月別アーカイブ: 3月 2013

『満開の桜に寄す』

名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、美学の谷川渥さん、それに東大の国文学教授のロバート・キャンベルさん等、多士済々の方々がたくさん会場に来られて、盛況のうちに新作個展が終了した。個展の手応えが大きく、企画者の森岡督行さんからは、さっそくまた来年の個展の依頼の話を頂いた。森岡書店のレトロモダンな空間は、私のオブジェが面白く映える空間である。また新しい試みをしたいと思う。

 

個展が終了した翌日、東京国際フォーラムで開催中の『アートフェア東京』に行く。今回も海外を含めて多くのギャラリーが、自分たちの推す作家の作品を出品しているが、玉石混交の観があり、そのほとんどが芸術の本質からはほど遠い(石)として映った。その石の群れの中に在って、唯一光彩を放つ〈玉〉として映ったのは、またしても「中長小西」であった。またしても・・・・と云うのは、数年前のアートフェアで中長小西が出品していた天才書家・井上有一の、それも彼におけるトップレベルの作品や瀧口修造のそれを見て以来、私がアートフェアの印象をこのメッセージに書く際に必ず登場するギャラリーが「中長小西」だからである。その中長小西の今回の出品作家の顔ぶれは、斎藤義重山口長男白髪一雄松本竣介ジャスパー・ジョーンズモランディピカソフォンタナジャコメッティデュシャン、そして今回は私の作品も出品されている。未だ存命中の私の事は差し引くとしても、それにしても堂々たる陣容であり、他の画廊を圧して揺るがない。私の作品も含め、その多くに早々と「売約済み」が貼られ、如何に眼識のあるコレクターの人達の多くがこの画廊を意識しているかが伝わってくる。かつての南画廊、佐谷画郎以来、ギャラリーの存在が文化面にも関わってくるような優れた画廊は絶えて久しいが、オーナーの小西哲哉氏は、その可能性を多分に秘めている。若干四十一歳、研ぎ澄まされた美意識を強く持った、既にして画商としての第一人者的存在である。

 

昨年の秋に「中長小西」で開催された私のオブジェを中心とした個展は大きな好評を得たが、その小西氏のプロデュースで次なる個展の企画が立ち上がっている。未だ進行中のために多くは語れないが、その主題は、今までで、ドラクロワダリラウシェンバーグの三人のみが挑んだものであり、難題にして切り込みがいのあるものである。ここまで書いてピンと来た方は相当な美術史の通であるが、ともあれ今後に御期待いただければ嬉しい。

 

その日の午後に、国立近代美術館で開催中のフランシス・ベーコン展に行く。予想以上に面白い作品が展示されていて、かつてテートギャラリーでベーコンの絵を見て、ふと「冒瀆を主題とした20世紀の聖画」という言葉を吐いたのを思い出す。教皇を描いたベラスケスやマイブリッジの連続写真などが放つアニマをオブセッショナルなまでに感受して、その振動のままに刻印していくベーコンの独自な表現世界。今回の展示で秀れていたのは、展示会場で天才舞踏家・土方巽の「四季のための二十七晩」の映像が上映されていた事であった。この演出法はまことにベーコンのそれと共振して巧みであった。ずいぶん昔であるが、私は土方巽夫人の燁子さんとアスベスト館の中で話をしていて、急に燁子さんが押し入れの中から土方の遺品として出して来て私に見せてくれた物があった。それはヴォルスやベーコンの作品の複製画を切り取ってアルバムに貼り、そこに自動記述のように書いた、彼らの作品から感受した土方巽の言葉の連なりであった。その中身の見事さ、鋭さは三島由紀夫のそれと同じく、「表現とは何か!?」という本質に迫るものであった。私はそれを夫人からお借りして持ち帰り熟読した事があったが、そこから多くの事を私は吸収したのであった。そのアルバムが、今、ガラスケースの中に展示されていて、多くの人が熱心に見入っている。このアルバムの意味は、次なる舞踏家たちへの伝授の為に書かれたものであるが、精巧な印刷物として形になり、文章も活字化されて伝われば、一冊の優れた“奇書”として意味を持つ本となっていくに充分な内容である。ともあれ、このベーコン展はぜひともお薦めしたい展覧会である。

