北川健次

『鹿児島―素晴らしきレトロフト』

……前回のブログで忠臣蔵(赤穂事件)の大石内蔵助について書いたが、先日その勢いで泉岳寺駅近くに住む友人宅を訪ねた折りに、近くにある、赤穂浪士47人の墓がある泉岳寺を訪れた。門を入った先にある墓は、沢山の参拝者が捧げる線香でもうもうと煙っている。しかしそれにしても沢山の参拝者の数である。だが、彼らの多くは墓参りだけを済ませて帰るが、実は泉岳寺の出口近くにある横道を入り、歩く事およそ5分。高松宮邸に沿って入り、左手にある公園の脇を入ると、そこが「大石良雄他十六人忠烈の碑」すなわち、47士が討ち入り後に四家の大名屋敷に分けられて身柄預かりとなり、その内、大石内蔵助(良雄)達16人が預けられた細川藩邸跡がそこであり、また、その場所で大石達が切腹した現場跡なのである。……先日、私は初めてその場所まで行く事にしたが、おそらく行っても、コンクリ―トの上に石の台座があり、そこにかつての「切腹現場跡」を示すプレ―トが彫られているくらいに思っており、まぁついでくらいのつもりで足を運んだのであるが行ってみて驚いた。……公園(かつての細川藩邸跡)内の一画にある、大石内蔵助達が切腹した場所は、彼らの背後に小さな池があり、その前で次々と十六人が切腹したのであるが、鉄柵で仕切られた20畳ばかりのその現場は、水こそ枯れているが、池跡や幾つかの巨石がそのままにあり、そこに湿った葉が繁茂していて、まさに彼らが数日前に目前で切腹したかのような凄惨な余韻を漂わせながら、武士道の鑑として細川藩が大事に(藩の誉れとして)現場跡をそのままに遺して320年もの間、時を潜りねけてなおも、彼らが確かに存在していた!という事実を今に遺しているのであった。曇り空の下、そこだけが更に暗く、赤穂事件と、吉良邸討ち入り、そして本懐の後の切腹斬首があったという事実を生々しく伝えており、私はそこにしばし釘付けになってしまったのであった。……泉岳寺を訪れたならば、そこから僅か5分で行ける大石内蔵助達の切腹した現場にも、ぜひ足を運ばれる事をお薦めしたいのである。

 

 

5日の午前10時に羽田を発ち、12時に鹿児島空港に着く。……空港で出迎えて頂いた永井明弘さんと3年ぶりの再会を果たす。永井さんは、鹿児島の個展会場であるレトロフトMuseoを奥様の永井友美恵さんと共同で運営されているオ―ナ―である。空港から車で鹿児島市内へと向かう。……永井さんによると、桜島はここ最近、度々噴火を繰り返しており、窓ガラスがかなり激しく揺れるのだという。その桜島が錦江湾の彼方に雄大な姿を見せて出迎えてくれる。車はやがて市内へ入り、市の中心地に在るレトロフトに着いた。画廊オ―ナ―の永井友美恵さんと再会を果たし、そのまま展示作業に入った。……展示は二時間くらいで終わり、その後で新聞社の文化部の方が来られて取材があったが、その頃には、まだ個展が始まる前日だというのに、個展の情報を知った人達が早くも画廊に入って来られたのは嬉しい手応えである。会場内で作品の写真を撮ると、窓の向こうにまた別なレトロな建物が映って、気配は1930年代のあたかも魔都上海を想わせる。それが私の作品世界の虚構性とリンクして夢の中に入っていくようで実に嬉しい。……さて私は、久しぶりに念願であったこのレトロフト内の探検に入った。築50年以上が経つレトロフトという、バリのモンパルナス辺りの気配にも似た、このまさにレトロモダンな建物の中は、あたかもピラネ―ジの描いた「牢獄」や、エッシャ―の迷宮的な建物に似て、掴みにくい複雑な構造をした建物で、その中に古書店やカフェ、また自然食の店、また別なカフェが複雑に店舗を構えており、その2階にギャラリ―が在り、その上の階からは40室ばかりが在り、イギリスで学んだという皮製品のデザイナ―のスタジオや、何故か烏賊の絵ばかりを描く女流画家……といった一部屋ごとに様々な人達が住んでいる、……不思議な建物なのである。さっそく、私は古書店で永井荷風の『断腸亭日乗・上下』(磯田光一編と、イギリスで刊行されたブリュ―ゲルの美しい画集を購入した。

 

 

 

 

さて、今回のレトロフトでの個展のタイトルは、『〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉』であるが、このタイトルにはいつもとは異なる秘めた想いが在る。……オ―ナ―の永井明弘さんはミラノで庭園の設計を学ばれていた時に、やはりミラノでテキスタイルの勉強をされていた永井友美恵さんと出逢われたのであるが、昔、縁があって永井さんご夫妻とお会いした時に、私はその出逢いの運命的な話に惹かれ、そこに私のイタリア旅行時の様々な体験を重ねた重層的なイメ―ジが閃き、その舞台をあの謎めいた『エステ荘』に設定して、3年前に鹿児島での個展を開催したのであるが、今回の個展はその更なる展開であり、また永井さんご夫妻に献じたオマ―ジュ展の意味も強くあるのである。現実と虚構がかなり意識的に組み込まれた個展というのは私には珍しいものがあるが、その着想の独自性は、やはり、私の表現世界と入れ子状に交差する、このレトロフトの魅惑的な構造がかなり影響しているように思われる。……今日は個展の初日であるが、早くも多くの方が次々と来られ、また私の作品を以前から気になりながら、なかなか実際に観る機会のなかった人達が来られて、じっくりと熱心に観られているのを実際に見るというのは、作者冥利につきるものがあり、直に自信と確信に繋がっていくものがある。

