北川健次

『個展―「吊り下げられた衣裳哲学」展・開催中』

日本橋・高島屋本館6階美術画廊Xで29日まで開催中の個展が盛況のうちに進んでいる。90点近いオブジェ、コラ―ジュ、版画、写真といったジャンルを異にする表現が一堂に並んだ個展である。……普段なかなかお会い出来ない知人の方が、北海道、九州などの遠方からも来られ、また昨日はドイツからも知人が遙々駆けつけてくれて、私を驚かせてくれた。本当に有り難いことだと思う。またこれからも遠方の方が来られる予定が入っているので、会期の最後の29日まで毎日が実に楽しみである。……個展を観られたコレクタ―の人達の意見は一致して、今回の個展の密度が今までで最も深く、完成度の高い作品が並んでいる事に総じて驚かれているが、長い時間をかけて制作に没頭してきただけに、今回の一致した高い評価には強い手応えを覚えている。しかし、会場に展示されている完成したばかりの作品群の多くがコレクタ―の人達のコレクションに入っていく為に、作者である私は、現在形の自作を分析しながら、同時にその作品群との訣別の時間をも会場で過ごしている。……確かに私の作品群は年毎に密度を増し、暗示や象徴性もより濃密になっている事は事実であるが、さらにそこから、次なる未知への探求へと歩を進めなくてはならない。常に、ここから先が難しく、故にまた研鑽のしがいもあるのである。……個展会場の中にいると、自分の現在のありようが非常に鮮明に見えて来て、実に意義のある空間が私の前に具体的に拡がって見え、その先に新たなる「語り得ぬ領域」が、私をして待っているのである。薄氷を踏むような危うさと愉楽。……この個展の空間と、各々の作品の中には、未知なる手がかりが実に沢山詰まっているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『作品集刊行の反響』

求龍堂の企画出版で私の作品集『危うさの角度』が刊行されて半月が過ぎた。本を入手された方々からメールやお手紙、また直接の感想なりを頂き、出版したことの手応えを覚えている。……感想の主たるものは先ず、印刷の仕上がりの強度にして、作品各々のイメ―ジが印刷を通して直に伝わってくる事への驚きの賛である。……私は色校正の段階で五回、ほぼ全体に渡って修正の徹底を要求し、また本番の印刷の時にも、二日間、埼玉の大日本印刷会社まで通って、担当編集者の深谷路子さんと共に立ち会って、刷りの濃度のチェックに神経を使った。私の要求は、職人が持っている経験の極を揺さぶるまでの難題なものであったが、それに響いた職人が、また見事にその難題に応えてくれた。昨今の出版本はインクが速乾性の簡易なもので刷られているが、私の作品集は、刷ってから乾燥までに最短でも三日はかかるという油性の強くて濃いインクで刷られている。私の作品(オブジェを中心とする)の持っているイメ―ジの強度が必然として、そこまでの強い刷りを要求しているのである。……しかし、当然と思われるこのこだわりであるが、驚いた事に、自分の作品集でありながら、最近の傾向なのか、色校正をする作家はほとんどおらず、また印刷所に出向いて、刷りに立ち会う作家など皆無だという。信じがたい話であるが、つまり、出版社と印刷所にお任せという作家がほとんどなのである。……、昔は、作家も徹底して校正をやり、また印刷所にも名人と呼ばれる凄腕の職人がいて、故に相乗して、強度な印刷が仕上がり、後に出版物でも、例えば、写真家の細江英公氏の土方巽を撮した『鎌鼬』や、川田喜久治氏の『地図』(我が国における写真集の最高傑作として評価が高い)のように、後に数百万で評価される本が出来上がるのであるが、今日の作家の薄い感性は、唯の作品の記録程度にしか自分の作品集を考えていないようで、私にはそのこだわりの無さが不可解でならない。だから、今回、その川田喜久治氏から感想のお手紙を頂き、「写真では写せない深奥の幾何学的リアル」という過分な感想を頂いた事は大きな喜びであった。また、美学の谷川渥氏からも賞賛のメールが入り、比較文化論や映像などの分野で優れた評論を執筆している四方田犬彦氏からは、賛の返礼を兼ねて、氏の著書『神聖なる怪物』が送られて来て、私を嬉しく刺激してくれた。また、作品集に掲載している作品を所有されているコレクタ―の方々からも、驚きと喜びを交えたメールやお手紙を頂き、私は、春の数ヵ月間、徹底してこの作品集に関わった事の労が癒されてくるのを、いま覚えている。

 

