月別アーカイブ: 4月 2015

『オーラとは何か!?』

テレビ番組のプロデューサーの方と、銀座のカフェで二時間ばかりの打合せを終えて、近くにある個展開催中のビルに戻ろうとすると、そのビルの前の光景が昭和初期に一変し、パナマ帽の紳士やモボ・モガの若い男女が多数立っている、まるでタイムスリップしたような空間に出くわした。しかも通行規制がしかれている。眩しいライトや反射光・そしてカメラが在るのを見て、撮影中なのだとすぐにわかった。ハテッ、では役者は誰かと見回すと、そこだけがひときわ光っている空間に、女優で歌手の今井美樹と、名前が出て来ないが、テレビで度々見た事のある女優がいた。

 

そこだけが光っているとは、つまりはオーラの事であるが、オーラとは何なのか・・・と時々思う事がある。以前に個展をしていた森岡書店の時には、同じビル内に撮影中の、女優の伊東美咲がいて、やはり華やいだオーラを放っていた。その伊東美咲が去った後、極寒の時ではあったが、何故か個展会場に多くの人が集中的に来て多くの作品がコレクションされていった。オーラの余波が人を呼ぶのだろうか。今回もこのオーラを頂こうと思った私は、その「気」を意識的に吸収して、撮影現場の奥野ビルに入り、会場である6階の画廊へと入った。そして画廊主の香月さんに「・・・今日はこれから多くの人が来ますよ」と予告した。「気」の流れをこちらに変えたのである。すると案の定、来場者の切れ時が無い程に来客が続き、一人で私のコラージュを三点も購入される人が現われるなど、閉廊時まで会場は人で賑わった。

 

オーラとは、著名人にやはり付きもののようであるが、仕事は確かであっても、しかしその人がオーラを放っているとは限らないから、その仕事の質とはまた別物のように思われる。かつて真近で接した人では、断トツなオーラを放っていた棟方志功池田満寿夫は光っていたが駒井哲郎には無く、近代詩の頂点にいる西脇順三郎吉岡実は地味な実朴の感があった。また、瀧口修造はオーラは無かったが、類のないブラックホールのような引力を放ち、艶のあるカリスマ性をオーラと共に放っていた澁澤龍彦が鮮やかな記憶として残っている。記憶と云えば、強烈なオーラを放っていたのは、やはり勝新太郎であろう。

 

美大の学生時に、私は東宝撮影所でアルバイトをしていた事があった。〈セット付き〉という仕事で、俳優に付いて撮影の細かい仕事を主にやるのである。或る時、その撮影現場に将棋盤と駒があるのを見て、それを持ち去り、私と友人はセットの裏でさぼりながら将棋を楽しんでいた。しばらくすると、私の背後でもの凄い怒声が響き、振り返ると、私を殺意ある形相で睨む勝新がいた。そして勝新の後には、事の成り行きを心配そうに見守る、相手役の丹羽哲郎がいた。その日は映画の最も大事な山場の撮影で、『王将』の坂田三吉に扮した勝新が最高なテンションに自分を高めて現場に入ると、大事な将棋盤が無いので撮影が出来ず、勝新自らが狂ったようにそれを捜しはじめ、セットの裏から響く駒の音に気付いて、その音を辿っていくと、そこに私がいたのであった。勝新は私を役者志望の苦学生と明らかに勘違いしたらしく、怒りから一転して、役者の心得というものを丁寧に私に論してくれたのであったが、ともかく勝新が放つオーラは強烈に焼き付いている。他の記憶で云えば、私がクラシックバレエを学んでいた時に、自由が丘の中華飯店で後にいた現役時の長嶋茂雄もまた強い光を放っていたが、その横にいた王貞治は意外にも実朴の感があった。新潮社から刊行した拙著『モナリザミステリー』の帯に名前が出て来るビートたけしも同じであり、・・・・オーラとは、知名度とは比例しない別種な「何ものか」のように思われる。つまり、こちらがその人に対して抱いている想いや、主観の投影ではなく、やはりオーラを放つ類の人は、自身から何かを発しているのである。その良い例を話そう。

 

幕末に小曽根英四郎という名の長崎の豪商がいた。長州や薩摩の御用達も務めた人物である。この小曽根なる人物が、或る時に旅籠の一階で旅の荷を解いて休んでいると、側で何人かの侍が談笑しているのが聞こえて来た。見るとその侍の中で一人だけ不思議な光を強烈に放っている若者の姿が見えた。今まで見た事のない体験である。さすがに小曽根は気になり、その若者に声をかけた。・・・・その若者とは、坂本龍馬の事であるが、以来、小曽根は坂本と気が合い、亀山社中・海援隊設立に関わり、自身の家を龍馬の潜伏先として提供もしていく仲となる。つまり、小曽根と龍馬は長州や薩摩の仲立ちで知り合ったのではなく、ふとした偶然に出会った見知らぬ同士として知り合い、強烈なオーラを放つ若者に声を掛けた事から関係が始まっている。

 