 

……個展は11日で終わり、今年の作品発表は終了である。その今年最後のレトロフトでの個展。様々な想いを胸に、私の鹿児島での滞在はしばらく続くのである。

 

 

北川健次展

〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉

会期: 12月6日~11日

時間:11時~19時(会期中無休)

場所:レトロフトMuseo

TEL:099―223―5066

〒892―0821 鹿児島市名山町2―1 レトロフト千歳ビル2F

(会期中・作家在廊)

 

 

 

 

 

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『細部に宿る美の密度』

ここ最近の台風、大雨の勢いは凄まじく、その被害は甚大で、自然が持っている底無しの不気味さが牙を剥いて私達に襲いかかっている。この不気味さは来年、更に勢いを増して私達に襲いかかってくる可能性は大である。遥か500年前に「人類は間違いなく水で絶滅する」とコ―デックス(手稿)に書き記した知の怪物―レオナルド・ダ・ヴィンチの醒めた洞察と断言が、ここに来ていっそうのリアルさを増しているのが気にかかる。……閑話休題、ふとある事に気がついた。日本中が水浸しの観がある中にあって、山形県だけが雨風をかすってほとんど無傷である事に気がついたのである。偏西風の流れと地勢学的なものが絡まって、かの山形県が今、平穏なイメ―ジとして、私の脳裡に在る。以前にこのブログで『山口県』と題して、山口県だけが、地震国・日本の中で地震が極めて少ないという事に気がつき、その事を書いたが、今回は山形県について先ずは書いてみたくなったのである。今、開催中の個展会場に来られたご夫妻と話をしていて、山口県から来られたというので、山口県が地震が少ないのでは!?という持論をしたら「よく気がつきましたね。山口県の人はたまに起きた震度1の地震で、もう大騒ぎしますよ」と言われた。極めてザックリと書くが、地下深くのプレ―トに独自な今一つの層があるのかも知れない。昔訪れた事のある、秋吉台と秋芳洞の特異な剥き出しの白い岩肌をいま思い出して、ふとそう思うのである。

 

……高島屋本店6F・美術画廊Xでの個展『盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って』の会期がようやく折り返し地点に入ったが、日を増す毎に来廊される方が増え、二度三度来られる方も見受けられる。これからは遠方から来られる方も増えるので、嬉しく懐かしい再会も待っている。……前回のブログにも書いたが、今回の個展は今までで最高に高い完成度のある作品が数多く揃っているので、それを映すように画廊に来られた方は真剣勝負で作品と対峙し、長い時間をかけて作品が孕んでいるアニマ(霊性)と無言の対話をされている。私が以前から言っているように、作者は二人いる。私はその一人として作品を立ち上げたが、それをコレクションされた方は、以後、長い時間をかけてその作品との対話が続き、その度に異なる作品の変容してやまないイメ―ジを堪能しながら、その人の生が続いていく、つまりはもう一人の作者となっていくのである。今までに作り上げたオブジェ作品の総数は900点近くになるが、今、私の手元(アトリエ)に在るのは未発表も含めて僅かに10点くらいしか無く、コレクタ―の人達に作品が所有され、大切にされているという事は、作家として最高に幸せな事だと思っている。

 

以前に、美術画廊Xで作品画像の資料を作る必要から、新潮社の人とカメラマンが個展時に来廊され、作品撮影をされていた折りに、面白い感想を聞いた事がある。……私の作品を撮影する為にカメラで細部を追っていくと、その細部のどの部分にも凄みある表情があり、何か深い迷宮に入っていくような不思議な感覚を覚えて興味が尽きないというのである。そしてこのような体験は、他の作家の作品を撮影していた時には全く感じない新鮮な驚きであると言う。このような感想は、昨年に私の作品集『危うさの角度』を編集していく際にも、出版社の求龍堂の編集者の方から伺った事がある。……イメ―ジの強度こそが作品の生命であり、美はそれなくしてあり得ないという想いが強いが、その強度な感覚が、作品の細部にまでイメ―ジの執拗な浸透を促しているようにも思われる。しかし、この細部へのこだわりは私だけでなく、例えば、私がコレクションしているルドンの版画『ヨハネ黙示録……これを千年の間、繋ぎおき』に描かれた、とぐろを巻く蛇に拡大鏡を当てて見ると、正に眼前にいっそうリアルで巨大な蛇が立ち現れ、虚構が現実を凌駕して、正に芸術の芸術たる優位がそこにあるのを体験した事がある。幻視者ルドンの自作のイメ―ジへの確信と、この道を進むという信仰にも似た直線性の成せる成果を私はそこに覚えたのである。……その辺りの事を、今、発売中の月刊の美術誌『美術の窓』に『版画のマチエ―ル』と題して、駒井哲郎、私、ルドンについて書いているので、ご興味のある方はお読み頂けると有り難い。……さて、今回の個展、何れも自信作であるが、今回のブログの主題である『細部に宿る美の密度』の為に、何点かの作品の細部画像を掲載しようと思う。……この密度で総数80点以上の新作が展示されている今回の個展。ぜひご来場頂いて実際に作品の前に立ち会って頂ければ幸甚である。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

〈掲載画像は全て作品の部分〉

 

 

高島屋・美術画廊X

北川健次〈盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って〉

会期:10月16日(水)→11月4日(月・休)

会場:本館6階美術画廊 直通TEL (03)3246-4310

 