私のこの徹底した拘(こだわ)りは、しかし今回が初めてではなかった。……以前に、週刊新潮に池田満寿夫さんが連載していたカラ―グラビアの見開き二面の頁があったが、池田さんが急逝されたのを継いで、急きょ、久世光彦さんと『死のある風景』(文・久世光彦/ヴィジュアル・北川健次)という役割で連載のタッグを組んで担当する事になり、その後、二年近く続いたものが一冊の本になる際に、新潮社の当時の出版部長から、印刷の現場にぜひ立ち会ってほしいと依頼された事があった。これぞという出版本の時だけ印刷を依頼している、最も技術力の高い印刷所にその出版部長と行き、早朝から夜半まで立ち会った事の経験があり、それが今回役立ったのである。……久世光彦さんとの場合も、久世さんの耽美な文章に対峙し、食い殺すつもりで、私は自分のヴィジュアルの作品を強度に立たせるべく刷りに拘った。結果、久世さんの美文と、私の作品が共に艶と毒の香る本『死のある風景』が仕上がった。……表現の髄を熟知している名人・久世光彦の美意識は、私のその拘りの徹底を見抜いて、刊行後すぐに、手応えのある嬉しい感想を電話で頂いた。共著とは云え、コラボなどという馴れ合いではなく、殺し合いの殺気こそが伝わる「撃てば響く」の関係なのである。……今はそれも懐かしい思い出であるが、ともかく、それが今回役立ったのである。だから職人の人も、印刷の術と許容範囲の限界を私が知っている事にすぐに気づき、その限界の極とまで云っていい美麗な刷りが出来上がったのである。この本には能う限りでの、私の全てが詰まっている。…………まだご覧になっておられない方は、ぜひ実際に手に取って直にご覧頂きたい作品集である。

 

……さて、6月から3ヶ月間の長きに渡って福島の美術館―CCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催されていた個展『黒の装置―記憶のディスタンス』が今月の9日で終了し、8月末には作品集『危うさの角度』も刊行された。(『危うさの角度』の特装本100部限定版は、9月末~10月初旬に求龍堂より刊行予定)……そして今の私は、10月10日から29日まで、東京日本橋にある高島屋本店の美術画廊Xで開催される個展『吊り下げられた衣裳哲学』の作品制作に、今は没頭の日々を送っている。今回は新作80点以上を展示予定。東京で最も広く、故に新たな展開に挑むには、厳しくも最高にスリリングな空間が、私を待っているのである。今年で連続10回、毎年続いている個展であるが、年々、オブジェが深化を増し、もはや美術の域を越境して、私自身が自在で他に類の無い表現の領域に入ってきている事を、自分の内なる醒めた批評眼を持って分析している。「観者も実は創造に関わっている重要な存在であり、私の作品は、その観者の想像力を揺さぶり、未知とノスタルジアに充ちた世界へと誘う名状し難い装置である」。これは私独自の云わば創造理念であるが、私の作品は、今後ますます不思議な予測のつかない領域に入りつつあるようである。……その意味でも、10月から始まる個展には、乞うご期待という事を自信を持って、ここに記したいと思う。

 

 

 

 

 

 

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「作品集『危うさの角度』、遂に刊行さる。」

私の近作から現在までのオブジェ作品を中心に、版画・コラ―ジュ・写真・詩といった、私の多面的な表現世界を全て網羅した決定版とも云える作品集『危うさの角度』が、先日、芸術書の出版で知られる求龍堂から刊行された。「……求龍堂刊の『ドラクロアの日記』は、長い間、私の座右の書であった」と三島由紀夫は書いているが、実に95年前からこの出版社は、美術・文芸の分野にわたって名著の数々を世に出してきた老舗の出版社である。私の担当編集者は深谷路子さん、デザイナ―は近藤正之さんという、以前に求龍堂から刊行され話題を集めた拙著『美の侵犯』と同じ尖鋭なメンバーで、気心も知れており、私が全幅の信頼を寄せる人達とによる共同制作である。緻密な作品構成、五回以上にわたる徹底した色校正、更には本番の印刷会社での重要な実地立ち会いまでの長い工程であったが集中して仕事が出来、美術書としても例外的に美麗で、本のタイトルそのままに危ういまでにイメ―ジの深部までを立ち上がらせた、強度な、そして美術書の既存の概念すら越えた不思議な本が出来上がった。本が刊行されるや、紀伊國屋書店新宿本店やジュンク堂他の主要な書店で、美術書のコ―ナ―でも目立つ場所で展示販売されており、反響がかなりあるようで嬉しい手応えを覚えている〈編集部から送られて来た書店の画像があるので、その幾つかを最後に掲載〉。……印刷でも、拘りを持って臨めば、かなりクオリティ―の高い出来映えになるという信念で関わって来たが、この作品集を手にした方々は、決まって先ずは、印刷の美しさと精度の高さに驚かれるようである。書店以外でも、東京日本橋にある不忍画廊・富山のぎゃらり―図南をはじめ、私の作品を取り扱って頂いている画廊でも作品集を販売中なので、ぜひ足を運んでみて下さい。また遠方の方は、最寄りの書店、あるいは直接検索されて、出版社の求龍堂に申し込んで頂れば、すぐに入手が可能。定価は(本体3700円+税)。限定出版なので、早めの申し込みをお薦めします。……なお、9月末には特装本『危うさの角度』(作品二点入り・限定100部)も販売予定。定価他の詳しいことのお問い合わせは、求龍堂までお願いします。