光って見えたのは、相手が龍馬としての主観からではなく、既にして自身からオーラを放っている青年が彼の眼前にいたのである。私見ではあるが、歴史上の人物でこのオーラを放っていた人物として先ず浮かぶのは、織田信長上杉謙信であり、秀吉はそれなりに光っていたであろうが、おそらく家康はオーラとは別物の重い実朴の存在感を放っていたように思われる。さてもオーラとは何か!? ・・・・内なるアドレナリンの過剰なる活性が表ににじみ出て光を放つものなのか。オーラ、おそらくその語源はアウロラ〈Aurora〉か。意味は、ローマの暁の女神、極光である。・・・・ともあれ、それについて誰かが分析的に書けば面白い本が出来るように思われるが、そこに着眼した書き手は未だいないように思われる。

 

 

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『銀座・奥野ビル・画廊香月』

出品作品の中に「春雷」をモチーフにした作品があったからでもないだろうが、この二週間は雨が降る日の多い不安定な気候であった。そういう中にも関わらず、九州や四国、また北海道や福島といった遠方からも熱心なコレクターの方が個展会場に来られ、私は本当に感激し感謝している。出来上がったばかりの〈現在形〉の新作を私も見て頂きたいし、コレクターの方もまた、その〈現在形〉の新作を楽しみにしておられるのである。

 

 

さて、個展の同時開催をしていた一方の茅場町の森岡書店の方がようやく終了した。私は連日、森岡書店にいたが、今週からは身体を、銀座1丁目の奥野ビルの六階にある画廊・香月の方に移す事となる。こちらは25日(土)まで開催中であるが、50点近い作品が展示されており、圧巻である。森岡書店の在るビルは昭和2年建立であるが、こちらの銀座の奥野ビルもほぼ同時期の造りで戦災から奇跡的に免れている、貴重な文化財級の建物である。私の作品が持っている、現在でもなければ、過去でもない、不思議な宙吊りになったような時間感覚と、ビルの趣が相乗して、不思議な個展の様相を呈している。22日(水)のみ画廊は休みとなるが、25日までの残り5日間、またいろいろな方との出会いや再会が待っているであろう。制作とはまた異なる貴重な時間が、個展の時には流れている。

 

 

 

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『森岡督行さん・香月人美さん』

今月18日(土)まで個展を開催中の、茅場町にある森岡書店のオーナーの森岡督行さんは、現在40歳である。不思議なご縁で出会ってから個展をするようになり、早いものでもう六回目になる。今回も多くの方々がはるばる遠方から来られたりして、作品が一点、また一点と各々の方のコレクションに入っていっている。ここに来場される方が重なる時間帯があり、そういう時は10人近い方々で、会場が充ち、こちらの応対も大変である。しかし先週の或る日は一日中どしゃ降りの雨となり、珍しく静かな時間が流れていた。私は美術家で、森岡さんは書店のオーナー兼ギャラリストであるが、共に何冊かの著作がある。

 

雨が降っている時、この森岡書店の会場の中で、私たちはお互いの著作をプレゼントし合い、お互いの本を、各々の机の所で読んでいた。私の本は『美の侵犯・蕪村X西洋美術』。森岡さんの著書は『荒野の古本店』(晶文社刊)。既に多くの人に読まれて第3刷目に入っており、5000部以上が読まれている。その本を読むと、森岡さんの人生の一部が見えて来る。書店での修行時代、そして独立、ここ森岡書店の空間との運命的な出会い、・・・・・プラハやパリでの古書探しの苦労話。その足跡を読んでいると、この不思議な青年の面影を残す森岡さんの本質が、夢を追って生きている夢想家である事が伝わってくる。ここに置いてある書籍の質の高さは群を抜いて高く、むしろ海外の書店からの注文が多い。故須賀敦子さんの『コルシカ書店の仲間たち』のような、伝説的な書店兼ギャラリーとして、この森岡書店は今後、語り継がれていくに相違ない魅力に充ちている。

 

今月25日(土)まで個展を同時開催している銀座の画廊香月のオーナー・香月人美さんも、また謎の人である。先達として尊敬している美術家の池田龍雄さんなどの個展を度々開催しているが、その池田さんから私に、この画廊で個展をという話があり、私は応える形で個展を開催し、今回で二回目になる。今回の個展で、私は香月さんからの提案で案内状に載せる為の短文を書いた、それが以下の文である。

 

「画廊香月は、密室めいた一つの劇場空間である。その中で私の作品の登場人物たちは、ロココやバロック、そしてルネサンスやロマネスクな衣裳のままに妖かしの肉体性を帯びて、ミステリアスで艶やかなる競演を呈してくる時がある。美の断片が持つ不思議な表情を、この画廊は時として見せてくれるのである。」

 

私はそのように記し、この画廊での個展のタイトルを「百の断片 ― ベッリーニの計測される二つの感情」にした。上記の文をお読み頂ければ、タイトルの意味が透かし見えて来ようかと思う。さて、香月人美さんであるが、舞踏家の大野一雄氏に師事した舞踏家でもあり、ラジオのパーソナリティーも務め、また詩人でもあり……と、様々な表現の世界を歩んで来られた経緯がある。実に表現力が豊かであり、画廊に来られた方々に語る、私の作品についての分析も深いものがある。今週からは天気も少しずつ回復し、多くの方々との出会いが待っている。秋までは作品の発表をしないので、この二つの個展の後には、制作への集中という長い〈沈黙〉が待っている。故に、今回の個展での私の「現在形」をご覧いただければ幸甚である。

