野村喜和夫

『詩人・ランボオと共に』

本郷の画廊・ア―トギャラリ―884での、作品集刊行記念展も盛況のうちに無事に終わり、また新しいコレクタ―の方々が出来て、実りの多い個展であった。この地は、樋口一葉、石川啄木、宮沢賢治などが住み、また谷崎潤一郎・竹久夢二・坂口安吾、大杉栄……達が数多く住んだ伝説の宿―本郷菊富士ホテル跡も近く、午前中は画廊の近辺を廻って古の文芸の生まれた背景を確認する面白い時間が持てる有意義な2週間でもあった。

 

その個展の合間に一日だけ画廊の休みの日があったので、横浜美術館で開催中の駒井哲郎展を観に行った。……先に観た友人達から、横浜美術館の展示の下手さ、ルドン・ミロ等のオリジナル作品が駒井哲郎の作品と直に並んで展示されている為に、駒井哲郎の作品が弱く見えてしまった……などという厳しいメールが届いていたので気になっていたが、ようやく観に行けたのであった。そして、友人達からの指摘がまぁ一面では当たっている事に頷きながらも、少し想うところがあった。……駒井さんがルドンやミロ、またクレ―などの作品に出会った時は、今ほどに彼らの作品情報も豊富な時でなく、また画集の印刷も鮮明でない時代であった。その時に駒井さんが見て直感した感動の純度の高さはいかばかりであったかと想う。この、内に荒ぶるものと無垢の精神を宿した、本質的に詩人の感性を多分に持った人は、憧れに似た想いで、彼ら西洋の芸術家の作品を前にして、熱く拝するような想いで接し、またそのエッセンスを得んとして、しかし憧れのままにその域を出る事なく試作したかと思われる。情報もまた黎明期の少ない中で、この不足は多分に表現者として豊かな揺れや解釈の誤解を生んで、駒井さん独歩の物語や表現の独自性を紡いでいき、例えば代表作『束の間の幻影』に結実していったのである。このような、不足な時代の情報への飢餓感は、他には、デュ―ラ―やゴッホに憧れながらも、しかしデュ―ラ―やゴッホには劣るとも、後に切通しの坂の玄妙な幻視を結晶化した岸田劉生に例を見ると同じく、現場主義的な推察がまた比較論的に必要なのである。それを一言で云えば、西洋の精神や感性の強度な硬質さに対し、岸田劉生や駒井さん、また諸々のこの国の表現者の感性はあまりに抒情的であり、ずばり駒井さんの感性の近似値を云えば、美術よりもむしろ文芸の方に近く、福永武彦あたりに着地するかと思われる。

 

……会場を廻って行くと、駒井さんの遺品が幾つか展示されていた。その中に駒井さん愛用の白い帽子があり、私は、あぁ、あの時に駒井さんの横にこの帽子があったというのを鮮明に想いだし懐かしかった。……あの時、それは確か7月の初夏の頃であった。美術館が作成した私の作品図録を開くと、『姉妹』という作品を作ったのは1973年、私が21才の未だ美大の学生の時であった。版画科の作品批評会なるものがあり、助手が「今日は駒井先生はお休みです」と言った。言った瞬間に私は(最早この場にいる意味無し)とばかりに席を立ち、教室から出ていった。残った学生達は唖然とし、他の2名の教授達は私の態度に憮然としたようであった。私は出来上がったばかりの『姉妹』を駒井さんはどう見て、どういう言葉が返ってくるのか、ただそれだけに関心があり、数日後に電話で駒井さんにその旨を話すと、その1時間後に世田谷の自宅から、私が待つ美大の教室に来てくれた。……駒井さんは作品を見て一目で気にいってくれて、手応えのある言葉を話してくれた。……しかしタイトルの話になって意見が別れた。「北川君、この作品のタイトルは何と言うのですか?」と尋ねられたので、私は「『姉妹』と付けようと思います」と話すと、駒井さんは「『姉妹』をやめて『双生児』にしなさい」と言う。「いや、もう決めていますから」と話すと、珍しく駒井さんはニヤリと唇を歪めて「北川君、私はタイトルは上手いのですよ」と、珍しく上からの目線で言ったので、私は「駒井さん、せっかくのお言葉ですが、タイトルなら私も少しばかり自信があります。やはり『姉妹』にします』!!」と、我が考えを通した。……その場所の、暗くて硝酸の臭いがする教室の駒井さんの横に、この帽子があったな……と懐かしく私はそれを眺めた。…………私が拒んだ『双生児』と、私が付けた『姉妹』には似て非なる距離がある。駒井さんの言語感覚が持っている、湿潤な、暗くて重い、つまりは日本の風土にそくした抒情性に対し、私の『姉妹』は非対称的な幾何学的配置で、硬質である事をオブセッションのように要する私の資質の映しであり、何よりも、この『姉妹』は三島由紀夫の小説『偉大なる姉妹』への挑戦として、異様なグロテスクさを孕みながらも、秘めた暗示性の刻印を意図した作品なのである。〈駒井先生!〉……といって、まるでカルガモの子供のように追随する学生や助手が、当時は数多くいたが、数十年とはいえ、生まれた時代が違う人に追随し、その影響下に沈むと、次なる時代に於ける表現者としてのリアリティ―が立たなくなる事を私は知っていた。そして自らを弟子と称する者達に「師を越えられぬ者は愚か者である」と手稿に厳しく記した、ダ・ヴィンチの洞察した言葉が在る事も既に私は知っていた。……私が銅版画の自作に「Comedie-de-soif」という文字(「渇きの喜劇」の意味)を稚拙なフランス語でギザギザと苛立つように刻んだ時に、駒井さんは「君はランボオを読んでいるのですか!?」と、すかさず静かに語りだして来たのも、また心の深部に響く手応えがあったが、しかし、表現者の先人ではあっても譲れないものは譲れない。駒井さんは、私の版画制作時の初期に於ける手応えのある人であったが、私は表現者の一人として醒めた距離を置いていた。駒井先生とは決して語らず、「駒井さん」という呼称を本人の前でも通し続け、駒井さん自身もそれを喜んでいた。……しかし、駒井さんよりも、またこのすぐ後に出会った棟方志功さんや池田満寿夫さんよりも、私は強く意識する人物がいた。銅版画史に残る世界的水準の名作と云っていい、天才詩人アルチュ―ル・ランボオをモチ―フとしたランボオの連作を版画集で刻んだジム・ダインという存在が私に於ける手強い牙城であり、遥かなる高みであった。私はジム・ダインのランボオの版画のポスタ―を室内に貼り、画集がインクで黒ずむ迄に読み返し、このジム・ダインなる天才の表現のエッセンスに迫るべく格闘する日々であった。そして、ランボオは私の表現者としての初期から近年に至る迄、その対象に迫る視点と技法は変わりながらも、長年にかけて挑むに足る牙城であった。