 

 

危うさの角度

 

丸善丸の内本店

三省堂書店神保町本店

紀伊国屋書店新宿本店

八重洲ブックセンター本店

ジュンク堂書店池袋本店

 

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『回想・浜田知明さん』

……先月の16日、午後から私の作品集の色校正に向かう前に少し時間があったので、引き出しを開けてオブジェの断片に使うコンパスを探していた。その引き出しは工具以外は入っていない筈なのに、何故か1枚の葉書がそこに紛れこんでいた。……妙だなと思って手に取ると、それは以前に版画家の浜田知明さんから頂いた年賀状であった。自筆の青いインクで「これからも良い作品を作り続けていって下さい。浜田知明」と書かれた、私への励ましの文が記されていた。……一瞬ヒヤリとする予感が背筋を走った。以前に、佐谷和彦さん(画廊の立場から日本の現代の美術界を強力に牽引された)が亡くなられる数日前に、夢の中で、背中に眩しい光を放ちながら、私に満面の笑みを送ってくる佐谷さんの夢をみた、その2日後に佐谷さんは急死されたのであるが、それに似た感覚がその時に卒然と立ったのであった。……果たしてその翌日の17日に浜田さんは逝去された。享年100才。その報は、いま私の個展を開催中のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―館長の神山俊一さんから頂いた。

 

私が独学で銅版画を始めたのは19才の時であった。当時は版画が活況で、『季刊版画』という密度の濃い季刊誌を読みながら、その中に登場する、駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫……といった人達の記事を読みながら、自分も版画史の中に入っていくような作品を作りたいという熱い想いに没頭するような日々を送っていた。その後、幸運にも駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫といった先達に評価されて、版画家としてスタ―トしたのであるが、若年の私には、いま一人の意識する先達がいた。それが浜田知明さんである。浜田さんと同じ壁面に作品が飾られるという体験をしたのは、私が30才の時、東京都美術館が企画した『日本銅版画史展』であった。そして、実際に浜田知明さんに出会えたのは翌年に開催された『東京セントラル美術館版画大賞展』の受賞式の時であった。この展覧会で私は大賞を受賞したのであるが、その選考委員の一人に浜田さんがおられたのであった。式の時に、やはり選考委員であった池田満寿夫さん達と話をしていると、会場の奥から浜田さんが、私を鋭くじっと見ながら近づいて来られた。版画の分野を越えて、戦後の日本美術史にその名を刻む人を前に、まだ若僧の私はいささか緊張した。しかし、浜田さんは開口一番、笑みを浮かべて「あなたの今回の受賞作『アンデスマ氏の午後』を大分の美術館に入れたいのですが、まだ在庫はありますか?」と云われたのであった。その作品は、この展覧会の直前に番町画廊で開催した個展で完売してしまっていたのであるが、私は自分用に取ってあるAP版ならありますと答えたのであった。……それから浜田さんはご自分で開発された秘伝の技法というべき貴重な隠しテクニックをその時に詳しく教えてくれたのであった。……私にとって必要な、しかし前に進むには未だ知らない技術を、浜田さんは拙作を観て鋭く感じとられていたのである。……しかし、その後、浜田さんは熊本に住まわれていてなかなかお会い出来ず、年賀状のやり取りが続いたのであるが、後に版画集の個展を熊本の画廊で開催した時に、浜田さんは二日続けて画廊に来られ、長い時間、じっくりと私は浜田さんとお話しをする幸運な機会を持てたのは、今思い返しても貴重な体験であり、表現者としての財産となっている。「私はあなたの作品が大好きなんですよ」と何度も云われた浜田さんに、私の作品のどういった面が好きなのですか!?」という大事な、当然聞いておくべき事を聞いておかなかったのは不覚であるが、それが何であるかは、実は私は想像がついている。後日、私が熊本の個展を開催した画廊の人が運転する車で空港へと向かって行く時に、浜田さんと偶然、道で再会したのであるが、その時に私に向かって強く手を振っておられた光景は、何故か駒井哲郎さんのありし日の姿と重なって今もありありと眼に浮かぶ。駒井哲郎、浜田知明。このお二人は精神が無垢なままに通じ合う、戦後のある時代を共有するパイオニアであった。……そして版画の黎明期を支えるべく、真摯に版画と向かい合った先駆者であった。私は彼らから銅版画のみに潜むエッセンスを吸収したが、それは通史としての版画史の核に通じるものでもある。……浜田知明。この澄んだ魂と、反骨にして深く人間の不条理を凝視し続けた人の事は、私は年賀状に青いインクで書かれた励ましの言葉と共に決して忘れないであろう。

