ヴェネツィア

『歌舞伎とダンス―光と闇の叙述』

今月は2日続けて力の入った公演を観た。先ず11日は、歌舞伎座の二月大歌舞伎.第二部の『女車引』と『船弁慶』。翌12日は荻窪の「アパラタス」での勅使川原三郎佐東利穂子両氏による『月に憑かれたピエロ』である。

 

 

歌舞伎の『女車引』は、七之助雀右衛門魁春による艶やかな舞である。幕が開いた瞬間から目映い光に照らされた花道から三様態の女房たちが舞出て来るのであるが、その次に観た『船弁慶』共々、非現実的な過剰な照明の光が綾なす効果は、舞台を、またその演目の世界を極めて平面的に見せ、「表こそが全て」の、虚構が現実を凌駕する表象のみの人工的、活人画的な芸の空間である。奥行きは約束事としての想像に託され、ひたすら艶やかな華と、一皮剥いだ奥にある狂気が入れ替わりながら一幕、或いは数幕の作話が展開するのである。

 

……過剰な光…と云えば、元々は出雲大社の巫女であった出雲阿国の「かぶき踊り」を祖とするこの芸の照明は、夜は蝋燭の細い光であった。昼は自然光を借り、夜は束ねた蝋燭の光が作話を演出し、それに合った演目が作られていった。……今日のような人工の目映い光に次第に移行したのは明治以降からと聞くが、背景画に描かれた書割(かきわり)のあえてリアルな写実性を排した表現と同じく、嘘っぽさと、その光の過剰さはリンクして、観者の脳内の想像力の中でようやくの実と美が活性を帯びるという、考えてみれば歌舞伎とは、構造の危うさに支えられた特異な芸道と、言えるのかもしれない。

 

 

 

翌日に観た『月に憑かれたピエロ』(シェ―ンベルク作曲・元来の歌詞はフランス語であるが、勅使川原氏はあえて語調の強いドイツ語を採用し、それに佐東さんの柔かな翻訳の語りを加え、聴覚による二重の揺さぶりを演出)は、過剰な光に拠る歌舞伎とは真反対の、計算し尽くされた薄暗い闇の深度が物理的な遠近感を越えて、私達の記憶の遠近法までも揺さぶり、ノスタルジア的な感慨までも立ち上げた魔術的な舞台であった。

 

……私事で恐縮であるが、以前に、詩や批評を扱う『ユリイカ』の編集長から「久生十蘭」の特集号に載せたいので詩を書いてほしいという依頼があり、私はその詩の中に久生十蘭の本質を表す意味で「ダンボ―ルで作られた月」という言葉を入れた事があった。今回の舞台装置で勅使川原氏が作った薄い金属板の月が見せた効果は、久生十蘭のその特異な文学空間を超えるア―ティフィシャルな冴えを呈した巧みな造形性があり、歌舞伎の書割以上の妙味に、私をして歓喜させたのであった。

 

私がその日に観ていたのは表現の形としてはダンスであるが、途中から、この舞台の構造は能のシテ方とワキ方をも取り入れているのでないかと直感した。……デュオを踊り、最終に近い場面で横たわっている佐東利穂子さんがもしワキを演じているならば、最後は立ち上がって去って行くであろう。……そう思って観ていると、はたして最後に佐東さんは立ち上がり奥の暗部へと静かに姿を消し、舞台に一人残って座したシテ方のピエロ、勅使川原氏の指先が虚ろなままに何かを暗示して舞台は完全な闇と化す。……そこで全てが終わりとなる。……この、もしかすると能の構造までも取り入れているのではあるまいか!、という直感は私の唯の独断なのであろうか?……しかし、勅使川原氏の愛する枕頭の書が世阿弥『花伝書』である事を私は思い出していた。……これは私の制作におけるメソッドとも云える持論であるが、表現に際し異なる二元論を導入すると、より重奏的な膨らみが表現に増すという事を私は体験的に知っている。……この場合、『月に憑かれたピエロ』という海外の原典に、日本の夢幻能の構造が二重螺旋のように入り込み、表現空間に量りがたい深みが呈している、と私は視たのであった。

 

このダンスの舞台であるアパラタスが出来てから早くも十年になるという。ご縁があって、私がここに通いはじめてから早八年になる。……その途中から気づいた事があった。氏の舞台を観ていると、その途中からふと、自分の幼年期の記憶が、この巧みに演出された闇の透層の中で突然(しかも毎回、それは場面を変えて)よみがえって来るのである。……懐かしい感情がわき上がるや、それが舞台のその日の演目に加乗して表現空間がいよいよ膨らみを増して来るのである。

 

……幼年期の仕舞われた記憶が突然蘇るのは何も視覚だけとは限らない。聴覚、嗅覚、触覚、更にはふと覚えた微かな気配からも記憶が蘇る時がある。……ボルヘスの言葉に「一人の人間の夢は、万人の記憶の一部なのだ」というのがあるが、勅使川原氏のダンスとは、それが身体表現として完成して閉じたものではなく、人々の記憶を揺さぶり、ノスタルジアを立ち上げる詩的な装置として、毎回、放射されたものであると考えた方が或いは近いのかもしれない。