 

 

 

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『個展〈盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って〉高島屋・美術画廊Xにて遂に始まる』

元号が令和になったこの4月から、不思議と集中的に過激な過去にあまり類のない事件や異変が絶え間なく起きているのは何故だろう。その極まりと言っていいのが、この度の東日本を襲った台風(もはやハリケ―ンと言っていい)である。多摩川、千曲川、阿武隈川……といった名だたる数多の河川が氾濫し、甚大な被害が今もその爪痕を残して容赦ない。先日、被害の大きかった長野に住んでおられる小塚一昭さんから電話が入った。被害状況を伺うと、今もなお不便な停電が続いているという。その小塚さんは、ご自身が大変な時期なのに、私の個展の事に意識が強く在り、停電が直り次第、すぐに北川さんの個展を観に行きます!と言われたのには頭が下がり、感動した。……小塚さんは私の作品をコレクションされ始めてから随分の時が経ち、長い間、親しいお付き合いをして頂いている大切な友人である。6年ばかり前に、福山に住んでおられる三宅俊夫さんが、ご自身のコレクション展を福山の美術館で開催された際に私が記念講演をする事になった時には、小塚さんははるばる長野から来られ、羽田から私に同行されて福山に一緒に向かい、三宅さんに案内して頂いて、念願だった尾道や鞆の浦を尋ね歩いた時の思い出は特に忘れ難いものがある。停電が直り次第、私の個展に必ず来られると言われた小塚さん、そして、なかなか個展の時しかお会い出来ない遠方に住まわれているたくさんの懐かしい方々にお会い出来る、この〈個展〉というものには、作品の展示を介在として、様々な嬉しい意味も含まれているのである。

 

……感覚を集中的に作品の制作に注いでいる日々が続き、気がついてみるとアトリエの大きな作業台の上には、形を得たオブジェやコラ―ジュ作品の、約八十点近い数の新作が陣を成すように出来上がっている。それを観て、ようやく今回の個展全体の姿が視えてくる。……8月の初旬頃に、10年以上、毎年の個展をプロデュ―スして頂いており、私がその感性と眼力に絶対的な信頼を寄せている日本橋高島屋本店美術部の福田朋秋さんがアトリエに来られ、作品を観て、今回の作品が今までよりも更に強度を増して来ている、という評価を頂き、それを聞いた瞬間に忽ち、自作への客観的な自信が湧いてくるのを覚え、最後の追い込みに熱が高まってくる。また、搬入した直後、会場である高島屋美術画廊Xに作品80点以上の作品が並ぶや、美術部の金子浩一さんが「今回の個展作品が、今までの中で最高に平均値が高く、充実した完成度の高い作品が揃っていますね」という、熱い評価を頂いた。……私は思うのだが、今まで100回以上の個展を開催して来たが、ひょっとすると、その完成度の高さに於いて、今回の個展が最も充実しているのではあるまいか、そういう確信を、いま個展会場にいて静かに抱いているのである。……更に強度を増し、完成度を高めているという、この自作への批評分析は自惚れではなく、次なる作品の果敢な実験性への挑戦を意味している。とまれ、今回の個展は11月4日まで、休みなく続くのである。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高島屋・美術画廊X

北川健次〈盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って〉

会期:10月16日(水)→11月4日(月・休)

会場:本館6階美術画廊 直通TEL (03)3246-4310

 

 

 

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『戦艦大和―後日譚』

……私は三人兄弟の末っ子である。昨年の冬に長兄が急逝し、数日前に次兄が逝った。流れからみると来年は私の番かと思い、指折り数えて眼を閉じてみる。しかし、先日届いた健康診断の結果は、血管年齢が20才も若く、意外にも全ての数値が優良であった。2年前からジムに通い出したのであるが、筋肉を鍛える事で免疫力がアップし、常食の黒ニンニク、蜂蜜、もろみ酢……が効いているのかとも思われる。……2才の時に肺の病気で危篤の手前まで死にかけた事があり、以後も私は病弱で、毎朝、病院に寄ってから学校に行くという日々であったが、予測に反して夭折もせず、とりあえずはまだ現し世にいるようである。比較文化論が専門の四方田犬彦氏などは私の事を書いたテクストの中で、「北川健次はどうやら夭折の機会を逃がしてしまったようである。」と書いているくらいであるから、周囲の人の多くは私が早く逝くのが相応しいと思っているようであるが、意外にもまだ暫くは……のようである。さて、二人の兄が亡くなった事で、……家族とは何か?……兄弟という、この縁ある身近な人達とは何かをふと考えてみたくなり、アトリエの奥にしまってあった古いアルバムを開いてみた。……そこには逝った二人の兄の幼い時の姿があり、母がいて、父がいた。もちろん未成熟な私もそこにいる。(そして皆が笑っている。)…………写真とはつくづく不思議な物だと思う。一瞬で永劫忘却へと流れ逝く時間を瞬間で停止させ、その「時」を焼き付け、セピア色へと変色はしていくが、それでも回想するには充分な情報が刻印され、遂にはポエジ―やノスタルジアへの変奏と化していく魔法の装置―写真。……そのアルバムの中の写真を久しぶりに見た事で、私は久しぶりに父と再会した。今回のメッセ―ジは、少しくその父について書こうと思う。

 

