである。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律