月別アーカイブ: 1月 2013

『個展開催中』

1月30日から2月24日まで、私の個展『光の劇場 ー魔群の棲むVeneziaの館で』が京橋の72ギャラリーで開催されている。72ギャラリーは本来は写真のギャラリーであるが、今回は、ヴェネツィアとパリで撮影した中からの主要な作品と、オブジェ・コラージュ・ミクストメディアの中から選んだ作品を第一会場と第二会場で構成して展示してある。個展のタイトルが示すように、水都・廃市・魔都としてのヴェネツィアを〈劇場〉に見立て、その光の中に息づく魔的なるものの顕現をそこに謀っている。個展の企画の依頼を受けてから一年後の実現となったが、美術の画廊とは異なる写真のギャラリーからもこのような話を頂く事は本当に嬉しい事である。写真家としての私の形は、二年前に沖積舎から刊行された写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』に凝縮されているが、写真の仕事の次なるステップの為に六月のイタリアでの撮影を予定している私としては、必要な節となる重要な個展になっていると思う。

 

 

 

 

 

さて、魔都としてのヴェネツィアであるが、歴代の館の主が決まって自殺(ピストル自殺が多い)しているという、実在する妖しい館、ダリオ館の存在は今も気になって仕方がない。窓外に見る運河(カナル・グランデ)の水がメランコリーを生むのであるならば、運河に面した多くの館から悲劇は起きる筈。しかし何故にダリオ館だけが・・・・!?二年前の厳寒の冬に行った時は、もう人は住まなくなったといわれたダリオ館に、高い塀を伝って忍びこむ予定でいた。しかし、観光客の絶えた夕暮れ時に行ってみると灯りがついていたのには驚いた。また新たな悲劇の誕生が用意されていたのである。カナル・グランデに面した館を購入するには桁違いの百億単位の資金が要る。後で調べた記憶では・・・確かオリベッティ社か何処かが購入したらしい。今年の六月は北イタリアの墓地にある彫刻を巡って撮影する予定であるが、ヴェネツィアも予定に入れてある。ヴィチェンツァ→ブレンタ運河→ヴェネツィアは更なるイメージの充電として、やはり私には好ましい。昨日、写真家の川田喜久治さんが個展を見に来られ、私は次の撮影にあたり貴重なアドバイスを多く頂いた。生涯現役たらんとする川田さんの気概からは、本当に多くのプラスの強い波動を頂いている。一定の場所に停まらず、次の新たなるイメージの狩猟場を求めて表現者たる者は歩まねばならない。表現者にとって「生きる」とは、そういう事である。今回の個展は約1ヶ月間と長く、その間の2月10日(日)には、画廊での私の講演『写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密』も予定に組まれている。定員は30名で事前申し込み制となっているので、ご興味のある方はぜひ御参加下さい。

 

北川健次写真展(オブジェ・版画・コラージュ他も併せた展示)

『光の劇場 – 魔群の棲むVeneziaの館で』

72Gallery (TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY内)

1月30日(水)ー 2月24日(日)

休館は月曜日と火曜日(平日ですのでご注意ください)

水~金   12:00~20:00

土・日・祝 12:00~19:00

最終日は17:00まで

 

 

カテゴリー: Event & News | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『空騒ぎな手紙 – 来る』

以前にNHKで放映していた『シャーロック・ホームズ』(英国・グラナダTV)は、毎回面白くヴィクトリア末期の雰囲気が見事に再現されていて、完成度が高かった。その中で私が特に覚えている場面がある。それは窓辺から霧のロンドンの街を見下ろしているホームズが「・・・何をしているんだ、何故出て来ないんだ」と一人で呟くシーンである。何かに苛立っているようなホームズ。実は彼の推理力が発揮できる事件が最近全く起きていないために、ホームズは退屈し、何らかの事件の発生を待ち望んでいるのである。私がこの場面が特に好きなのは、私自身がそうだからである。三島由紀夫の『真夏の死』の主題と同じく、私には凶事を待ち望む癖がどうやらあるらしい。

 