……多くの人がそうであるかと思うが、私もまた、父の人生の細かい足跡は知らないままに、父は逝ってしまった。故に切れ切れに聴いた記憶を拙く結ぶ事しか、父の輪郭を映し出すその術はない。……父は長男であったが家督相続の権利よりも自由な人生の方を選び、10代の後半から東京に行き、ギリギリで崩壊する前の浅草凌雲閣を目撃し、戒厳令を潜って2.26事件の現場にも現れた。……最後は銀行員という固い職業で終わったが、父から聴いた話では東京で西洋料理を修行し、またネクタイの行商人もやったりと、……幾つかの職を転々としたようである。その話を裏付けるように、ステ―キやすき焼きだけは母ではなくて決まって父が料理する事になっており、子供心にもその味は確かにプロ級であった。行商人時代にたまたま尼崎に行った時にカフェの女給をしていた女性(つまり私の母)と知り合い、私ども兄弟が生まれたのだという。この時代は職を転々とする時代でもあったのか、例えば、江戸川乱歩などは、浅草の浮浪者、本屋の店主、下宿館の経営など約20近い職を転々として、それが後の「怪人二十面相」の発想執筆に結び付いていく、そういうゆらゆらした、ゆっくりとした時間が怪しく流れる良き時代であったように思われる。……父は「長崎の鐘」などで知られる詩人で作詞家のサトウハチロ―が隣家であった事から仲が良く、よく一緒に遊び廻ったようである。サトウハチロ―と言えば破天荒の代名詞のような人物であるから、案外、奥浅草か三ノ輪辺りに、私の知らない兄弟か姉妹がいる可能性も少しある。……父は戦争が始まる少し前から日本は必ず負けると予見し、犬死にしない為にその方法を考え、猛勉強をして造船の技術師へと変身した。よくまぁ転々と変われるものだと感心するが、短期間で変われるその能力には、息子の私は脱帽するしかない。そう言えば、両親は日本各地(長崎・佐世保・呉・尾道・横須賀……)を転々としているが何れも造船所のある街であり、アルバムには「日立造船」の名前が度々現れている。技師になれば戦争で外地に引っ張られる可能性は薄いと分析したらしく、またその読みは当たった。

 

……まだ私が小学生の頃に、父は私に呉という街にいた時に呉海軍工厰という所に入り、「戦艦大和」を造ったという話をした事があり、幼かった私を驚かせた事があった。父は病弱な私と違い肩幅のある長身の筋肉質であったが、大和は更にその「強さ」を拡大した、子供における大いなる憧れであり、幻影として映っていた。病弱であった私は興奮しながら、自分の中に潜在している強さを何とか引き出すような気持ちで熱心に話の続きを聴いた。とてつもなく巨大な板の囲いがあり、外部からは全く見えない中で大和の造船は続いていったという。……「大和のどの部分を造っていたのか?」と熱く問う私に父は「艦橋のエレベ―タ―」の辺りを主に造っていたと言ったのが、それがその後も、父の善き強いイメ―ジと重なって、記憶の中に強く残った。

 

……父が亡くなって10年ばかりが経ったある夏の日、私は神田神保町の書泉グランデの4階にいて、花や水晶の図鑑を見ていた。その先のカウンタ―に「丸」という戦争に関するマニアックな本がふと見えた。……見ると「戦艦大和特集」の文字が見えたので、ふと手に取って読み始めた。その中に大和を攻撃したアメリカの戦闘機カ―チスSB2Cヘルダイバ―のパイロットの証言インタビュ―が載っていた。いつにない珍しい側からの証言だなと興味を覚え、更に読んでいった。……そのパイロットいわく「驚いた事に、大和があんなに脆いとは思わなかった。」更に続けていわく、「一番最初に火を噴いたのは、艦橋のエレベ―タ―の所だった!!」。……私の目はここで止まった。昔、父が自慢げに話し、息子の私が「おお!」と熱く聴いた、その箇所から、どうも大和が崩れ去っていったという事を、そのパイロットは語っている。……瞬間、私の中で何かが崩れ去っていくのを、その夏の日の時に私は感じた。「いっそ、知らずにいたかった」という言葉があるが、こういう時にその言葉があるのかも知れない……と、少し思った。……かくして幻想は、そうして静かに消えていく、のであった。

 

 

 

……暑い夏の盛りに、スカッとしたくて、映画『アルキメデスの大戦』を観に行った。暑気払いのつもりで観たのだが、なかなかに良く出来ていて面白かった。山崎貴監督のCGの技は『ALWAYS – 三丁目の夕日』で実証済みであるが、映像に魔法の息を吹き込むようにリアルな昔日の時を甦らせてくれる。……冒頭に出て来る大和の巨大な姿の中に、父が造ったという艦橋が映り、私はそこに父を重ね観た。……また先日は、制作が終わった夜に吉田満氏の書いた『戦艦大和ノ最期』を読み耽った。実際の大和の数少ない生き残りであった吉田満氏が、大和の出港から沈没までを時系列に生々しく書いたこの本は名著であり、史的にも価値が高い内容であり、この本はぜひともお薦めしたい本である。…………夏がまもなく去り、やがて秋の気配が俄に立ってくる、今は9月1日。……10月16日から日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って』の制作が佳境である。この1ヶ月が更に私には重要な時間なのである。

 

 

