月別アーカイブ: 10月 2022

『個展、最終週に入る』

10月19日から始まった今回の個展も、11月7日(月曜)迄の、いよいよ最終の週に入った。……毎日、個展会場である日本橋高島屋の美術画廊Xに出ているが、私の作品を愛してくれる熱心なコレクタ―の人達、親しい友人、……そして新しく出逢えた縁ある人達が次々と来られ、貴重な日々が続いている。

 

昨日は夕方から俳人の馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長)が名古屋から来られ、ヴェネツィアのお話しなどがたくさん話題に上った。馬場さんは瀧口修造さん、加納光於さんをはじめとして50年代後半からの美術界を知る最も重要な目撃者、証人でもあり、ヴェネツィアを主題にした馬場さんの句集『海馬の夢』などで、私はヴィジュアルで加わったりもして、最も永いお付き合いをさせて頂いている先達の方である。……私の交流は美術よりもむしろ文藝や他の分野の方が多いので、今回もその方面の方が特に目立つ。今回の個展は、今までで最も完成度の高い作品が一堂に揃っているという評価を多くの方がされており、作品をコレクションされる方は、どの作品に決めるかの自問自答を永い時間をかけて考えておられ、正に個展会場が真剣勝負の場所になっている。

 

画廊を一周して即断で決める方、2時間くらいじっくり熟考される方、数日考えて決める方、……「コレクションという行為もまた創造行為である」という言葉があるが、その現場の真剣勝負を私は毎日、作者として視ているのであり、作り手として最も手応えを覚える場面でもある。(……先日、30代の男性の方であるが、画廊に午前早くに来られて作品と出逢い、昼食でいったん画廊を離れてからまた戻って来られ、実に6時間という熟考の後で作品を2点購入された方がいるが、この方が最長記録かと思う。昔、私はスペインのプラド美術館でゴヤを、そしてオランダでフェルメ―ルを長時間観続けた事があったが、この男性の方には脱帽する。) ただ、作品は版画と違いオリジナルが一点しかこの世に存在しないので、迷って決まらず、いったん帰られた方と入れ違いに、その作品と本当に縁のあった方が来られて決める場面が度々あり、数日考えてからコレクションを決めた方が再び画廊に来られた時に、作品が既に他の方のコレクションになっているのを知って落胆されるという場面が、今回も数回あるが、それは仕方がない事かと思う。作品もまた、真に作品を永く愛してくれる「その人」の到来を待っているのである。

 

……作品を選ばれる方は、今回は大学生の方から八十代の方までとやはり幅が広い。世代を問わず、各々の作品の中から自在にイメ―ジを紡いでおられるのであろう。或る女性の詩人の方は『Cadaquesの眠る少年』というタイトルのオブジェ作品を選ばれたが、この一点で新しい詩の世界が一気に拡がり、数点の詩が書き下ろせると喜んでおられた。その詩が出来上がるのが私も楽しみである。…………かくして今回の個展でも、多くの作品がわがアトリエから旅立って行き、作品との永い対話を交わしていく人達が、各々の作品から様々なイメ―ジを紡いでいく、次なるもう一人の作者になっていくのであろう。(……話は少し変わるが、前回のブログで第二詩集刊行予定の事を書いた事で私の詩集の存在を知った方から、私の第一詩集について詳しく知りたいという問い合わせを画廊に来られて訊かれる事があるので、このサイトの別な所に詳しく書いてある事を申し添えておこう。……今も詩集購読の申し込みがアトリエに届き、第一詩集も根強い人気が続いているのは作者として嬉しい事である。)

 

 

……さて、今回の個展、いよいよ最終週に入った。天候に恵まれ、懸念していた台風も去った。……残る七日間、また不思議なご縁のある方との出逢いや、親しい人達との再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『美の速度』

……2週間ばかり前の事であるが、アトリエの前の桜の樹の上で蝉が鳴いていた。まさかの空耳かと思い外に出て樹上を仰ぐと、高みの色づいた葉群のところで確かに蝉が見えた。雌の蝉も仲間も死に絶え、蝉はたいそう寂しそうであった。……また先日は、上野公園のソメイヨシノが狂い咲き、観光客が不気味がっている光景を報道で観た。……明らかに狂っている。ここ数年来、加速的に世界の全てが異常の様を呈して来て、底無しの奈落へと堕ちていく観が見えて来るようである。若者達は灰色の閉塞感の中に在り、AIだけが先へと向かって優位の様を見せている。若者達は便利極まるスマホに追随し、自らの脳に知の刺激を入れて高めようという気概は失せ、皆が不気味なまでに同じ顔になっている。……薄く、あくまでも軽く。……

