ミケランジェロ

『プラトリーノの遠い夏』

曇っているが蒸し暑い。じめじめした不快な夏が続いている。こういう時は、カラッと晴れた事を書こう。イタリアの七月の遠い日の事を書こう。

 

澁澤龍彦の『滞欧日記』(河出書房)を開くと、1981年7月15日の日付のある日には次のような一文がある。「・・・プラトリーノ荘の場所を万知子に聞いてもらったら、直ぐわかったので、さっそく車で行く。ボローニャ方面へ行く道で、山道にさしかかる。いい所だ。道にPratolinoの標識あり。道の右側に大きな門。運転手が番人を呼んで説明するが駄目らしい。チップを渡そうとしたが受け取らない。どうにも仕方がない。門だけ開けてくれて、ここから500メートルほど行ったところに巨像があるという。塀のくずれたところから広大な庭を覗き込むが、巨像らしきものは見えない。おそらく鬱蒼たる杉の林の中に隠れているのであろう。坂斉君の望遠レンズでのぞいてみたが、やはり見えない。・・・・・」

 

ここで澁澤が書いているプラトリーノ荘とは、フィレンツェの北方12キロほどにある旧メディチ家の別荘の一つ(20近くあった内の)である。そこに在る巨像とは「アベニンの巨人像」の事であり、イタリア半島の脊梁ともいうべきアベニン山脈を巨人に見立てたもの。ちなみにかのミケランジェロのイメージの中に巨人幻想のイメージがあるが、それはこの像を彼が見た事に拠るという。おそらく澁澤が訪れた日は閉園日であったのであろう。

 

私がそこを訪れたのは、澁澤の時から丁度10年後の奇しくも同じ7月15日の午後であった。広大な庭の中にメディチ家の壮麗な館が在り、杉林の中を行くと、やがて、とてつもなく大きな巨人像が見えて来た。しかし途中から立入り禁止の不粋な柵があり、2、30人ほどの観光客がうらめしげに巨人像を遠望している。見ると、巡察のパトカーが近くにあり、銃を持った二人の警官がまさに乗り込むところであった。ものものしい雰囲気の中、パトカーがゆっくりと動き始めた。人々がそれを目で追っている。私は柵の所から人々と同じように巨人像を眺めていたが、頭にふと閃くものがあった。(・・・今、パトカーが去って行ったという事は、・・・おそらくは30分間くらいはこの広大な敷地の中を巡るのであろう。・・・と、すれば、今こそはまさに好機ではあるまいか!!)

 

私は意を決して柵を乗り越え、その巨人像を目指して歩き始めた。背後に人々の驚きの声が聞こえるが、もはやそれは私の意の外である。真下に来て像を仰ぎ見ると、思った以上の大きさ、身震いする程の威圧感が私に降り注いでくる。500年以上前に作られたこの強度なイマジネーション。像の台座となっている巨岩の背後に廻ると、そこに小さな洞があった。察するに、かつてその暗がりの中に小舟を浮かべたルネサンスの貴婦人たちが恋人たちと共にそこから眼前の大きな池へと、優雅に滑り出して行ったのであろう。私はその暗い洞へと入った。するとひんやりとした冷気が私を包み、私は彼らと同化するようにして、ルネサンスの時の中へと遊ぶ想いがしたのであった。そこには不思議な気をもった風が吹いていた。

 

館の中を巡り、私は杉の林立する庭を歩いた。すると草むらの中に一枚のカードが落ちているのが目に入った。拾い上げると、真っ赤な色でAの文字が刷られている。その瞬間、まさに一瞬で作品のインスピレーションが立ち上がった。そして私は、その作品(オブジェ)に、その時から400年以上も前にこの場所を初めて訪れた日本人ー 天正遺欧使節と呼ばれた四人の少年たちのイメージを注ぎ入れようと思った。少年たちの名は、伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノ。そう、後に悲劇が彼らに待ち受けている事も知らずに、かつてこの地の全ての光景に目を輝かせた無垢な魂にフォルムを与えようと思った。そして、そこに今一人の少年である私を加え、その時間の時の長さの中にポエジーを入れようと、その場でたちまち閃いたのであった。タイトルは『プラトリーノの計測される幼年』にしよう。そしてイメージの立ち上げの初めに先ずは、このAの文字の記されたカードを、そのオブジェに入れようと思った。その夏の日から半年後に私は帰国して、その時の閃きのままにオブジェを作った。その作品は、今は福井県立美術館の収蔵となっている。

 

暑い夏が訪れる度に、私はそのプラトリーノの夏を思い出す。そして、まるで導きの恩寵のように、何故か場違いな場所に落ちていたAの文字の記されたカードの不思議について、私は遠い感慨に耽るのである。

 