……ちなみにアパラタスとは「装置」という意味である。歌舞伎の表の平面性を強調した美学に対し、勅使川原氏のそれは、闇の暗部の彼方に限りない記憶の遠近法を孕んだ詩学であると、或いは言っていいものではないだろうか。

 

 

 

 

…………さぁ、充電の後は自分の制作に向かわねばならない。ダンス公演の翌日は名古屋に行き、俳人の馬場駿吉さん、名古屋画廊の中山真一さんと共に、競作の主題について語り合った。そして、馬場さんと私が共に惹かれ、気になっているヴェネツィアを舞台に、馬場さんは俳句で、そして私は様々な方法を駆使して、追えば逃げ去る「逃げ水」のごとき魔性と謎を帯びたヴェネツィアに迫る事で決まった。……その他にも詩集の執筆、オブジェの制作、画廊での個展、……鉄の表現、他にもやるべき事が春からは山積している。……もうこの辺りで長かったコロナの圧迫感とも意識的に訣別しなければならない。……人生は本当に短いのだから。

 

 

 

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『年末だから石川啄木について語ろうの巻』

①今から7年ばかり前の事、坂道を歩いていたら、一瞬パチッという音がして右膝に痛みが走った。どうやら一瞬捻ったらしい。しまった!と思ったがもう遅い。……運悪く明日は成田を発ち、ベルギ―とパリに、写真撮影とオブジェの材料探しを兼ねた旅に行くという、その前日のアクシデントであった。……ご存知のようにブルュッセルは坂の多い街である。痛みを堪えて歩くのは難儀したが、それなりに収穫の手応えはあった。

 

……以来、膝の痛みを我慢していたが、先日急に痛みが酷くなったので整形外科に行きMRIで膝の断層撮影をおこなった。……診断の結果、3ヶ所に異常が見つかり、〈膝蓋骨軟骨損傷〉〈骨挫傷〉〈内側半月板断裂〉が見つかった。3つの字面を視て、壊れたピノキオになった気分であった。……そして思った。病名や身体の部位というのは、どうしてこんなに痛々しい名前なのであろうかと。半月板などは、まるで老舗の煎餅屋で売っている京風の薄い煎餅のようで、いかにも割れそうではないか。そこで自分なりに楽しい病名を考えた。……〈膝わるさ〉〈骨のおむずがり〉〈骨ぐずり〉……そういう診断が出たら、「まぁ、しょうがないなぁ……」と、よほどメンタルに良いと思ってしまう、この年末である。

 

 

②前回のブログで、世田谷美術館で開催中の藤原新也展の事を書いたらすぐに反響があり、「観て来ました。良かったです」「実にタイムリ―な企画展で写真と言葉の力に圧倒されました」といった意見が多かったが、中にこんな問いのメールがあった。「あの時代、学生運動の騒乱と挫折の反動を受けてインドに行った人の多くが、ブログに登場したTさんのように、無気力な姿となって帰国したのに、なぜ藤原新也さんはそうならなかったのでしょうか?」という問いのメールである。……私はなにも藤原新也氏本人ではないので、そんな事はわからないが、1つだけ、自分も写真を撮っているという経験を踏まえて、ふと想い至る事はあった。

 

……あれは8年ばかり前であるが、1週間ばかり厳寒の冬のヴェネツィアで写真撮影に没頭していた時があった。そして日程をこなして、マルコポ―ロ空港から飛び立った。……すると、遠ざかる眼下のヴェネツィアの街を視ていて、ふと妙な感慨が立ち上がった。「自分は本当に眼下に視るヴェネツィアに、この1週間いたのだろうか?」という妙な感慨が沸き上がったのである。……1週間、ヴェネツィアで過ごしたという実感がまるで無いのである。……そしてその理由がすぐにわかった。普通の旅と違い、撮影が目的の時はカメラが媒体となって被写体を追い求める為に、自分の眼と合わせて、カメラレンズの単眼をも併せ視る為に写真家は自ずと「複眼」となり、被写体という獲物を狩る為の醒めた客観性が入って来るのである。……その点、撮影を目的としない所謂普通の旅は、云わば裸形の剥き出しの感性となり、衝撃も無防備な迄に諸に受けるのである。つまり、写真家は、あくまで攻めの姿勢を持った、視覚における狩人と化すのである。……それに加えて藤原新也氏は海峡ゆずりの太い気質が加味して、六道めぐりのような凄惨な場面をも、経文の声でなぞるようにフィルムに収め得たのではあるまいか、時に阿修羅界の眼で、時に餓鬼界の眼で、……と私は思うのである。

 

 

 

③……12月の冬枯れになると、毎年、神田神保町には救世軍の数人の吹奏楽者が奏でるサ―カスのジンタのような哀愁ある響きが流れ、まるで中原中也が急に背後から現れそうで面白い。「昔と変わってないなぁ」と想い美大の学生だった頃を思い出す。…………その頃は大学よりも、神保町の古本屋巡りに通っていた方が多かった。書店で買った本を持って決まって入るのは趣のある老舗の喫茶店『ラドリオ』であった。……ふと本を読むのをやめて、壁の薄暗い一隅を視ると、そこに額に入った色紙書きの短歌があり、私はそこにいつも眼をやって、二十歳頃の未だ定かではない自分のこの先を思いやった。

