月別アーカイブ: 2月 2012

『寺田寅彦 Part②』

夏目漱石が重度の「うつ」であった事は知られているが、弟子で物理学者の寺田寅彦氏も軽い「うつ」であった。その寺田氏は『春六題』という随筆の中で「桜が咲く時分になると此の血液が身体の外郭と末梢の方へ出払ってしまって、急に頭の中が萎縮してしまうような気がする。・・・・そうして何となく空虚と倦怠を感じると同時に妙な精神の不安が頭をもたげて来る。」と記し、「・・・此のような変化がどうして起こるのかは分からないが、一番重要な原因は、やはり血液の循環の模様が変わった為に脳の物質にどうにか反応する点にあると、素人考えに考えている。」と記している。~ 1921年の事である。

 

 

先日のNHKのTVで『ここまでわかった、うつ病の最新治療』というテーマの番組を見た。もはや日本人で100万人以上の患者がおり、私の知人であった大学教授や画廊主も、うつが原因で自殺をとげている。ために身近な問題事として見入った。番組はアメリカの先端医療で、実に七割ものうつの患者が普通の生活を取り戻している事例を紹介し、その治療法として抗うつ剤ではなくTMSと呼ばれる装置で磁気刺激を前頭部に与える方法を映し出していた。そして、うつが心の病ではなく脳の病であり、その原因が「前頭葉の血液量が少なくなる事にある」と語っていた。原因が血行不良にある事が判明したのは、ベトナム戦争後の1980年頃からの患者の急な増加からであったという。しかし、それより60年も早く、我が寺田寅彦氏は素人考えといいながら、早くもうつの原因を予見していたのであった。この直観力!!

 

『うつ病』を定義すれば、「前頭葉の血流不足により、不安や恐怖の感情を司る〈扁桃体〉が刺激され、その機能が暴走する事」であるという。アメリカの最新医療はここまで突き止めており、前述したTMS装置を多くの病院が取り入れて多くの患者が立ち直って日常生活を取り戻している。しかし、我が国の現状は、効き目が50%以下しかない抗うつ剤を使い、ために改善は見られず患者は日々増加し続けている。アメリカのTMS装置が画期的に効果があると判明しながら、日本は臨床実験からと称していっこうに取り入れる気配がない。理由は、利権か、それともビジネス故か・・・・。ともあれ、ゆるみ歪んだ日本という国は、うすら寒い国である。願わくば一日も早く日本にも導入される日が訪れる事を願うのみである。

 

扁桃体が、芸術・文学・そして犯罪に如何に深く関わったかの事例として、私は『モナリザ・ミステリー』という本の中で詳しく書いた事がある。その代表的例として、ダ・ヴィンチ三島由紀夫、〈少年A〉の三人を挙げ、扁桃体を共通のキーワードとした不気味なトライアングルを立ち上げた。私たちが自分の意志だと思っている事が、脳科学的に見れば、扁桃体が或る条件下において生じて見せた、ある反応の一様態であるという事は、考えてみれば怖いことである。煎じ詰めていくと〈自分の存在とは何か?〉のその先に、無化が立ち現れてくるからである。ともあれ、このままで書き終えれば、今回のメッセージはいささか暗いものとなる。ここは寺田寅彦氏の俳句を挙げて終るとしよう。あれ程の明晰な頭脳から・・・何故?と思わせるような迷句である。こと程さように脳は迷宮・・・と思わせる名句である。

 

蝸牛(かたつむり)の 角がなければ のどか哉

 

睾丸に 似て居るといふ 茄子哉

 

 

補記:かくいう私の24歳の頃に詠んだ俳句もついでに挙げておこう。

 

 

蜻蛉(とんぼ)捕り 十年ぶりの 帰宅哉

 

 

 

 

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『本が二冊刊行間近!!』

 

拙著『「モナ・リザ」ミステリー』が新潮社から刊行されたのは、2004年の時であった。美学の谷川渥氏や美術家の森村泰昌氏をはじめ多くの方が新聞や雑誌に書評を書かれ、“我が国におけるモナ・リザ論の至高点”という高い評価まで頂いた。しかし本を刊行してから数年して、私はとんでもない発見をしてしまったのであった。

 

今までの美術研究家たちの間では、ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」と呼ばれる、あの謎めいた作品について何も書き記していない、というのが定説であった。しかし私は、あれほどの作品である以上、作者は必ずや何か書き記しているに相違ないとふんで、徹底的にレオナルドの手記を調べたのであった。評論家とは異なる画家の現場主義的な直感というものである。そして・・・遂にそれと思われる記述を、その中に見つけ出したのであった!!これはレオナルド研究の最高峰とされるパリのフランス学士院でも、未だ気付いていない画期的な発見であると思われる内容である。そして、その内容は驚愕すべき記述なのである。しかし、私の「モナ・リザ」の本は既に出てしまっている。私は発見した喜びと共に、本が出る前に何故気がつかなかったのかを悔やんだ。又、後日にもう一つの新事実までも「モナ・リザ」に見出してしまい、ますます完全版を出す事の必要を覚えていた。・・・それから七年が経った。

 