 

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『ニッポン・キトク』 

数年前の、このメッセージ欄で、「人類は間違いなく水で滅びる」と断言したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引いて、温暖化現象による水の被害は年々加速的に甚大となり、もはや打つ手が無く、 唯々受け身でこの崩壊現象に流されていくしかないであろうと書いたが、この度の西日本ほぼ全域にわたる、かつて無い被害の大きさを見ると、どうやら予見は当たっていたように思われる。加速的に、つまり、釣瓶落とし的な速さで私達の現実に危機的な状況が迫っているのである。……ダ・ヴィンチは、最初は「人類は火で滅びる」と予見したが、途中で火を水へと、その考えを書き変えている。彼の明晰な頭脳の中で、火がなぜ水に変わったのか、その根拠は書いてないが、その沈黙が却って不気味である。ともあれ、背後の裏山を背負って生きている人は、年々増している降水量の増加が間違いなく山崩れへと繋がっていくわけだから、本気で何らかの決断をしなくてはならない時期に否応なく来ていると思われた方が良いであろう……自分だけは大丈夫。……今まで何も起きなかった。……ご先祖様が守ってくれているから……は、命取りになってしまうのである。

 

……ところで、もはや好き嫌いではなく、エアコンがなくては夏を乗り切れない時代になってしまったが、そもそも最初にエアコンを考えた、人類にとって感謝すべき人は、はたして誰だろうか!?……私の素朴な問いに、「それは1758年にベンジャミン・フランクリンと、ケンブリッジ大学で化学の教授をしていたジョン・ハドリ―が蒸発の原理を使って物体を急速冷却する実験をしたのが、すなわちエアコンの始まりである」と、ケペル先生のように忽ち導いてくれた物知りな友人の言に沿って調べて行くと、彼らの後にウィルス・キャリア(1876~1950)という人物が現れ、1902年に噴霧式空調装置(すなわちエアコン)を作った事、そしてその後の1930年にフロンガスの開発……を経て今日に至っているという経緯をはじめて知った。もし今、エアコンがなかったら……と考えるとゾッとする。間違いなく毎日、とてつもない数の死者が出て、世界は断末魔的な末期を呈していたであろう事は間違いない。……しかし、現在のこのエアコンの機能。間違いなく来るであろう更なる高温の時に備えて、今よりももっと冷却の温度設定を低くする改良が確実に要求されて来るであろう事は想像に難くない。

 

以前に週刊新潮の連載『死のある風景』で一緒に組んでいた久世光彦さんの著書に『ニホンゴキトク』という本がある。美しい響き、奥深い翳りの韻と色気のある日本語が次々と死語となって消えていく事への久世さんなりの警鐘であったが、私はそれを越えて、もはや昨今の日本が面し呈している様を見て「ニッポン・キトク」と言いたい衝動に駆られている。……あまりに殺伐とした感がますます日本全体を不気味に覆っているが、……その最たるものが、先日逮捕された大口病院の看護師・久保木愛弓が起こした事件であろう。……現在で20人くらいの殺害を自供しているが、まだ20人くらいの不審な急死をとげた患者がこの病院にはいるので、調べが進んでいくと、ひょっとすると合わせて40人くらいが殺害されたという前代未聞の数に達する可能性も多分にある。……この大口病院、アトリエからかなり近い所にその病院(事件の現場)があり、私も以前に何回か診てもらった事がある。その時、或いは後に犯人となるこの看護師が傍にいたかもしれないと想うだけで、もはや真夏の怪談よりも背筋の寒いものがある。……話はかわって、アトリエのある妙蓮寺駅前に面して「妙蓮寺」という名の古刹があり、毎日のように葬儀があり、「メメント・モリ(死を想え)」を私に思わせる場となっている。……昨日は、近くに住んでいた歌丸師匠の葬儀が行われていた。参列者2500人くらいの人が、晩年になるにつれて更に深まっていった、この名人の芸と人柄を惜しんで見送っていた。……私は中学時代、何故か落語が好きで、学校から帰るとテレビの前に座り、5代目志ん生、8代目文楽、6代目圓生……といった、今では伝説的な名人の芸を、それとは知らず、ごく普通の気楽な気持ちで味わっていた。……しかし、何故か正座をして聴いていたのは自分でも妙ではある。その後で、ベルクソンの『笑い』という著書を読み、「笑い」なるものの、複雑な感覚の生理を知る事になった。笑い、その本質を深めていくと間違いなく狂気の域に近づく、それは恐ろしい領域なのだと思う。…………さて、次回は一転して、〈大久保利通〉という計り知れない野心家・鉄人の暗い内面にわけいった、題して『紀尾井坂の変』を書く予定。……次もまた乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

