ジム・ダイン

『必見「禅と美」展が素晴らしい!!』

①個展が終わり、11日は、戦場の後のようだったアトリエを一日かけて片づけた。室内が整理されて、まるで上野広小路のような広さへと一新した。新たな表現に向けての気持ちが自ずと高まって来る。12日は、勅使川原三郎、佐東利穂子、ハビエル・アラサウコ三氏による『素晴らしい日曜日』のダンス公演を観る。

 

13日は、松竹の関係者の方からご招待を頂き『吉例顔見世大歌舞伎』・夜の部『松浦の太鼓』他を観る。今回の座席は前から5列目、念願だった花道のすぐ真横である。間近に見上げて観る役者の顔の表情やその存在がありありと迫って来て、まるで喋る写楽の大首絵、或いは血まみれの芳年の残酷絵の生けるが如しの迫力があり、舞台という正面性を孕んだ平面的な虚構空間から、花道に入った瞬間、三次元に飛び出して来た、活人画のような不思議な生々しさを体感して一興である。

 

勅使川原氏の薄暗い舞台照明が放つ、限りない詩情性を孕んだ闇の透層……。一方の歌舞伎の過剰なまでに強い照明が放って綾なす原色のバロキスム!!……いずれも自分の作品展示の際の善き充電である。

 

 

②パリの出版社FVW・EDITION社から2007年に刊行されたアルチュ―ル・ランボ―の肖像を集めた美術作品のアンソロジ―集には、エルンストクレ―ピカソジャコメッテイミロ……等の作品と共に私のランボ―の肖像をモチ―フとした版画が二点掲載されている。

 

ジャコメッティ

 

 

エルンスト

 

 

クレー

 

 

 

企画編集したCLAUDE.JEANCOLAS氏はランボ―研究の第一人者であるが、その画集に書いた各美術家へのテクストの中で、私の作品について氏は以下のような出だしから始まるテクストを書いている。すなわち「長い間、詩人のランボ―を理解出来るのは我々西洋人だけだと思っていたが、北川健次のランボ―を表現した版画は見事にそれを覆した。」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は氏のテクストを読んで確かに強い手応えを覚えたが、同時に西洋人が抱いている東洋人へのそれまでの根強かった偏見が在った事を知って唖然とした記憶がある。この偏見を飛び越えて私の版画の秘めた髄に直で理解を示したのがジム・ダインであった事は思わぬ嬉しい体験であった。…………ランボ―を作品化する事はこの二点の版画で終わりと思っていたが、西洋人の偏見を更に払拭するに足る文句無しの強烈な作品を作りたいと思ったのは、或いはこの時の体験が導火線になっていたのかも知れないと今にして思う。

 

 

 

ジム・ダイン

 

 

③……今年の7月のある日、高島屋の個展に向けてオブジェを作っていた時、正にその作品の閃きが垂直的に下りて来た。……(天才詩人ランボ―の、十代半ばの未だ早熟過ぎる脳内を透かし視て、あの幻視を紡ぐ言葉の数々が発生した正にその瞬間を可視化した作品は出来ないだろうか!……それをオブジェという立体作品で!!)と正に啓示として、その閃きは直下的に下りて来たのであった。

 

……私はランボ―の仏語の原詩(『地獄の季節』『イリュミナシオン』各々)を黒字でガラスに刷り、それを砕いてアクリルの透明な箱に入れ、『〈地獄の季節〉―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』、『〈イリュミナシオン〉―詩人アルチュル・ランボ―の36の脳髄』と題したオブジェ二点を一気に作り上げた。…………完成した作品を視て、私はこれらの作品に強い手応えを覚えたが、その反応を他者の眼を通して早く知りたくなった。……ならばランボ―を直感的に理解している人、執行草舟さんをおいて他にはいない。そう思って、個展の数日前の昼前に半蔵門に在る執行さんの会社『バイオテック』内の美術館「執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館」の主席学芸員の安倍三崎さんを尋ね、ランボ―のオブジェ二点を預けて、執行さんの感想を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……私はその後すぐアトリエに戻らねばならず、執行さんは毎夜徹夜で執筆した後に夕方から会社に来られるので、作品を預けるという形をとったのであった。……安倍さんからすぐに連絡が入り、ランボ―のオブジェを二点とも美術館のコレクションに入れたいという執行さんの批評兼答えが返って来た。……コレクションするという行為、何よりも作品に対する最大の評価が返って来たのであった。……よって個展が始まる前に例外的に購入が決まった為に、会期中に来られたたくさんのコレクタ―の方から残念がる声が返って来たが、今回は致し方のない事であった。

 

 