 

……「不来方の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」……作者は石川啄木である。不来方はこずかたと読む。意味は盛岡の事であるが、不来方と書くのが啄木の上手さ。……「盛岡のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」では抒情性もなにも立ち上がっては来ない。不来方の字面と響きから遠い浪漫性が立ち上がり、最後の〈十五の心〉へと体言止めの一気読みが貫いて、私達の内心が揺れるのである。

 

……………啄木の短歌はずっと惹かれているが、今、何故か気になっているのはこの一首、「函館の/青柳町こそ/かなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」である。……安定した職を求めて盛岡から北海道へと流離する啄木を函館に迎えたのはこの地の短歌のグル―プであり、彼らは青柳町に住む場所さえも啄木に与えたのであった。……そのグル―プ達が歓迎の場で興に乗り、啄木に恋歌を披露する者までいた。矢車草は夏の季語。「かなしけれ」は、この場合、「心を強く惹かれる」として使われている。……だから意味は、函館の青柳町にこそ私は今、強く心惹かれている。恋歌まで披露する友もいるではないか。季節は夏、夏の真盛りなのである。……となるが、心惹かれるを〈かなしけれ〉と詠む事で、啄木の個人的体験を離れて、読む私達の内にある切なさを覚える感情が揺らいで、またしても一気に普遍へと一変するのである。

 

……この場合、活きているのが「函館」そしてそれに続く「青柳町」という響き(音・韻)である。函館で、何かが立ち上がり、青柳町という響きで、イメ―ジの舞台が読み手である私達の想像力を動員して鮮やかに、そして哀しく現れるのである。……つまり作品は私達の内で初めて完成するのであり、言葉の効用は、その為の装置なのである。この〈作品は観者や読み手の想像力を揺さぶって人々のイメ―ジを立ち上げる装置である〉という考えは、私自身の創作における考えと重なってくる。……試しに別な言葉を入れ換えてみよう。……「青森の五所川原こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花」。……青森より函館、五所川原より青柳町の響きが格段に佳く、哀しみも立ち上がって来るのである。

 

 

今、私はドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいるのであるが、この日本語が奏でる響きの美がもたらす効果が、果たして英訳すると、どれくらい伝わるのか、もっと云えば、本当に伝わっているのか?という疑問がどうしても湧いて来てしまうのである。

……特に翻訳が難しいと思うのは、言葉の前後がバッサリと無い俳句や短歌において、外国語という全く改変された音や響きで、意味や抒情の深度は本当に伝わるのであろうか……という疑問が、この年末の私を捕らえているのである。……逆に言えば、例えばランボ―の詩の翻訳が、小林秀雄中原中也堀口大學鈴村和成、……諸氏によって全く違うのも同様である。…………外国語の翻訳が上手い人は、つまりは日本語が上手いということになるが、……そのような事をつらつら思いながら、ドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいる、年の暮れの私なのである。

 

 

 

 

 

 

④……12月24日のイブの夕方に、実に美麗で重厚な嬉しい献呈本が送られて来た。……この国の短歌の分野を代表する歌人、水原紫苑さんの歌集『快楽Keraku』である。

 

本の表紙はご自身の撮影したパリのサントシャペル教会のステンドグラス。表紙全体から、タイトルの快楽に通じる薔薇の香りが放射するように漂って来るようである。

 

……水原さんは三年前にパリに行く予定であったが、コロナ感染の拡大の為に断念していたのが、ついにパリ行きを決行し、現地で詠んだ短歌を含めた第十歌集の刊行である。この水原さんの歌集については新年の最初のブログで詳しく書こうと思うが、幻視者にして魂の交感を綴る言霊の歌人による歌集を、これから読みこんで行くのが愉しみである。

 

……右に石川啄木歌集、左に水原紫苑歌集を抱えて、どうやら今年の暮れは、除夜の鐘を聴く事になりそうである。

 

 

 

 

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『……ブログの連載、十二年目に突入!!』

……ふと来し方を思い返すと、このブログの連載も12年近く続いている事になる。……早いものである。今まで『未亡人下宿で学んだ事』や名優勝新からこっぴどく説教された『勝新太郎登場』など、たくさんの自称名作のブログが生まれて行き、未知の人達とのご縁も増えていった。ネットの拡散していく力である。……多くの読者に読まれている事はなによりであるが、時折、意外な角度からオファ―が来て驚く事もある。

 