先日、横浜高島屋の個展が終わり、今月の30日からは京橋の72ギャラリーで写真の個展を開催するのであるが、その間の谷にあたる昨日に、一通の手紙がアトリエに届いた。上記の癖が届いたのか、開いて読んでみると、それは今年以内に私を殺すという、云わゆる殺人予告の手紙であった。差出人を見ると杉並区・・・と住所が明記してあり、名前が小野忠重とある。小野とは木版画家の名前であるがとうの昔に亡くなっている。以前このブログでも記したが、木版画家の藤牧義夫の謎の失踪について真相を知っていると云われている人物である。届いた手紙は、霊界にいる小野が私に書いた設定で始まっている。その出だしは「私が藤牧を殺したのか、版木と共に焼却したのか、さぁどうだろう。・・・」と怨念めいていて面白い。しかし気取っているのも出だしの三行だけで、次の段は一転して〈北川健次〉という呼び拾てから〈北川君〉へ転調し、私の次々と展開している作家活動、そしてその作品内容に対し、文面から溢れ出る露までの恨みや妬み、つまりもの凄い嫉妬がほとばしっているのである。そして、末尾はふと我に帰ったように、出だしの小野忠重に戻り、「この手紙は、こちらの獄への招待状。事故死なのか、病死なのか、殺されるのか、自殺か、・・・それは年内に起こるのか・・・」と記し、明朝の太文字で最後に大きく小野忠重で終わっている。つまり、手紙全文をまとめると、要するにこれ以上精力的な表現活動や執筆活動を続けていると、近々に殺すぞ!という脅迫文の内容なのである。

 

この犯人は知らないのであろうか。私が美術家に留まらず、ミステリーも書き、津山30人殺しの現場や、切り裂きジャックの殺人現場を歩き巡り、1970年に起きた80件以上という、日本最大の放火魔事件の神出鬼没と云われた犯人のアジトを警察よりも早く突き止める程の、謎解きを好む人物であるという事を。

 

さて、封筒の切手に押されている投函場所を示す消印を見てみると、薄すぎて全く見えない。しかし、切手の印刷と消印のインクは性質が違うため拡大コピーの極薄にかけてみると、ありありと差が出てきて、「川崎中央」の文字が出て来た。しかし、私はこれは犯人の陽動作戦と直感し、対象から外すことにした。さて、一見誰が書いたかわからないこの気持ちの悪い手紙。私はアトリエの前の図書館に行き、机の前のガラスにこの手紙をテープで貼り、嫉妬に荒れ狂っている文面を腕を組んで凝視した。犯人はよほど感情にまかせて書いたのであろう、何れの行からも犯人を絞り込んで特定していくに足る充分な手掛かりが、これもまたありありと立ち上がって来た。決定的な指紋とも云える文体、温度感、・・・そして私とかつて交遊があった事がそれとわかる、うかつな口調。—— 私は調べ始めておよそ十分足らずで、小野忠重の名を偽った犯人の正体を突きとめた。小野忠重と私が共通するキーワードは「版画家」である。すると犯人は私共の住所が全て明記してある版画家名鑑を持っている確立が高い。また前述したように霊界からの手紙を装った発想(極めて古くさく笑ってしまうが)から、この犯人もミステリーのファンであるらしい。そして勿論、素人の域ではあるが、レトリックを駆使している様から少しは文才もあるらしい。又、文章が活版で印字されている事から、自宅に凸版の活字と凸版プレス機を持っている。整理すると、犯人は「版画家」「私への不当なライバル意識」「ミステリー好き」「そこそこの文才あり」「粘着気質」「自己愛が強い」「自宅に文章が組める凸版プレス機あり」「文章の臭いから60代前半」等々が絞られ、この手紙に至る動機と、かつて付き合った人間関係から絞って消去していくと、唯一人の人物が、そこに現れた。もしこの犯人も私同様にミステリーを書くならば止めた方が良い。このような脅迫文を書くには、そして自分が誰であるかが知られたくないならば、プロの推理小説家が皆そうであるごとく、冷静な複眼の目線で巧妙にやらなければ、昨今の読者は誰もついては来ない。どうせ私に脅迫文を書くならば、シャーロック・ホームズが希求した程の、あのモリアティ教授のような手応えのある相手であって欲しかった。