④執行草舟さんとの出会いは強烈なものであった。きっかけを作って頂いたのはNHKエデュケ―ショナルの山本修平さんであった。

山本さんが拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)の事を執行さんに話された事に依る。……あれは何年前の事であったか。……高島屋の個展会場に突然、正に突然来られた執行さんは、広い会場内に展示している75点以上の作品を張りつめた気配で順に観ながら、瞬間的にコレクションする作品を次々に決めていき、この時は15点くらいの作品を購入されたのであるが、それを全て決めるのに要した時間は僅かに1分!!。恐るべき直感力を持った人だと、私は一瞬で理解した。執行さんの中の美の絶対的なカノン、直観という羅針盤が既に確固として在り、それに激しく揺れた作品のみがコレクションされていくのである。若冠十代半ばにして三島由紀夫の知遇を得たという驚くべき逸話も氏の鋭い唯美的な感性を物語っていると思う。

 

…その後、私の作品は個展の度にコレクションされていき、今までで50点以上は執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館に収蔵されているのであるが、執行さんが有している膨大なコレクション総数は既に三千点以上はあるという。……その中から禅の世界に結びついている作品を集めた展覧会『禅と美』スペインからのまなざし展(協力・臨済宗円覚寺、サラマンカ大学)が11月24日(金曜)まで、六本木一丁目の駐日スペイン大使館で開催中である。

 

……先日、私は会場を訪れ、見事な作品選択とその構成によって立ち上がって来る禅と美の融合を体感したのであった。……この展覧会は美の観賞という従来の対の関係の域を越えた、己自身との対話の場、すなわち「観照」の場で在るという事が、一線を画して他の美術展とは大いに異なる点であり、またそれ故の鋭い緊張に充ちた豊かな展覧会になっている。……この展覧会を記念して作られた図録の編纂も密度の濃い内容になっているので併せてお薦めする次第である。

また半蔵門の執行草舟さんの会社に在る「執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館」では、主題を変えながら展覧会を開催しているので、そちらもぜひご覧になられる事をお薦めしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『禅と美―スペインからのまなざし』展

◾️会場・駐日スペイン大使館   (入場無料)

11月24日(金曜)まで

月~木 /10時~17時/金10時~16時/土10時~14時

日曜閉館  (11/23は開館・10時~17時)

東京都港区六本木一丁目3―29

(東京メトロ南北線 六本木一丁目駅・中央改札・徒歩3分)

 

◾️お問い合わせ先・戸嶋靖昌記念館事務局 03-3511-8162

 

 

 

 

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『蝉が消えた晩夏、詩人ランボ―について書こう。』

このブログを始めてから早いもので17年以上が経った。内容はともかくとして文量的には『源氏物語』をとうに抜き、ひょっとするとプル―ストの大長編『失われた時を求めて』も抜いているのではあるまいか。……気楽に始めたブログであったが、今や生きた事の証し・痕跡を書いているような感がある。

 

……さて、今回は天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の登場である。ランボ―との出逢いは私が16才の頃であったかと思う。…………自分とは果たして何者なのか、自分は将来何者になり得るのか、……等と自分にしか出来ないと思われる可能性を探りながら悶々と考えていた時に、「私とは他者である」という正に直球の言葉が16才の若僧アルチュ―ル・ランボ―(既に完成している早熟の天才詩人・20才で詩と縁を切り放浪、武器商人の後に37才で死去)から豪速球で投げられたのだから、これは一種の事故のようなものである。

 

……以来、ランボ―とは永い付き合いになってしまった。……19才の頃に始めた銅版画では、ランボ―の詩をモチ―フに銅板の硬い表面に荒々しく線描を刻み込み、やがてその表象はランボ―の顔をモチ―フに、その顔に穴を開けて抹殺するような表現へと成るに至った。(版画作品画像二点掲載)……その作品は、現代の最も優れた美術家であり、個人的にも影響を受けていたジム・ダインの評価する事となり、彼は私の肩に手をかけながら「俺も君と同じく、この生意気な若僧の面を抹殺する意図で版画の連作を作ったのだよ。この若僧が詩人のランボ―である事はその後で知った!」と、その制作意図をリアルに語ってくれたのであった。(……ちなみに彼のその版画は、ランボ―をモチ―フとした連作の版画集で、版画史に残る名作として高く評価されている。)

 

……ランボ―を標的として表現に取り込んでいる表現者は、しかし私だけではない。詩人の野村喜和夫氏やダンスの勅使川原三郎氏も然りである。その野村氏は、今年、氏が刊行した対談集『ディアロゴスの12の楕円』中で、ランボ―との永い関わりを私との対談の中で語っているが、私のようなビジュアルではなく、言葉という角度からのランボ―について言及しているのが面白い。……私はその対談の中で、版画でのランボ―との訣別を語っているのであるが、しかし、意識下の自分とは本当にわからない。……先日、10月11日から日本橋高島屋の美術画廊Xで始まる個展の為の制作が大詰めに来た、正に最期の作品で、アルチュ―ル・ランボ―の詩が立ち上がる直前の彼の異形な脳内を可視化したようなオブジェのイメ―ジが二点、正に突然閃いたのであった。

