北原白秋

『台風直下に登場する宮沢賢治』

…かつて死者3000人以上を出した伊勢湾台風に匹敵する強烈な台風が発生し、九州地方で猛威を奮った後で、今、東へと向かっている。…このブログを書いている時点で、ようやく台風は熱帯低気圧に変わったが、これから関東にやってくる為、まだ大量の雨の心配が残っている。…止まらない海水温度の更なる上昇は、来年以降、前代未聞の破壊力を持った台風へといよいよその狂暴さを増していく事は必至である。…(ここはヴェネツィアか⁉)と映るほどに、特に東日本は水都(いや廃都)と化し、車が水に漬かっている光景が、もはや日常的になって来た。

 

山は常に大量の水を孕んでいるので、今や何れの山も、実質は砂山のように脆い。特に、山を真後ろに背負って暮らしている人々にとっては、梅雨から秋まではメメント・モリの心境ではあるまいか。

 

人類におけるカタストロフ(悲劇的な破局)が、遠くから次第に、うっすらと視えて来てでもいるような…………

 

 

…話は変わるが、少し前に親しい知人の方から、私の書いたいわゆる直筆原稿なる物がオ-クションに出品されているという事を教えて頂いた事があった。…寝耳に水の事で早速ネットを開いたら、確かに私の書いた原稿が、入手した誰かによって出品されていた。…それも原稿3枚で3万円の高値であった。競売でこれから更に上がっていく気配で、私は驚いた。原稿が高値で流通しているという話は小説家ではよく聞くが、美術家では例がない。

 

…小説家の直筆原稿で一番高いのは、漱石樋口一葉を筆頭に、三島由紀夫もかなり高い。…私の価格のクラスでは、色紙の北原白秋がやや近いか。……その話を友人に話したら嬉しそうに喜んでいる。彼が持っている私の年賀状や手紙に未来を託してでもいるのだろうか。…しかし当人の私としては疑念が残って気持ちが悪い。…ネットで視た私の原稿は30年以上前に書いた原稿で、老舗書店の丸善から刊行しているお堅い冊子に書いたものであったと記憶する。確か英文学者の高山宏氏からの依頼で書いた原稿で、その号には荒俣宏氏ほか何名かの方も書いていた記憶があった。

 

…(何故、その原稿が流れてオ-クションに出ているのであろうか??)…流して売ったのは誰か!?まさかとは思うが、消去法で考えていくと、忽ち一人の人間に辿り着いた。丸善の当時の編集者である事は間違いがない。…そう思うと、その痩せた小柄な編集者の顔や姿がありありと浮かんで来た。…当時私はシェイクスピアに関心があったので彼にその話をしたら、頼んでもいないのに直ぐに分厚いシェイクスピア学会の大事な名簿のコピ-を送って来た事があった。(この人物、ちょっとバランスを欠いているな)…そういう印象を、その編集者に持った事が思い出されて来た。…

 

高山宏氏から自由に書いてほしいと言われたので、私は宮沢賢治と、アッサンブラ-ジュの先駆者として知られるジョゼフ・コ-ネルに共通する試論のような事をその原稿に書いた。……宗教を信仰するという事は、ある意味、他力本願の要素があるので、自力を持って道を切り開く事を旨とする表現者とは道が違うと思われる。少なくとも私自身はそう思っている。…しかし客観的に考えてみると、私の知る限りでは、二人の表現者が宗教の教義を背景にして創作活動をしていたな!…という共通点が見えてきた。…それが宮沢賢治でありコ-ネルなのである。私はその事をその原稿に書いた覚えがある。…

 

周知のように宮沢賢治は法華経との出逢いにより、あの特異な宇宙観を自らの物とした。…一方のコ-ネルが信じた宗教はクリスチャン・サイエンスというキリスト教系の新宗教で、世界は、つまりはイリュ-ジョン(幻影)であるという考えである。なるほど、その視点から視るとコ-ネルの消え入りそうな表現世界の芯がそこには視えて来る一面がある。

 

 