 

「僕の版画を持っていてくれないか・・・。」かつてこの犯人は私に五点ばかりの版画をくれた事があった。しかし、私はこの犯人に対し、十年ばかり前からは全くの関心外となった。そして今、・・・この犯人に対し私が抱くのは〈失望〉のみである。断言して言うが、殺人予告を書くような鬱屈した負のエネルギーからはもはや絶対に「芸術」という形而上学は生まれない。

 

昨日届いた脅迫文。これは小野忠重氏の住所が明記してある事で、ご遺族からは、名誉毀損及び迷惑防止条例の民事訴訟の対象となり、私へのあからさまな殺人予告文は、より重度な罪としての後々の刑事訴訟の際の証拠となる為に保存する事にしよう。封筒に付いた犯人の指紋、切手の裏についていると覚しき犯人の唾液からはDNAの鑑定も充分に可能であるのでこれも保存しておこう。それはかつて私宛に届いたその男からの実名入りの手紙と照合すれば、完璧に結び付く筈である。「持っていてほしい。」—— そう言われて受け取った版画は、さっそくに処分した。ルドンベルメールジャコメッティ芳年駒井池田ゴヤデュシャン。・・・それらの名作と並べるには釣り合わず、もともと作品ケースの奥にそれは在った。しかしそこから感じていたマイナーな負のエネルギーは、全く私に良い波動を与えては来なかった。しかし、それにしてもこの殺人予告書。期待して読み始めたが、底が浅く犯人がすぐに判明してはつまらない。何とも空騒ぎな話ではある。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『個展 – ノスタルジアの光降る回廊』始まる。

 

爆弾低気圧が関東地方に16年ぶりという大雪を降らせた。そして翌日の一転した快晴は庭に積もった白雪の上に木々の青い影を映して、私はふと、モネの『かささぎ』という雪景の絵を思い出してしまった。

しかしそれにしても雪は良い。雪国で育った私などは、雪を踏みしめて歩くその感触だけで、幼い日の自分が我が身の内から立ち上がってきて元気が出る。先日、神田神保町の古書店で,私は30年ぶりくらいで古い友人のH氏と偶然に再会した。「久しぶりに話をしようではないか!!」という事でタンゴの店『ミロンガ』に入り、様々な話をした。彼は不出世の舞踏家の土方巽の弟子であったこともあり、話は身体論的な事にどうしても傾く。話し合った結論は,私たちは幼年期の自分から、その感性の本質が1ミリも動いてはいないという事であった。そして私たちは夢と記憶について更に話し合った。

 

ーーー或る夜、私は奇妙な夢を見た。ーーー長い渡り廊下、花壇に咲いたカンナの花、広い校庭、その先に延々と続く田畑ー。どうやら私は,自分が学んでいた頃の夏休みの小学校にいるらしい。しかし、それにしても全くの無人である。何かに導かれるようにして薄暗い校舎を歩いて行くと、無人の筈の、或る教室の中に、一人の生徒が椅子に座って正面の黒板をぼんやりと見ている姿が目に映った。見ると、その生徒は小学校時の隣の教室に確かにいた少年であった。ーーーしかし、友人としての仲間の中に彼はおらず、名前すらも覚えてはいない。たいした会話をした事もない遠い記憶の果てにもいなかったその少年が、何年も経て、何ゆえ或る夜の夢の中に、まるで亡霊のように彼は登場してきたのであろうか。そして、突然そういう不可解な現象を見せてしまう、私たちの記憶、記憶の構造、ーーーつまりは、夢の回廊とは、一体何なのであろうか。

 