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『個展、始まる』 

15日の午前9時、私は、福島の須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で、明日から9月9日まで開催される私の個展『黒の装置―記憶のディスタンス』の展示作業の最終チェックに立ち会うために新幹線に乗った。新幹線、……どうしても、先日発生した無惨な事件の事がリアルに頭に浮かんでくる。思うのだが、最近、新幹線の安全神話が雪崩のように崩れて来ている感がある。……台車の亀裂、車内での焼身自殺にまきこまれた婦人の焼死、そして今回の悲惨な事件。椅子が取り外せて万が一の際に防御の働きが出来るようになっていますとJRの職員は、ごく当然のようにTVで話していたが、そんな事、知っている一般人など一人もいない!!。また防御一方で、犯人に対して攻撃が出来ない場合、いつか殺られる。……巻き添えにならない為には、我々も何らかの武器を携帯しなければ、明日は我が身の、何とも危機迫る時代となったものである。……今まで何度かこのメッセージ欄で書いた事があるが、昔、ロ―マのコロッセオの近くでフェンス越しに、フォロロマ―ノ(ロ―マ帝国時代の遺跡)の発掘光景を見ていた事があった。ふと風が吹いて来たので振り返ると、いつしか、横並びで私にじわじわと迫ってくる40人ばかりのジプシ―の集団がいた。背後はフェンスの高い金網で、もはや私に逃げ場は無い。……おぉ、そうだ!……「被害者にならない為には、そう、こちらが加害者になるしかない!!」……戦闘モ―ドに切り換えた私は、不気味な昂りを覚えつつ、敵の集団の中にこちらから突っ込んで行った。……ふだん襲ってばかりいる連中は、逆に、襲われている事に馴れていない。……突っ込んでいったその先は、まるで千手観音の中での砂煙舞う乱闘であるが、これが実に面白く、そして、敵が怯んだ一瞬の隙をみて、私は乱闘の砂煙舞う中を抜け出て、人々のいる場へと走りさって難から逃れ出た事がある。しかし、今回のように犯人が鉈や庖丁を持っている場合はそうとうに難しい。……この場合は、こちらに運よく傘を持っている場合は、相手の凶器を持った手や腕でなく、ひたすら相手の「眼」を刺すように攻めて、相手に恐怖を与えるしか策はない。より狂った方が勝ちなのは喧嘩の定理であるが、まぁ、たいていは手ぶらであり、ひたすら性善説を信じるしか策はない。……この問題は、また近々に考えて、このメッセージ欄で書くとしよう。

 

さて、話を展覧会の事に戻すとしよう。……美術館に着くと館長の神山俊一さんが出て来られて、さっそく会場の中に入った。   ヤマトの美術品担当の方々がまさに展示作業の真っ最中である。……緻密で行き届いた展示内容。本展では銅版画の原版も多数展示してあり、観に来られた方々は、創造の舞台裏も見れるので、間違いなく興味を持たれるに違いない。……また主要な版画と共に近作のオブジェも展示してあり、ひたすら圧巻の感がある。……このメッセージ欄で、展示作業中の光景であるが、幾つかの画像をアップするので、ご覧頂けると有り難い。……展覧会初日は私の講演があり、レセプションがあり、……そして翌日は、郡山から東京駅に着いたその足で紀尾井町の文藝春秋ビルに行き、求龍堂から近々に刊行される、オブジェを主とした作品集の構成チェックの為に、休日の休み返上で打ち合わせが待っている。併せて、10月から高島屋で開催される個展の為の制作が、そろそろ加速しつつある。……暫くは、この三つを併せた内容のメッセージを書いていくように思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展 — 美術画廊Xにて』

28日から日本橋高島屋での個展が始まり、連日たくさんの方々が会場に見に来られている。あの暑い夏の日々をはさんだ4ヶ月間の制作の日々。今、想い起こせば夢の中にいたような気分である。現実を離れて「虚構」と「美」を紡いでいたそれらの日々、私は自分の幼年期の遠い時間の中に存在していた、実在した森の中に分け入って作品を作り出してきたように思われる。今回の個展では通常の4倍以上のオブジェを制作し、来場された方々から「美術館レベルの内容」あるいは「圧巻」といった評を頂き、今ようやく、作り終えた事の手応えを覚えている。

 

アトリエの中に先日まで在った数々のオブジェやコラージュ作品は全て個展会場へと移り、室内の空気がようやく軽くなった。……ふと思うのだが、私が長年作り出して来た版画・諸作(その数七千点以上)、そして三百点以上のオブジェ、また八百点以上のコラージュはもはや全てアトリエには無く、コレクターの人達のコレクションに入ってしまっている。手元に作品が全く残っていないという事は、作り出して来た作品への最大の批評であり、その意味でも私は作り手として、充分に幸福な表現者であるといえるであろう。確かな眼を持っているコレクターの人達に支えられながら、今、私の新たな個展は始まったばかりである。

 

 

 