 

個展が終わると同時に、今年の桜が急に満開となってしまって慌ただしい。桜はハラハラと散り始めの時が私は一番好きである。今回は、桜の下に仰向けに寝ころばり、頭上から降ってくる桜ふぶきを浴びるように見てみようと思っている。梶井基次郎の小説のように、春に香る死をひんやりと透かし見ながら・・・・。

 

追記:先日、慶應義塾大学出版会から坂本光氏の著書『英国ゴシック小説の系譜』という本が刊行された。表紙には私のオブジェ『Masquerade – サスキア・ファン・アイレンブルグの優雅なる肖像』が、装幀家の中島かほるさんの美麗なデザインによって妖しい光を放っている。久世光彦氏との共著『死のある風景』(新潮社刊)以来、私の作品を最も多く装幀に使われているのは中島かほるさんである。この本はなかなかに興味深い。味読して頂ければ嬉しい。

 

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『タイムスリップの現場』

長い間、気になっていた事があった。いや、個展のことではなくて・・・・赤穂事件(1702年)の事である。赤穂浪士たちが吉良邸に討入るには、町中に設置してある幾つもの木戸門を通らなくてはいけない。火事場装束を装って木戸門の番人をだまして通過したというが、実際は私たちがイメージしているあのような装いでは無かった。あれは、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の衣装である。討入り時には既に軍資金も底を尽き、浪士たちは腕に白い布を巻いて味方の証としたのが真相であった。

 

では何故、彼らはスムーズに吉良邸に辿り着けたのか!?私は以前にもこのコラムで書いたが、それはおそらく水路を舟で行き吉良邸近くの河岸から一気に上陸したのではなかったか・・・・という推理をしていた。一種の奇襲戦法である。23日まで個展を開催中の森岡書店の裏には亀島川という川があり、そのすぐ近くの道が、悲願達成後に浪士たちが泉岳寺へ向かった道である事は既に知っていた。しかし今回の個展の前日に展示が終わり、近くを散歩していたら、すぐ近くに巨大な石碑があるのが目に入った。近づいて見ると、それは「堀部安兵衛」の住居跡を示すものであった。それが亀島川の河岸に接して在る。・・・・そう云えば、赤穂浪士たちは確か三カ所くらいに分かれて各々の場所から出発し、吉良邸近くで集合したと聞く。しかもその一カ所は堀部安兵衛宅がそうであったと聞く。

 

・・・・とすると、私が立っているこの場所から亀島川を舟で行き、吉良邸へ・・・・。その可能性は高い。そう考えると、夜陰に乗じて水路を行く浪士たちの緊張がリアルに伝わって来る。個展を開催している井上ビルは昭和2年築のレトロな建物で、不思議な趣に充ちているが、それを超えて江戸時代までタイムスリップ出来る空間がこの土地にはある。森岡書店の窓からは眼下にその亀島川の流れが見えて心地よい。昭和が見える。大正が見える。明治が見える。・・・・そしてこの窓からは江戸時代までが透かし見えるのである。

 

森岡書店の店主、森岡督行氏は神保町の一誠堂書店を経て、ここに七年前に森岡書店を開いた。半分はプラハなどから入って来た貴重な写真集や画集が並び、半分はギャラリーである。唯、企画の私の場合だけ、全てがギャラリーへと変貌する。私がここで個展を企画してもらうのは今回で連続四回目である。画廊と違って客層は三十代が最も多い。そして彼ら達は私の作品と出会い、それをコレクションしていく。巧みな表現の言葉は持っていないので、ひたすら「カッコいい!!」と形容している。言葉は単純であるが、「カッコいい!!」というのはひとつの批評の「極」である。そこからスタートして芸術というものの面白さを彼らの人生の彩りにしていけば、そこから豊かな人生が広がっていく。作家とコレクターはほぼ同世代であるのが、他の作家たちの常であるが、私の場合は十代から八十代までと幅広いのがひとつの大きな自信である。このビルはミステリアスな雰囲気があり、映画やテレビのドラマの撮影が連日のように行われていて、会場に入ってくるまでが面白い。しかし一歩、森岡書店の中に入ると雰囲気は一変して静謐である。そこに広がっているのは、紛れもない私の作品が放つイメージ空間なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『VICENZA – 私を変えた街』