……以前のある日、電車に乗っていると突然フジテレビのニュ―ス番組制作部から電話が入り、『モナリザ』の古い写し絵が発見されたので、今夕、ダ・ヴィンチについて番組の中で自説の推理を自由に喋って欲しいという話が飛び込んで来た。訊けば私のブログを毎回読んでおり、また私の本の読者でもあるという。……この写し絵(推察するに弟子のサライが描いた)に関しては私も興味があったので快諾して自説を喋った。……また先日は、TOKYO・MXTVから連絡が入り、これもまたダ・ヴィンチについて、樋口日奈(乃木坂46)やAD相手に番組の中で喋って欲しいので、市ヶ谷のソニ―ミュ―ジックビルに来て欲しい……という突然の話。これは私の日程が合わず、代わりに知人のダ・ヴィンチ研究家のM氏を紹介したが、さぁその後どうなったであろうか……。

 

……また、最近、二つの出版社から、私の今までのブログから抜粋してまとめた本を刊行したいという話を各々頂いたが、これは私のブログに対する趣旨とは異なるのでお断りした。樋口一葉日記や作家達の戦中日記と同じく、私的な備忘録―生きた証しであり、また読者の日々の気分転換になれば……という思いで書いているので、このままが一番いいのである。

 

 

しかし、そういった角度とは違う、このブログへの反響といったものもある。……というのは、昨年に刊行した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を私のサイトで購入出来る方法を載せたところ、購入希望者が一時期ほぼ毎日のようにあり、合わせて200冊以上、署名を書いてお送りする日々が続いたが、さすがに最近は落ち着いていた。

 

……しかし、何故か2週間くらい前から再燃したように詩集の購入を希望される方からの申し込みがまた入るようになり、この2週間で新たに40冊ちかい数の申し込みがあり、詩集の見開きに黒地に銀の細文字でサインを書き、相手の方の署名・日付も書いてお送りする日々が続いている。

 

……しかしなぜ突然、詩集の購入希望者が再燃するように増えたのか知りたくなり、申し込み書に連絡先が記してあるので、失礼ながら謎を解きたくなり数人の方に伺った。……その理由はすぐにわかった。前回のブログに載せた『ヴェネツィアの春雷』(『直線で描かれたブレヒトの犬』所収)の詩を読まれて気に入り、また併せて書いた私の詩に於ける発想法が面白かったというのである。……現代詩はわからない、ピンと来ないと思っていたが、こと私の詩に関しては、その言葉の連なりに酔う事が出来、自分の中から直に自由なイメ―ジが沸き上がり、もっと読んでみたくなったのだという。……かつての中原中也や宮沢賢治がそうであったように、書店を通さない直に購入希望者を募るという方法はアナログ的ではあるが、よりその人達とのご縁が生まれる可能性に充ちており、私はこの方法が詩集のような少部数の出版には合っていると思う。

 

 

 

 

 

……では最後に、第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』に入っている詩の中から、三点ばかり、今日はこのブログでご紹介しよう。(詩集には八十五点の詩が所収)……先ずは、前々回のブログに登場した、私が泊まったヴェネツィアのホテル『Pensione Accademia』の真昼時の裏庭に在った日時計を視ながら着想した詩。

 

 

 

『アカデミアの庭で』

日時計の上に残された銀の記憶/蜥蜴・ロマネスク・人知れず見た白昼の禁忌/水温み 既知はあらぬ方を指しているというのに/ヴェネツィアの春雷を私は未だ知らない

 

 

『光の記憶』

光の採取をめぐる旅の記憶が紡いだ仮縫いの幻視/矩形の歪んだ鏡面に映るそれは/永遠に幾何学するカノンのように/可視と不可視との間で見えない交点を結ぶ

 

 

(……この詩は、写真作品の撮影の為にパリやベルギ―、オランダを駆け回った時の記憶を再構成して書いた作品。)

 

 

『割れた夜に』

亀裂という他者を経て/アダムとイブと/独身者は花嫁と重なって/アクシデントに指が入る。/コルセットに感情を委ねて/少し長い指が犯意と化す。/四角形の夜/あらゆる罪を水銀に化えて/アクシデントに指が入る。

 


 

(作品部分)

 

(……この詩は、20世紀美術の概念をピカソとパラレルに牽引した謎多き人物マルセル・デュシャンの代表作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』から着想した詩。周知のように、未完であったこの作品を運ぶ途中に、トラックの運転手の荒い運転により発生した偶然の予期せぬ事故で硝子の表面に扇情的な美しい亀裂が入り、この作品の最終の仕上げが他者を経て完了したという逸話がある。……私の思念していた「アクシデントは美の恩寵たりえるのか!?」という自問を詩の形に展開したもの。)

 

(作品裏側)

(作品全体)

 

 

 

……さて次回のブログは一転して、舞台はスペインへ。旅人というよりも異邦人と化した私の追憶『アンダルシアのロバ』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

 

 

 

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『ダリオ館の怪―in Venezia』

今回は、前回の京都の話から一転してヴェネツィアの話。かの地に現在も進行中の或る館にまつわる怪異譚の話である。……その館の名はダリオ館(Palazzo Dalio―1479年に商人のジョヴァンニ・ダリオが娘の婚資の為に建立)。アカデミア橋を渡り、グッゲンハイム美術館に向かう途中の大運河沿いにある館で、多色の大理石を使った円盤の目立つ造りが運河に面し、半ゴチック、半ルネサンス様式の一目でそれとわかる特徴的な作りである。