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『晴子・浅草・マジョーレ湖』

ミュゼ浜口陽三で今月20日まで開催中の『絶対のメチエ ― 名作の条件』展は、連日たくさんの来場者で賑わっている。先日、私が行った時には美術大学の学生が目立った。おそらく版画家を目指しているのであろうが、皆が熱心に見入っている。普段は名作と称されるような作品に接していないのか、眼と精神の飢えが彼らを沈黙させている。パソコンの画像ではなく、実際に本物の前に立って直視する事。豊かなる体験とは、そういうことである。地方の美術館での巡回展を望む声もあるが、20日で本展は終了する。未だご覧になっていない方には、ぜひのご高覧をお勧めしたい充実した展覧会である。

 

先日の小保方晴子嬢30歳の会見は、サムラコウチよりは面白かったが、底意が見え見えの浅いものであった。純粋客観をもって諒とする科学者と比べ、主観・思い込みの激しさを常とするこの女性。適性を欠いたこの人物をリーダーに配した理研。そのどちらも茶番の極みであるが、そこに巨額の税金が投じられている事の実態は、そのままこの日本の構図の断片であろう。

 

先の会見、その感想を三島由紀夫の戯曲風に書けば、以下のようなものになるであろうか。「あぁ、晴子お嬢様。貴女のその眼にかかれば、この世で見えないものなど何もないのですね。その水晶体の硬い煌めきの奥には、バビロンの空中庭園も、アレクサンドリアの大灯台も、それから・・・・始皇帝が夢見た不老不死の火の鳥の、高みを翔ぶ銀の羽撃きさえも、何もかもが、ありありと立ち上がるのですわ。今、そこに無い物が、あぁ、晴子お嬢様、貴女にだけはそれが見える!!・・・・それは観念や幻視のうつろいを越えた、もはや一篇の詩だわ!!そこに孤独や罵倒があるとしたら、それこそが恩寵の賜物・・・・、そう、それこそが絶対の恩寵なのですわ。」

 

昨日、私は江戸期に生きた二人の天才の墓が見たくなり、浅草へと向った。二人の名は、平賀源内と葛飾北斎。北斎の墓があるのは誓教寺、しかし源内の墓は橋場という所に在るが、寺は移って墓のみが史跡としてある。源内のように多才にして風狂たらん事を欲し、また北斎のように突出した存在となる事を私は自らに課して来た。しかし未だ未だ道半ばである。北斎の墓の側面に彫られた辞世の句「人魂で  ゆく気散じや 夏の原」の文字が実に美しい。帰りに浅草六区に立ち寄り、かつてその地に聳え立っていた凌雲閣(浅草12階)を想像のうちに透かし見た。悪魔が人間たちに異界の幻妙さを見せるために建てたといわれるこの高楼。実際に建てたのはイギリス人の建築家WK・バートン。この人物は後に日本全国の水道局の建物を作り続けたのであるが、それらの建築がことごとく美しく、又、幻想的である。誰もこの人物に着目していないのであるが、私は時間を作って、この幻視の建築家の生涯を調べてみたいと思っている。

 

さて、先に私はバビロンの空中庭園について触れたが、それを現実に模して建てた場所が、イタリアとスイスの国境近い、マジョーレ湖の水上の島に存在する。1630年頃に貴族のボロメオ家の当主カルロ三世が奥方のために造営した別荘があり、三つの島(イゾラ・マードレ・イゾラ・ペスカトーリ・イゾラ・ベッラ)から成る。庭園は五階層のテラスで豊富な植物が茂り、雉や白孔雀が遊歩している。島の一番高いテラスには大小の彫刻群がそそり立つ円形劇場やグロッタの洞窟が在る。私の今回のイタリアでの最初の撮影は、このマジョーレ湖から始まる。20年前の夏に私は一度この地を訪れているが、また再び来ようとは!!この場所に関する記述はジャン・コクトーの『大膀びらき』や、澁澤龍彦の『ヨーロッパの乳房』所収の「マジョーレ湖の姉妹」にその詳しい言及がある。ご興味のある方はご一読をお勧めします。

 

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『加納光於展・開催さる』

先日の14日、鎌倉近代美術館で開催中の加納光於展のオープニングに出掛けた。加納さん、名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、美術家の中西夏之さん、深夜叢書の齋藤愼爾さん、美学の谷川渥さん、そして詩人の阿部日奈子さん他、久しぶりにお会いする方々が数多く訪れていた。

 

中でも中西夏之さんとお会いするのは澁澤龍彦氏の何周期目かの法事の時以来であるから、何年ぶりであろうか。その時は、北鎌倉は雨であった。皆がそぞろに寺へと向かう中、私と中西さんは相合い傘でその列を歩いていた。途中、話が中西さんの銅版画の近作に及び、私はこの20才年上の天才に苦言を申し上げた。「・・・あの作品に使ったアクアチント(松脂の粒)の粒子をもっと細かくして、薄い硝酸液で時間をかけてゆっくりと腐食して,インクにもう少し青系を加えれば、側面から濡れた叙情性が入り、主題と絡まって、版画史に残る名作になる筈でしたが、何故乾いた作品にしてしまったのでしょうか!?」という問いである。すると中西さんは「・・・その事は刷った後で気付きました」と語った。あぁ、中西さんもやはり気付いていたのか。・・・そう思いながら、私たちは次の話題に移っていった。