 

2008年の冬に、私のサイトに、フランスから突然のコンタクトが入った。Claude Jeancolasという人からである。……日本でも翻訳本が出ている、アルチュ―ル・ランボオ研究の第一人者で、20冊以上の著作が出ている人である。氏からのメール文には「ランボオをモチ―フとした美術作品を一堂に集めたアンソロジ―の美術書にあなたの作品も載せて、更に生地のシャルルヴィルに在るアルチュ―ル・ランボオ記念館で作品展を開催したいので、ぜひ出品して頂きたい。ちなみに東洋からの選出作品はあなただけであり、出品作家は他に、ピカソ、ジャコメッティ、クレ―、エルンスト、ミロ、メ―プルソ―プ、ジャン・コクト―、ジム・ダイン……である。」と書いてある。最後の方に書かれていたジム・ダインの名を見た時、私は重なるように意識していたランボオとジム・ダインが浮かび「もちろん、喜んで!」という返事を返した。その後に送られて来た、彼がテクストを書くための質問の数々は実に手応えのある文で、日本の美術評論家とは格段にレベルの異なる成熟した知性とセンスの高さを刻んだものであった。……私は各々の質問に丁寧に答え、最後に「アルチュ―ル・ランボオは私において既に客体である」と締めくくって返した。後日、パリのFVW EDITION社から刊行されたClaude Jeancolas氏著作の『LE REGARD BLEU D”ARTHUR RIMBAUD』には前述した作家達の作品と共に私の二点の作品も見開きで掲載され、実に緻密なテクストが各々に配されている。私について書かれたテクストの冒頭は「〈ランボオを理解出来るのは、私たち西洋人だけである〉といった思いを我々ヨ―ロッパ人はひそかに抱いていたが、北川健次の強度な作品は、その考えを覆してしまった」という記述から始まっている。私は永年共に歩いて来たランボオの生地シャルルヴィルの記念館を展覧会に合わせて訪れ、ランボオの生原稿の詩、そして、私が通り抜けて来た20世紀の美の先達の作品が掛けられている館内を学芸員の人に案内されて廻り、牙城として来たジム・ダインのランボオの版画の前を通り、私の二点のランボオの版画作品の前に来た。……メ―プルソ―プ、そしてマックス・エルンストの作品がその近くで展示されていた。

 

……その2年後の2010年、やはりClaude Jeancolas氏の企画で、今度は『RIMBAUD MANIA』と題した展覧会が、パリのマレー地区にある16世紀の遺構、パリ市立歴史図書館で開催された時に選出された美術家は、ピカソ、ジャコメッティ、ジム・ダイン、ジャンコクト―、そして私であり、各々のランボオ作品が展示され、パリの出版社「Paris bibliotheques」から作品集が刊行された。…………ランボオとの長い旅がこれで終わるかと思っていたら、その数年後に、20代からの牙城であったジム・ダインと対面するという機会が突然やって来た。名古屋ボストン美術館で開催されたジム・ダイン展に合わせて来日した本人に、館長をされていた馬場駿吉さんが引き合わせてくれたのである。私はランボオの作品ほか数点を持って会う事となった。ジム・ダインは、ランボオミュ―ジアムで展示されていた私の作品をよく覚えていると語り、私の肩に手をかけて「俺は、パリのセ―ヌ河沿いにある古書店で、この小僧(ランボオの事)の生意気な面構えを見て、作品で抹殺する事にしたのだ!天才詩人ランボオというよりも前に、この顔、この面の皮の厚い顔にたちまち触発されたのだ!!」と語ってくれた。20代の前半に、ジム・ダインのランボオ作品と出会い、そのポスタ―を壁に貼り、何とかその高みに上がりたいと希求して来た人物が、正に今、しかも近代の版画史に残る作品の制作時の秘話を直接本人から語られる日がやって来ようとは……。だから人生は面白い。私が、ランボオはもはや客体であると考え、イメ―ジを皮膚化する試みとしてランボオの顔の皮膜を突き破ったのと同じく、ジム・ダインはランボオの顔を抹殺する事にした。考えてみると、ランボオへの眼差しに於ける視点には近いものがある事を、私は彼自身の生な言葉から知ったのであった。ランボオへのオマ―ジュ、そして彼の詩のイメ―ジの中に溺れるようにして刻んだ版画、そして最後に至った客体としての皮膚化されたランボオの表象の顔。……ランボオとの旅は果たしてこれで終わりを遂げたのか!? ……しかし、私と同じく、ランボオに挑み、ランボオを捕らえんとして、表現者としての初期から意識して来た人物がまだ他に二人いる事を私は知っている。詩人の野村喜和夫氏と、ダンスの勅使川原三郎氏である。野村氏とは、共著での詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』で共にランボオに迫り、勅使川原氏の場合は、『イリュミナシオン・ランボ―の瞬き』の公演の文章を今年の1月に書いた。自作とは別に今少し、ランボオとは歩みを共にする事になるかも知れないという予感がある。……さてもランボオとは一枚の鏡。私の折々の変遷を映し出す危うくも鋭い一枚の鏡なのかもしれない……と、今ようやくにして思うのである。