旅の記憶というのは不思議なもので、僅かに一泊しただけであるのに、時を経るにつれて源泉の感情を突いてくるように忘れられなくなってしまう〈街〉というものがある。例えば私にとってのそれは、イタリア北部に在るビチェンツァ(Vicenza)がそうである。

 

別名「陸のヴェネツィア」と呼ばれ、16世紀の綺想の建築家パラディオによる建造物が数多く残るこの街は世界遺産にも登録され、中世の面影を色濃く停めている。私がビチェンツァを訪れたのは20年前の夏であった。パラディオ作の郊外のヴィラや、バジリカ、そして画家のキリコに啓示を与えたオリンピコ劇場などを巡り歩いた午後の一刻、歩き疲れた私は宿に戻り束の間の仮眠をとっていた。すると窓外に俄に人々のざわめきが立ち始め、嗅覚に湿った臭いが入り込んで来た。- それは突然の驟雨であった。私はバルコンの高みに出てビチェンツァの街を見た。

 

西脇順三郎の詩集「Ambarvalia」の中に、「・・・静かに寺院と風呂場と劇場を濡らした、/この静かな柔い女神の行列が/私の舌を濡らした。」という描写があるが、私はこの古い硬質な乾いた石の街を銀糸のようにキラキラと光る雨の隊列が濡らしていくまさにその様を見て、〈官能〉が二元論的構造の中からありありと立ち上がるのを体感し、私の中に確かに〈何ものか〉がその時に入ったという感覚を覚えたのであった。・・・・・・夜半に見るビチェンツァの街は私以外に人影は無く、私はオペラの舞台のような不思議な書き割りの中を彷徨うようにして、この人工の極みのような街を、唯ひたすらに歩いた。・・・そして私の中で、今までの私とはあきらかに違う〈何ものか〉が生まれ出て来るのを私は直感した。それは銅版画のみに専念していた私から、オブジェその他と表現の幅を広めていく私へと脱皮していく、まさにその契機となるような刻であったのだと、私は今にして思うのである。

 

今月の11日(月)から23日(土)まで茅場町の森岡書店で、私の新作展が開催される。タイトルは、そのビチェンツァの街に想を得た『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』である。今回の個展は、今後の私にとっての何か重要な節になるという予感が漠然とではあるが、私にはある。タイトルにビチェンツァが入ってはいるが、それは私の創造の中心にそれを置く事であり、イメージは多方へと放射している。パリ、ブリュッセル、そしてイギリスのポートメリヨン等々、様々なイメージが〈ビチェンツァ〉を核にする事で立ち上がっているのである。まさに現在進行形の私の今の作品を見て頂ければと願っている。

 

〈追記〉

写真の撮影や取材などでヴェネツィアへはその後も幾度か訪れているというのに、私はその僅か手前にあるビチェンツァの街を再び訪れてはいない。イメージの深部にいつからか棲みついてしまったこの不思議な街のくぐもりに光を入れるのを恐れるかのように、私はこの街に対してまるで禁忌にも似たような距離をとっている。今年は本が二冊刊行される予定であるが、いずれは私は〈詩集〉という形でもこのビチェンツァの街の不思議を立ち上げてみたいと思っている。ビチェンツァは、様々な角度から攻めるに足る,捕え難い妖かしの街なのである。

 

北川健次新作展『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』

2013年3月11日(月)〜23日(土)

時間:13:00〜20:00(会期中無休)

場所:森岡書店 tel.03-3249-3456

東京都中央区日本橋茅場町2−17−13第二井上ビル305

*地下鉄東西線・日比谷線「茅場町」下車。3番出口より徒歩2分。

永代通りを霊岸橋方向へ向かい橋の手前を右へ。古い戦前のビル。

(会期中は作家が在廊しております。)

 

 