 

・・・ふと見ると、前を歩いていた人達が見えない。中西さんは論客である。私もよくしゃべる。話にお互いがのめり込んでいて、私たちは迷ってしまい、東慶寺が見えたので、その門に入り、奥へと入って行った。・・・いつしか雨が止んで、蝉しぐれがかまびすしい。しかし、・・・人影はまるで無い。中西さんが静かに一言、「私たちはどうやら、行くべき寺を間違えてしまったようですね。」・・・私たちは来た道を戻り、あてもなく歩いていると浄智寺の門が見えた。おぉ、そうだった!!・・・澁澤さんの墓はここに在るのであった。既に法事が始まっていて、皆、厳粛な顔をしている。遅れた私たちにコラージュ作家の野中ユリさんが、「遅いわねぇ、何処に行っていたのよ!!」と、真顔で叱られてしまった。話は戻るが、個人的な意見を更に述べさせて頂ければ、私はもっと中西さんに、独自の版画思考(手袋の表裏を返したような反転の思考)で、もっと版画(特に銅板画)を作って欲しかったと、つねづね思っている。この国の版画家たちにあきらかに欠けているのは、知性、ポエジー、エスプリ、独自性、・・・つまり表現に必要なその一切の欠如であるが、先を行く先達として、荒川修作、加納光於、若林奮・・・といった各々の独自性の中に、中西さんの版画の独自性が特異な位置としてあれば、よほど興があり、又、中西さんの表現世界も、より厚みが増したであろう。

 

まだ美大の学生の時に、当時の館長であった土方定一氏に呼ばれてこの鎌倉近代美術館を訪れたのが初めてであったが、その頃のこの美術館は、土方さんの力もあって、海外の秀れた作品が見れる企画が続いて活況を呈していたものであるが、今は老朽化が激しい。驚いた事に、鎌倉に長く住んでおられる加納さんの個展は初めてとの由。十年前に見た愛知県立美術館での加納さんの個展は充実していたが、今回は展示に今一つの工夫とセンスの冴えが欲しかった。展示はそれ自体がひとつの加納光於論であり、解釈であらねばならない。特に加納さんのオブジェは私とは異なり、素材へのフェティッシュなまでの想いの強さは無く、無機的。一緒に作品を見ていて美学の谷川渥さんとも話したのであるが、加納さんの作品には、そこに実質としての主体が無く、ありていに言えば、『アララットの船あるいは空の蜜』に代表されるように、それは観念の具であり、何ものかが投影された、それは影でしかない。その影としてのありように、加納さん独自の知性とポエジーの冴えがあり、作品は云はば主語捜しの謎掛けである。しかし、展示の仕方が、あまりにも無機的な、博物館のようで今一つの工夫が見られなかったために、無機的なものが相乗して、「見る事とは何か!?」というアニマが立っておらず、又、「間」を入れたスリリングな興が立たず、それに会場は寸切れのように狭く、ともかくも残念に思った次第である。美術館は葉山の方に一本化されて移るらしいが、色彩にこだわっておられる加納さんの展示は、むしろ明るい葉山でこそ開催されるべきではなかっただろうか!!

 

加納さんと私の資質の違いを示す話を書こう。・・・・・・以前に横須賀線の電車で、加納さんと私は同じ横浜方面へと向かう為に席に座って話をしていた。すると突然、加納さんは私に「あなたは、作品に秘めた本当の想いが他者に知られては、たまるかという想いはありませんか・・・?」と問うてきた。私は閃きのままに、次なる構想が立ち上がると、それをガンガンと人にも伝える。果たして、後にそれを本当に作るかどうかは不明であるが、とにかく言葉が、未だ見えないイメージを代弁するかのように突き上げて出るのである。その私を以前から見ていて、加納さんは遂に問われたのであろう。そして私は返答した。「全開にして語っても、なお残る謎が私の作品にはあります。それが私の作品の真の主題です」と。加納さんは寡黙の人。私は◯◯である。

 

この御二人の先達に、私は各々の時期において少なからぬ影響を受けて来たものである。そして御二人の作品も私はコレクションしている。中西さんのオリジナル作品『顔を吊す双曲線』を私が所有している事を中西さんに告げると、とても嬉しそうな表情を浮かべられ、私もまた嬉しかった。この作品は今もなお、私に対して挑戦的であり、私がこの作品の前に立つ時は、手に刀を持っているような感覚を今も覚えてしまうのである。・・・・とまれ、加納光於展は始まったばかり。源平池を眺めながら、古都鎌倉の秋にしばし浸るには、ちょうど良い時期ではないだろうか。