 

 

 

(左)北川健次 (右)ピカソ

 

 

(左)ジム・ダイン (右)ジャコメッティ

 

 

 

 

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『 お知らせ 』  

この国の各分野には様々な賞があるが、わけても特異な意味合いを持っている賞と云えば、例えば詩の分野における「歴程賞」がそうであろうかと思われる。この賞は、詩誌『歴程』が島崎藤村を記念して創設された賞であるが、この文学賞の他と違う点は、受賞対象が詩人だけに限らず、その表現がポエジ―を中核としたものであるならば絵画、建築、音楽、映画……もその対象になるという点が特徴的であり、他に比べてある意味、純度が高いように思われる。……私がこの賞の存在を知ったのは、1984年にマッキンリ―で遭難した登山家の植村直巳さんに対して、生前の1975年に〈未知の世界の探求〉という受賞理由で歴程賞が贈られる事になった時に、なかなか理念の高い評価をする良い賞だと思った事が始まりであった。とは云っても、金子光晴大岡信・吉岡実高槁睦郎吉増剛造……といったこの国の代表的な詩人諸氏の受賞者が名を連ねているが、それでも時として、1993年には画家の岡本太郎の全業績に対して歴程賞が贈られ、また宇宙飛行士で日本科学未来館館長の毛利衛さんが、日本宇宙フォ―ラム主任研究員の山中勉さんとの共同プロジェクトで行った「宇宙連詩」で、2011年に歴程特別賞を受賞するなど、選考基準は相変わらず開明的で幅が広く、なかなかに面白い。そして、その毛利衛さん達以来、7年ぶりとなる歴程特別賞が、先日開かれた選考会で、私が受賞する事が決まり、選考委員を代表して、詩人の野村喜和夫さんから審査経過と、私が賞を受けるか否かの確認も含めた連絡が入り、私は喜んで受諾する事にした。受賞理由は、私の表現者としての全業績に対してであるという。しかし、私はどんなに折々の作品が評価されたとしても、全て次なる作品の習作と切り換えて考えているので、全業績という言葉にピンと来ないのが、正直な実感である。……ただ最近の私は、もはや美術という狭い概念を離れて、ポエジ―を立ち上げる〈装置〉を作っているという強い想いを持って制作に臨んでいるので、ある意味、今までに受賞した美術の分野での賞より、遥かに手応えを感じているのは事実である。そして、更に突き進んで行こうとする気持ちに良い糧となった点では、今回の受賞は意義が深いと思っている。……私は油彩画に始まり、版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、美術評論と幅広く挑んでいるが、これを機に、かなり腰を据えて、詩作、そして一冊の言葉の磁場を秘めた不思議な『詩集』を刊行したいという想いが、ここに来て、かなり具体的な熱を帯びて来ているのである。

 

……さて、10月10日から日本橋の高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『吊り下げられた衣裳哲学』。制作は熱を帯びて次々に構想が膨らんで、遂に作品数が今までで最多となった。これからは、作品を額装したり、タイトルを付けていく次なる大事な作業へと今は移り始めている。……アトリエから会場の画廊へと移り、会期三週間という時間の中で、云わば虚構が現実を勝って展開する危うさの劇場がまもなく始まろうとしている。……重ねて乞うご期待という言葉を、ここに自信を持って申し上げる次第である。

 

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『再び、ベーコン登場』

神田の神保町の古本屋街を一日中歩いて帰ってくると既に夜半であった。TVのスイッチを入れ、着替えをしていると、TVの画面でも私と同じように服を脱いでいる男が映った。どうやらこれから踊るらしい。見るとその男は、俳優の田中泯氏であった。豊田市美術館で開催中のフランシス・ベーコン展の企画としての踊りがこれから映し出されるのである。以前に東京国立近代美術館で見たベーコン展では、大きなスクリーンに舞踏家・土方巽の「四季のための二十七晩」の映像が映し出され、私は企画者のセンスの妙を以前にこのメッセージ欄で讃えた事があった。土方は肉体の権能の極北にまで迫り、それは豪奢で、限りなく危ういまでに美的であり、さらに云えばベーコンの表現をも超えて肉体の闇の深部に迫真していた。さぁ、田中泯氏はどうだろう!?