…ちなみに拙著『美の侵犯-蕪村X西洋美術』(求龍堂刊)でもその事が出て来て、更にミステリアスなコ-ネルの震撼すべき姿へと話は発展して書いているので、ご興味があり、まだ未読の方は、お読み頂けたら有り難い。

 

…今年の始め頃から何故か宮沢賢治の事が度々気になって仕方がない。文芸史の域を超越した彼の表現世界の特異さに関心がやたらに行くのである。…私が何か或る事を強く思っていると、向こうからそれがやってくるという事は度々あるが、今回もそういう事が起きた。横浜高島屋美術部の荒木さんから、宮沢賢治を主題とした展覧会を今秋(10月9日から14日まで)開催するので、という出品依頼が届いたのである。

 

…私は秋(10月2日から)の日本橋高島屋の個展と、11月29日からの名古屋画廊への出品予定があるが、宮沢賢治ならば話は別とばかりに、6月に宮沢賢治作品への想いを具現化した一点の作品を作り、その作品に『幾何学に封印された銀河鉄道の幻の軌跡』というタイトルを付けた。…すると先日、荒木さんから自作に寄せた文章を書いて欲しいというメールが来たので、私はそれを一気に書いた。今回のブログはそれを掲載して終わろうと思う。

 

 

「『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニと、親友のカムパネルラとの薄雪の結晶のような透視的なまでの詩的叙述の旅。

……賢治の特異な宇宙観や自然界との強い交感力は、現実の世界とは異なる位相への同化を希求してはじめて獲得出来た、云わば自己放棄ゆえの精神的な達成であった。

……本作品『幾何学に封印された銀河鉄道の幻の軌跡』は、その詩的結晶に迫る試み、…語り得ぬゆえの、オブジェに秘めた硬質な試みである。」

 

 

 

 

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『魂の行方―明治26年の時空間の方へ』

毎日人々がたくさん行き交う東京駅には、総理大臣の暗殺現場を示すプレ―トが2つあるが、今ではそれを知る人は少ない。……1つは、大正10年に東京駅丸の内南口改札付近で刺殺(即死)された原敬。もう1つは、昭和5年に東海道本線10番線乗り場ホ―ムで銃撃(後日死去)された濱口雄幸である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の白昼に起きた安倍元総理大臣の暗殺現場の映像は悲惨なものであった。そして仰向けに横たわる安倍氏の姿は生々しいものであった。その様には、もはや誰も介入出来ない、取り返しのつかない、私達誰もがやがて各々に迎える死の瞬間を代弁して実況しているかのような、絶対の孤独な姿があった。……必死で甦生のマッサ―ジをする人、大声で救急車や近くに医者を求める人々。プロとは言い難い迂闊な失策をやってしまったSPと警官が抑え込んでいる犯人の姿。……その中で、画面に映る安倍氏の姿を観ていて、ふと、正に今、死に瀕したこの人の脳裡には果たして、何が浮かんでいるのかを想像した。(……自分の経験を基にして。)』

 

…………以前にブログでも書いたが、私は2回死にかけている。1回目は2才の時だからもちろん記憶にないが、病弱だった上に流行りの百日咳が悪化して危篤状態になった。(この世に縁が無かった私を憐れんで、棺桶の中に何を入れるかを両親が涙を流しながら相談したという。)しかし、運が良かったのかどうか、当時たまたま承認されたばかりの薬を注射して、奇跡的に死の淵から生還した事を後に母から聞かされた。……2回目は高1の時に体験した溺死に瀕した時である。突然、堰を切ったように水が口の中に大量に入って来た時の、かつて体験した事の無い苦しみの後は、一転して母の胎内に守られて羊水に浸っているかのような幸福感に充ちた感覚の中、天上から実に美しい光が射しはじめ、私は、あぁ何て幸せなんだろう、このままでいい……このままで、もういい……そう、ぎりぎりの意識が感じていた時、……突然救助の手に引き上げられ、先ほどの苦しみを今一度体験した後に、私は感覚が割れるように甦生した。これは、立花隆氏の著書『臨死体験』で、死の淵から生還した人々が語る、柔らかで至福感に充ちた光が射して来たという多くの証言と一致する体験である。