そういう事は常につらつらと考えている事であるが、今年の第一弾として、明日(16日・水曜)から22日(火曜)まで横浜の高島屋7階の美術画廊で開催される私の個展のタイトルは、それを主題にして『ノスタルジアの光降る回廊』にした。個展はもう何十回と開催して来たが、意外にも、長年その地を愛し続けてきたわりには、横浜での個展は初めてである。今回の個展は50点近い展示であるが、普段はあまり展示しない旧作の中からもとりわけの自信作を出品しているので、ご興味のある方は御来場頂ければ嬉しい。

 

 

 

 

 

さて、正月のメッセージに掲載した一枚の古写真であるが、先日それを何ゆえにかくも惹かれるのであろうかと思い、しげしげと眺めていた。そしてようやく気付いた事があった。この堀川に橋が架けられたのは1880年(明治13年)。最初は木橋であったが、それが鉄橋化されたのは1887年(明治20年)。この写真は1887年以後の写真であることがわかる。それはさておくとして、この少女が輪廻しをしながら走って行く先は、日本大通りという広い道であるが、その道の一角に,100年後に自分が15年近く住んでいた事に、ふと気付いたのであった。何の事はない、私はこの写真の中に時を隔てた自分の「気配」を無意識裡に読みとっていたのであった。人は何かに惹かれる時、そこに決まって変容した自分の何らかの投影を透かし見ているものである。ー この写真もそうである事に私はようやく気付いたのであった。橋を渡った左側には、日本で初の和英辞典、ローマ字を広め、医師としても知られたヘボン先生(1815~1911)が住んでいた。患者の一人には岸田吟香(画家の岸田劉生の父)がいたというが、ヘボン先生の子孫にハリウッド女優のキャサリン・ヘップバーンが生まれているのは面白い。横浜からは掲載した写真のような趣は無くなってしまっているが、それでも横浜の街を歩いていると、ふと昔日の気配が立ち上がって、物語の断片が透かし見えてくる事がある。やはり、横浜は今でもノスタルジアが立ち上がる街なのである。

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『シェイクスピアは別にいた』

新年早々におもしろい映画を観た。タイトルは『もうひとりのシェイクスピア』。200年以上前からささやかれていたシェイクスピア別人説(つまり、シェイスピアは仮の名で実作者は別人であった)に迫る第一級のミステリーの映画化である。私たちの知っている(と思っている)男、英国ストラトフォード出身のウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)という人物は、実は読み書きの出来ない商人の息子。そんな男に、高等教育を受けなければ得難い学識や、宮廷生活、外国語にも通じていてはじめて執筆可能な芝居「マクベス」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」などの戯曲が書けるはずがない。ゆえに間違いなく作者は別にいたという推理の視点から始まり、文武に秀でた貴族エドワード・ド・ヴィア(オックスフォード伯)に実作者としての焦点が絞られていく。事実、この人物に冠せられたあだ名は「槍をふるう人(spear-shaker)」であるが、それを反対にすれば(shake-spear)、つまりシェイクスピアになる。他にもフランシス・ベーコン説など幾つかあるが、ともあれ、キューブリックの『2001年宇宙の旅』を私は〈視覚による進化論〉と評しているが、この映画はその意味で〈視覚による第一級のミステリー〉といっていいほどの面白さであり、ぜひお勧めしたい映画である。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ったのは今から二十年以上前である。私のアトリエにはシェイクスピアのデスマスクとして伝わる石膏像があった。それはいわゆる私たちの知るあの有名な面相をしているが、もし別人説が事実であるとすれば、今私が持っているマスクは果たして何者なのか!?という事になり、マスク自体が更なる仮面性を持って入れ子状の無尽の謎が立ち上がって来た。その勢いのままに、ここに掲載したオブジェを一点作り上げたのである。画面ではよく見えないかと思うが、この二つのマスクは何本もの細いピアノ線で編むように結ばれており、全体の形状は、円というよりも横長の楕円状である。楕円は私が最も好む形であるが、それは、平面上の二定点からの距離の和が一定となるような点を連ねた曲線(長円)の事を言う。つまり、中心点(焦点)が二つ在るという意味で、それはシェイクスピア別人説の意味とピタリと重なるのである。オブジェという言葉は、日常的に人々は安易に使っているが、フランス語の本来の意味〈正面性を持って迫ってくるもの〉から深めて、私における意味は〈言葉で語りえぬものの仮の総称〉として存在する。その意味でもこのシェイクスピアというモチーフは恰好のものであり、私は個展で発表する作品ではなく、私的な作品としてこれを作ったのであった。別ヴァージョンとして、反対称と鏡を主題とした版画集の中に所収した銅版画を一点作っているが、ここに掲載したオリジナルのオブジェを実際に見た人はおそらく少ないであろう。この作品は制作した直後に、アトリエに作品購入の件で来られた福井県立美術館の館長である芹川貞夫氏の目に止まり、今は他のオブジェの代表作と共に美術館のコレクションに入っていて、私の手元には既に無い。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ってオブジェを制作したちょうど同じ頃に、この映画の脚本を書いたジョン・オーロフと監督のローランド・エメリッヒは、やはり別人説に興味を持ち、封印された完全犯罪に挑むようにして、この度実現した映画化の準備に着手していたようである。日本でいえば、ちょうど関ヶ原の合戦の頃にシェイクスピアは円形劇場のグローブ座を建てているが、当時のロンドンの街並みがリアルに再現されていて目をみはるものがある。ロンドンはやはりミステリーがよく似合う。私は久しぶりにイメージの充電をした思いで、映画館を後にしたのであった。

