月別アーカイブ: 8月 2010

『目隠しされたロレンツォ・ロットが語る12の作り話』

「作り話」(フィクション)を主題に制作された新作のオブジェや、コラージュ、またヴェニスを舞台に撮影した写真作品などを発表します。(※ロレンツォ・ロット=ルネッサンス期の画家)

 

 

 

 

 

 

期間:9月1日(水)~20日(月・祝)
場所:日本橋高島屋本店・6階〈美術画廊X〉
※最終日は午後4時閉場。

 

 

 

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『まるでゾンビのように・・・』

俳句の季語ではないが、稲川淳二といえば〈夏〉が定番となっている。先日その彼がTVで怪談話をやっていたので暑気払いのつもりで見た。しかし何故か恐怖感が湧いてこない。〈CMの後は、稲川淳二のとっておきの話『荷車』です〉とテロップが入った。荷車?——–どうせ、それに乗っていて亡くなった重症者の怨念が残って戦後に現れる話だろうと思っていたら、全くそのとおりであった。稲川淳二を囲んで怖がる若い女性たちも一応仕事はしていたが、いささかシラケている感じ。何故,昔ほど怖くないのかなと思っていたら、ハタと気がついた。それは〈事実は小説よりも奇なり〉を地で行く「現実」の方が怖くなっているからである。

 

 

最近ぞくぞくと出てくる高齢者の白骨死体。事件が1,2件だと、まあある話かと思うのだが、これがまさにぞくぞくと出てくるのだからあきれてしまう。まるでゾンビである。このような事態をまねいた原因は、プライバシー保護という法律の上に安具楽をかいた市役所職員の怠慢である。そしてそこを突いて(・・・これなら年金の不正受給が出来る!!)とふんだ家族達の、そう決めた時の一瞬の目の光は不気味である。ひょっとすると、まだまだいるのではあるまいか?このまま行くと、平均寿命の計算も実は随分と狂ってくるのでは・・・。ここにきて崩れて来た長寿国日本という幻想。しかし年金を受給したいという、その主たる理由で、一室を設けて腐敗した死体を寝かせているという家族達の歪んだ感覚は凄まじい。この現実を越えて人々を怖がらせるためには、稲川淳二も工夫が大変だと思う。下から顔に当てる照明も、もっと強くする必要があるだろう。長寿国日本の幻想は崩れ、今や超呪大国と化していく感さえある昨今。老後を保証された北欧では、絶対に起きない事件である。

 

 

 

 

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『龍馬が・・・いない』

坂本龍馬がブームであるが、実像はどうであったか。

それを知るには当時の関係者たちの日記などが最も具体的であろう。例えば三条実美の日記には「奇説家より、偉人なり」とあり、薩長連合成立直後に勝海舟が記した日記には、「聞く、薩と長の結びたるを」と記し、その仕掛人が龍馬であるらしいという風聞を伝え「それをやってのけられるのは、あの男しかいないであろう」と書いている。

又、アーネスト・サトウの日記には「鬼のような形相で私を睨みつけた・・・」とある。さらに睦奥宗光の評では「度量の大きさは西郷と並び、また西郷をすばしこく(頭の回転が早い)したような機敏さを持っていた」とある。

 

 

 

幕末の三傑は「木戸大久保西郷」となっているが、考えてみたところ、この説はおそらく伊藤博文あたりが、自分を高く見せる為に流布させたように思われる。幕末に少し興味がある人ならば、上記の三人には?をつけるであろう。正しく幕末の三傑を挙げろと聞かれれば、私は迷わず「坂本高杉西郷」の名を挙げる。この三人の存在こそ、回転の絶妙時に奇跡的に出現し,具体的な維新の核的エネルギーとなった。この三人の後に、大久保小松木戸岩倉中岡、等が続くと私は解釈している。思うに彼等は自分が歴史に果たすべき役割を知っていたようなところがある。革命の語源は易経の「天に従い、人に応ず」の志であるが、それにあるように、天命を知る詩人肌の、自らの生に執着しない人物こそ革命家と呼ばれるに相応しい。この後に政治家という存在が来るが、それはつまるところ事務処理家でしかない。

 