 

 

……人が亡くなる直前、最後まで機能しているのは〈聴覚〉であるという。だから、救急車や医者を求めて叫ぶ声は、彼の脳裡には、おそらく遠くの意味知らぬノイズとして、或いは別な世界のものとして聴こえていたのではあるまいか……。それを聴いているのは、もはや安倍晋三という直前迄の俗名を持った存在でなく、また憲政史上最長の総理職を勤めたという事も既に意味を持たない、ただの素に還元された無垢な魂、例えるならば産まれたばかりの素の意識として最期に聴いたようにも想われる。……或いは、銃弾の破片が心臓を直撃して、心肺停止の自力呼吸が出来ない為のショックにより、コンセントを急に抜くように、感覚も硬直して何もない無と化してしまったか。ともかくそこには絶対の孤独が透かし見えたのであった。

 

 

 

……話は変わるが、以前に井上ひさし氏の本を読んでいて興味深い箇所に出会った。……井上氏は学生時に上智大学で教えている神父に「先生、人は死ぬと天国に行くと言いますが、天国なんて本当にあるのでしょうか?」と質問した。すると神父いわく「天国があるかどうかは、死んだ人が生き返っていないので誰にもわかりません。しかし、天国があると思った方が愉しいではありませんか!!」と。私は神父のこの言葉に膝を打って食いついた。なるほどと!!…信ずる者は救われる、である。しかし、こうも考えた。天国、もしそれがあるとしても、そのイメ―ジとしてある世界はあまりに事も無く、ただけだるすぎて退屈の極みである。何より一番気に馴染まないのは、それが他者の考えた概念にすぎない事である。……信ずる者は救われるならば、私は自分だけの独自な考えで、死を現世からの別れとしてでなく、次なる新生が、その先に在ると考えよう!……そう考えるようになった。

 

……そして考えたのが、死ぬ瞬間に素と帰した魂を翔ばして、私が最も行きたいと熱望している明治26年の、東京は浅草の時空間に行く事である。……何故、明治26年に拘るかというと、度々私のブログに登場する浅草凌雲閣(通称浅草十二階)が、その少し前の明治23年に完成し、またこのブログに、これもまた頻繁に登場する天才女流作家の樋口一葉(本名.樋口奈津、時に夏子)が、『奇跡の14ケ月』と云われる『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』等の文学史に残る名作を書く前の、正に極貧の時に在り(明治29年に24才で肺結核で死去)、荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いていて、朝靄の中で浅草花川戸、今戸橋近辺を仕入れに歩いている、正にその時空間に魂を翔ばして、朝靄の中を歩く樋口一葉の、その謎に充ちた顔を一瞬掠め視てから、次なる浅草凌雲閣へと魂を翔ばし、谷崎潤一郎江戸川乱歩達、数多くの文藝家がその異形なる塔にイメ―ジを触発されて小説にも度々登場した、その姿を仰ぎ見て、魂はその中の螺旋階段を一気に駆け抜け、屋上の展望階から明治26年の東京に魂を放射したいと、ひたすらそう考えているのである。

 

 
……先日、制作の合間を縫って、私の魂の帰すべき場所、明治の面影が僅かに透かし見える浅草の今戸橋、また待乳山聖天辺りを散策した。広重の描いた風情が残る、私の最も好きな場所である。浅草寺や仲見世は人で喧しいが、この場所はたいそう静かで涼やかであった。新生の時は先ずはここから始めよう。私はそう思った。

 

………………「新しい出発だ。窓をもう少しお開け、新生だ、ああ素晴らしい!」と臨終時に話して逝ったのは北原白秋である。白秋の魂もまた新生に向けて至福感の中で逝ったのか。

 

…………とまれ、私もまた死に臨して、白秋のようでありたいと考えているのである。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『……去年(こぞ)今年……』