 

……私は一気にその二点を作り上げ、一点に『地獄の季節―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』、次の一点に『イリュミナシオン―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』というタイトルを付けた。…………作ろうと思って出来たのではない。……『グラナダの落ちる壺』という作品を作っていた時に、突然、光る春雷のように正しく瞬間的に閃いたのであった(作品画像掲載)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ランボ―の詩編、『地獄の季節』と『イルュミナシオン』各々の仏文の原詩を、厚さ2ミリのガラスに黒で刷ったのを粉々に叩き割り、脳髄に見立てた『地獄の季節』『イリュミナシオン』各々のガラスのケ―スに詰めて、詩が立ち上がる直前のランボ―の脳内のカオス的な状態を可視化したのである。

 

……今夏の8月に東京芸術劇場で開催された勅使川原三郎新作ダンス公演『ランボ―詩集―「地獄の季節」から「イリュミナシオン」へ』は、ここ八年近く拝見して来た氏のダンス公演の中でも、生涯忘れ難い作品になるであろう。……ヴェネツィアビエンナ―レでの金獅子賞受賞以来、特に海外の公演が多くあったので、久しぶりの日本での公演である。……佐東利穂子アレクサンドル・リアブコハンブルク・バレエ団」、ハビエル・アラ・サウコ(ダンス)の都合四人から成る「ランボ―詩集」の、身体を通した開示的表現である。

 

……このブログでも度々書いているように、私は氏のダンス公演は何回も拝見(目撃)しているが、私をしてその公演へと熱心に向かわせるのは、ひとえに氏の表現がダンスを通して芸術の高みへの域を志向し、またそれを達成実現しているからである。…………例えば文学者というのは数多いるが、その文学を、更なる高みにおける芸術の表現達成域にまで至っているのは僅かに三人、泉鏡花谷崎潤一郎川端康成のみであると断じたのは、慧眼の三島由紀夫であるが、つまりはそういう意味である。

 

つまり、鴎外も漱石も、その他、数多の作家達の表現は文学ではあっても芸術の域には達していないと三島の鋭い批評眼は分析しているのである。……芸術へと到る為の、毒と艶のある危うさと、詩情、そして未知への領域へと読者を引き込む不気味な深度が、この三人以外には無いと三島は断じているのである。……………………舞台は正面に開かれたランボ―詩集の本を想わせる装置の巨大さで先ずは一瞬にして観客の髄を掴み、その詩集の頁の間から、飛び出す詩の言葉のように複数の演者が現れ、或はその頁の奥へと消え去り、詩人ランボ―の脳髄の中の迷宮が可視化され、次第にランボ―自身の短い生涯がそこに重なって来て、表現の空間が拡がりを見せて、最期のカタルシスへと見事な構成を呈してくる。…………満席の会場の中で、旧知の友である詩人の阿部日奈子さん、舞踊評論家の國吉和子さんと久しぶりにお会いする事が出来た。勅使川原氏の公演の時は、懐かしい友人との再会が度々あるのが嬉しい。

 

…………ランボ―、ニジンスキ―宮沢賢治中原中也、泉鏡花、サミュエル・ベケットブル―ノ・シュルツ、更には音楽領域のバッハモ―ツァルトシュ―マン、…………と彼のイメ―ジの引出しは無尽蔵であるが、しかし、彼におけるランボ―の存在はまた格別の観が私にはある。……ランボ―がそうであったように、御し難く突き上げてやまない、あたかも勅使川原氏自身の感性を映す鋭い鏡面のようにして、ランボ―の存在があるように、私には思われるのである。

 

 

…………さて、10月11日からの個展の出品作は75点に達した。今年の3月から9月迄の7ケ月間に集中して作り上げた全て新作である。校正を重ねた案内状も既に完成し、後は個展の初日を待つばかりである。

 

 

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『人形狂い/ニジンスキ―と共に』

満開の桜がいよいよ散りはじめた今日は、3月31日。……イタリアでは3月の事を〈狂い月〉と云うらしいが、それも終わって、いよいよエリオットが云った〈4月は最も残酷な月〉への突入である。アトリエの私の作業机の上には、何枚ものニジンスキ―の様々な写真が無造作に置かれている。これから、ニジンスキ―を客体として捕らえた残酷な解体と構築、脱臼のオブジェが何点か作られていくのである。

 

「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と書いたのは三島由紀夫であるが、確かにニジンスキ―を撮した写真からは、才気をも超えた御し難い獣性と、マヌカン(人形)が放つような無防備で官能めいた香気さえもが伝わってくる。私はその気配に導かれるようにして、この天才を題材にした何点かの作品を作って来た。……版画では『サン・ミケ―レの計測される翼』、『Nijinsky―あるいは水の鳥籠』、オブジェでは『ニジンスキ―の偽手』という作品である。