 

(その外観と内部の画像を掲載しよう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今までに5回ヴェネツィアを訪れているが、そのダリオ館の名とそこにまつわる奇怪な話を知ったのは3回目・2002年の時であった。……後に刊行する事になる拙著『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊)のダ・ヴィンチの足跡を実際に辿る為に先ずはロ―マから北上し、フィレンツェ・ミラノ・そしてパリへと至る取材の旅の途次にヴェネツィアに立ち寄ったのである。……季節は春であった。私はこの地に在住している建築家のS氏と会うため、サンマルコ広場にある「Cafe.Florian」で待ち合わせて、夕刻にゴンドラに乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴンドラは、私が部屋をとってあるアカデミア橋河岸沿いのウェスティン ヨーロッパ &レジ―ナの側にある船着場から出発し、ゴンドリエ―レ(船頭)の巧みな漕ぎによって、忽ち私たちは大運河の中心へと滑り出た。すると突然、彼は漕ぐのを止めて対岸にある一軒の古い館を私たちに指差した。……それがダリオ館との出会いであった。S氏の通訳によると、その館では、創建時から悲劇が起こり、ダリオの娘の結婚相手が刃物で刺殺され、悲嘆した娘は館内で自殺。二人の息子も強盗によって殺された。その後も、私が好きなフランスの詩人アンリ・ド・レニエはダリオ館の伯爵夫人から館に招待されるも重病にかかりヴェネツィアを去るが、その際に「館には何故か異様に巨大な鏡と時計があった」「深夜に人の呟くような声がした」と語っている。その後、館の所有者となった大富豪の愛人が自殺。

 

 

有名なテノ―ル歌手がダリオ館を買う契約書に署名の為にヴェネツィアに行く途中で車の事故で重傷。その後はトリノの伯爵が館の庭で刺殺される。……有名なロックバンド「ザ・フ―」のマネジャ―はダリオ館滞在中に麻薬にのめり込み後に逮捕・破産。しかしまだそれまでは軽かったかもしれない。その後は所有者が次々とこの館で動機不明の自殺が続く。……私が最初にヴェネツィアに滞在していた時はまだ存命だった所有者は、その2年後にピストル自殺。

 

 

……私がゴンドリエ―レから話を聞いた時、彼は心配気に「今は、ウッディ・アレンがダリオ館購入に乗り気だ」という。そしてこう付け加えた。「彼は間違いなく死ぬだろう!!」と。……それを聞いた私は「館に忍び込んで自殺者が続く原因を調べてみたいものだね」と軽く口にした。「止めておけ!!」その言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レの鋭い言葉が返ってきた。……その後、ウッディ・アレンはまわりの忠告を聞いて購入を断念したという話が後日に入って来た。

 

 

……しかし、と私は思う。しかし、私の場合になぜ、このゴンドリエ―レのように暗く思い詰めたような、つまりは面白い人物に出逢うのであろうか?……謎をこよなく愛する私の何かが呼んでいるのでもあろうか?……実際、このゴンドリエ―レは私が「もっとダリオ館の近くまで寄っていってほしい」という希望を受けて、ゴンドラを館の傍に滑るように寄せてくれたのであるが、この大運河に浮かんでいる観光客を乗せた他のたくさんのゴンドラからは陽気なカンツォーネが明るく高らかに流れているのであった。

 

 

……「止めておけ!!」、私の言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レはそう忠告した。しかし、私の中では次第にダリオ館への興味が膨らんで行き、4回目の撮影では無人と化していた館の裏側から近づき、5回目にヴェネツィアを訪れた時は、本気でダリオ館の塀を登って館の庭に侵入する気で、暗がりの中を近づいた。すると、意外にも館内に灯りがともっていた。そして館には、現在の管理をしている会社名「オリベッティ社(タイプライタ―の創業社)」のプレ―トが闇の中でうっすらと見えたのであった。……この体験は私をして創作のイメ―ジとなって閃き、『ヴェネツィアの春雷』という連作となり、コラ―ジュ、オブジェにそれは結び付いていった。そして昨年に刊行した第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』所収にも『ヴェネツィアの春雷』というタイトルで登場する事となった。

 

 

 

『ヴェネツィアの春雷』

「水のメランコリ―が元凶ならば/並びの人はみなラグ―ナに沈む/ビザンツの黄金/ヴェネツィアの伝承を徒然として/

 

夜の一人称が元凶ならば/ダリオは/タイプライタ―が打たれる前に/引き金を引く/打つ音の前に自らを撃つ/灰にしてその人も沈む/

 

〈巨大な時計〉〈深夜の呟き〉/………………………………/レニエのきれぎれの言葉は/迷宮に引き込む雅語の葬列/方位を狂わす図法という叙述/

 

〈狂わされたのか〉或いは〈狂ったのか〉/韻は韻のままに雅びを孕んで/アドリアの海に/一条の銀が走る。/

 

 

 

 

 

 

 