 

踊りが始まって一分も経たない内に私は「これは、・・・・・違うな!!」と思った。上手い、下手ではない。では何が違うのか・・・?私は頭の中でそれを整理した。①これはコラボレーションでもなくオマージュでもない。②そもそもベーコンの表現を通して肉体(肉魂)の根源を開示しようとする事に難がある。③自身における舞踏家としての核が伝わってこない。④表現として足り得る為のフォルムがない。⑤田中泯氏の才能は、実は、その顔相の特異さ(役者としての)にこそあるのではあるまいか!?⑥⑦・・・etc. 私は見ていて途中から、この踊りの最後はおそらく〈完結〉として閉じずに散文的に分散するな・・・と予感した。はたして私の予感は当たり、踊り終えた田中氏自身の言葉の内にその事への言及があった。「踊っているうちに、自分が何処に行ってしまうのか・・・わからなくなってしまった」と云うのである。企画者の試みへの意欲は私は評価したい。しかし、ベーコンの表現と対峙しうる〈肉魂と傷の裂け口の闇〉の凄まじい体現者はおそらく今は皆無であろう。田中氏は、体のその重心ゆえに、あまりにも地上的であり、例えば勅使河原三郎氏は天上的であり、土方巽のごとき地上性と天上性とをあたかも奇術師のごとく併せ持つ怪物的な才能はもはや残念ながら無いのであろう。番組の最後で、田中氏はベーコンの晩年の作を評して、金と名声に負けた変節と語ったが、デヴィッド・リンチ氏はそこに表現の幅としての解釈を見せていた。私はデヴィッド・リンチ氏と同じ見方である。時代がベーコンに追いついたのではない。時代がベーコンの表現と重なってきて、まさにこの21世紀はグロテスクでオブセッショナルな様相を呈してきているのである。私は以前のメッセージでベーコンの絵画を正に「現代のイコン」と評したが、同じ事をここで再び記そうと思う。

 

・・・ところで,昨今の美術館は入場者を得るために(愛)とか(ハート)をテーマにした虚な企画が目立つが、私がもし企画者ならば真逆の企画—obsession(強迫観念)と美の問題を絡めた展示をやってみたいものである。13世紀初頭の、神への礼讃を描いたフラ・アンジェリコの『受胎告知』の巨大なコピーを入口の初めに見せ、次はダヴィンチの『大洪水』による人類死滅のヴィジョンから異端審問による処刑図を経て、時代は一気に19・20・21世紀に飛び、ゴヤゴッホムンクスーチンピカソジャコメッティダリベルメール、そしてベーコンと続き、そこには声無き絶叫のオンパレードが続く。西洋は個人の自我意識が確立しているから、人はその肉の皮膚の内から絶叫の声を放つ。さて・・・日本はと、振り返ってみると、そこに荒ぶるようなヴィジョンが無い事にふと気付く。この国においての〈孤独〉は、時代性の情緒の内に紛れて終には甘美なのである。

 

詩人・野村喜和夫氏との詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』の刊行を記念して開催された、私と野村氏との対談が、現在発売中の『現代詩手帖』八月号(思潮社刊)の巻頭に所収されているので、興味がおありの方はぜひ読んで頂きたい。書評も、「二人の作品は等価どころか、ひとつになって新たな世界を創り出すのに成功している」(中村隆夫氏評)、「詩画集のひとつの達成として興味深い。(略)ここでは視覚作品と詩が、その乖離自体をひとつのオブジェとして呈示してもいるのだ。」(田野倉康一氏評)、「互いの主体の強度は保たれ、作品はぶつかり合うことなく戦い、それが二人の作品の交差となって、この書物の緊迫した膨らみを象り・・・(松尾真由美氏評)など好評であり、売行きも好調で、普及本・特装本ともに近々に完売の可能性も見えてきているようである。

 

対談の中で野村喜和夫氏は「・・・そもそもコラボレーションというのは、詩と美術の場合は、言語表現と造形表現との闘争的な共存であるべきで、本文と挿絵、あるいは作品とキャプションという関係では全くない。」と語っているように、私たちの共同作業の出発点には先ず〈私たち自身への批評眼〉があった。それが読者の多くに正しく伝わっているのだと思う。前述した田中泯氏の踊りに対して〈・・・違うな!!〉と思ったのは、つまりはそこなのである。ベーコンに対峙して肉魂の闇に迫るには、田中氏はベーコンの絵に度々登場する〈こうもり傘〉や、〈不毛な部屋〉といった既存のイメージを援用せずに、自身が抱えている主題で自立したものをやるべきであったのではあるまいか・・・。観者はベーコンの絵画の自立性、田中氏の踊りの自立性を見て、まさに先の田野倉氏の言を借りれば、その乖離自体の中に観者各々が問題意識を立ち上げ、自問するのである。田中氏がこの企画において計った距離の取り方、その在り様を、私は〈・・・違うな!!〉と直観したのである。それにしても、田中氏はあまりにも熱演であり過ぎた。

 

かつて、舞台の下で撮影している若き日の写真家・細江英公氏に対し、土方巽は演じながら〈今、撮れ!!〉 〈今、撮れ!!〉というシャッターチャンスのサインを〈気〉で送っていたという。何という複眼!何という恐るべき余裕と集中力!!そう、演じ手ではない、もう一人の醒めたプロデューサー・土方巽が、実は観者たちの背後の暗部にいて、自身の舞踏の絵姿を一瞬ごとに鋭く冷静に見ているのである。高ぶるのはあくまでも観客であり、演じ手は、何処かで醒めていなくては、作品にフォルムは立ち上がらない。表現主義・現場主義におけるジャクソン・ポロックがその恰好の例である如く、又、我が国の能がそうである如く、カオス(絶対の混純)をカオスたらしめる為には、その作品(化)として支えるための見えない、しかし確かな支持体が要る。その支持体の本質をこそ、真の意味での〈様式美〉と云うのである。

 

ベーコンの絵画がグロテスクを超えて、ついにはイコンのごとく美しい聖性さえも帯びているのはそこであり、ベーコンの画家としての本能は、したたかにも、それを知っているのである。