 

版画では、彼の才能を操り開花させ、ダンスそれ自体を高い芸術の域に一気に押し上げた天才プロデュ―サ―、ヴェネツィアのサン・ミケ―レ島の墓地に眠るディアギレフとの呪縛的な関係を絡めた作品であったが、オブジェの方はニジンスキ―を解体して、全く別な虚構へと進んだ作品である。しかし、全てはあくまでもオマ―ジュ(頌)と云った甘いものではなく、客体化という角度からの、ある種の殺意をも帯びて。

 

……以前に、来日したジム・ダインは、拙作『肖像考―Face of Rimbaud』を見ながら、パリの歴史図書館とシャルルヴィルのランボ―博物館でかつて一緒に展示されていた時の私の作品への感想を語り、彼の作ったランボ―をモチ―フとした連作版画(20世紀を代表する版画集の名作)の創作動機を、ランボ―への殺意であった事を話し、私の創作動機もそこにあった事を瞬時にして見破った。……難物を捕らえる為には、殺意をも帯びた強度な攻めの姿勢が必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

ロダン作 「ニジンスキー」

 

 

 

……かつてスティ―ブ・ジョブズから直々に評伝を依頼されて話題となった、ウォルタ―・アイザックソンが書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ。……ダ・ヴィンチに関しては拙作『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)で書き尽くした感があったので、以後は遠ざかっていたが、久しぶりに読んだこの本はなかなか面白かった。その本の中でダ・ヴィンチが書いた手稿の一節に目が止まった。『……そこで、動きのなかの一つの瞬間を、幾何学的な単一の点と対比した。点には長さも幅もない。しかし点が動くと線ができる。「点には広がりはない。線は点の移動によって生じる」。そして得意のアナロジ―を使い、こう一般化する。「瞬間には時間的広がりはない。時間は瞬間の動きから生まれる」。………………』     読んでいて、先日拝見した勅使川原三郎氏のダンス理論、そのメソッドを垣間見るような感覚をふと覚えた。

 

 

 

3月25日。勅使川原三郎佐東利穂子のデュオによる公演『ペトル―シュカ』を観た。ストラヴィンスキ―作曲により、ニジンスキ―とカルサヴィナが踊った有名な作品を、全く新たな解釈で挑んだ、人形劇中の悲劇ファンタジ―である。ニジンスキ―、そして人形……。先述したように、私は今、ニジンスキ―をオブジェに客体化しようとしており、また人形は、今、構想している第二詩集『自動人形の夜に』の正にモチ―フなのである。天才ニジンスキ―に、天才勅使川原三郎氏が如何に迫り、また如何に独自に羽撃くのか!?また対峙する佐東利穂子さんが如何なる虚構空間を、そこに鋭く刻むのか!?……いつにも増して私は強い関心を持って、その日の公演の幕があがるのを待った。

 

ちなみに、この公演はヴェネツィア・ビエンナ―レ金獅子賞を受賞した氏が、7月の受賞式の記念公演で踊る演目でもあり、その意味でも興味は深い。……「人形とは果たして何か!?」「人形が死ぬとはどういう事なのか!?」「踊る道化」「内なる自身に棲まう、今一人の自分……合わせ鏡に視る狂いを帯びた闇の肖像」……そして命題としての……人形狂い。私は彼らが綴る、次第にポエジ―の高みへと達していくダンスを観ながら激しい失語症になってしまった。言葉を失ったのではなく、観ながら夥しい無数の言葉が溢れ出し、その噴出に制御が効かなくなってしまったのである。

 

…… 開演冒頭から巧みに仕掛けられた闇の深度、レトリックの妙に煽られて、ノスタルジアに充ちた様々な幼年期の記憶が蘇って来る。……不世出のダンサ―というよりは、闇を自在に操り、視覚による詩的表現へと誘っていく、危うい魔術師と私には映った。……そして、かつて『ペトル―シュカ』を踊ったニジンスキ―にも、どうしても想いが重なっていく。翔び上がったまま天井へ消えたという伝説を生んだニジンスキ―もまた魔術師であった。……開演して一時間の時が瞬く間に経った。……そして私がそこに視たのは、生という幻の、束の間の夢なのである。人形狂い……ニジンスキ―。1911年の『ペトル―シュカ』と2022年の『ペトル―シュカ』。時代は往還し、普遍という芸術の一本の線に繋がって、今し結晶と化していった。

 

 

 

 

 

