新年明けましておめでとうございます。先ずはブログを介しての年賀状から

このブログの連載も早18年以上が経った。書く材料が全く尽きる事なく、月に約2回のペ-スで書き進めて、あっという間の18年。……内容はともかくとして、文章量では長編の代名詞、紫式部の『源氏物語』を越えてしまったように思われる。…私のブログが実に面白いというので、二つの出版社から本にしたいという申し出もあったが丁重に御断りした。…ブログは私の生きた証の徒然の記録なので、日々映りいく走馬灯のように読者の方々に気軽に楽しく読んで頂けたら、それでよいのである。拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社刊)や『美の侵犯-蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)のように世に問うのと違い、極めて私的な随想的記述なのであるから……。

さて、では本文へ入ろう。
…………………元旦の朝に珍しいお茶を初めて呑んだ。お茶の名前は「上喜撰(じょうきせん)」。…この名を聞いて、あぁと思い出した方もおられるかもしれない。…そう、高校の日本史の授業で幕末に登場するお茶の名前である。1853年、浦賀に突如現れた四隻の黒船(蒸気船)に驚く世情と、当時のお茶の名前(上喜撰)を巧みに掛け合わせた狂歌「泰平の/眠りを覚ます/上喜撰/たった四はいで/夜も眠れず」。生来、好奇心が強い私は、この狂歌を授業で知った時に、(実に面白い、そして上手い‼)と感心し、…その上喜撰なるお茶をぜひ一度呑んで、幕末の味覚を追体験してみたいと思った。調べると、横須賀のとあるお茶屋で作っているらしい事はわかったが、しかしなかなか機会なく、日々の事に追われながら、…いつしか年月が流れていった。
……昨年10月の高島屋の個展に、美大の後輩になるサイトウノリコさん(版画家)が来られ、雑談の際に家が横須賀に在ると聞いた瞬間に、横須賀!?……上喜撰!!が閃き、サイトウさんに入手代行をお願いした。…そして年末の横浜の個展時に、サイトウさんがバッグに件のお茶『上喜撰』を携えて来廊された時は嬉しかった。…訊くと、横須賀にそれは無く、幕末にペリー率いる黒船が来航した浦賀まで探しに行って、ようやく入手出来たとの事。持つべきは善き友、そして善き後輩である。

上喜撰は煎茶で、説明書を読むと、徳川将軍家に献上していた当時のお茶の製法を今に遺しているらしい。…呑むと、若干の渋味があるが意外に口には優しく懐かしい香りがする。…狂歌の通り、試しに4杯呑んで寝た。…(たった四はいで夜も眠られず)とあったが、すぐに寝落ちしてしまい、あまりみる事の無い不思議な夢を見た。
好奇心、…確かに私は異常なまでにこれが強い。そして、それが本当はどうであったのか⁉…を自分の目と足で実際に確かめてみたいという確認欲求が強く、それがまた日々の人生を面白くしてくれてもいるのである。高杉晋作の辞世の句「面白きこともなき世を面白く」…を実践しているのである。

…………1968年から71年の長期にわたり、私の故郷の福井市を中心に県全体で69件の放火事件が発生した事があった。何故か3と8のつく日にしか犯人は放火しないので「三・八連続放火事件」と云われた事件である。私が夏休みで大学から帰省した時は、未だ事件は進行中であり、犯人はランダムに現れては県全体で放火を繰り返すので、正に神出鬼没であった。この事件に興味を持った私は図書館に行き、新聞に載っている事件の発生記事を全て表にし、地図も作って推理した。
神出鬼没⁉……犯人は意識してランダムに出没しているようだが、その犯人の潜在意識の深奥に、必ずや何らかの規則的なものが潜んでいると推理したのである。…絞りこんでいくと近郊の村の「春江町」という地名に辿り着いた。……そこから逆放射して地図上の全ての現場に黒い点を打っていくと、やや不完全ながらも次第に規則的な姿が透かし見えて来たのであった。…母に(この放火の犯人は春江町にいるよ)と告げて、私は東京に戻った。母は暇な息子の戯言をただ笑っていた。…放火はその後も1年近く続いたが、遂に警察が用いた逆探知器で火災現場近くの車内にいた犯人が捕まった。果たして、犯人は春江町在住の、自称画家であった。…火災現場に駆けつけた警察官同士の話を盗聴して愉しんでいた犯人を、逆探知器を使って逮捕したのである。
…………………昨年末のブログは特に反響が強く、ミステリ-の醍醐味を愉しんだ方がかなりおられたようである。…そのブログでも書いたが、版画家の藤牧義夫が昭和10年9月2日の雨降る夜に向島・小梅に住む版画家・小野忠重の家に入って以来、この世から完全に姿を消してしまった事件。…結論からいえば、この事件の全容は何ら難しい事はなく、もはや全て白日の下に明らかである。…問題は、何故、小野の家に誘われるように藤牧が行ったのかという事の背景と心理、…そしてこの事件の裏にある湿った陰花植物的な動機に今の私の関心は向かっている。

…次回のブログPart②は、
消えた、或いは消された藤牧義夫の謎、そこに意外にも、現実の江戸川乱歩が登場し、更なる闇へと入って行くのである。…そして後半は、拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』も含めて、モナ・リザの顔に夥しく入っている亀裂の謎を解明すべく、ブログは進んで行くのである。
………次回『モナ・リザはいつ割れたのか⁉ …part②』……乞う期待。









先日の5日、銀座の
…私は観ている途中でふと、彼の見事な身体表現に最も相応しい観客は誰か…と考え、すぐに



…………学生時代、店主に嫌な事を言われながらも、三茶書房はしかしめげずに度々行っていた。そのガラスケ―スの中に、今度は
その際にその展示の場所で、30年以上欲しくて探し続けていた
……しかし、その奥に入って私は我が目を疑った。……あの学生時代以来、ずっと意識し続けていた江戸川乱歩の件の書「うつし世はゆめ……」が奥の方で泉鏡花、谷崎潤一郎の書と並んで静かに展示されていたのであった。
谷崎潤一郎は、高橋お伝という伝説の姉御肌の美女と遭遇した事で、



③……そもそも、東京大学医学部内に、「解剖学標本室」なる物が存在する事を知ったきっかけは、推理小説家・
「はい、東大五月祭本部です」。私は電話した主旨を述べ見学を申し入れた。……すると大学祭で浮かれている学生達がざわつき(何か変な人から、変な電話~)という声が聞こえて来たので、私は別な角度から後日電話する事にして切った。…………それから1か月後、見学を許された私は本郷の校舎内を歩いていたのであった。
……最近気にいっている場所は
















……先日、制作の合間を縫って、私の魂の帰すべき場所、明治の面影が僅かに透かし見える浅草の今戸橋、また待乳山聖天辺りを散策した。広重の描いた風情が残る、私の最も好きな場所である。浅草寺や仲見世は人で喧しいが、この場所はたいそう静かで涼やかであった。新生の時は先ずはここから始めよう。私はそう思った。










……作業員の方に伺うと、その方は先日の騒動の時に新聞社から取材を受けられたとの事。「凄い数の人が、数日間、ここに押し掛けて来たよ!」との由。その時にショベルカ―で砕かれた赤煉瓦の欠片が見物人に配布され、またたく内に無くなってしまったようである。見物人は、ネット越しに、この現場を熱心に見下ろしていたという。そして、私は改めて、自分の強運を思った。