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『次へ !!!』

不忍画郎での展覧会『名作のアニマー駒井哲郎・池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が盛況の内に終了した。三人の作品が一堂に会すという話題性や、読売新聞の文化欄で紹介されたことなどもあり、来廊者は1000人を超えた。画廊の展覧会としては、異例の数字である。昨今の美術の分野の内容の薄さに対し、私は「芸術は精神を突く強度なものでなくてはならない!!!」という理念がある。その私の理念と、不忍画郎の荒井裕史氏のプロデューサーとしての版画への想いが合致した今回の企画が、多くの人々に支持されたのだと思う。会期の三週間の間に何度も足を運ばれる方も多くおられ、手応えのある展覧会であった。

 

詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』(普及版)

23日(日)の産經新聞の朝刊の文化欄に、5月に刊行したばかりの、詩人・野村喜和夫氏と私の共著による詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』の書評が大きく掲載された。書き手は、多摩美術大学の教授で美術評論家の中村隆夫氏。私と野村喜和夫氏がコラボレーションの形でこの本に何を込めようとしたか、そして、詩とヴィジュアルとの絡みと相関性について実に的確に書かれており、書評の域を超えた鋭い言及が成されている。産經新聞のインターネット版にも載っているので、ご興味のある方はぜひ読んで頂きたい内容である。先日、版元である思潮社から連絡があり、詩集としては異例の売行きで、完売も既に視野に見えてきているとの由。普及本は1000部であるが、先月、茅場町の森岡書店で開催した詩画集刊行記念展の時に、50部だけ特別に特装本を作った。私のオリジナル写真作品1点と、オフセット+シルクスクリーン刷りのコラージュ作品1点と野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版刷りに氏のサインが入り、本の内側にも、私と野村喜和夫氏の署名が銀文字で入った豪華版である。しかし、思潮社と野村氏と私とで配分した為に、私の方で販売可能な部数は今は僅かに5部しか残っていない。定価は三点のオリジナル作品が入って52,500円(税込み)。御希望の方は、この私のオフィシャル・サイトに申し込んで頂ければ購入が可能である。但し、残部が少ないために完売し、絶版になってしまった場合は御了承されたし。

 

個展を含め、昨年の秋から毎月、展覧会を続けざまに開催して来たが、ようやく充電の時期に入る事になった。しかし、今秋の高島屋の個展をはじめ、美術館での作品展示、更には異なるそれぞれのテーマでの個展が来年の春まで、早くも幾つか企画が入っている。私が次にどのような表現世界を展開するのか予測がつかないのが楽しみであると、展覧会に来られる方の多くが語っている。私自身も又、その意味ではスリリングな中にいる。多くの作家は、自分への批評眼の欠如ゆえに、作品が全く変わらないマンネリという澱みの中にいる。私は次なるイメージの狩猟場を求めて新たな場に移る事を自分に課している。私は有言実行の人間である。楽しみにして頂きたいと思っている。

凸版製法により刷られた野村喜和夫氏の詩・直筆サイン入り

野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版の金属製型版

 

オリジナル写真(ドイツ製:ハ-ネミュ-レ社バライタ紙使用)

 

詩画集の特装本

(私のオリジナル写真1点・コラージュ1点・野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版刷      り・サイン入りの計3点入り)定価52500円(残部5部のみ)

 

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『A・ランボーと私』

昨今の、ただたれ流すだけのCMと違い、昔のコマーシャルにはニヤリとさせる機知があった。例えば、30年以上前であるが、フェリーニの映像世界を想わせる画像がCMで流れ、小人の道化師や火吹き男たちが怪しい宴を催している。そこに、十代で『酔いどれ船』『地獄の季節』『イリュミナシオン』の文学史における金字塔的詩を発表した後、詩を棄て、死の商人となってマルセイユで37歳で死んだ天才詩人アルチュール・ランボーの事が語られ、最後に殺し文句とも云えるナレーションが入る。すなわち「アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!」という文である。そう、アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!

 

18歳で銅版画と出会った私が、最初から重要な表現のモチーフとしたのが、そのアルチュール・ランボーであった。現在、版画作品として残っているのは、僅かに4点であるが、おそらく40点近い数のランボーの習作が生まれ、そして散失していったと思われる。アルチュール・ランボー研究の第一人者として知られるJ・コーラス氏が私の作品二点を選出し、ピカソジャコメッティクレーエルンスト達の作品と共に画集に収め、二度にわたるフランスでの展覧会に招かれたのは記憶に新しい。又、20代から先達として意識していたジム・ダインのランボーの版画の連作は、私の目指す高峰であったが、そのジム・ダイン氏からの高い評価を得た事は、私の銅版画史の重要なモメントであり、そこで得た自信は、今日の全くぶれない自分の精神力の糧となっている。つまり私はアルチュール・ランボーによって、強度に鍛えられていったともいえるのである。

 

18日まで茅場町の森岡書店で開催中の、野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展では、私のランボーの諸作も展示され、野村喜和夫氏収蔵のランボーの原書や、氏の個人コレクションも展示されて、異色の展覧会となっている。会期中は4時半から8時迄は毎日、会場に顔を出しているが、17日(金)の野村喜和夫氏との対談も控えている。当日は6時30分から受付が始まり、7時から対談がスタートする。定員制のため50人しか入れないが、聴講を希望される方は、早めに森岡書店まで申し込んで頂きたい。

 