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『追悼・クリスト氏に寄せて―佐谷和彦氏と共に』

先月の31日、歴史的な建造物などをまるごと布で包む壮大な表現活動で知られる世界的な美術家のクリスト氏が死去された。死因は不明との事であるが、来秋に予定されていたパリの凱旋門を包むプロジェクトは本人の希望で進められ、公開される由。……名実共に、現代美術史における最後の巨匠といっていい人であっただけに、その死は実に惜しまれるものがある。私事になるが、私のオブジェの中では一番大作にあたる2m以上はある『反称学―エル・エスコリアルの黒い形象』(佐谷和彦氏収蔵)を、クリスト氏が来日された折りに、打ち合わせで訪れた佐谷氏の自宅で眼が止まり、絶賛の高い評価を頂いた事があった。佐谷氏の自宅のコレクションル―ムは一つの優れた美術館であり、実に心地好い緊張感に充ちている。タピエス、デュシャン、クレ―、ジャコメッティ、エルンスト、そして瀧口修造、……。その作家達の作品が展示してある壁面に拙作の大作のオブジェもまた掛けられている。クリスト氏は、その部屋に入るや、私のオブジェに真っ先に眼が止まり、「この作品はいい、実にいい」と話し始め、作者の事をもっと知りたいというクリスト氏に、佐谷氏は丁寧に答えられた由。そして深夜、クリスト氏が帰った直後に、佐谷氏は実に興奮して事の顛末を私に電話して来られ、私もまた熱い気持ちで、それを受け止めたのであった。これから私はオブジェの新領土に分け入っていこうと思っていた、正にその出発点―原点にあたる作品だけに、クリストという、これ以上は無い審美眼を持った先達に評価されたという事は大きな自信となり、以後1000点近く産み出して来たオブジェ作品の創作力の原点に立つ人なのである。……その後、ジム・ダインという、私が最も影響を受けていた世界のトップクラスに立つ美術家に版画を高く評価された事で、全くぶれない、表現者としての独歩の道を私は歩んでいく事になるのであるが、その表現者としての矜持とも言うべき立脚点に立つ恩人と云える人がクリスト氏なのである。……亡くなられたという知らせを受けた後、私はコレクションの中に在るクリスト氏の作品(画像掲載)を久しぶりに出して来て長い時間、それに見入って時を過ごした。

 

…………クリスト氏から高い評価を得る契機を作って頂いたのは、先述した佐谷和彦氏であるが、氏の運営して来られた佐谷画廊は、クレ―やジャコメッティ展をはじめとして、この国の美術館の追随を許さない最高度のレベルの展覧会を最後まで開催実現して来た、今や伝説的な画廊である。その企画も、クレ―の遺族のフェリックス・クレ―氏や、クレ―財団と直に交渉して最高な質の展覧会を手掛けて来られ、例えばそのクレ―展は、観客数が会期の1ヶ月間で3万人を越え、美術館のそれを遥かに凌いでいる。またライフワ―クとなった『オマ―ジュ・瀧口修造展』は、氏が亡くなられてからようやく美術館でも遅れて企画展を開催しているが、何れも佐谷氏の後追いにすぎない。その『オマ―ジュ瀧口修造展』の最期の企画(つまり、佐谷画廊の最後の企画展)は、私の個展を考えておられたのであるが、企画半ばにして逝かれてしまった。その事の詳細は氏の最期の著作『佐谷画廊の三十年』の、馬場駿吉氏(美術評論・俳人・元名古屋ボストン美術館館長)との対談で語られている。佐谷氏が亡くなられた時、私はそれが一個人の死にとどまらず、この国の美術界そのものの牽引力が無くなり、一気に希薄なものになって行く前触れと予感したが、果たして私の予見した通りの散文的な奈落へと、今の美術界は堕ちていっている。

 

 

 

 

……「芸術は死者のためにもまた存在する」という名言を記したのは、ジャン・ジュネであったか、ジャン・コクト―であったか。とまれ、今、私はオブジェの制作を日々続けているが、作品が出来上がると、私を表現者の高みへと導いてくれた人達を想いだし、その人達の眼になって、自作を視る事が度々ある。佐谷和彦・……駒井哲郎・棟方志功・池田満寿夫・浜田知明・……また、土方定一・坂崎乙郎といった美術評論家や、生前に関わった文学の分野の種村季弘や久世光彦・諸氏。……そしてクリスト氏がその点鬼簿に新しく加わった。このコロナウィルスの騒動の中、生と死の境が曖昧になって来た今、死者と対話する事が何やら日増しに多くなって来たように思われるのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『詩人・ランボオと共に』

本郷の画廊・ア―トギャラリ―884での、作品集刊行記念展も盛況のうちに無事に終わり、また新しいコレクタ―の方々が出来て、実りの多い個展であった。この地は、樋口一葉、石川啄木、宮沢賢治などが住み、また谷崎潤一郎・竹久夢二・坂口安吾、大杉栄……達が数多く住んだ伝説の宿―本郷菊富士ホテル跡も近く、午前中は画廊の近辺を廻って古の文芸の生まれた背景を確認する面白い時間が持てる有意義な2週間でもあった。