 

芸術は、人間が人間で在る事の意味や尊厳を示す最期の砦であるが、昨今は、芸術、美という言葉に拘る表現者も少なくなり、ア―トという雲のように軽く薄い言葉が往来を歩いている。元来、美は、そして芸術は強度なものであり、人がそれと対峙する時の頑強な観照として、私達の心奥に突き刺さって来る存在でなくてはならない、というのは私の強固な考えであり、この考えに揺らぎはない。……だから、私の眼差しは近代前の名作に自ずと向かい、その中から美の雫、エッセンスを吸いとろうと眼を光らせている。……美は、視覚を通して私達の精神を揺さぶって来る劇薬のようなものであると私は思っている。

 

 

 

 

 

……さて、いま日本橋高島屋の美術画廊Xで開催中の個展であるが、ようやく1週間が過ぎ、会期終了の11月7日まで、まだ12日が残っている。

 

今回発表している73点の新作は、ほぼ5ケ月で全ての完成を見た。換算すると150日で73点となり、約2日でオブジェ1作を作り終えた計算になる。頭で考えながら作るのではなく、直感、直感のインスピレ―ションの綱渡りで、ポエジ―の深みを瞬時に刈り込んでいくのである。……この話を個展会場で話すと、人はその速さと集中力に驚くが、まだまだ先達にはもっと速い人がいる。

 

例えばゴッホは2日に1点の速度で油彩画を描き、私が最も好きな画家の佐伯祐三は1日で2点を描き、卓上の蟹を画いた小品の名作は30分で描いたという。またル―ヴル美術館に展示されているフラゴナ―ルの肖像画は2時間で完成したという伝説が残っている。……話を美術から転じれば、宮沢賢治は1晩で原稿250枚を書き、ランボ―モ―ツァルトの速さは周知の通り。先日、画廊で出版社の編集者の人と、次の第二詩集について打ち合わせをしたが、私の詩を書く速度も速く、編集者の人に個展の後、1ケ月で全部仕上げますと宣言した。ただし、ゴッホ、佐伯祐三、宮沢賢治……皆さんその死が壮絶であったことは周知の通り。私にこの先どんな運命が待ち受けているのか愉しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ダンスの勅使川原三郎さんと話をしていた時に、私の制作の速度を訊かれた事があった。私は「あみだクジの中を、時速300kmの速さで車を運転している感じ」と話すと、勅使川原さんは「あっ、わかるわかる!!」と即座に了解した。この稀人の感性の速度もまたそうである事を知っている私は、「確かに伝わった」事を直感した。この人はまたダンス制作の間に日々たくさんのドゥロ―イングを描くが、先日の『日曜美術館』でその素描をしている場面を観たが、もはや憑依、自動記述のように速いのを観て、非常に面白かった。以前に池田満寿夫さんは私を評して「異常な集中力」と語ったが、かく言う池田さん自身も、版画史に遺る名作『スフィンクスシリ―ズ』の7点の連作を僅か3週間で完成しているから面白い。

 

 

……私が今回の個展で発表している73点の新作のオブジェ。不思議な感覚であるが、作っていた時の記憶が全く無いのである。7月の終わりになって完成した作品を数えたら73点になっていた、という感じである。……また、夢はもう1つの覚醒でもあるのか、こんな事があった。……夕方、作品を作っていて、どうしても最後の詰めが出来ないまま、その部分を空白に空けたまま眠った事があった。……すると明け方、半覚醒の時の朧な感覚の中で、作品の空白だった部分に小さな時計の歯車が詰められていて、作品が完璧な形となって出来上がっているのであった。(……あぁ、この歯車は確かに何処かの引き出しの中に仕舞ってあったなぁ……)と想いながら目覚め、朝、アトリエに行った。しかし、なかなかその歯車が簡単には見つからない。様々な歯車があって、みな形状が違うのである。アトリエに在る沢山の引き出しの中を探して、ようやく、その夢に出てきたのと同じ歯車を引き出しの奥で見つけ出し、取り出して空いた箇所に入れて固定すると、作品は夢に出てきた形の完璧なものとして完成を見たのであった。

 