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『プラトリーノの遠い夏』

曇っているが蒸し暑い。じめじめした不快な夏が続いている。こういう時は、カラッと晴れた事を書こう。イタリアの七月の遠い日の事を書こう。

 

澁澤龍彦の『滞欧日記』(河出書房)を開くと、1981年7月15日の日付のある日には次のような一文がある。「・・・プラトリーノ荘の場所を万知子に聞いてもらったら、直ぐわかったので、さっそく車で行く。ボローニャ方面へ行く道で、山道にさしかかる。いい所だ。道にPratolinoの標識あり。道の右側に大きな門。運転手が番人を呼んで説明するが駄目らしい。チップを渡そうとしたが受け取らない。どうにも仕方がない。門だけ開けてくれて、ここから500メートルほど行ったところに巨像があるという。塀のくずれたところから広大な庭を覗き込むが、巨像らしきものは見えない。おそらく鬱蒼たる杉の林の中に隠れているのであろう。坂斉君の望遠レンズでのぞいてみたが、やはり見えない。・・・・・」

 

ここで澁澤が書いているプラトリーノ荘とは、フィレンツェの北方12キロほどにある旧メディチ家の別荘の一つ(20近くあった内の)である。そこに在る巨像とは「アベニンの巨人像」の事であり、イタリア半島の脊梁ともいうべきアベニン山脈を巨人に見立てたもの。ちなみにかのミケランジェロのイメージの中に巨人幻想のイメージがあるが、それはこの像を彼が見た事に拠るという。おそらく澁澤が訪れた日は閉園日であったのであろう。

 

私がそこを訪れたのは、澁澤の時から丁度10年後の奇しくも同じ7月15日の午後であった。広大な庭の中にメディチ家の壮麗な館が在り、杉林の中を行くと、やがて、とてつもなく大きな巨人像が見えて来た。しかし途中から立入り禁止の不粋な柵があり、2、30人ほどの観光客がうらめしげに巨人像を遠望している。見ると、巡察のパトカーが近くにあり、銃を持った二人の警官がまさに乗り込むところであった。ものものしい雰囲気の中、パトカーがゆっくりと動き始めた。人々がそれを目で追っている。私は柵の所から人々と同じように巨人像を眺めていたが、頭にふと閃くものがあった。(・・・今、パトカーが去って行ったという事は、・・・おそらくは30分間くらいはこの広大な敷地の中を巡るのであろう。・・・と、すれば、今こそはまさに好機ではあるまいか!!)

 

私は意を決して柵を乗り越え、その巨人像を目指して歩き始めた。背後に人々の驚きの声が聞こえるが、もはやそれは私の意の外である。真下に来て像を仰ぎ見ると、思った以上の大きさ、身震いする程の威圧感が私に降り注いでくる。500年以上前に作られたこの強度なイマジネーション。像の台座となっている巨岩の背後に廻ると、そこに小さな洞があった。察するに、かつてその暗がりの中に小舟を浮かべたルネサンスの貴婦人たちが恋人たちと共にそこから眼前の大きな池へと、優雅に滑り出して行ったのであろう。私はその暗い洞へと入った。するとひんやりとした冷気が私を包み、私は彼らと同化するようにして、ルネサンスの時の中へと遊ぶ想いがしたのであった。そこには不思議な気をもった風が吹いていた。

 

館の中を巡り、私は杉の林立する庭を歩いた。すると草むらの中に一枚のカードが落ちているのが目に入った。拾い上げると、真っ赤な色でAの文字が刷られている。その瞬間、まさに一瞬で作品のインスピレーションが立ち上がった。そして私は、その作品(オブジェ)に、その時から400年以上も前にこの場所を初めて訪れた日本人ー 天正遺欧使節と呼ばれた四人の少年たちのイメージを注ぎ入れようと思った。少年たちの名は、伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノ。そう、後に悲劇が彼らに待ち受けている事も知らずに、かつてこの地の全ての光景に目を輝かせた無垢な魂にフォルムを与えようと思った。そして、そこに今一人の少年である私を加え、その時間の時の長さの中にポエジーを入れようと、その場でたちまち閃いたのであった。タイトルは『プラトリーノの計測される幼年』にしよう。そしてイメージの立ち上げの初めに先ずは、このAの文字の記されたカードを、そのオブジェに入れようと思った。その夏の日から半年後に私は帰国して、その時の閃きのままにオブジェを作った。その作品は、今は福井県立美術館の収蔵となっている。

 

暑い夏が訪れる度に、私はそのプラトリーノの夏を思い出す。そして、まるで導きの恩寵のように、何故か場違いな場所に落ちていたAの文字の記されたカードの不思議について、私は遠い感慨に耽るのである。

 

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