 

その個展の合間に一日だけ画廊の休みの日があったので、横浜美術館で開催中の駒井哲郎展を観に行った。……先に観た友人達から、横浜美術館の展示の下手さ、ルドン・ミロ等のオリジナル作品が駒井哲郎の作品と直に並んで展示されている為に、駒井哲郎の作品が弱く見えてしまった……などという厳しいメールが届いていたので気になっていたが、ようやく観に行けたのであった。そして、友人達からの指摘がまぁ一面では当たっている事に頷きながらも、少し想うところがあった。……駒井さんがルドンやミロ、またクレ―などの作品に出会った時は、今ほどに彼らの作品情報も豊富な時でなく、また画集の印刷も鮮明でない時代であった。その時に駒井さんが見て直感した感動の純度の高さはいかばかりであったかと想う。この、内に荒ぶるものと無垢の精神を宿した、本質的に詩人の感性を多分に持った人は、憧れに似た想いで、彼ら西洋の芸術家の作品を前にして、熱く拝するような想いで接し、またそのエッセンスを得んとして、しかし憧れのままにその域を出る事なく試作したかと思われる。情報もまた黎明期の少ない中で、この不足は多分に表現者として豊かな揺れや解釈の誤解を生んで、駒井さん独歩の物語や表現の独自性を紡いでいき、例えば代表作『束の間の幻影』に結実していったのである。このような、不足な時代の情報への飢餓感は、他には、デュ―ラ―やゴッホに憧れながらも、しかしデュ―ラ―やゴッホには劣るとも、後に切通しの坂の玄妙な幻視を結晶化した岸田劉生に例を見ると同じく、現場主義的な推察がまた比較論的に必要なのである。それを一言で云えば、西洋の精神や感性の強度な硬質さに対し、岸田劉生や駒井さん、また諸々のこの国の表現者の感性はあまりに抒情的であり、ずばり駒井さんの感性の近似値を云えば、美術よりもむしろ文芸の方に近く、福永武彦あたりに着地するかと思われる。

 

……会場を廻って行くと、駒井さんの遺品が幾つか展示されていた。その中に駒井さん愛用の白い帽子があり、私は、あぁ、あの時に駒井さんの横にこの帽子があったというのを鮮明に想いだし懐かしかった。……あの時、それは確か7月の初夏の頃であった。美術館が作成した私の作品図録を開くと、『姉妹』という作品を作ったのは1973年、私が21才の未だ美大の学生の時であった。版画科の作品批評会なるものがあり、助手が「今日は駒井先生はお休みです」と言った。言った瞬間に私は(最早この場にいる意味無し)とばかりに席を立ち、教室から出ていった。残った学生達は唖然とし、他の2名の教授達は私の態度に憮然としたようであった。私は出来上がったばかりの『姉妹』を駒井さんはどう見て、どういう言葉が返ってくるのか、ただそれだけに関心があり、数日後に電話で駒井さんにその旨を話すと、その1時間後に世田谷の自宅から、私が待つ美大の教室に来てくれた。……駒井さんは作品を見て一目で気にいってくれて、手応えのある言葉を話してくれた。……しかしタイトルの話になって意見が別れた。「北川君、この作品のタイトルは何と言うのですか?」と尋ねられたので、私は「『姉妹』と付けようと思います」と話すと、駒井さんは「『姉妹』をやめて『双生児』にしなさい」と言う。「いや、もう決めていますから」と話すと、珍しく駒井さんはニヤリと唇を歪めて「北川君、私はタイトルは上手いのですよ」と、珍しく上からの目線で言ったので、私は「駒井さん、せっかくのお言葉ですが、タイトルなら私も少しばかり自信があります。やはり『姉妹』にします』!!」と、我が考えを通した。……その場所の、暗くて硝酸の臭いがする教室の駒井さんの横に、この帽子があったな……と懐かしく私はそれを眺めた。…………私が拒んだ『双生児』と、私が付けた『姉妹』には似て非なる距離がある。駒井さんの言語感覚が持っている、湿潤な、暗くて重い、つまりは日本の風土にそくした抒情性に対し、私の『姉妹』は非対称的な幾何学的配置で、硬質である事をオブセッションのように要する私の資質の映しであり、何よりも、この『姉妹』は三島由紀夫の小説『偉大なる姉妹』への挑戦として、異様なグロテスクさを孕みながらも、秘めた暗示性の刻印を意図した作品なのである。〈駒井先生!〉……といって、まるでカルガモの子供のように追随する学生や助手が、当時は数多くいたが、数十年とはいえ、生まれた時代が違う人に追随し、その影響下に沈むと、次なる時代に於ける表現者としてのリアリティ―が立たなくなる事を私は知っていた。そして自らを弟子と称する者達に「師を越えられぬ者は愚か者である」と手稿に厳しく記した、ダ・ヴィンチの洞察した言葉が在る事も既に私は知っていた。……私が銅版画の自作に「Comedie-de-soif」という文字(「渇きの喜劇」の意味)を稚拙なフランス語でギザギザと苛立つように刻んだ時に、駒井さんは「君はランボオを読んでいるのですか!?」と、すかさず静かに語りだして来たのも、また心の深部に響く手応えがあったが、しかし、表現者の先人ではあっても譲れないものは譲れない。駒井さんは、私の版画制作時の初期に於ける手応えのある人であったが、私は表現者の一人として醒めた距離を置いていた。駒井先生とは決して語らず、「駒井さん」という呼称を本人の前でも通し続け、駒井さん自身もそれを喜んでいた。……しかし、駒井さんよりも、またこのすぐ後に出会った棟方志功さんや池田満寿夫さんよりも、私は強く意識する人物がいた。銅版画史に残る世界的水準の名作と云っていい、天才詩人アルチュ―ル・ランボオをモチ―フとしたランボオの連作を版画集で刻んだジム・ダインという存在が私に於ける手強い牙城であり、遥かなる高みであった。私はジム・ダインのランボオの版画のポスタ―を室内に貼り、画集がインクで黒ずむ迄に読み返し、このジム・ダインなる天才の表現のエッセンスに迫るべく格闘する日々であった。そして、ランボオは私の表現者としての初期から近年に至る迄、その対象に迫る視点と技法は変わりながらも、長年にかけて挑むに足る牙城であった。