……また、夢の目覚めの朧な時に、10行くらいの短い詩であるが、完全な完成形となって、その詩が出来上がっていた時があった。……私は目覚めた後に、夢見の時に出来上がっていたその詩の言葉の連なりを覚えているままに書き写すと、それは1篇の完成形を帯びた詩となって出来上がったのである。…………たぶん夢の中で、交感神経か何かが入れ代わった事で、作りたいと思っている、もう一人の私が目覚めて、夢の中で創るという作業を無意識の内にしているのであろうか。……とまれ、眠りから目覚めのあわいの時間帯に、オブジェが出来上っている、或いは言葉が出来上がっている……という経験は度々あるのである。………

 

私が自分に課しているのは、1点づつ必ず完成度の高みを入れるという事であるが、今回の個展に来られた方の多くが、作品の完成度の高さを評価しているので、先ずは達成したという確かな手応えはある。……今回の作品もまた多くの方のコレクションに入っていくのであろう。私は作品を立ち上げた作者であるが、それをコレクションされて、自室で作品と、これからの永い対話を交わしていくその人達が、各々の作品の、もう1人の作者になっていくのである。……個展はまだ始まったばかりであり、これから、沢山の人達との出会いや嬉しい再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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個展「射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋」、……始まる。』

10月19日(水)から11月7日(月)迄の3週間、東京日本橋・高島屋本店6階の美術画廊Xで、新作オブジェ73点を一堂に発表する個展『射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋』がいよいよ始まる。……今年の3月から集中的に制作して来た成果が、世に問われるのである。……個展案内状は私と画廊から、コレクタ―の人達を中心に既に送られており、受け取った人達から案内状に掲載されている作品についての問い合わせが、早くも画廊に届いているようである。18日が作品の展示作業であるが、オブジェは版画と違い、全て一点しか存在しないので、気に入った作品との出会いを求めて、展示作業時に早くも画廊に来られる方がおられるのが最近の傾向である。

 

今回のブログでは、その作品中から八点ばかりを取り上げて掲載する事にしよう。…………しかし、やはり作品は各々のオリジナルが持っているマチエ―ルを通して、そのアニマを実際に享受して頂くのが一番醍醐味があるので、ぜひ会場に来られて作品を直で体験して頂きたいと思う。……一点、一点が各々に全く違うイメ―ジで、これが73点、関東では最も広い画廊空間に並ぶのである。……不思議な感覚であるが、作品もいよいよ緊張するのか、画廊に展示された瞬間から急にその息をはっきりと呼吸し始める。そして、静かなその息が全体に拡がって、画廊空間にえも言われぬ緊張感を漂わせ、それが現実を凌ぐ虚構の華となって輪舞を開始するのである。

 

 

「Jeanne-Marieの七つのリング」

 

 

「左を向いたVirginia Woolfの肖像」

 

 

「Opera Garnierの盗まれた時間」

 

 

「Anna Pavlovaの肖像Ⅰ」

 

 

「Nijinsky―頭文字「N」のある肖像」

 

 

「Veneziaの視えない扇」

 

 

「水晶譚―分割されたNijinskyの肖像」

 

 

「SCHONBRUNNの停止する時間」

 

 

 

…………かつて、1890年から1923年の33年間、この世に、えも言われぬ不思議な引力を持った十二階から成る高塔が建っていた。……あたかもそれは究極にして完璧なる一つの巨大なオブジェのようであった。……その妖かしの塔は、数多くの文学者や詩人達の想像力を刺激して、数多くの名作が生まれていった。……そして或る日、それは夢の中に視る逃げ水のように倒壊し、忽然と消えていった。

 

この十二階の塔の設計者の名はwk.Burton(ウィリアム.k.バルトン)。今回の個展のタイトルに登場する実在した人物である。バルトンは、シャ―ロック・ホ―ムズの著者として知られるコナン・ドイルと幼児期から親交が深く、ドイルは彼に『ガ―ドルスト―ン商会』という一篇の謎めいた小説を献呈している。…………この十二階の高塔への私の思い(執着)は、時々このブログでも書いているが異常なまでに強く、それを特集した本にも、その熱い思いを記している程である。云わばこの高塔は、私自身の存在と重なった分身、或いは自身の映し姿のようにも思われてならないのである。

 

 

……ともあれ、私は今回の個展に際し、とっておきの禁忌領域を遂に登場させる事にした。……その十二階の高塔の螺旋階段をもの凄い速度で駆け上がった時に垣間見た様々な幻視(73の場面から成る様々な無言劇、或いは寸秒夢)を透かし視て、各々の作品の中に封印したのである。……………………

 

 

 

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『十月・神無し月の五つの夜話―澁澤龍彦から勅使川原三郎まで』