……今までのブログでも書いて来たが、私は津山三十人殺しの現場に行き、また八王子の山中で起きた立教大学女子大生殺人事件でも現場に行き(私と大人数の警視庁が現場に入ったのはまさに同日であった)、また版画家・藤牧義夫が突然、その姿を消した最後の現場(向島・小梅)にも赴いてその謎を詰めて推理し、またその他にも虚構ではない実際に起きた現場に度々訪れ、……そして、上野の芸大の写真センタ―内では、深夜に研究室で頭から寝袋に入って寝ている時に、私の周りを、明らかに軍隊の陸軍が履く革靴の硬い音が響き、私が寝袋から顔を出した瞬間にそれは消えた、……などの、……つまりは土地の記憶、場の地霊か何ものかが成したとしか思えない不穏な事件現場に向かうのであるが、思うに、この世とかの世が地続きであるような交感の場に惹かれる傾向が異常なまでに私は強いのであろう。簡単に言えば不穏なものへの好奇心、大人になり損ねた子供と言えば足りるか。……こういう間に、よく数々の作品を作ったり、詩や文章の執筆が出来るものだと我ながら可笑しくなってしまう時がある。

 

……さて、今回のダリオ館の話。次回、ヴェネツィアを訪れた時はどのようにしてダリオ館に入ろうかと日々の思案が続いている。今までも非公開の場所を様々な秘策を練って突破して来ただけに、難題な程、私は異常に燃えるのである。ダリオ館の並びはベギ―グッゲンハイム美術館などの豪奢な館が並び、その一つの館の購入相場がだいたい200億はするという。……しかし、最近驚くべき話が飛び込んで来た。……オリベッティ社が手放したのか知らないが、このダリオ館という物件、あまりに不吉だというので買手がつかなかったのであるが、最近買手が現れ、何とたった12億円(10分の1以下の価格!!)で購入したという。……たった12億!……ならば何とかならなかったのかと自分を責めてみる。そして思う。……無理だったと。

 

しかも、面白い話が飛び込んで来た。……このブログを書く為にふとダリオ館の〈現在〉を調べたら、何と、次第に知れ渡って来たダリオ館の話に興味を持つ人が増えて来たらしく、事前に申し込めばツア―でこの館に入れる事が可能になったのである。しかし、たったの15分だけであるという。……たいていの見学者はそれで満足するかもしれない。しかし、私が考えているのはダリオ館に泊まり、かつてレニエが聞いたという深夜の呟きを聞き、巨大な鏡や時計を見、やがて私に近づいてくるであろう危うい気配を静かに待ち、その妖しい〈気〉と対峙しながら、どっぷりとその〈気〉を体感し、どうしても、この館の謎を理詰めで解き明かしたいのである。……たとえ相討ちで私が亡くなったとしても……。一説によると、ダリオ館の前にその場所は、墓地であったという。

 

原因を解くには、その場所の古い歴史から先ずは探っていく必要があるであろう。……ダリオ館と私。……この関係はしばらく続いていきそうである。……あの時に偶然(本当に偶然だったのか!?)出逢ってしまった、まるで何かへの導きの為に、或いは私を待ち受けていたかもしれない、あの時のゴンドリエ―レに感謝を覚えながら。

 

 

 

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『ヴェネツィアの水と夢』

……前回のブログで、コロナウィルス感染者ゼロの岩手県の不思議について書いたが、考えてみるとこの騒動の渦中にあって、現在もなお一人の感染者も出ていない岩手県の気丈とも云える異色な存在は、ある意味で死中に活を見るような一つの希望的存在であったような気がする。岩手県だけ何故感染者がゼロであるのかという謎は謎のままに、ある視点から見れば、新型コロナウィルスという敵にも死角のある事が、そこにうっすらと透かし見えたからである。……想えば、岩手はかつては平家の中央集権と離れて独自で強靭な藤原三代の栄華を咲かせた、正に独立自治の気概に富んだ地であり、また不思議な話に充ちた『遠野物語』の舞台でもあり、石川啄木、宮沢賢治、松本竣介……といった、私の好きな今だ色褪せないモダンな感性と豊かな詩心を持った特異な表現者を輩出した地でもあり、私はこの岩手という所が最近ますます好きになってきているのである。……さて、コロナウィルスは少しずつ最初の収まりを見せつつあるが、必ずや第二波が再び襲来する事は必至であろう。その時もなお岩手県が感染者ゼロを維持しうるのか否や、私は注目していたいと思っている。

 