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『真盛りの夏に想う事』

……駅からアトリエに戻る緩やかな坂道の途中で、不意の熱中症に襲われた老人が、まさに倒れていく瞬間を見た。全身から力が抜けていくように、膝から情けなくも崩れ落ちていくのである。たまたま、その老人の真横にいた男女の若いカップルが慌てて倒れている老人の手を取り、「おじさん、家は何処?連れて行ってあげるよ!……」と励ましている。その場に来た私は彼らに声をかけた。「家じゃなく、直ぐに救急車をよんで病院で点滴をしないと危険ですよ!」と。すると老人が切れ切れの声で「救急車は……イヤだ。」というので私はその老人に強く言った。「爺ぃさん、あんたそんな事言っていたら、急変して、今日間違いなく死ぬよ!!」と。かくして電話をして救急車が来る段になったので、私はアトリエに戻った。……急な脱力感で道端に倒れてしまったその老人の姿を目の当たりに見て、熱中症の恐ろしさを実感を持って知ったのであるが、その老人が倒れた坂道の片側の竹垣の向こうは、広い墓地である。石を擦るように油蝉が鳴いてかしましい。

 

……さて、「坂道」である。坂道とは、浪漫と不穏さをその傾斜に秘めて、私達を静かに待ち受けている。永井荷風はそんな坂道が持つ特異性を随筆集『日和下駄』(ひよりげた)の中の「坂」の章で「……坂は即ち平地に生じた波瀾である。」と一言で的確に、かつ文芸的に断じている。ではその坂道に「波瀾」という破調めいたものを覚える鋭利な感覚は、その後に誰に受け継がれて行ったか。……いうまでもなく、岸田劉生と彼の代表作『道路と土手と塀(切通之写生)』に、それは重なっていく。年譜を見ると、『日和下駄』の翌年に劉生はその坂道の風景画を描いているので、ほぼ同時代の感覚の覚えか。……そしてその坂道への強いこだわりは次に誰に跳ぶか!?……意外にも、タモリかと私は思う。彼の番組『ブラタモリ』は、云わば、地図、水、路地、閑地、崖、……そして坂の妙に拘り、江戸切図を手に東京の裏町を歩き、市中をひたすら散策して、その時間的断層の中に古き江戸を追想した荷風の名随筆『日和下駄』の、云わばヴィジュアル版のようなものかもしれない。私は昔は、その地で生きていく事の宿命と諦感をテ―マソングの重く暗い曲に込めた『新日本紀行』だけは何故か(特に中・高校時代は熱心に)欠かさず観ていたが、今は『ブラタモリ』をよく観ている。……疲れて凝り固まった頭の中を、あの番組は見事にほぐしてくれるのである。

 

何回か前に観た『ブラタモリ』は九州・熊本の阿蘇山の特集であった。その番組の中で解説する人が「活火山」という言葉を口にした時、タモリの巧みな連想力はその言葉に反応して、相撲取りの名前にその「活火山」を重ね、『熊本県出身・西前頭・活火山』というのがいたらいいね!と言って、タモリ自身がこの発想を面白がっていた。……私は、そういう言葉遊びが大好きなので、この瞬間にいたく反応して、頭の中はタモリのそれを越えるべく、相撲取りの名前で実際にいたら面白いだろうという、その名前作りに没頭した。もはや番組のその先を観ていない。…………先ず浮かんだのは『関の山』であった。関の山、……一見、実際にいそうで、通り過ぎてしまいそうな四股名(しこな)であるが、意味は、「一生懸命頑張ってはいるが、これ以上は、もう、もう出来ない、親方無理です!!!」という、自嘲、自虐的な四股名である。……おそらく関の山は、幕下からどう頑張っても、もはや上に上がる事はないようである。……さて、次に浮かんだのは、これは胸を張ってお伝え出来る自信作と言っていい四股名であるが……『内弁慶』というのはどうであろうか。……〈鳥取県三朝町出身・西前頭四枚目・『内弁慶』。〉……何とも自虐的でキュンと来て、母性本能の強い女性ファンがけっこう付きそうではないか!?。部屋の稽古ではめっぽう荒くて強いが、何か秘めたトラウマでもあるのか、この『内弁慶』。本割りの取組ではかなり脆い。親方夫人が気を揉んで国技館まで付いて来て、「いい?、ガンバよ!!」と励ますのであるが、やはり脆い。いっそ四股名を『弁慶』に変えるか!と親方は言うのだが、本人は、(親方、それじゃ返って荷が重いので)……と言って「内弁慶」にこだわっているところが芯がある。………………………。この四股名に関しては、もっと面白いのが浮かぶのではと、ふとした折りに考える日々が今も続いている。とにかく暑い日々である。水を小まめに飲んで、この四股名作りは、今年の最後の台風が去る日まで、まだまだ延々と続くのである。

 