①……今や四面楚歌に窮したプ―チンが新たに発令した100万人規模の兵士追加動員令。しかし死んでたまるかと、この愚かな兵役命令を嫌って国外に脱出するロシア人達の車列の長さ。……ロシア各地方の役場が慌てて発行したずさんな召集令状には、年寄りや病人も入っていたというが、あろうことか既に亡くなって久しい死者にまで発行されたという杜撰さ。……それを知った私は想像した。旧式の銃を担いで村役場前に集合した、蒼白くうっすら透けてさえ視えるその死者達の不気味な群れを。そして私は昔読んだ或る実話を思い出した。

 

……それは、今から118年前の日露戦争時の話である。日露併せて22万人以上の死者が出たこの戦争が終った後に、日本軍の戦史記録者が記した記録書にはロシア兵の捕虜が語った興味深い言葉が残っている。

 

「日本軍が突撃して来る時の凄さは本当に怖かった。屍を踏みつけて来るその様は怒濤のようであった。中でも一番怖かったのは白い軍服を着た一団であった。撃っても撃っても倒れないので、遂に我々は恐怖で狂ったようにその前線から逃げ出した。……」という記述。これは一人の証言でなく、何人もの捕虜達が語っている記録である。……もうおわかりであろう。日露戦争時の日本の軍服は茶褐色(カ―キ色)で統一されており、白い軍服を着た一団などは存在しない。……そう、彼らは戦死した死者達が一団となって突っ込んでくる幻影を視たのである。しかし、一人でなく沢山の捕虜達が同時にその白い軍服の兵士達を視たという事は、……幻でありながら、実在もしていた……という事である。

 

 

②先日、10月2日から鎌倉文学館で開催される『澁澤龍彦展』のご案内状が奥様の龍子さんから届いたので、初日の2日に観に行った。しかし先ずは久しぶりに澁澤龍彦さんの墓参をと思い、菩提寺の浄智寺が在る北鎌倉駅で下車した。

 

……駅前の広場に出た瞬間に、30年以上前の或る日の光景が甦って来た。それは澁澤さんの三周忌の法要の日で、その広場には沢山の人が集まっていた。俗な組織や団体とは無縁の、つまりは群れない個性的な一匹狼の面々ばかりなので愉しくなって来る。私はその時、確か最年少であったかと思う。……顔ぶれを思い出すままに書くと、種村季弘出口裕弘巌谷國士高槁睦郎吉岡実四谷シモン金子国義池田満寿夫野中ユリ……それに舞踏、写真、文芸編集の各関係者etc.……その中に中西夏之さんの姿が見えたので「中西さん、一緒に行きましょうか」と声をかけ、浄智寺を目指して歩き出した。折しも小雨だったので、この先達の美術家との相合傘であった。

 

中西さんに声をかけたのには訳があった。……最近刊行された中西さんの銅版画集の作品について思うところがあったので、いい機会なので訊いてみようと思ったのである。その時に語った言葉は今も覚えている。「この前、銅版画の作品集を拝見して思ったのですが、銅版画家が発想しがちな積算的な制作法でなく、真逆の引き算的な描法で現した事は試みとして画期的だったと思いましたが、版を腐蝕する時にどうして強い硝酸でなく、正確だが表情が大人しい塩化第二鉄液を選んで制作してしまったのですか?……中西さん、もしあれを薄めた硝酸液で時間をかけて腐蝕していたら、あのような乾いた無表情なマチエ―ルでなく、計算以上の余情と存在感が強く出て、間違いなく版画史に残る名品になっていましたよ。」と。

 

…………中西さんは暫く考えた後で「あなたの言わんとする事はよくわかります。実は作り終えた後に直ぐにその事に気がついていました」と語った。……やはり気づいていたのか、……私は自分の表現の為にも、その是非を確かめたかったのである。……私達が話している内容は中西夏之研究家や評論家には全くわからない話であろう。……私達は今、結果としての表象についてではなく、そのプロセスの技術批評、つまりは表現の舞台裏、云わば現場の楽屋内の表現に関わる事を確認していたのである。……その後、私達は作る際に立ち上がって来る、計算外の美の恩寵のような物が確かに存在する事などについて話し合いながら鬱蒼とした木々に囲まれた寺の中へと入って行った。

 