 

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『交感する不思議な力』

前回のメッセージでお伝えしたように、今、私は二つの個展を同時開催中である。先日、その展示のために銀座の画廊・香月での作業が終わり、もう一つの会場である茅場町の森岡書店に向かうため、私は銀座駅へと向かって歩いていた。

 

・・・・道を歩きながら、私の脳裏に一人の人物の事がふと浮かんだ。シルクスクリーンの刷師で、以前も私の版画集のタイトルページを刷って頂いた刷師の渡部広明さんである。私は近々に新しい表現を展開する為に、その渡部さんを急に必要としていたのである。しかし、渡部さんが引っ越しされて久しい為に連絡先が分らず、私は困っていた。なにしろ不明のままに7年の月日が流れていたのであった。私の銅版画の刷師の加藤史郎さんも渡部さんと親しかったが、彼も、連絡が取れないと言う。では、他のシルクの刷師をと考える人もいるが、日本で最高なシルクスクリーンの刷りの技術を持っている渡部さんが私には必要なのであり、それ以外の発想はなかった。

 

何とか連絡先を見つけなくては・・・・、そう考えながら、銀座駅に着くと、切符売場で駅員と何やらパスモの事で揉めているらしい、大柄の男性の後ろ姿が見えた。そしてその駅員と男性が並んで事務室に入ろうとした時、私の目にその男性の横顔が一瞬見えた。・・・・!! 私は唖然とした。想ったらその人が何故か私の前に現われ出る。その事は度々、このメッセージでも体験を語って来たが、又しても、それが起きてしまった。・・・・その男性は7年以上会わずにいて、しかもつい先程、・・・・近々に何とか連絡先を追跡せねばと想っていたばかりの、その渡部さん本人が、私の前に忽然と現われ出たのであった。

 

さっそく仕事の依頼の話をまとめ、名刺をしっかりともらって私たちはそこで別れた。まぁ、長い人生にそのような偶然は誰にでもあるだろう。しかし、私の場合、想ったら、それがまるで手品のように現われる事の不思議が、あまりに度々と起こってしまうのである。俗に言う予知現象であるが、私はそれを交感現象と意味づけている。

 

オブジェやコラージュを作る時に、私のその能力は全開しているといっていいだろう。不可思議な夢のようなヴィジョンを立ち上げる時、私のそれはインスピレーションの走りとなって作品が出来上がっていく。かつて、アンドレ・ブルトン達シュルレアリストが自動記述に深入りし、深層の内なる他者を見出そうと必死で努力していた事があるが、私にはそのようなものは無用である。〈純粋客観〉と〈集中〉のヴェクトルがクロスして、あたかも稲妻捕りのように、私の場合、作品が生まれ出てくるのである。オブジェとコラージュは、共に“イメージの錬金術”といった要素がある。異種同士が結びついて、全く今までありえなかった謎めいたヴィジョンが立ち上がるのである。誰にでも出来そうな方法論でありながら、内実なかなかに「作品」としてのクオリティーの高さを持って作り得るのが難しいのが、このオブジェとコラージュという各々の技法である。「交感能力」、— この感性の稲妻が銀色の鮮光を持って光り輝き、その冴えを失わない限りは、オブジェとコラージュは共に、私における重要な表現手段としてあり続けていくであろう。

 

 

 

 

 

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『二つの個展・同時に始まる』

6日から銀座の画廊香月と茅場町の森岡書店で私の個展が始まった。今まで何十回と個展を開催して来たが、同時開催というのは初めてである。画廊香月と森岡書店は共に二年ぶりの個展。画廊香月の個展のタイトルは『百の断片― ベッリーニの計測される二つの感情』、森岡書店は『ヴィラ・ビスタの鳥籠の中で』。共に私の現在形を映した新作を発表しているので、ぜひ御覧頂きたい個展である。

 

二つの個展会場はどちらも個性的な空間であるが、共通しているのは昭和初期に建てられ、どちらも東京が帝都と呼ばれていた頃のレトロモダンな趣に充ちているという事であり、それが私の作品に通底しているミステリアスで時間が停止したようなイメージの世界と不思議に絡み合ってくる事である。ゆえにどこまでが現実で、どこからが虚構の世界なのか、…… その境界が不分明的であり、訪れた人を一刻の間、虚構が現実を領している世界へと引き込んでいくようである。

 

会期は、画廊香月の方は4月25日(土)までの三週間(13時~18時30分迄。水・日のみ休廊)、森岡書店は4月18日(土)までの二週間(13時~20時まで。日のみ休廊)である。4月に入り、光降る暖かな時節が到来した。この機会に御覧頂ければ幸甚である。

 

〈画廊香月〉

〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目9−8 奥野ビル605

電話:03-5579-9617

〈森岡書店〉

〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町2丁目17−13第二井上ビル305

電話:03-3249-3456

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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