個展が始まった10月半ば頃から急に減り始めた感染者数が、12月の半ば辺りから次第に反転増大を見せはじめ、新顔のオミクロン株なる招かれざる客が欧米を席巻し、今や日本も面的に、その拡がりを見せている。しかし、内実、ジワジワと迫っている眼前の危機は、むしろ地震の方であろう。

 

 

 

 

 

……実は、今年最後のブログは、都市型犯罪として昨今問題になっている自殺願望の犯人からの「巻き添え被害」から身を護る方法について書こうと思っていたのであるが、何故かふと気が変わり、そうだ、地震について書こうと考え直して書き始めたら、正にその数分後の11時33分頃関東地方に震度3の地震が起きた。……私が度々書いている、いつもの予知体験ともまた違う、この直感力。……私は鯰なのであろうか!?

 

……実は昨日、アトリエの奥で、天井の高みまで夥しく積み重なっている作品を入れる硝子の函(約80個くらい)を見て、さすがに地震が来ると崩れて危ないと思い、低く平積みにする作業を終えたばかりであったが、やっておいて良かったと思う、この予感力。……私はやはり、正体は鯰なのであろうか!?

 

……閑話休題、地震についてあれこれ考えていたら、ふと、文芸では地震という主題をどう扱って来たのかが気にかかり、俳句で地震を詠んだのがないかと調べたら、それが続々とある事を知り驚いた。実に数千以上もの俳句があるのである。中でも目立ったのは正岡子規

 

 

・年の夜や/地震ゆり出す/あすの春

 

・只一人/花見の留守の/地震かな

 

・地震て/大地のさける/暑さかな

 

・地震して/恋猫屋根を/ころげけり

 

 

……と.まだ視線は客観的で優しい。他には、幸田露伴の「天鳴れど/地震ふれど/牛のあゆみ哉」。北原白秋の「日は閑に/震後の芙蓉/なほ紅し」……内田百閒の「蝙蝠や途次の地震を云ふ女」……寺田寅彦の「穂芒や地震に裂けたる山の腹」……。例外は、高澤良一という人の句「冷奴/地震のおこる/メカニズム」、……固いマントル、それを深部から激しく揺らす熔けた岩漿(1000度近いマグマ)の関係から地震は起きるので、この冷奴の喩えは、風狂の気取りを装って、一読面白いがいささか俳句の本領からは遠いかと思う。

 

……私の関心を引いたのは京極杞陽の「わが知れる/阿鼻叫喚や/震災忌」・「電線の/からみし足や/震災忌」。……そして圧巻は、1995年兵庫県南部地震で被災した、禅的思想と幻視を併せ詠んだ俳人・永田耕衣の「白梅や/天没地没/虚空没」。……一輪の白梅と、絶体の阿鼻叫喚との対峙、この白梅の非情なる美の壮絶さ。……また詠み人はわからないが、大地震後に襲ってくる、あの背高い津波の是非も無しの魔を詠んだ俳句「大津波/死ぬも生くるも/朧かな」を最後に挙げておこう。

 

 

……思うのであるが、来年の1月中旬から3月末の間にかけて、何やら不穏であったものの極まりが、何らかの爆発の形を呈して露になりそうな、そんな予感がしてならないのは、何も私だけではないだろう。……北川健次、遂に陰陽師として動くのか!?……それとも只の鯰の過剰な妄想だけで、事は収まるのか。…………とまれ、ここは静かに高浜虚子の、去年今年(こぞことし)から始まる名句を挙げて、今年最後のブログを閉じようと思う。

 

……ちなみにこの俳句は、地震ではなく新年が開けた時の虚子の心境を詠んだ句であるが、虚子が住んでいた鎌倉の駅前にこの俳句が貼られた時、それをたまたま通りかかった鎌倉長谷在住の川端康成が一読して、その言葉の凝縮のアニマに打たれ、背筋を電流が走ったという。……昭和25年正月時の逸話である。

 

 

 

「去年今年/貫く棒の/如きもの」

 

 

 

陰陽師・安倍晴明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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