「幻視者」という言葉は、或いは現実の核にある不気味で異形な実相をも見究められる人の謂ではあるまいか。・・・・昨日私は、フォト・ギャラリー・インターナショナルで開催中の川田喜久治写真展「2011-Phenomena」を見ながら、そう思った。そして本当の意味での写真が持つ権能と力に対峙した思いがした。タイトルにあるPhenomenaとは〈現象〉の複数形。ここは森羅万象と解すべきか。ともあれ、川田喜久治氏の表現世界にこの世の万象が引き寄せられている。そんな印象を抱きながら、耽美と凶事の気配が濃密に詰まった氏の世界を、畏怖を覚えながら堪能したのであった。
アンドレ・マルローの『ゴヤ論』の最終行は「・・・・かくして近代はここから始まる。」という文で終っている。この言葉はある意味で正しく、例えばそれを受け継いだのがマネであり、そこから近代絵画の幅が広がった。しかしゴヤの目は、私に言わせればむしろ近代を超えて現代の実相までも遍く照射しているのではあるまいか。私は昨日の川田氏の個展会場でそこまでも考えてみた。そう思ったのは、その場で見た氏の或る写真(それは太陽と、今一つのどす黒い太陽の巨大なシルエットが共存しているという凄みのあるもの)を見た時の印象が、かつてプラドで見たゴヤの『黒い絵』中の名作『砂に埋もれる犬』と卒然と重なったからである。つまりゴヤの眼差しは、時を経て、絵画ではなく写真の領域の上に —- 川田喜久治氏に受け継がれていると思ったのである。かつてベンヤミンは写真におけるアニマの可能性を否定したが、それは凡百の写真に対してであり、こと川田氏の写真を見る限り、それが間違いである事を観者はその場で体感し首肯するであろう。
私のアトリエには、ルドン、ゴヤ(妄のシリーズ)、ヴォルス、ベルメール、ホックニー、レンブラント・・・・などの版画が掛かっている。そして私はあえてゴヤの横に川田氏の名作「ボマルツォの奇顔」の写真を掛けているのであるが、その写真が持つ強度な波動は、表現者として生きている私を鼓舞してくれている。ここに掲載した画像は川田氏の巨大な写真集「ラスト・コスモロジー」の中の「太陽黒点とヘリコプター」である。鮮明に掲載出来ないのが残念であるが、太陽の黒点と不気味に飛翔するヘリコプター、そして夢魔のような暗雲と、日付が写っている。したたかなまでに完璧であって、付け足すものは何もない、妖かしの瞬間定着術!!これを見ると、写真家というよりは写真術師と呼びたい衝動に駆られてくる。写真が未だ光線魔術と呼ばれていた頃の手を、川田氏は間違いなく掌中に隠し持っている。(想定外・・・・)などと言い逃れている現代人の盲目を突き刺してくる、これは現象の奥に不気味に息づく「気」を捕えた紛れもない名作であろう。川田氏の写真展は始まったばかり。しかし暑い中を汗を流しても訪れて見るだけの価値は充分にある。ぜひ御覧になられる事をお薦めしたい写真展である。
川田喜久治写真展「2011年-Phenomena」
2012年9月4日(火)~10月31日(水)
フォト・ギャラリー・インターナショナル
東京都港区芝浦4-12-32/TEL.03-3455-7827
月~金 11:00 – 19:00
土 11:00 – 18:00
日・祝日休館 入場無料
JR田町駅・芝浦側(東口)より徒歩10分