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『夢の漂流物』

昨年の夏のブログで私は、来年はもっと過酷な暑さの夏になるであろうと書いたが、果たしてその通りの、刺すような暑さの日々が続いている。あまり好きな言葉ではないが、もはや誰もが眼前の死の危険とリアルに戦っている「運命共同体」と化したかのようである。今のク―ラ―の機能では補い切れないような暑さが、「今、そこにある危機」として、近いうちにやってくるような予感がある。……さて、そのような中で、10月15日から開催される日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展の為の新作の制作が、いま山場を迎えている。画廊の空間としては、おそらく日本で最大の広さがあると思われる美術画廊X。……今回で連続11回目となる、この企画展。最初にお話を頂き、打ち合わせに行った時に一目見て、私はこの空間が気にいってしまった。〈個展〉とは期限付きの緊張感に充ちた解体劇だと考えている私にとって、この空間はイメ―ジを展開する為の、厳しくも理想的な美の劇場として映ったのである。思えば、20年以上前に作っていたオブジェから比べると、最近のオブジェは明らかに一点一点が異なった世界を持ち、暗示性と象徴性が入り込んだ、イメ―ジの装置としての面が際立って来ていると私は分析している。美術の分野を越境して、もはやオブジェという言葉では括りきれない、名状し難い何物かを私は作り出しているという強い自覚を懐いているのである。……………さて、その制作であるが、起きている制作時の時とは別に、眠ってからも私は別な感覚の中で、どうやら表現を追い求めているらしい。つい先日には、こんな事があった。……アトリエで、或るオブジェ作品のイメ―ジの詰めをしていたのであるが、その最後の詰めがどうしても決まらない。……しかし、その夜にみた夢の中で、詰めとしての小さな「文字盤」が在るべき場所に完璧に配されており、眠りの中で、作品は完成されていたのであった。……目覚めた私は、その夢の中に出てきた文字盤を、記憶を追うようにしてアトリエの中で探した。私のアトリエには、オブジェに使う為の大小の部品およそ4000点以上が、分類された数々の箱の中に仕舞ってある。……確か、その小さな文字盤があった筈だと思いながら探すと、果たして、数多の箱の中の無数の部品の中に紛れこんでいるようにして、それがようやく見つかった。……部品は無数にある為にとても覚え切れない筈であるが、脳の中の潜在している記憶にはその全てが記憶されていて、私の睡眠時に、もう一人の私が覚醒して、制作の作業の続きをしているように思われる。……また、個展のタイトルや作品のタイトルも私はこだわる人間であるが、なかなか決まらなかったタイトルが、朝の寝覚めに、あたかも夢の漂流物のようにして、完璧な形で出来上がって流れ着いている時が度々ある。また、以前に文芸誌の『新潮』から依頼された書き下ろし執筆の時にも、目覚めている時には結び付かなかった、フェルメ―ルと『エチカ』の著者であるスピノザとの接点、そして、そこからの解釈が、夢の中で1本の線として直に結び付き、私はそこからの執筆が一気に進んだ時がある。……夢とは果たして、何であるのか。私は日々、頭の中で、オブジェ、コラ―ジュ、また新たな領域を求めていて、脳の中はグチャグチャであるが、眠りは、そして夢は、私の混沌を整理して、その奥から時として信じがたい夢の恩寵をもたらしてくれるのである。……制作の日々はまだまだ続く。個展を開催する度に新たな引き出しを開けて、全く別な感覚を開示する事は、表現者としての私の矜持である。……昨年、詩の分野において歴程特別賞を授賞した事も関係しているのかもしれないが、先日、詩の関係の出版社から話があり、来年に初めての詩集も企画出版として刊行される事が決まった。今までも折々に詩は書いて来たが、詩集としての刊行は正に的を得たタイムリ―な企画だと思う。また、私の写真家としての可能性を開いて頂いたギャラリ―サンカイビの平田さんの次なるプロデュ―スで、ミラノ出身の写真家の方との競作展も近々に打ち合わせが予定されている。……私の小さな頭の中で、ジャンルを越境して様々な事が、これから更に待ち受けているのである。夢の漂流物はその折々に静かな恩寵として、また度々流れ着いてくるように思われるのである。

 

 

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『鷺が翔んで来た日の事』

 

 

 

 

……アトリエの郵便受けを開くと、知人の画家や美術館、時には未知の作家らしき人からの案内状が届いている事がある。残念ながら興味をひく程の内容ではないので、ほとんど直ぐに忘却へと消えていくのであるが、先日、思いっきり未知の方からの葉書が届いた事があって、少し私の気をひいた。「民事訴訟最終通達書」と印刷された、何の事はない〈振り込め詐欺〉から届いた葉書である。……いつか僕にも来ないかなぁ……と内心ひそかに心待ちにしていたので、実際に手に取ってみて、少し嬉しかった。多くの人は、こういう文書がいきなり届くとパニックで舞い上がってしまうというが、それがよくわからない。……小難しい専門用語を並べて、いちおう頑張って文書化しているが、大事な主語にあたる文言が欠けており、一読、文章として体を成しておらず、故に意味がほとんど伝わって来ない。……この辺り例えるならば、何を伝えたいのかわからない、そこいらにいる美術評論家の文章とちょっと似ていようか。……しかし、ふと考えてみると、昨年、斜め前に住む老婆は、受け子に現金で300万円を渡しているし、今年の春もアトリエのすぐ前で、女性(またしても老婆)が受け子にまさに現金を渡す直前に、その光景に不審を抱いた知人の人が近寄って来たので、受け子は一目散で逃げて行き、事なきをえたが、私の周りだけでかくの如しだから、実際には相当な数の被害が発生していると思われる。……事件が成立する背景には、高額なタンス預金があるという実態と、今1つは独り暮らしの老人のよるべなき孤独が背景にあるのかもしれない。……思うのだが、昔からの友達も相次いで亡くなり、ほとんど誰からもかかってくる事のない電話が、ある日かかって来たら、人の声の懐かしさ、自分の存在を覚えてくれていたという嬉しさで、老人は受話器を先ずは強く握りしめてしまうのではないだろうか。……それがイントロとなり、巧みな話術にはまり、まるで催眠術にかかるようにして相手を盲信してしまう。その〈寂しさ〉という老人の孤独も、事の一端にはあるように思うのだが如何だろうか?

