茅場町

『コレクションも創造行為である』

画廊香月での三週間にわたる個展が先日、盛況のうちに終了した。作品をコレクションされた方の六割が画廊香月の知巳の方や、ふらりと画廊を訪れた方であった。つまり、私の未知の方が即断で作品をコレクションされたという事は、コレクターの層が大きく拡がったという事であり、表現者である私にとっての大きな自信となっていくものである。私とコレクターの方との関係は、作品のイメージを中心に置いた右と左の対の創造者同士であると思っている。人生は一度限りである。私は生ある限り、この関係を今後も大切にしていきたい。

 

アトリエでの静かな時間がようやく戻って来た。庭に出ると、葉群らの間から蜥蜴が銀の光を反射して、とても美しい。一年中で最ものどかな春の一刻である。フェルメール論の執筆の際に作った〈カメラ・オブスキュラ〉を久しぶりに取り出して来て窓外を見る。不穏な地震の気配は足下でなおも不気味に動いているが、迫り来るかもしれないカタストロフィーの予感を抱きつつも、レンズ越しに見る光景は、午前の静まりを映して事も無しである。

 

 

思潮社から荷物が届いた。開けてみると、野村喜和夫氏との詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』が現れた。遂に本が出来上がったのである。装幀家・伊勢功治氏の高い美意識と、思潮社の藤井一乃氏の詩集における可能性の追求が徹底されていて実に美しい造本となっている。刊行を記念した展覧会が5月13日から一週間、茅場町の森岡書店で開催される。17日の6時からは野村氏と私との対談が予定されている。定員は50名で参加費は2000円。聴講をご希望される方は予約制なので、森岡書店或は、このオフィシャルサイトに早めに御申し込み頂ければ嬉しい。野村喜和夫氏は文学の角度から、そして私はヴィジュアルの角度から各々が天才詩人アルチュール・ランボーの表現世界と関わってきたわけであるが、今その二つが一つに結びついて「詩画集」という本のオブジェに結実した。その経緯を二人が語り、その後で野村氏の自作の詩の朗読もある。定員に達し次第〆切のため、ぜひお早めにお申し込みください。

 

詩画集の表紙の帯に記された文「詩のことばが写真とオブジェにからまりながら、どこまでも都市を彷徨い続ける。ランボーに魅せられ、ダンテに導かれた二人の作家による、現代版〈地獄くだり〉。」が示すように詩人の野村喜和夫氏とは、〈ランボー〉を通じて不思議な感性の共振がある。その共振と異和が揺れながら結晶となった、極めて美麗で、危うい毒が詰まった本である。

 

お申し込み:森岡書店

Tel: 03-3249-3456(13:00〜20:oo)/E-mail: info@moriokashoten.com

 

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『仮面劇場』

昭和の終わりと共に消えていくかと思われた職業の一つに「チンドン屋」というのがある。しかし、それが若い世代から支持を得て、地道ながらも息を継ないでいるという。つまり、“不思議と消えない職業”なのである。

 

29日(土)まで個展を開催中の森岡書店は、茅場町・霊岸橋川岸に立つ古いビルの3階にある。昼は気持ちのいい光が差し込み、窓を開けると眼下に幅広の川が流れていて、ちょっとアムステルダムのような趣きがある。昨日の昼下がり。来場者が多く会場が賑わっていた時、そのチンドン屋の音が風に乗って聞こえて来た。窓外を見ると、霊岸橋の上を流して行く四人のチンドン屋が見えた。そして、やがて見えなくなり、来廊者も引いて展示空間が再び静かになった。「あの音は、迷惑ですよね。」とオーナーの森岡さんが話す。展示してある作品はヴェネツィアの写真、それと聞こえて来たコテコテの和の音とは、確かにミスマッチであるだろう。

 