一冊の本が世に出るには、必ずそこに意味を見出してくれる編集者との出会いがある。私にとって幸運であったのは、歴史物の刊行で知られる出版社- 新人物往来社のK氏が、その発見に意味を見出し、たちまち刊行が決まった事であった。今回は文庫本である為に発行部数も多く、若い世代にも読者の幅が広がるので、刊行の意味は大きい。福井県立美術館の個展で福井のホテルに滞在している時、また森岡書店での個展の合間を見ては執筆を加えており、先日ようやく校正が終った。そして私は文筆もやるが写真もやるので、表紙に使うための画像をアトリエの中で撮影し、全てが刊行を待つばかりとなった。本の刊行は3月2日が予定されている。又、同社からは続けて四月に私と久世光彦氏との共著『死のある風景』も新装の単行本で刊行される事になっている。新潮社から出した時は、『「モナ・リザ」ミステリー』というタイトルであったが、今回は加筆した事もあり、タイトルを『絵画の迷宮』に変えた。とまれ、刊行は間もなくである。ご期待いただければ嬉しい。

 

 

 

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『ゴヤ讃』

昨年の3・11以降、美術家たちの発言に少し気になるのが目立つので、今日はそれについて書こうと思う。

 

ごく一部であるが、判で押したような横並びの発言、つまり—- 「今回の震災のショックで絵が描けなくなってしまった・・・」という言葉が、TVや雑誌で散見されるのである。現地の極寒の中で、身内に被災者が出たのなら、その発言も然りであろう。しかし、発言する美術家たちは都会のクーラーの効いた部屋で、取材に対し、かくのごとき事を言って、あたかも折れることが誠意ある反応のごとく申し述べているのである。昨今の美術界の一現象が衰弱体を呈し、それがモードとさえなっている愚は対岸の風景としておくとしても、作り手の感性自身が、何故にかくも脆くなってしまったのだろうかと思うのである。察するに物理学者の寺田寅彦氏が百年以上前に早々と予言した言葉「過度な情報の摂取は人間の感覚を無気力にする」が、これに相当するかと思われる。おそらく彼らは様々なメディア情報の洪水によって恐怖感覚が肥大化し、もともと薄かった表現に対する覚悟が霧散したのだと私は断じている。

 

Francisco José de Goya y Lucientes

昨今の脆い作り手たちの対極にいる画家たちの事を思い描いてみる。そこに立ち上がるのは剛毅な精神の持ち主たちであるが、例えば近代に絞ってみて先ず浮かび上がるのは、クレーピカソゴヤの名である。クレーは長男が戦地で音信不通、更には自身の手が難病の中に在っても更に描き続け、天使と悪魔と契りを結んでイメージを深化した。ピカソは「ゲルニカ」を描くに際し、スペイン人としての血は怒ったが、画家の本能は恰好の題材として捕らえ、惨事を前に絶叫する女に、自身の私生活上の女の絶叫をそこに重ねた。そしてゴヤに至っては、異端審問を怖れずに告発を描き続け、戦争による眼前の殺戮、飢え、病、強奪、強姦、裏切り、狂気・・・を主題としながら、不条理の果てに黒い幻視の結晶へと昇華した。この毅然たる強い意志!!「ショックで絵が描けなくなってしまった」— 昨今の発言とはあまりに次元の異なる孤独な真の闇で、彼らは絵画にしか表現出来ない権能を全うしたのである。

 

黒い絵の代表作 「我が子を食らうサトゥルヌス 」

先日、商業写真の分野で第一人者的存在として知られるA氏と会って話をした。彼は某TV局からの依頼で、東北の被災地に行き写真を撮ってくるドキュメンタリーの話があった際、その場で、「そんな安直な偽善は出来るか」と言って断ったという。私はA氏がますます気に入った。震災直後、砂糖にたかる蟻のごとく実に多くの写真家が現地へと走った。そして先を争うようにして、津波の後の異形な姿を発表した。ビルの上の漁船、土に汚れた家族写真etc。その姿は確かに事後の行き場のない、やるせない結果を写しているが、では真の現実(自然界のアニマの凄さ・測り難い戦慄)を本当に捕らえたのか。あの日に垣間見た、この世とかの世が実はつながっているのだという不気味な真実を、はたして捕らえたのか。「記録」以上の実相の何を、では刻印したといえるのだろうか。本気で記録に徹するのならば、時間をかけた変化をこそじっくりと刻印していくべきであろう。

 

東北の大震災の事後の光景を撮った中で、私が見てみたいと思う写真家は僅かに二人しかいない。「メメント・モリ(死を想え)」の作者・藤原新也氏と名前は失念したが、肉親を津波で亡くされたという写真家である。その方は今回の悲劇を不条理ではなく、自然界の大きな摂理として捕らえ、その諦念と達観の視線から撮影したという。私はこの話を知った時に、その写真を見てみたいと心底から思った。この二人の写真家の眼差しには、写真を「記録」と考えている以上のものがある。故に私は見たいのである。個展も終わり、時間が少し取れるようになったので、私は彼らの作品を見てみようと思う。他の写真家が撮った「記録」の域を越えていない写真は、私の関心の外に在る。「メメント・モリ」ではなく、あの空疎なだけのキャッチコピー「がんばろう日本」の主体を欠いた白々しさと、その意識がなんら変わらないからである。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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