 

………………元来、詐欺師には、そこにアッと云わせる鮮やかさがあった。世間を煙にまいた後に残るカタルシスがあった。……世情、心理学、話術、演劇力に通じており、そこに手品のような虚を突く大胆さがあった。1911年に『モナ・リザ』がル―ヴル美術館から盗まれた事件があったが、その事件の更に裏の背景には、天才的な詐欺師と言われた人物が存在し、『モナ・リザ』がフィレンツェのホテルで発見されるまでの2年の間に、窃盗前から周到に用意していた何点もの『モナ・リザ』の贋作を、主にアメリカの大富豪達を相手に盗まれた本物の『モナ・リザ』と称して売りさばき、巨万の富を成したという逸話がある。当時は今と違い『モナ・リザ』の精巧な複製画はほとんど無く(故に画像としての視覚情報に乏しく)、またモナ・リザ発見後に偽物を掴まされたと知った被害者の富豪達も、盗難品と言われて、それを知りつつ買ってしまった手前、ばつが悪いのと恥ずかしさで、自ら訴える者は一人もいなかったという。……してやったりの醍醐味があるが、「詐欺はインテリの犯罪である」と断じた、ミュンヘン保安警察長ラインハルト・ルップレヒトの名言があるが、昨今の組織化された振り込め詐欺の殺伐さと違い、嘗ては、体制をコケにした鮮やかな〈詐欺師〉としての矜持とスケ―ルがあったように思われる。詐欺師、奇術師、魔術師、……この類いの話は、種村季弘氏の『詐欺師の楽園』に詳しいが、そこには詐欺師の艶のある孤独もまた垣間見えていっそう深いのである。「詐欺師は、匿名性の波間に身を潜める一般者なのだ」「誰も彼らの顔を思い出せない」……種村季弘。

 

 

 

 

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『次なる創造に向けて』

先日の25日、三週間に渡って開催された、銀座・画廊香月での個展が盛況のうちに終了した。画廊主の香月人美さんの知人、そして私の知人が数多く来られ、会場には常に来訪者が誰か必ずいるといった具合で、気を休められないものがあった。……今回の個展で特に良かったのは、遠方にいる私のコレクタ―で、まだ存じ上げなかった仙台や愛媛、そして長崎などにおられる方々に初めてお会い出来た事が嬉しい収穫の1つであった。……いずれの場所もまだ個展をしていない地域であるが、私のサイトや雑誌他の情報から、今回の個展開催を知り、遙々遠方からこの個展を目指して来られたのだという。そして、私の作品を前にして真剣に迷われながら、各々の方の感性に共振する作品を的確に選ばれて帰られて行った。……分けても仙台の方は、後日に名産の『牛タン』を香月さんと私の各々に送って来られ、特に記憶に残る人となった。仙台は、以前に宮城県立美術館で講演を行い、その翌年には講座でも喋ったという場所だけに懐かしい。……また、近々に盛岡で画廊を開設する予定だという初対面のS氏が来られ、即座に私の作品を買われた後で、画廊空間について幾つか問われたので、先ず第一に重要なのは照明の問題である事を伝え、幾つかのアドバイスを更にした。……この方はなかなかに飄々としたものがあり、しかも直感に光るものがあり、以後も何らかの形でご縁が特にあるように思われた。

 

……そのS氏が帰られた夕刻、珍しく来客が途絶えたと思って少し寛いでいると、一人の三十代後半の男性が静かに画廊に入って来られた。……その一瞬の気配で「この人物は……」と思わせる只者ではないものを私は感じた。その人は、画廊内に展示されているオブジェやコラ―ジュ、そして版画をじっくりと観ながら、新作のオブジェ二点と、版画『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』一点を買われた。画廊の香月さんがお茶を出して雑談になった。伺うと、この人は京都の古美術商で未だ修行中の身であるが、私の作品を含め、既にかなりのコレクションがあり、やかては画廊を京都の地に開設する事を考えているのだという。……古典から現代に渡ってかなりの知識があり、鋭い眼識と直感の持ち主と視た私は唐突に「宗達について書かれた幾つもの論考の中で、あなたは誰を第一に挙げますか!?」と問うと、はたして即座に受けて「宗達の中に、大和絵の髄とバロックの強度を同時に併せ視た三島由紀夫以外に、本質を突いた人はいないでしょう!」と返して来た。……本物である。その返しの見事な瞬発力は、「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」と語った芭蕉の即応の覚悟を思わせ、また具体的には、私の知る限り最も鋭い眼力の持ち主である、画廊「中長小西」のオ―ナ―である小西哲哉氏を想わせるものがあり、私は嬉しくなって来た。次代に続く若手の画商に人材が絶えて久しいが、まだまだ若いながらも雄伏している人材が確実にいる、その事を知り、私は無性に嬉しくなったのであった。なおも伺うと、昨年のこの時期に福島のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催された私の個展に、京都から遙々二回も観に行かれたのだという。そして、昨年に刊行した私の作品集『危うさの角度』をはじめ、パリで刊行した画集、美術館の私の図録なども全て持っているとの事で、私は大いに手応えを覚えたのであった。…………まだまだ私の存じ上げていない、私の作品を推す人達がこの国にはたくさんいる。今回の個展は、その事を具体的に知る出会いに恵まれた、そういう個展なのであった。……さぁ、今年前半の個展はこれで終了した。明日からは、凝縮していた新作への創造欲を爆発させる日々が待っているのである。

 

 

 

 

 