この展覧会があるので、野村氏とはよく話をする機会があるが、つい本質的な内容にお互いが入り込んでしまうので、なるべく対談の時まで入り込まないように自重している。ぶっつけ本番となるが、今からどういう話が展開していくのか、自分としても多いに楽しみにしているのである。とまれ、この展覧会、会期が短いが緊張感の高い展示となっているので、ぜひ御覧頂ければと思っている。

 

 

 

 

 

 

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『コレクションも創造行為である』

画廊香月での三週間にわたる個展が先日、盛況のうちに終了した。作品をコレクションされた方の六割が画廊香月の知巳の方や、ふらりと画廊を訪れた方であった。つまり、私の未知の方が即断で作品をコレクションされたという事は、コレクターの層が大きく拡がったという事であり、表現者である私にとっての大きな自信となっていくものである。私とコレクターの方との関係は、作品のイメージを中心に置いた右と左の対の創造者同士であると思っている。人生は一度限りである。私は生ある限り、この関係を今後も大切にしていきたい。

 

アトリエでの静かな時間がようやく戻って来た。庭に出ると、葉群らの間から蜥蜴が銀の光を反射して、とても美しい。一年中で最ものどかな春の一刻である。フェルメール論の執筆の際に作った〈カメラ・オブスキュラ〉を久しぶりに取り出して来て窓外を見る。不穏な地震の気配は足下でなおも不気味に動いているが、迫り来るかもしれないカタストロフィーの予感を抱きつつも、レンズ越しに見る光景は、午前の静まりを映して事も無しである。

 

 

思潮社から荷物が届いた。開けてみると、野村喜和夫氏との詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』が現れた。遂に本が出来上がったのである。装幀家・伊勢功治氏の高い美意識と、思潮社の藤井一乃氏の詩集における可能性の追求が徹底されていて実に美しい造本となっている。刊行を記念した展覧会が5月13日から一週間、茅場町の森岡書店で開催される。17日の6時からは野村氏と私との対談が予定されている。定員は50名で参加費は2000円。聴講をご希望される方は予約制なので、森岡書店或は、このオフィシャルサイトに早めに御申し込み頂ければ嬉しい。野村喜和夫氏は文学の角度から、そして私はヴィジュアルの角度から各々が天才詩人アルチュール・ランボーの表現世界と関わってきたわけであるが、今その二つが一つに結びついて「詩画集」という本のオブジェに結実した。その経緯を二人が語り、その後で野村氏の自作の詩の朗読もある。定員に達し次第〆切のため、ぜひお早めにお申し込みください。

 

詩画集の表紙の帯に記された文「詩のことばが写真とオブジェにからまりながら、どこまでも都市を彷徨い続ける。ランボーに魅せられ、ダンテに導かれた二人の作家による、現代版〈地獄くだり〉。」が示すように詩人の野村喜和夫氏とは、〈ランボー〉を通じて不思議な感性の共振がある。その共振と異和が揺れながら結晶となった、極めて美麗で、危うい毒が詰まった本である。

 

お申し込み:森岡書店

Tel: 03-3249-3456(13:00〜20:oo)/E-mail: info@moriokashoten.com

 

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『年が明ける』

三方から除夜の鐘の音が響き始めたのと重なるようにして、風に乗って東の海の方から汽笛の音が鳴り響いてきた。横浜港に停泊している全ての船がいっせいに新年を祝して汽笛を鳴らすのである。私はこの汽笛の音が好きであるが、この音を聞く度に想いだす一枚の古写真がある。それは明治初期に撮られた写真で、そこには、山手の坂を下りて港に行く際に渡る谷戸橋の上を歩く外国の婦人の姿と、その先を輪廻しをしながら駆けていく少女の姿が写っている。遠景に見えるのは寺院で、ヘボン式ローマ字の創始者で宣教師・医師であったジェームス・ヘボン先生の住居である。写真は本質的に静的なものであるが、この輪廻しする少女のように無垢な動的なものがそこに加わると、詩的な叙情性がリアルに立ち上って私たちを引きつける。この写真はキリコの代表作『街の憂愁と神秘』に似ているが、あの絵のような不穏さは全く無く、有島武郎の小説『一房の葡萄』のような永遠の「時」が封印されている。ヘボン先生の住居は今日では税務署に変わり、何とも風情が無くなってしまったが、それでも私はこの新年の汽笛の音を聞く度に、今も在る谷戸橋の上をはしゃぎながら駆けていく少女の姿が、まるで幻視のようにありありと想い浮かぶのである。

 

さて、今年は1月から半年間は個展を中心に、毎月なんらかの形で作品発表が予定されている。さらには4月にベルギーのブリュッセルで開催されるアートフェアーの出品依頼を受けたので現地に行く事になり、そのための制作も急遽入って来て慌ただしい。ただしこのベルギー行は往復の飛行機代と宿泊代は先方が出してくれるというので条件としては嬉しいが、ともあれ20年ぶりのベルギーである。又、6月はイタリア(主にミラノとフィレンツェ)に墓地の彫刻を撮影しに行くので、空を飛ぶ機会は増えるが、それを機に、また新たなイメージの領土を開拓していく気概は十分にある。昨年、個展に来られた初めてお会いする方々からもこのメッセージを楽しみにしているという話を伺い、かなりの数で読まれている事を知り、更に燃えようというものである。今年前半は個展とは別に、詩人の野村喜和夫氏との詩画集も思潮社から三月刊行の予定で進行しており、その刊行記念展も既に予定として五月に入っている。又、私の本も刊行が予定されており、追加の執筆も、作品制作とは別に書かなくてはいけない。毎回書くメッセージはその意味でも、予告としての有言実行の場であり、重要な意味がある。今年も話題を変えながら書き進めていきたいと思っているので、お付き合いを頂ければ嬉しい限りである。