……最近の私はかなり早起きになり、朝のBBCニュ―スを観るのが毎日の日課のようになっている。そのニュ―スで面白いものを観た。……恒例のカ―ニバルを途中で中止して、正に戒厳令の監視下にあるように観光客が絶えたヴェネツィアの運河の水が自浄作用が働いて綺麗になり、画面からは水中深くで生き生きと泳ぐ魚影の姿が映し出されたのであった。……今まで4回ばかりヴェネツィアを訪れた事があるが、運河の水はかなり汚く、夏の臭いは特にひどく、正に廃市の感があった。しかし画面に見るそれは人が絶えた事で生じた奇跡のように私には映った。…………その映像を観ていて、ずいぶん昔に見た或る夢の事を思い出した。…………廃市のように人が絶えた霧のヴェネツィア。その運河の水面を私が乗った黒いゴンドラが滑るようにして或る館の中に入っていく。……運河の水が異常に増した為に、この地の人の姿が全く絶えたのか、他は無人、唯私一人だけがゴンドラに乗っているのである。しかしゴンドラを操る漕ぎ手の姿もなく、ただ私を乗せたゴンドラが何かの強い磁力に引かれるようにして、嘗ての栄華を極めた或る館に滑りこんでいくのである。その暗い館に滑り入ると、全くの静寂の中、大きなガラスケ―スが何かの暗示のようにして対置して置かれていて、そのガラスの中を見ると、あろう事か、何故かダ・ヴィンチとミケランジゥロの素晴らしい素描が全くの無人の静寂の中で展示されているのであった。……私は陶然とした気持ちのままに、ただ、それらを眺めているという夢であった。……しかし、この夢は一種の予知夢であったらしく、時を経てやがて現実のものとなった。ロンドンの大英博物館の別館にあるルネサンスから近代迄の素描を集めた研究室で、日本からの美術の在外研修員として訪れた私は、夥しい数のダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を白い手袋をはめたままに、じかに手に持って存分に見る事が叶ったのであった。ガラス越しと違い、自分の掌中にあるそれらは、不気味なまでの生々しい迫力を持って私に迫り、その体験から吸収した事は実に多いものがあり、著作の中でもそれを記した事があった。……さて話を始めに戻すと、人が絶えた事で生じた奇跡とも云える自然界の自浄作用で、この汚れた環境はかくも早く元に戻るのか!という驚きと、今一つの不気味がそこにあった。……もし、人類が絶えたら、長年の環境破壊によって、もはや死に体となりつつある地球の生成と死はその自浄作用によって……という、ある種の苦さと、然りという想いが交錯する感慨を私は抱いた。この想像の果てに辿り着くのは、ポエジ―の本質かと思われるが、その事を暗示してやまない、実に奇妙なものがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『夢みるように眠りたい』  

アドリア海に面しているヴェネツィアの寒さは、また日本のそれとは質が違う厳しさである。足下の凍った石畳から直に冷気が伝わって来て感覚が硬直してくるのである。しかし、感性はその分、垂直的になるのでむしろ良い。……とまれ、2台のカメラを駆使した撮影の成果は、詩画集という形で今後に展開していく事になっているので、乞うご期待である。

 

……翌日は、昼過ぎに紀尾井町にある文藝春秋社ビル内で打ち合わせが終わるや、私はすぐに浅草へと向かった。最近、つとに永井荷風の事が頭にちらつくので、彼が愛した浅草隅田川、吾妻橋、言問橋、向島……を眼下遥かに見下ろせるアサヒビール社の22階の展望カフェで、〈浅草〉が持っている不思議な魔の引力について考えてみたくなったのである。しかし、それにしても快晴である。……嘘のように晴れ渡った眼下を見ながら、浅草寺のやや左側に、大正12年の関東大震災で崩れ去るまで建っていた、蜃気楼のような浅草十二階―通称「凌雲閣」の事を私は想った。

 

浅草十二階

 

仁丹塔

 

 

映像の魔術師と云われた映画監督のフェリ―ニを愛する私は、ア―ティフィシャルな人工美に何よりも重きを置いている。……故に「現世(うつしよ)は夢、夜の夢こそまこと」と記した江戸川乱歩の最高傑作『押し絵と旅する男』の舞台となった浅草十二階は、私のイマジネ―ションの核にありありと今も聳え建っているのである。…………あれは何年前であったか。平凡社『太陽』の名編集長であったS氏から電話がかかって来て「今度、江戸川乱歩の特集〈怪人乱歩・二十の仮面〉で20人の書き手に、乱歩の20の謎をキ―ワ―ドにして書いてもらいたいので、あなたには〈洞窟〉を書いてもらいたいのですが……」と切り出された時に、私はすかさず「〈洞窟〉は書きたくないけれど、〈蜃気楼〉をキ―ワ―ドにして〈押し絵と旅する男〉についてなら喜んで書きますよ」と話した。意外にも、当然企画に入っていると思った〈蜃気楼〉がなく、私は即座にそれならば書こうと閃いたのである。一旦編集会議を開いて……となり、翌日再度電話がかかって来て、私は〈蜃気楼〉を書く事になった。……ちなみに最初に依頼された〈洞窟〉は〈迷宮〉を更に追加して、直木賞作家の高橋克彦氏が書いたのであるが、この時の執筆者は他に、種村季弘、久世光彦、谷川渥、佐野史郎、鹿島茂、石内都、荒俣宏、赤瀬川原平、団鬼六、林海象……他、実に賑やかであったが、すでに今は鬼籍に入られた方も多い。……さて、私はかつて浅草十二階が聳え建っていた場所を22階の高みから透かし見ながら、今一つの蜃気楼―〈仁丹塔〉の事を、遠い記憶をなぞるように、これもまた重ね見たのであった。……ずいぶん以前のこのメッセージ欄で、私は仁丹塔に登った事、中の螺旋階段は途中で行き止まりになっていて、そこに何故か二羽の白い鳩が、突然の来訪者である私に驚いてパタパタと塔内の虚ろな空間に羽ばたいていた事、またその仁丹塔の入口近くには怪しい蛇屋があった事……などを書いた事がある。しかし、もはやそれも遠い記憶、確かに行った事さえも夢見の中の出来事のように虚ろな、正に逃げ水や、蜃気楼のような遠い記憶なのである。