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『若気のあやまち -「容器」』

「人は弱いから群れるのではなく、群れるから弱くなるのである」という言葉がある。その意味でいくと、私は美術団体にも入らず、本当の表現者であるならば本来そうであるごとく、束縛もなければ甘くもない、まぁ自由な生き方をしている一人である。そんな私ではあるが過去に一度だけあやまちを犯してしまった事があった。若気のあやまち・・・・といえばそうなのであろうが、何と同人誌のメンバーになってしまったのである。二人の詩人(T・JとT・M)と木版画家K・Hと私とで、詩と版画の同人誌「容器」なるものを作る事になってしまったのであった。

 

木版画家のKから「ぜひ君に参加して頂きたいのだが・・・・」という手紙をもらったのは、あれは私が30才を少し過ぎた頃であったろうか。当時の私は銅版画だけの表現からオブジェへと移行していく、その端境期にあった。しばらく考えた後に参加する事にしたのは、いろいろ理由はあげられるが、一言でいえば・・・・暇だったのである。今日では伝説的な存在となった故・湯川成一氏の湯川書房が版元となり、『容器』はⅢ号まで続いた。Ⅲ号とはずいぶん短い寿命であったが、もう辞めようと言い出したのは私からであった。Ⅰ号が出た時は単純に嬉しかったが、すぐに覚めてしまった。ここには批評が無いと思ったのである。二人の詩人はレトリックに長け、木版画家の彫る「肖像」の細かさは微に入ったものであったが、この「容器」の姿には、未知ではなく既知をなぞるものがあり、自己満足的であり、予定調和的であり、何より大事な「本」という形における構造的な火花がまるで無い事に苛立を覚えてしまったのである。更に云えば、このまま続けていれば、表現者としての危ういところに陥ってしまうという危機感を痛感したのである。『容器』は限定100部で、四人のメンバー各人に10冊づつが手渡された。定価は確か一冊が1万円であったかと思う。しかし、私はこの詩画集に執着は無かったので、我がアトリエに来る友人達にプレゼントをした。皆がけっこう喜んでくれるので私も嬉しくなって更にプレゼントしてしまい、とうとう手持ちは一冊もなくなってしまった。後日、神田の神保町の古書店のガラスケースの中に三冊が展示してあり、価格を見ると三冊で28万円の評価がついていたが、まるで対岸の風景を見るような感慨しか立たなかった。私の主張はメンバー達にも理解され、Ⅲ号で終わったが、やはり、終了したのは正解であったと思う。こういう場合「継続は力である」ではなく、表現者として成長していくための大切なものをことごとく奪い去っていったであろう。私たちは〈同人雑誌〉を唯々好むマニアックな好事家を喜ばす為に作っているのではない、という自明の事を通しただけなのである。そして四人はその後、各々全く違う方向を生きる事となった。・・・・四人の誰もが皆、若かった頃の話である。

 

しかし三十代のこの経験は、振り返ってみると反面教師のように後日の私にとって、方向性を知る教材となった事だけは確かなようである。既知ではなく、常に未知の方向に進む事こそ〈作る〉事の意味があり、又、手応えもある事を私は三十代の初めに知ったからである。『容器』の他のメンバー達の頭の中にはおそらくかつての萩原朔太郎たちが作った『月映』のようなイメージがあったのかもしれない。しかし表現は時代を映すという意味からみても、80年代において「同人誌」という構造からは、もはや何も生まれえぬ事を、私の内なる批評家は直感してしまったのである。詩と版画が蜜月の時代はとうに終わり、今やそこに意味を見るならば、それは拮抗の形においてこそ望ましい。表現者は自分の過去の作品に対して守りの意識を持った途端に感性は朽ちて行く。現在、『容器』を愛蔵されている方の中でも眼識のある方には私の云わんとするところが伝わる事を信じたい。

 

私と詩人の野村喜和夫氏との共作- 競作で今年の5月に思潮社から刊行予定の本は、その意味でおよそ既知ではない不穏な気配を帯びた「奇書」というべきものになるであろう。野村氏のランボーを巡る詩と、私のオブジェと撮り下ろしの写真から成るこの本は、編集者と装幀家のこだわりが加乗して難産を今も重ねながら進行中である。なかなか生まれてはくれない。詩画集の現在形における可能性を追求したこの本の根底には、視覚が触覚へと転じるような不気味な危うさが充ちているかと思う。刊行を期待して頂ければ嬉しい。

 

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