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『年が明ける』

三方から除夜の鐘の音が響き始めたのと重なるようにして、風に乗って東の海の方から汽笛の音が鳴り響いてきた。横浜港に停泊している全ての船がいっせいに新年を祝して汽笛を鳴らすのである。私はこの汽笛の音が好きであるが、この音を聞く度に想いだす一枚の古写真がある。それは明治初期に撮られた写真で、そこには、山手の坂を下りて港に行く際に渡る谷戸橋の上を歩く外国の婦人の姿と、その先を輪廻しをしながら駆けていく少女の姿が写っている。遠景に見えるのは寺院で、ヘボン式ローマ字の創始者で宣教師・医師であったジェームス・ヘボン先生の住居である。写真は本質的に静的なものであるが、この輪廻しする少女のように無垢な動的なものがそこに加わると、詩的な叙情性がリアルに立ち上って私たちを引きつける。この写真はキリコの代表作『街の憂愁と神秘』に似ているが、あの絵のような不穏さは全く無く、有島武郎の小説『一房の葡萄』のような永遠の「時」が封印されている。ヘボン先生の住居は今日では税務署に変わり、何とも風情が無くなってしまったが、それでも私はこの新年の汽笛の音を聞く度に、今も在る谷戸橋の上をはしゃぎながら駆けていく少女の姿が、まるで幻視のようにありありと想い浮かぶのである。

 

さて、今年は1月から半年間は個展を中心に、毎月なんらかの形で作品発表が予定されている。さらには4月にベルギーのブリュッセルで開催されるアートフェアーの出品依頼を受けたので現地に行く事になり、そのための制作も急遽入って来て慌ただしい。ただしこのベルギー行は往復の飛行機代と宿泊代は先方が出してくれるというので条件としては嬉しいが、ともあれ20年ぶりのベルギーである。又、6月はイタリア(主にミラノとフィレンツェ)に墓地の彫刻を撮影しに行くので、空を飛ぶ機会は増えるが、それを機に、また新たなイメージの領土を開拓していく気概は十分にある。昨年、個展に来られた初めてお会いする方々からもこのメッセージを楽しみにしているという話を伺い、かなりの数で読まれている事を知り、更に燃えようというものである。今年前半は個展とは別に、詩人の野村喜和夫氏との詩画集も思潮社から三月刊行の予定で進行しており、その刊行記念展も既に予定として五月に入っている。又、私の本も刊行が予定されており、追加の執筆も、作品制作とは別に書かなくてはいけない。毎回書くメッセージはその意味でも、予告としての有言実行の場であり、重要な意味がある。今年も話題を変えながら書き進めていきたいと思っているので、お付き合いを頂ければ嬉しい限りである。

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律