日射病という言葉がいつしか消えて、代わりに熱中症という言葉がこの国に定着して既に数年が経つ。最初にこの言葉を聞いた時は、単純な熱血漢の青年を指す呼び名かと思ったが違っていた。こういう言葉は誰が考えて定着させるのだろうか・・・と、ふと思う。とまれこの勢いで行くと、数年後は〈灼熱症〉という言葉に入れ換わっていてもおかしくはない。

エレファント・マン
日本は熱中症で毎日死者が出ているが、ロンドンではひんやりとした気象の中でオリンピックが開催されている。競技の中心地は東部地区。つまりイーストエンド地区であるが、この辺りは〈ロンドンの恥部〉 〈ガイドブックに載らない地区〉と云われ、治安の悪さで有名である。今から124年前の1888年に起きた「切り裂きジャック事件」や「エレファント・マン」は有名であるが、最近まで凄惨な事件が度々起きており、旅行者はあまり訪れる場所ではない。

シャーロック・ホームズ
今から21年前の夏から三ヶ月間、私は半年間棲んでいたパリを離れて旅の拠点をロンドンへと移していた。暗いどんよりした雲が空を覆い、ロンドンは終日が陰翳で、ミステリーを愛する私にとってイメージにピッタリとした雰囲気を街は呈していた。当時の私の『滞欧日記』なるものを開いてみると、例えば8月1日の日付のある日は、上記したイーストエンド地区にあるホワイト・チャペル界隈にいたと記してある。ホワイト・チャペル。・・・響きは美しいが、このエリアこそが切り裂きジャックによる五件の犯行現場なのである。それに加えて、エレファント・マンの見世物小屋が在り、映画に登場するロンドン病院(ここの病理学展示室にはエレファント・マンの骨格標本が現存する)の当時のままの建物が在る。1887年と1888年にはヴィクトリア朝時代のイギリスの魅力を決定づける三人の怪物(モストロ)がこの街に登場する。一人は「緋色の研究」で突然のデビューを飾った知的怪物 – シャーロックホームズ、そして切り裂きジャックと、ジョン・メリック氏ことエレファント・マンである。

切り裂きジャック
1991年・8月1日。私は切り裂きジャック研究の第一人者である仁賀克雄氏の本を携えながら五件の現場を巡り写真を撮っていた。そして、最後の被害者となった売春婦メアリー・ケリーが「次は私の番だわ」と話して出て行ったパブ(ドーセット通り26)の店内にいて、澁澤龍彦氏が犯人名をジョン・ドルイットなる人物に断定している根拠について考えていた。コナン・ドイルは現場における犯人像を女装者として推理し、澁澤氏は法律を学ぶ若者を犯人としている。今日では筆跡及びDNA鑑定などにより、真犯人はシッカートという名の(ドガなどとも交流のあった)画家にして版画家、そして評論も書く人物にほぼ絞られている。〈画家にして版画家・・・そして評論も書く!?・・・・おぉ、それは私と重なるではないか!!〉
ロンドンでの三ヶ月間は、今思えば短いものであったが、イメージの充電として実に充実した期間であった。最初はビクトリア駅近くのホテルにいたが、まもなく、ビートルズのアビーロードで知られる場所の北東の家に下宿してからは毎日がミステリーに沈潛する日々であった。その収穫が創造力に活力を与えてくれて、美術の分野にだけ収まりきらない私の表現の独自性とエッセンスをもたらしてくれていると、今はつくづく実感している。
余談であるが、〈切り裂きジャック・・・JACK THE RIPPER〉という実にうまいネーミングは、実は犯人自身が考案し、新聞社に送った手紙の中に記したものである。この名前のジャックとは、イギリスでは最も多い名前の一つであるが、私が推測するに、それは〈JACK IN THE BOX〉- つまり〈びっくり箱〉から来ているのではないかと思っている。突然飛び出して来るジャック君、そのイメージは闇の中から突然現れて、たちまち消え去っていく犯人像に、そのまま結びつくように思われるのだが如何であろうか・・・・。






1994年の5月に刊行した月刊誌『太陽』は
美術大学の学生として私が上京したのは昭和45年。浅草十二階が崩れ去って半世紀近い年月が流れていた。しかし・・・浅草には、その残夢のような奇妙な建物が立っていた。昭和三十二年に十二階を模して建てられた浅草仁丹塔である。画像を御覧頂きたい。この写真はちくま文庫の「ぼくの浅草案内」からの引用であるが、撮影したのは著者である小沢昭一氏である。今は消えた都電を前景に、その背景にそびえ立つ建物が仁丹塔である。白く彩色されたその高塔はまさにキッチュなもので、浅草の雰囲気と奇妙に馴染んでいた。しかし、今日のスカイツリーのような話題性も当然無く、それを見上げて眺めやる人もおらず、時間の隙間にそれは消えていきそうであった。そして・・・事実、時の忘れ物として取り壊されるという噂も立ち上っていた。—–或る日、その仁丹塔をしげしげと眺めている男がいた。男は思った。「あの建物の中は果たして・・・・どうなっているのだろうか」と。—–そして男は思い立ったように、その塔へと向かった。その男とは・・・・私である。
梅雨もいよいよ後半に入った。うっとうしい気分の毎日であるが、しかし少し視点を変えてみると、ふとした瞬間に、なにげない風景もハッとするように見える時がある。