 

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『個展 – 私の現在』

三週間続いた日本橋高島屋本店の美術画廊Xでの個展がようやく終了した。世の不況にも関わらず、出品点数82点の内、50点以上の作品がコレクターの方々のコレクションとなっていった。昨今の美術表現の傾向は、薄く脆く、ぼんやりしたイメージの芯のない傾向へと向かっているが、私は芸術とは強度で美と毒とポエジーこそ必須であると考えている。そしてマチスが美の理念とした言葉「豪奢・静謐・逸楽」ー つまりは、眼の至福たる事を範とし、その実践をしているという意識は強烈にある。しかし、そうは言ってもやはり実際にコレクションを決断されるというその行為に対しては本当に感謝したいと思っている。かつて池田満寿夫氏が語ってくれたように、「コレクションされるという事が、作品に対する最高の批評」なのである。

 

さて、今回も様々な方と会場でお話する機会があった。この国の最大のコレクターといっていい東京オペラシティの寺田小太郎氏は、毎回の個展でコレクションして頂いているが、今回は三点のコラージュを求められた。その後、私と寺田氏は一時間ばかり会話を交わした。この国の現在の混迷の元凶は、明治新政府において西郷隆盛の農本主義が廃された事に拠るという自説を語ると、実は寺田氏もまた同じ考えを持っておられた事に驚いた。そして日清・日露で勝ってしまった事がこの国の軌道を狂わせたという話になり・・・・寺田氏の豊富な体験談を伺って、私はずいぶんと教わる事となった。

 

有田焼十四代の今泉今右衛門氏とは、芸術作品の表象にある肌(メチエ)が如何に決定的に重要なものであるかについて、分野の垣根を超えて共通な眼差しをみられた事は意義深いものであった。メチエが持つエロティシズム・魔性・暗示されたイメージの豊饒、・・・・そして気品。ちなみに、この当然なメチエへのこだわりに眼を注いでいる美術家は、私の知る限り皆無であるといっていい。

 

さて掲載した作品写真は今回の出品作『ベルニーニの飛翔する官能』である。この作品をコレクションしたのは、短歌の第一人者、水原紫苑さんである。水原さんは、あの白州正子さんが「稀に見る本物の歌人」と高く評価した才人。このコラージュは危うく妖しいエロティシズムに充ちた難物であるが、さすがに天才の眼は、一瞬でこの作品に意味を見た。水原さんの購入が決まった後に売約済を示す赤いシールがタイトルの横に貼られた。その後、この作品を購入したかったという人が8人続いたが、その全員が女性であった事に私は作者として驚いた。男性は作品に理論的な意味付けを試みるが、女性は直感で作品の本質を見抜く。女性の感性たるや恐るべしである。

 

今一つの画像作品は、詩人の野村喜和夫氏がコレクションを決められた。野村氏は現代詩の第一人者として、昨今最もその評価が高い。先日は歴程賞を受賞し、この春は萩原朔太郎賞を受賞するなど、刊行する詩集や評論集のことごとくが注目の的となっている。野村氏は個展の度に私の作品をコレクションされているが、その選択眼は確かであり、私の作品の中でも代表作となるような重要な作品ばかりを必ず選ばれている。来年の一月には詩人のランボーを主題に絡ませた、野村氏と私の詩画集が思潮社から刊行予定となっており、作品は既に作り上げている。さて先述した水原紫苑さんや野村氏といった表現者の人にコレクションされる事には今一つの更なる楽しみがある。それは御二人に見るように、短歌や詩の中で私の作品が変容して再び立ち現れる事である。既に野村氏は今年の「現代詩手帖」の巻頭で、それを実行し、水原さんも近々の作品の中に詠まれる由。ともあれ、今年の個展は全て終了し、私は束の間ではあるが休息となる。しかし、このメッセージはしばらく休んでいた分、書きたい事が多くある。乞うご期待である。

 

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『ジャクソン・ポロック』

先日、東京国立近代美術館で開催中のジャクソン・ポロック展を観た。44歳で自死したポロックの表現世界。会場に展示されている、実際に彼が使った筆先の切り取られた部分を見ながら、あのアクションペインティングをする際に要した一瞬、一瞬の絶え間ない神経の集中の過酷さを想像した。表現は、実体のポロックを遊離して、一つの「極」へと知らぬ間に達してしまった!!その極北への到達は、表現者としての恩寵でもあり、ゆえに悲劇でもある。

 

会場内の壁面にはポロックの言葉と共に、一時代のアメリカ現代美術を引っ張った美術評論家クレメント・グリーンバーグの言葉が貼られていた。グリーンバーグ曰く、「優れた表現が登場する際には、決まってそこに何らかの醜悪なものがある」と。たいていの人はその言葉とポロックの初期の作品を見て、なるほどと合点する。しかし、グリーンバーグの言葉に批評としての普遍性は無く、在るのは、同時代のみの賞味期限付きのレトリックでしかない。彼の頭にあるのはデクーニングを範とする表現主義への礼讃だけで、視野は狭い。ケネス・クラークやグローマンに比べれば数段劣る。事実、グリーンバーグはコーネルの作品には無関心であった。しかし時代がコーネルに追いつくと、彼もまた脱帽してコーネルを認めたのである。つまり、批評が作品の実質に屈服したのである。私は先に、「批評家の言葉には反応しない」と書いたが、その根拠がここに在る。生意気なようだが、「名人は名人を知る」の言葉どおり、次代の才能を見ぬく眼を持っているのは常に表現者であり、評論家でその役割を果たした者はほとんど皆無に近い。