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『福井へ ー 貴重な体験の旅』

2011年の秋に福井県立美術館で開催した個展以来、1年半ぶりに福井を訪れた。福井から車で40分ばかり行くと、昔日の良き面影を残す勝山市がある。そこに住まわれているコレクターの荒井由泰さん宅を訪れて、荒井さんが所有されている700点近い膨大な数の版画コレクションの中から、現在企画が進んでいる或る展覧会の為にお借りする作品を選ぶのが、今回の旅の目的なのである。荒井さんは数多くいるコレクターの中でも突出した鋭い感性を持つ炯眼(けいがん)の人である。そのコレクションはそのまま日本版画史にとどまらず、近代の西洋版画史の正統を映している。私の作品も50点以上持っておられるから、身近な心強い存在でもある。ちなみに画家のバルチュスとも親交があり、バルチュスも来日した際に勝山の荒井さん宅を訪れている。

 

私はコレクションの中から、じっくりと時間をかけて、ルドン駒井哲郎・サルタン他を選んだ。又、今回訪れた成果として、私の恩地孝四郎への認識が高まった事は、望外の収穫であった。恩地は版画に留まらず、美術における実験的なパイオニア精神の先駆者である。版画・詩・写真・評論と云った多角的な表現活動、・・・・思えばいま私が挑んでいる姿勢を、恩地は先人として生きたのであった。荒井さんの、それも実に深い恩地に対する眼差しから収集されたコレクションの膨大な作品を見て、私は教わる事が大であった。

 

夕刻に荒井さんのご好意で福井県立美術館まで車で送って頂いた。現在開催中の『ミケランジェロ』展(8月25日まで)を見るためである。この展覧会はこの後、上野の西洋美術館へと巡回するが、私はこれを見るのを楽しみにしていたのである。それが幸運にも時期が重なったのであった。昨年の秋に日本橋の高島屋で個展を開催していた折、芹川貞夫さん(当時・福井県立美術館館長)が来られた。『ミケランジェロ』展の開催の為に、フィレンツェにあるカーサ・ブオナローティ(ミケランジェロの館)を訪れ、ここに保存されている作品を選別して戻って来られる途次あった。芹川さんの選別ならば、かなり良質の展覧会になるであろう事を予感していた。

 

しかし会場に入って私は驚いた。普通、昨今の美術館の展示では、目玉作品を数点だけ集中して展示し、残りは同時代の画家の凡作を並べるのが多い。フェルメール展、ダ・ヴィンチ展しかり。しかし、会場に展示されている作品のことごとくが、ミケランジェロの作であり、わけても驚いたのは、カーサ・ブオナローティの秘宝であり、ルネサンスの一つの極でもある『レダの頭部の習作』が展示されていた事であった。私の予想を超える充実した内容である。私はかつて大英博物館の「素描研究室」に研究員の名目で入れてもらった折、ミケランジェロの素描を百点近く、直接見せてもらった体験があるが、ミケランジェロの素描の頂点と云っていい『レダの頭部の習作』は見れなかったが、遂にそれが果たせたのである。又、14歳頃に彫った『階段の聖母』、そして『天地創造』『最後の審判』他の凄まじい構想を示す数多の素描が展示されていて私を驚かせた。そして最後に、ほとんどの画集に載っていない、ミケランジェロ晩年の実に小さな木彫が展示されており、私の目を惹いた。この展示を見た後で、私の意見を聞くために待っていた新聞社のA氏と、学芸員室でその作品の主題について、興味深いミステリアスな推理をし合った。大阪の大学の研究者は、「奴隷」ではないかと云うが、私はそれが晩年の作であるところから、「磔刑」か「ピエタ」の説を語った。頭部のずり落ちたような傾きは、死によって筋肉を支える力を失くした様態のそれである。「奴隷」のような力はもはやここにはない。晩年に彼が執着した未完成作「ロンダニーニのピエタ」への伏線を私はそこに見る。しかし、それにしてもこの木彫は、今後もっと研究されるに値する質の物であると思った。ともあれ、現在、日本の美術館で開催されている展覧会としては最高にレベルの高いのがこの「ミケランジェロ」展であると思う。この質の内容は今後、実現がおそらく不可能なものであろう。美術ファンの方は必見の見応えのある展覧会である事を、私は確信を持って申し添えておこう。

 

夜、足羽川河畔にある常宿の旅館に泊まった。最上階の温泉の窓からは、秀吉が柴田勝家を攻める時に陣を張った、小高い足羽山が見える。その中腹には私の遠い親戚にあたるらしい橘曙覧(江戸末期の歌人)の資料館があり、麓には、女装して女風呂に入って捕まってしまった中学時代の友人Fの家が見える。デュシャンに心酔していたというFは、今どうしているのだろうか・・・・。目を左に転ずると幕末の横井小楠や由利公正の旧居跡があり、暗殺される10日前にこの足羽川を舟で渡った坂本龍馬の面影が立ち上がる。そして何より、自分の子供の頃からの様々な思い出が蘇る。さぁ、明日は東京の美術館の学芸員の方と合流して再び荒井さん宅を訪れるのである。秀れた先達の作家の作品を直接見れるという体験は、貴重な何よりの充電なのである。