しかし奥に入っても、誰もいないので、不思議な気分になった。神隠しのように皆は消えたのか?蝉時雨だけが鳴いている。…………そう思っていると、中西さんがゆっくりした静かな声で「……どうやら私達は寺を間違えてしまったようですね」と言った。話に没頭するあまり、澁澤さんの法要が行われる浄智寺でなく、その手前にある女駆け込み寺で知られる東慶寺の中にずんずん入って行ってしまったのである。浄智寺に入って行くと既に法要が始まっていて、座の中から私達を見つけた野中ユリさんが甲高い声で「あなた達、何処に行ってたの!?」が読経に交じって響いた。…………想えば、あの日から三十年以上の時が経ち、中西さんをはじめ、この日に集っていた多くの人も鬼籍に入ってしまい、既に久しい。

 

……澁澤さんの墓参を終えた後に、三島由紀夫さん達が作っていた『鉢の木会』の集まりの場所であった懐石料理の『鉢の木』で軽い昼食を済ませて、由比ヶ浜の鎌倉文学館に行った。

三島の『春の雪』にも登場する、旧前田侯爵家別邸である。

 

澁澤龍彦展は絶筆『高丘親王航海記』の原稿の展示が主で、作者の脳内の文章の軌跡が伺えて面白かった。先日観た芥川龍之介の文章がふと重なった。

 

……この日の鎌倉は、海からの反射を受けて実に暑かった。永く記憶に残っていきそうな1日であった。

 

 

 

 

③……話は少し遡って、先月の半ば頃に、線状降水帯が関東に停滞した為に夕方から土砂降りの時があった。……このままでは先が読めないし危険だと思い、アトリエを出て家路を急いでいた。雨は更に傘が役にたたない程の物凄い土砂降りになって来た。……帰途の途中にある細い路地裏を急いでいると、先の道が雨で霞んだその手前に、何やら奇妙な物が激しく動いているのが見えた。……まるで跳ねるゴムの管のように見えた1m以上のそれは、激しい雨脚に叩かれて激昂して跳ねている一匹の蛇であった。雨を避ける為に移動するその途中で蛇もまた私に出逢ったのである。

 

……細い道なので、蛇が道を挟んでいて通れない。尻尾の後ろ側を通過しようとすれば、蛇の鎌首がV字形になって跳ぶように襲って来る事は知っている。私の存在に気づいた蛇が、次は私の方に向きを変えて寄って来はじめた。……私は開いた傘の先で蛇の鎌首を攻めながら、まるで蛇と私とのデュオを踊っているようである。……やがて、蛇は前方に向きを変えて動きだし、一軒の無人の廃屋の中へと滑るようにして入っていった。暗い廃屋の中にチョロチョロと消えて行く蛇の尻尾が最後に見え、やがて蛇の姿が消え、無人の廃屋の隙間から不気味な暗い闇が洞のように見えた。

 

 

 

 

 

④…3の続き。

蛇に遭遇した日から数日が経ったある日、自宅の門扉を開けてアトリエ(画像掲載)に行こうとすると、隣家からIさんが丁度出て来て、これから散歩に行くと言うので、並んで途中まで歩く事にした。

 

 

 

 

 

Iさんは私と違い、近所の事について実に詳しい。……そう思って「Iさん、先日の土砂降りの日に蛇に出会いましたよ。暫く雨の中でのたうち回っていましたが、やがて、ほら、あの廃屋の中に消えて行きましたよ」と私。すると事情通のIさんから意外な返事が返って来た。「いや、あすこは廃屋じゃなくて人が住んでいますよ」。私は「でも暗くなった夕方も電気は点いていないですよ」と言うと、「電気が止められた家の中に女性が一人で住んでいて、時々、狂ったような大声で絶叫したり、また別な日にそばを歩くと、ブツブツと何かに怒ったような呪文のような独り言をずっと喋っていて、年齢はわかりませんが、まぁ狂ってますね。」と話してくれた。

 

私は、あの土砂降りの雨の中、その廃屋の中に入っていった一匹の蛇と、昼なお真っ暗な中に住んでいる一人の狂女の姿を想像した。……あの蛇が、その女の化身であったら、アニメ『千と千尋の神隠し』のようにファンタジックであるが、事は現実であり、その関係はいっそうの不気味を孕んでなお暗い。芥川龍之介の母親の顔を写真で見た事があるが、母親は既に狂っていて、その眼は刺すように鋭くヒステリックであった。……与謝蕪村に『岩倉の/狂女恋せよ/ほととぎす』という俳句がある。蕪村の母親は芥川龍之介の母親と同じく、蕪村が幼い時に既に狂っていて、最後は入水自殺であった。

 