 

先日、詩人の野村喜和夫氏と本の打ち合わせをした折、野村氏は「時代の中で一番色褪せるのが早いのは〈思想〉である」と語った。この場合の〈思想〉とは、それがあまりに同時代のみを向いたもの、という限定付きであるが、同感である。そして私はそこに「評論もまた然り」を付け加えた。グリーンバーグは極論的言説ゆえに、それでも40年代から60年代の美術界を引っぱり、今は引き算を要するがなおも読める。さぁ、その眼差しを日本の美術における評論に向けてみよう。果たして、過去の誰が浮かび上がるのか? −−− 誰もいない。今もって、それを読み、熱くなれる文を書いた評論家は誰もいない。それに比べて、例えば三島由紀夫が著した美術評論 —– 宗達ヴァトー、ギリシャ彫刻・・・に注いだ眼差しは、今なお光彩を放って底光りをしている。そして、そこから得る物も深い。そう、三島は近代における評論の分野でも、最高の書き手であったのである。私は言い直そう。色褪せるのが早いのは評論ではなく、評論家による評論であり、実作者が書いた評論は、時として、時代を経てなおも生きる。ここまで書いた私は、自分にその刃の切っ先を向けた事になる。—- では、お前はどうなのかと。私は自分の書いた物に確たる自信がある。今刊行中の『絵画の迷宮』、そして与謝蕪村と西洋美術の諸作を絡めた論考、そして次に書く執筆に対して。この自分に強いた緊張こそ、次作が立ち上る母胎なのである。

 

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『死のある風景』

原発の再稼働の是非をめぐって様々な意見が入り乱れているが、どうもこの国の人々は、自明な大前提の事を忘れているように思われる。それは、この日本という国が、いざという時に逃げ場の無い極く小さな限られた〈島国〉であるという事である。

 

1986年4月に旧ソ連のウクライナ共和国の原発で起きたチェルノブイリ原発事故の事は記憶に生々しい。大気中に放射能が飛散した広域な現場は25年以上経った今も死の墓場であり、人々の影すらない。しかし、そこは地続きの大陸であり、被災者は遠方へと避難が可能であった。それにひきかえ、四囲を海に囲まれた我が国にはそれが出来ない。故にドイツ・フランス他の諸国と同一原理で語る以前に、もし地震が発生し、同様の事が生じた場合、もはやその時点で〈滅び〉しか目前にはない事を、SFの話ではなく、現実(事実、その第一波は起きた!!)の事として記憶するべきであろう。現在も、3.11の日に流れ出た大量の汚染水は海底の泥に混じり、小魚から回遊魚への汚染は確実に広がって、日本の近海をじわじわと封じ込んでいる。そして、それを除染する方法を私たちは持ち得てはいない。

 

私たちは地震による津波によって、原発が一瞬で砕けた様をありありと見た。そして今度は想定域が西へと下って関東・東海・そして関西へと、次なる悲劇の誕生が、具体的な〈今、そこにある危機〉として在る事を誰もが知っている。その渦中に在って、原発の再稼働は、人間がかくも愚かである事の実証でしかない。この記述すらも〈風評〉と断ずる者がいるとしたら、その御仁はよほど現実を直視する勇気と理性を持たない御仁であろう。隣国の主席はかつて日本を指して〈意識レベルがあまりにも低く、国家として体を成していない〉と酷評したが、精神の立脚点を自らに持たないこの国の民は皆、怒ることすら知らず、唯、他人事のように苦笑するだけであった。

 

周知のように、幕末から明治維新へと至る改革を可能にしたのは、言うまでもなく米・英・仏を中心とした外圧が発端にあったからである。今、この国に押し寄せている外圧と云えば、それは地震・原発によるオブセッショナルな感覚かもしれない。このまま行けば、逃げ場を持たない日本に待ち受けているのは、全面的な放射能被曝によって化した、住む場所を無くした焦土である事は、〈想定内〉の具体的な現実である。〈本当にエネルギーは不足しているのか!?〉という疑念がある中、今は代替エネルギーへの転化に専念すべきであろう。

 

さて、暗い話が続いたので、次は自分の事を明るく語ろう。先日刊行した拙著『絵画の迷宮』に続いて4月中旬には久世光彦氏との共著『死のある風景』が刊行予定である。明るくと言ったが、何とリアルなタイトルである事か!!先日出版社に行き、その本に載せる私の写真作品を選出する作業を行った(掲載した画像)。そしてその次には、詩人の野村喜和夫氏の詩集(ランボーを主題とした)に絡めて私の写真作品を載せるために、深夜にそのための写真撮影を行っている。〈この本は、今年中に思潮社より刊行予定〉。

 

最近の私は機会を見つけては津波の、あの怖るべき映像を見ながら、500年前にダ・ヴィンチが記した、大洪水によって人類が死滅していく叙景文の描写のそれとを比べている。そこから文章を立ち上げて、次なる書き下ろし執筆の、真近に迫った開始を計っているのである。ダ・ヴィンチの文は、私達の知るあの津波の映像と重なるように生々しく活写したものである。そのダ・ヴィンチは手稿の中で「間違いなく人類は水によって滅びる。」と予言している。現代の人々は中世よりも現代の方が文明において勝っていると思い上がっている。しかし現実は、人類が生んだ最大の知的怪物(ダ・ヴィンチ)の想像した予見の掌中に悲しくも、また愚かにも収まっていこうとしている。ダ・ヴィンチがその水による終末論を主題としたのが、彼の絶筆『洗礼者ヨハネ』なのである。

 

 

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