 

2008年の冬に、私のサイトに、フランスから突然のコンタクトが入った。Claude Jeancolasという人からである。……日本でも翻訳本が出ている、アルチュ―ル・ランボオ研究の第一人者で、20冊以上の著作が出ている人である。氏からのメール文には「ランボオをモチ―フとした美術作品を一堂に集めたアンソロジ―の美術書にあなたの作品も載せて、更に生地のシャルルヴィルに在るアルチュ―ル・ランボオ記念館で作品展を開催したいので、ぜひ出品して頂きたい。ちなみに東洋からの選出作品はあなただけであり、出品作家は他に、ピカソ、ジャコメッティ、クレ―、エルンスト、ミロ、メ―プルソ―プ、ジャン・コクト―、ジム・ダイン……である。」と書いてある。最後の方に書かれていたジム・ダインの名を見た時、私は重なるように意識していたランボオとジム・ダインが浮かび「もちろん、喜んで!」という返事を返した。その後に送られて来た、彼がテクストを書くための質問の数々は実に手応えのある文で、日本の美術評論家とは格段にレベルの異なる成熟した知性とセンスの高さを刻んだものであった。……私は各々の質問に丁寧に答え、最後に「アルチュ―ル・ランボオは私において既に客体である」と締めくくって返した。後日、パリのFVW EDITION社から刊行されたClaude Jeancolas氏著作の『LE REGARD BLEU D”ARTHUR RIMBAUD』には前述した作家達の作品と共に私の二点の作品も見開きで掲載され、実に緻密なテクストが各々に配されている。私について書かれたテクストの冒頭は「〈ランボオを理解出来るのは、私たち西洋人だけである〉といった思いを我々ヨ―ロッパ人はひそかに抱いていたが、北川健次の強度な作品は、その考えを覆してしまった」という記述から始まっている。私は永年共に歩いて来たランボオの生地シャルルヴィルの記念館を展覧会に合わせて訪れ、ランボオの生原稿の詩、そして、私が通り抜けて来た20世紀の美の先達の作品が掛けられている館内を学芸員の人に案内されて廻り、牙城として来たジム・ダインのランボオの版画の前を通り、私の二点のランボオの版画作品の前に来た。……メ―プルソ―プ、そしてマックス・エルンストの作品がその近くで展示されていた。

 