展示作品の中の一点に、ヴェネツィアのカーニバルの仮面を被った人物が映っている写真がある。何気なくそれを見ていた時、ひとつの疑念がふと立ち上がった。−−−街中に貼ってある殺人犯の指名手配写真。何年経っても容易に捕まらない逃亡犯。それと先程のチンドン屋が重なったのである。白塗りの誇張した化粧、それは素顔を隠した仮面である。その姿でコンビニに立ち寄っても、或は電車に乗って移動しても−−−それは日常の一コマの情景にしか映らない。もし先程見た橋上の連中の中に、「その人物」がひょっとして紛れ込んでいたとしたら、さあ、どうだろう−−−。そんなことを考えていると、再び、あの音が聞こえて来た。チンチンチンとはしゃいだような鐘の音、哀愁を帯びたクラリネットの悲しい響き−−−。それが風に乗って、遠くから、そして時に近くから切れ切れに聞こえて来て、やがて−−−消えていった。

 

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『目前に迫った三つの個展』

新年あけましておめでとうございます。今年もメッセージのご愛読を宜しくお願いします。

 

さて、2011年の幕明けは寒波で始まった。鳥取までも含めた日本海側は久しぶりの大雪である。私が生まれた福井もかなりの積雪であるらしい。しかし、昔はもっと凄かったと記憶している。田んぼの真ん中にある小学校を目指して集団登校の私たちは進むのであるが、上からではなく、横なぐりに降る雪の激しさで、視界はかすんで全て灰色。目の前にいる数人以外は何も見えない。ただ勘だけを頼りに、小学校が在ると思われる方向を目指して進むのである。この状況を詩的に言えば、フェリーニの映画「アマルコルド(私は憶えている)」の世界。リアルに言えば、映画「八甲田山−死の彷徨」のようなものである。自分で言うのもなんであるが、粘り強い性格は、この体験で養われたように思われる。しかし情緒もくそもない凄まじい吹雪の中で、小学生の私は早くもこう思ったものである。「一刻も早くこの土地を出よう−−−」と。

 

今月の17日から茅場町の森岡書店で個展〈千年劇場−−−ヴェネツィアの「逃げる水」を求めて〉が始まり、2月7日からは、恵比寿にある二つのギャラリー(同じビル内に隣接している)で、二つの個展「十面体−−メデューサの透ける皮膚のために」と「リラダンの消えた鳥籠」の開催が予定されているので、今その制作に追われている。これらの個展を企画された三人のオーナーの方々は、センスの高さに加え、強度に洗練された美意識を持っているので、そのハードルの高さが、私を追い込んでいくのであるが、これは表現者として理想的な形だと思う。各々の個展の詳細は追って又、お知らせします。

 

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『ジャコメッティを書くという事』

美術雑誌「ギャラリー」に連載している『イマージュの交感ー蕪村VS西洋美術』も21回目に入った。9月1日発売号には、ジャコメッティと彼のオブジェ《超現実主義のテーブル》につして書いている。実は今回の分は、個展のための制作に追われて執筆は無理だと思ったが、主題が〈狂人〉という事もあり、急に書く意欲が湧いてきて一気に書き上げた。サルトルの実存主義と重ねてジャコメッティは語られるが、内実はいかに離れた所に在ったかという事、またジャン・ジュネこそ、その良き理解者であった事などを書いた。

 

先日、「ギャラリー」編集部の深井さんが、私の特集のために取材をするというので、茅場町の森岡書店をお借りしてインタビューに応じた。深井さんの聞き方が上手く、珍しく本音を語り、そのゲラが送られて来たが、とてもよくまとまった内容になっている。さて、いよいよ9月1日から始まる個展『目隠しされたロレンツォ・ロットが語る12の作り話』が近づいて来て、本日その案内状が届いた。A4サイズ四面オールカラーの実に良い印刷になっており、今回の出品作の断片や私の詩が入っていて,スリリングな仕上がりである。デザインは求龍堂、印刷は光村であるが、案内状としては昨今に無い、気合いの入った出来に満足する。後は神経を削って作品の仕上げを私が行うだけである。コラージュ、オブジェ、そして写真プリント・・・・と切り換えるわけだが、今回も多分、個展が始まったら、救急病院に担ぎ込まれるように思う。限りある命である。数年前に久世光彦氏から電話があり、「美術と文章の両方をとことんきわめていくように」というアドバイスがあった。今はそこに「写真」が加わった。久世さんからの遺言として、今は受け止めている。

 

 

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