 

 

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『まるで・・・ミステリーの現場』

 

東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで6月10日まで開催中の、『レオナルド・ダ・ヴィンチ – 美の理想』展を見に行った。目玉作品は日本初公開の《ほつれ髪の女》である。会場に入ると、先ずデューラーの木版画による「レオナルド・アカデミア」の幾何学紋章があり、私をふるわせた。デューラーはイタリア訪問でミケランジェロラファエロには会った事を記しているが、ダ・ヴィンチの名前だけは全く記していない。しかし日記の中で「私はイタリアに行き、遠近法を巧みに操って描く人に会いに行くのだ」と記している。この文は(自然・人工)の二つの遠近法を駆使出来た唯一の人物ダ・ヴィンチを指す。そしてデューラーの素描帖には、ダ・ヴィンチに直接会わなければ出来ない素描の写しが存在する。しかし、デューラーは意図的にそれを伏せている。何故か・・・!? 高階秀爾氏は、二人は会っていないとし、坂崎乙郎氏は間違いなく二人は密かに会っていたと推理している。私は坂崎氏と同じ考えである。

 

会場には《レダと白鳥》の写しや、《岩窟の聖母》、そしてダ・ヴィンチの《衣紋の素描》など数多くの作品が展示されているが、やはり圧巻は《ほつれ髪の女》である。霊妙深遠、まさに円熟期の至高点と云えよう。これは私見であるが、この作品は《モナ・リザ》を描いた次にダ・ヴィンチが着手した作品であると推察している。この作品は《レダと白鳥》の下絵である。《レダと白鳥》のオリジナル作品は行方不明であるが、弟子が描いたコピーの写し(本展に展示)が存在する。そこから推察するに、その表現世界は、官能を越えて妖しいまでに淫蕩的であり、ダ・ヴィンチの精神の暗部を映していて興味が尽きない。会場内には想像以上に貴重な作品が多く展示されており、美術史を越えて人類史上最大の謎めいた人物といえるダ・ヴィンチの創造の舞台裏に踏み入った感興があり、まるで上質なミステリーの現場として私には映った。会場出口のショップでは、拙著『絵画の迷宮』も多くのレオナルド本に混じって平積みで販売されている。係の方から拙著が好評で売れ行きがかなり良く、追加の注文をしているという話を伺った。作者としては嬉しい話である。

 

・・・会場を出て、一階のカフェに行く。待ち合わせをしていた毎日新聞学芸部のK氏と会う。この展覧会は毎日新聞社も主催に関わっていて、K氏は私の話を聞いて、それを新聞に掲載するのである。これは連載のため、何人かが登場する企画との由。私はK氏に一時間ばかり感想を話した。私の思いつくままの意見をK氏が素早く速記していく。そのK氏の指先を見ていて、・・・ふと、私の中で、今まで誰も気付いていない、故に誰も書いていない、ダ・ヴィンチの最後のパトロンであったフランソワ一世、そして彼が仕掛けて誕生した〈フォンテーヌブロー派〉という、短期で消えた危うい表現世界について、たちまち幾つかの推論と仮説が立ち上がってくるのであった。これは今考えている書き下ろしの本の最終章に使える。その為には、フランソワ一世という人物の仮面を剥ぐために、彼についての文献を漁る必要があるであろう。ダ・ヴィンチとフランソワ一世。その結び付きには、今一つの知られざる面があったに相違ない。ともあれ、本展はダ・ヴィンチの内面が透かし見える、ミステリアスな展覧会である。未だ御覧になっておられない方にはぜひお勧めしたい内容である。

 

 

追記:

6月2日(土)まで東京都中央区・八重洲にあるSHINOBAZU  GALLERYて『モノクロームの夢〜駒井哲郎を中心に』展を開催中。作家は駒井哲郎池田満寿夫加納光於・北川健次・浜口陽三ヴォルス他。黒の版画に拘った作家たちのなかなか見られない珍しい作品を数多く展示。又、東京・恵比寿にあるLIBRAIRIE6(シス書店)は、《動物》を主題にした不思議な切り口の展覧会を開催中。野中ユリ・合田佐和子他。私の作品は、《ヘレネの馬》の頭部彫像をミクストメディアで表現した作品が展示されています。詳しくは各ギャラリーのサイトを御覧ください。

 

 

 

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