……ともあれ、その廃屋の中に一匹の蛇と一人の狂女が住んでいるのは確かのようである。……昔、子供の頃に、アセチレンガスが扇情的に匂う縁日で『蛇を食べる女』の芸を観た記憶がある。芸といっても手品のように隠しネタがあるのでなく、女は実際に細い蛇を食べるのである。だからその天幕の中には生臭い蛇の匂いが充ちていた。……周知のように、蛇の交尾は長く、お互いが絡み合って24時間以上、ほとんど動かないままであるという。……ならば、もしあの蛇が雄ならば、狂女もずっと動かないままなのか?……。文芸的な方向に想像は傾きながらも、その後日譚は綴られないままに、私は今日も、その暗い家の前を通っているのである。

 

 

 

⑤先日放送された『日曜美術館』の勅使川原三郎さんの特集は、この稀人の多面的に突出した才能を映してなかなかに面白かった。番組は今年のヴェネツィアビエンナ―レ2022の金獅子賞受賞の記念公演『ペトル―シュカ』(会場はヴェネツィア・マリブラン劇場)の様子や、勅使川原さんの振り付けや照明の深度を探る、普段は視れない映像、また彼がダンス活動と共に近年その重要度を増している線描の表現世界などを構成よくまとめた作りになっていて観ていて尽きない興味があった。

 

……その線描の作品は、荻窪のダンスカンパニ―『アパラタス』で開催される毎回の公演の度に新作が展示されているのであるが、1階の奥のコ―ナ―に秘かに展示されている為に意外と気付く観客が少ないが、私は早々とその妙に気付き、毎回の展示を、或る戦慄を覚えながら拝見している一人である。……踊るように〈滑りやすい〉トレペ紙上に鉛筆やコンテで描かれたそれは、一見「蜘蛛の糸のデッサン」と瀧口修造が評したハンス・ベルメ―ルを連想させるが、内実は全く違っている。ベルメ―ルが最後に到達したのは、幾何学的な直線が綴る倒錯したエロティシズムの犯意的な世界であったが、勅使川原さんのそれは、ダンス表現の追求で体内に培養された彼独自の臓物が生んだような曲線性が、描かれる時は線状の吐露となって溢れ出し、御し難いまでの強度な狂いを帯びて、一応は「素描」という形での収まりを見せているが、この表現への衝動は、何か不穏な物の更なる噴出を辛うじて抑えている感があり、私には限りなく危ういものとして映っているのである。(もっとも美や芸術やポエジ―が立ち上がるのも、そのような危うさを帯びた危険水域からなのであるが)。……想うに、今や世界最高水準域に達した観のある彼のダンス表現、……そして突き上げる線描の表現世界を持ってしてもなお収まらない極めて強度な「何か原初のアニマ的な物」が彼の内には棲んでいるようにも思われて私には仕方がないのである。

 

……三島由紀夫は「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と評したが、あえて例えれば、彼の内面には、ニジンスキ―とジャンジュネのそれを併せたものと、私が彼のダンス表現を評して「アルカイック」と読んでいる中空的な聖性が拮抗しあったまま、宙吊りの相を呈しているように私には映る時がある。……以前に松永伍一さん(詩人・評論家)とミケランジェロについて話していた時に、松永さんは「完璧ということは、それ自体異端の臭いを放つ」と語った事があるが、けだし名言であると私は思ったものである。そして私は、松永さんのその言葉がそのまま彼には当てはまると思うのである。……異端は、稀人、貴種流謫のイメ―ジにも連なり、その先に浮かぶのは、プラトン主義を異端的に継承したミケランジェロではなく、むしろ世阿弥の存在に近いものをそこに視るのである。

 

……さて、その勅使川原さんであるが、東京・両国のシアタ―Xで、今月の7日.8日.9日の3日間、『ドロ―イングダンス「失われた線を求めて」』の公演を開催する。私は9日に拝見する事になっていて今からそれを愉しみにしているのである。また荻窪の彼の拠点であるダンスカンパニ―『アパラタス』では、勅使川原さんとのデュオや独演で、繊細さと鋭い刃の切っ先のような見事な表現を見せる佐東利穂子さんによる新作公演『告白の森』が、今月の21日から30日まで開催される予定である。そして11月から12月は1ヶ月以上、イタリア6都市を上演する欧州公演が始まる由。……私は最近はヴェネツィアやパリなどになかなか撮影に行く機会が無いが、一度もし機会が合えば、彼の地での公演を、正に水を得た観のある彼の地での公演を、ぜひ観たいと思っているのである。

 

 

 

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