……その2年後の2010年、やはりClaude Jeancolas氏の企画で、今度は『RIMBAUD MANIA』と題した展覧会が、パリのマレー地区にある16世紀の遺構、パリ市立歴史図書館で開催された時に選出された美術家は、ピカソ、ジャコメッティ、ジム・ダイン、ジャンコクト―、そして私であり、各々のランボオ作品が展示され、パリの出版社「Paris bibliotheques」から作品集が刊行された。…………ランボオとの長い旅がこれで終わるかと思っていたら、その数年後に、20代からの牙城であったジム・ダインと対面するという機会が突然やって来た。名古屋ボストン美術館で開催されたジム・ダイン展に合わせて来日した本人に、館長をされていた馬場駿吉さんが引き合わせてくれたのである。私はランボオの作品ほか数点を持って会う事となった。ジム・ダインは、ランボオミュ―ジアムで展示されていた私の作品をよく覚えていると語り、私の肩に手をかけて「俺は、パリのセ―ヌ河沿いにある古書店で、この小僧(ランボオの事)の生意気な面構えを見て、作品で抹殺する事にしたのだ!天才詩人ランボオというよりも前に、この顔、この面の皮の厚い顔にたちまち触発されたのだ!!」と語ってくれた。20代の前半に、ジム・ダインのランボオ作品と出会い、そのポスタ―を壁に貼り、何とかその高みに上がりたいと希求して来た人物が、正に今、しかも近代の版画史に残る作品の制作時の秘話を直接本人から語られる日がやって来ようとは……。だから人生は面白い。私が、ランボオはもはや客体であると考え、イメ―ジを皮膚化する試みとしてランボオの顔の皮膜を突き破ったのと同じく、ジム・ダインはランボオの顔を抹殺する事にした。考えてみると、ランボオへの眼差しに於ける視点には近いものがある事を、私は彼自身の生な言葉から知ったのであった。ランボオへのオマ―ジュ、そして彼の詩のイメ―ジの中に溺れるようにして刻んだ版画、そして最後に至った客体としての皮膚化されたランボオの表象の顔。……ランボオとの旅は果たしてこれで終わりを遂げたのか!? ……しかし、私と同じく、ランボオに挑み、ランボオを捕らえんとして、表現者としての初期から意識して来た人物がまだ他に二人いる事を私は知っている。詩人の野村喜和夫氏と、ダンスの勅使川原三郎氏である。野村氏とは、共著での詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』で共にランボオに迫り、勅使川原氏の場合は、『イリュミナシオン・ランボ―の瞬き』の公演の文章を今年の1月に書いた。自作とは別に今少し、ランボオとは歩みを共にする事になるかも知れないという予感がある。……さてもランボオとは一枚の鏡。私の折々の変遷を映し出す危うくも鋭い一枚の鏡なのかもしれない……と、今ようやくにして思うのである。

 

 

 

(左)北川健次 (右)ピカソ

 

 

(左)ジム・ダイン (右)ジャコメッティ

 

 

 

 

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『A・ランボーと私』

昨今の、ただたれ流すだけのCMと違い、昔のコマーシャルにはニヤリとさせる機知があった。例えば、30年以上前であるが、フェリーニの映像世界を想わせる画像がCMで流れ、小人の道化師や火吹き男たちが怪しい宴を催している。そこに、十代で『酔いどれ船』『地獄の季節』『イリュミナシオン』の文学史における金字塔的詩を発表した後、詩を棄て、死の商人となってマルセイユで37歳で死んだ天才詩人アルチュール・ランボーの事が語られ、最後に殺し文句とも云えるナレーションが入る。すなわち「アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!」という文である。そう、アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!

 

18歳で銅版画と出会った私が、最初から重要な表現のモチーフとしたのが、そのアルチュール・ランボーであった。現在、版画作品として残っているのは、僅かに4点であるが、おそらく40点近い数のランボーの習作が生まれ、そして散失していったと思われる。アルチュール・ランボー研究の第一人者として知られるJ・コーラス氏が私の作品二点を選出し、ピカソジャコメッティクレーエルンスト達の作品と共に画集に収め、二度にわたるフランスでの展覧会に招かれたのは記憶に新しい。又、20代から先達として意識していたジム・ダインのランボーの版画の連作は、私の目指す高峰であったが、そのジム・ダイン氏からの高い評価を得た事は、私の銅版画史の重要なモメントであり、そこで得た自信は、今日の全くぶれない自分の精神力の糧となっている。つまり私はアルチュール・ランボーによって、強度に鍛えられていったともいえるのである。

 

18日まで茅場町の森岡書店で開催中の、野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展では、私のランボーの諸作も展示され、野村喜和夫氏収蔵のランボーの原書や、氏の個人コレクションも展示されて、異色の展覧会となっている。会期中は4時半から8時迄は毎日、会場に顔を出しているが、17日(金)の野村喜和夫氏との対談も控えている。当日は6時30分から受付が始まり、7時から対談がスタートする。定員制のため50人しか入れないが、聴講を希望される方は、早めに森岡書店まで申し込んで頂きたい。

 

この展覧会があるので、野村氏とはよく話をする機会があるが、つい本質的な内容にお互いが入り込んでしまうので、なるべく対談の時まで入り込まないように自重している。ぶっつけ本番となるが、今からどういう話が展開していくのか、自分としても多いに楽しみにしているのである。とまれ、この展覧会、会期が短いが緊張感の高い展示となっているので、ぜひ御覧頂ければと思っている。

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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