さて、つまらない話を書く。数ヶ月前、TVで「今一度日本を洗濯する」と熱く語り、白いワイシャツを干しまくって、龍馬ブームにあやかろうとした菅は、今や我が手から離れつつある権力の妄執と化している。その菅や、かつての父親の存在と金のみを背景として理念無き鳩山や、幹事長という実質黒幕職大好きの小沢・・・といった詭弁だけがその能力の連中を幕末に配せばどうなるか? 彼等に相応しい役は、まあ、せいぜい黒船の出現で慌てふためいた下田の海岸警備の幕府の小役人あたりが相応しいだろう。残念ながら、今の日本にはその程度の人間(人材ではなく)しかいないのが実情である。しかし,龍馬や高杉といった人物も考えてみれば、時代の外圧によって化けた事を思えば「危機の時代」が人を造るともいえるであろう。秀でた人材が全くいないという事は、世の現実として、世界が生ぬるい事の映しであるのかもしれない。まことに世の中とは、一勝一敗の原理である。

 

 

 

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『ジャコメッティを書くという事』

美術雑誌「ギャラリー」に連載している『イマージュの交感ー蕪村VS西洋美術』も21回目に入った。9月1日発売号には、ジャコメッティと彼のオブジェ《超現実主義のテーブル》につして書いている。実は今回の分は、個展のための制作に追われて執筆は無理だと思ったが、主題が〈狂人〉という事もあり、急に書く意欲が湧いてきて一気に書き上げた。サルトルの実存主義と重ねてジャコメッティは語られるが、内実はいかに離れた所に在ったかという事、またジャン・ジュネこそ、その良き理解者であった事などを書いた。

 

先日、「ギャラリー」編集部の深井さんが、私の特集のために取材をするというので、茅場町の森岡書店をお借りしてインタビューに応じた。深井さんの聞き方が上手く、珍しく本音を語り、そのゲラが送られて来たが、とてもよくまとまった内容になっている。

 

さて、いよいよ9月1日から始まる個展『目隠しされたロレンツォ・ロットが語る12の作り話』が近づいて来て、本日その案内状が届いた。A4サイズ四面オールカラーの実に良い印刷になっており、今回の出品作の断片や私の詩が入っていて,スリリングな仕上がりである。デザインは求龍堂、印刷は光村であるが、案内状としては昨今に無い、気合いの入った出来に満足する。後は神経を削って作品の仕上げを私が行うだけである。コラージュ、オブジェ、そして写真プリント・・・・と切り換えるわけだが、今回も多分、個展が始まったら、救急病院に担ぎ込まれるように思う。限りある命である。数年前に久世光彦氏から電話があり、「美術と文章の両方をとことんきわめていくように」というアドバイスがあった。今はそこに「写真」が加わった。久世さんからの遺言として、今は受け止めている。

 

 

 

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『9月からの個展に向けて』

 

 

 

今秋から始まる個展の題が『目隠しされたロレンツォ・ロットが語る12の作り話』に決まった。9月1日から日本橋高島屋の《美術画廊X》でその第一弾が始まり、ギャルリー宮脇(京都)MHSタナカギャラリー(名古屋)ぎゃらりー図南(富山)と続き、来年の2月まで合わせて八カ所以上の会場で催される予定である。もっとも、各画廊には、そこでしか発表しない作品も「書き下ろし」のように作るため、画廊によって展示内容が異なってくる。内容は,オブジェ、コラージュ、版画、写真、詩をからめたもので、上記したタイトルは、その全ての分野を通底するイメージとして考えたものである。

 

 

私は個展を一種の解体劇のように考えているために、タイトルは重要であり、それが決まらないと火がつかない。だから今、猛暑の中で、アトリエに閉じこもり、狂ったように制作に没頭の日々である。昼は写真のプリント、それが終わるとオブジェ、コラージュに入り、日が没してからは連載の原稿の執筆や資料の詠み込みをするのであるが、集中しすぎて自分の名前を忘れることがある。もっともあまり現世の自分に執着していないために、それは心地よい感覚ではある。

 

 

一時の中断を経て、新たに立ち上げたオフィシャル・サイト。多くの方々から再開の要望を頂いた事は、まことに感謝すべき事であるが、そういう理由から、このサイトで〈新作〉の姿を見て頂くのは、もう少し時間の余裕が出来てからと考えている。サイトの方もこれから少しずつ情報の肉付けをしていき、楽しんでもらえる内容にしていきたいと思っている。今後ともご支持頂ければなによりである。

 

 

 

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