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『個展最終日、近づく』

まだ5月下旬だというのに、気温は30度に早くも達する暑い日が続き、もはや7月の気温になって来た。この異常事は史上初の事であるという。この後に梅雨が訪れ長雨のトンネルがしばらく続いたその先には、昨年の猛暑を超える、更なる炎暑、熱波の夏がメラメラと待ち構えていて、日常の中に〈メメント・モリ(死を想え)〉が蔓延するに違いない。……今回の個展は、そう考えてみると、ギリギリでベストな時期に開催されたように思われる。……今年の12月に3年ぶりに個展を開催する予定の、鹿児島のギャラリ―・レトロフトのオ―ナ―の永井友美恵さんをはじめ、北海道、仙台、愛媛他、遠方からも実に多くの方が遙々と私の個展を観に来られ、本当に有り難いと思っている。この場をお借りして感謝を申し上げる次第である。……さて、残る2日間、最期に如何なる方々の不意の訪れが待っているのか興味津々の個展である。……個展が終われば、10月から始まる日本橋高島屋・美術画廊Xの個展が待っている。今の個展が終われば、すぐに制作に没頭の日々が私を待ち受けている。その集中の日々を想うと、今からぞくぞくとする感覚が立ち上がって来るのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展開催中―奥野ビルの謎が解けた!!』

前回のメッセ―ジでお知らせした通り、今月の25日まで、銀座1丁目9―8の奥野ビル6階の画廊香月で個展『立体犯罪学―密室の中の十七の劇場』が開催中である(注..日・水は休み)。会場の奥野ビルは昭和7年から存在しているというから、まもなく築90年になろうとしている。このビルの存在を初めて知ったのは、『日曜美術館』での、ドイツ文学者・種村季弘さんの特集の時であった。……番組の冒頭で、カメラが、このビル内の石の階段を這うように低く、ミステリアスなアングルで映し出されていく。すると、突然、階段の途中で唐突に立て掛けられた、額に入った版画が画面に映し出され、それを幕開けとして、三島由紀夫が最も高く評価していた知の巨人―種村季弘ワ―ルドの世界が一気に開かれていくという流れであったが、観ていた私は驚いた。……何故なら、その版画は拙作の『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』であり、種村さんの愛蔵のコレクションだったのである。後日、種村さんにお会いした時に伺ったら、番組出だしのそのアイデアは種村さん自身が考案された由(ちなみに、この作品はカフカの翻訳でも知られる池内紀さんも書斎に愛蔵されている、80年代の代表作である)。……まぁ、それはともかくとして、その番組で、このタイムスリップしたような、帝都の面影を色濃く遺す奥野ビルの存在を知ったのであったが、後日に縁あって、美術家の池田龍雄さんからお話があり、そこで個展を開催する事になるとは、これもまた面白いご縁か。

 

……さて、この奥野ビルであるが、戦時中に何度も銀座は空襲爆撃に遭いながら、何故か、この奥野ビルだけが戦禍を免れ無傷のままに焼け残り今に残ったのだという話であるが、私にはその話に引っ掛かるものがあり、何故に空襲を免れたか……という事にずっと秘かな疑問を抱いていた。しかし、その疑問が解ける日が、今回の個展でやって来た。…………先日、デザイナ―で、私の作品の熱心なコレクタ―でもある久留一郎氏が画廊に来られた。久しぶりの再会なので話題がいろいろと飛び、やがて話がこのビルの話になった時、久留氏の口から、このビルの長い歴史の中であまり知られていない或る時代の事が明かされた。……彼の話に拠ると、このビルは戦時中には、築地の聖路加病院の看護婦たちが住む女子寮であったのだという。……かつては詩人の西条八十も棲んだというが、戦時中にそういう事があったとは意外であった。……その話を聴きながら私には、戦前のある秘話が浮かび上がって来たのであった。

 

……1934年(昭和9年)に、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック達、アメリカ野球のMLB選抜チームが日本を訪れ、沢村栄治らを擁する日本の野球チームとの親善試合が数回、場所を変えて行われた。そのアメリカチームの選手の中にモー・バーグという名前の捕手がいた(かなり格が落ちる二流の選手)。バーグは数試合に出ただけで突然、姿を消し行方がわからなくなったが、それを気にする者は誰もいなかった。……試合が行われている頃に、築地にある聖路加病院の最上階の見晴らしの良い屋上に一人の背の高い男が手にカメラを持ちながら立っていた。……モー・バーグである。彼は野球選手でありながら、今一つの顔は〈スパイ〉であった。バーグは、浅草寺、隅田川、富士山、筑波山……などの要所を基点に入れながら360度、一望に見渡せる広角の連続撮影でパノラマ写真を撮りながら、後に日米間の戦争を見据えての精確な撮影を秘かに行っていたのである。つまり、東京を始めとする、実に緻密な情報が、戦前からアメリカは入手していたのであるから、向こうが遥かに上手である。……私は今も築地の聖路加病院の近くを通ると、その秘話を思い出して、病院の最階上に眼を遣るのであるが、その秘話と絡め合わせると、銀座の奥野ビル近辺への爆撃を意図的に止めていた事が浮かび上がって来るのであった。聖路加の病院名は、新約聖書の福音書『ルカによる福音書』を書いたと云われる聖ルカに由来し、その建物は古くからキリスト教と密接な関わりがあるので、その病院で働く看護婦たちが住む、当時女子寮であったビルだけが戦禍を免れた事は想像に難くない……とも見えてくるのである。……ともあれ、様々な人達のドラマがあり、長い時間の澱が秘めやかに刻印されている、この奥野ビルで開催されている今回の個展『立体犯罪学―密室の中の十七の劇場』は、いかにもこの建物とリンクして、相応しいタイトルではないだろうかと思っている。……その個展が始まって、会期の三分の一が過ぎたが、まだまだ25日まで個展の日は続く。……そして遠方も含めて数多くの方々が観に来られて、様々な出会いの日々にもなっている。毎日が実に充実した日々がまだ暫く続き、その後は、10月からの日本橋高島屋の個展の為の、今度は一転してアトリエでの静かなる制作の日々へと移っていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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