 

 

 

……その、今では幻と化した浅草・〈仁丹塔〉が重要な舞台となった映画『夢みるように眠りたい』(林海象監督)展が、恵比寿にあるギャラリ―「LIBRAIRIE6+シス書店」で開催中である(24日まで)。この映画は1986年に初上映された時に私は観ており、実に32年ぶりである。この映画を観んと、この度、ギャラリ―に訪れた沢山の観客に混じって私は観たのであるが、この映画は色褪せるどころか、更に不思議なマグネシウムの閃光のような煌めきを放って私を魅了した。……つまりは、この世は〈想い出〉に他ならず、人生もまた幻であると見るなら、映画の本質は、その幻影ゆえの実をまことに映し出している、という意味で、この映画はその本質を直に活写したものであり、フェリーニの『アマルコルド』や、衣笠貞之助の『狂った一頁』(川端康成原作)と並び立つ名作だと私は思う。ギャラリ―のオ―ナ―の佐々木聖さんから監督の林海象さんをご紹介頂き、私は林さんに、「実は私も仁丹塔に登った事があります」と話すと、林さんは古い共犯者に再会したかのように驚かれ、「あすこに登った人は、意外にいなくて、確かに見えていたのに近づくとフウッと消えて見えなくなってしまう、あれは実に怪しい塔なんだよ」と話されたので、「全く同感、あれは蜃気楼だったんですよ!」と私は話した。この映画でデビュ―した佐野史郎さん、また会場で久しぶりにお会いした四谷シモンさん以外、私はこの塔に登った人を知らないし、存命者ではもうあまりいないかと思われるのである。

 

本展の会場になったギャラリ―「LIBRAIRIE6+シス書店」は、JR恵比寿駅の西口から徒歩2分。少し歩くと、急に恵比寿の喧騒が消え失せ、ふとパリのモンマルトルの一角を想わせるような風が立ち、目の前に急な石段が現れる。その石段を登り、それとわかる何気ないビルの扉を静かに開くと、そこは、全くの別世界。その静寂の中、高い美意識に包まれて次第に気持ちが典雅にリセットされてくる。しかし、このギャラリ―は、いつも決まって何人かの来廊者がいて、静かに作品を鑑賞している姿が見てとれる。……私はこのギャラリ―のオ―ナ―の佐々木聖さんとは20年近い、長いお付き合いをして頂いているが、今もってこの人は謎である。毎回、夢のような優れた企画展示をしているが、元来が〈風〉の人である佐々木さんは、ある日ふと、何の前触れもなくギャラリ―を突然たたんで、気まぐれにサ―カスの軽業師の団員か何かになって、まるでブラッドベリの小説の中の登場人物のように、嵐の夜に忽然と消えてしまいそうな気配を漂わせていて掴めない。掴めないが、この人の拘りと、眼の確かさは本物である。……私は、以前にゲ―テが愛した〈風景大理石〉をこの画廊で買い求めて、今はアトリエの壁に大切に掛けているが、本展でまた1点、写真の素晴らしい作品に出会い、一目で気に入り、購入を予約した。……それが、『夢みるように眠りたい』の1シ―ン、前述した〈仁丹塔〉の屋上に登った、謎の探偵に扮した佐野史郎さんと助手が点景のようになって、仁丹塔から彼方を指差している写真(額入り)である。この写真作品を見た時に、かつてそこに登った時の自分が重なり、本当の自分は、実は今もなお、既に消えて久しい仁丹塔の中の迷宮をいまだに、それこそ永遠にさ迷っているような感覚に包まれて無性に懐かしかった。……この作品は、私にとって〈夢の結晶〉のように大切な物として、後日アトリエにやって来るのであるが、ご興味がある方は、ぜひ24日の会期終了までに訪れて、ご覧頂く事をお薦めしたい展覧会である。

 

 

LIBRAIRIE6+シス書店

東京都渋谷区恵比寿南1―12―2 南ビル3F

TEL03―6452―3345

Open・水曜~土曜 12:00―19:00 日曜・祭日12:00―18:00

Close: 月曜/火曜

 

 

 

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『VICENZA – 私を変えた街』

旅の記憶というのは不思議なもので、僅かに一泊しただけであるのに、時を経るにつれて源泉の感情を突いてくるように忘れられなくなってしまう〈街〉というものがある。例えば私にとってのそれは、イタリア北部に在るビチェンツァ(Vicenza)がそうである。

 

別名「陸のヴェネツィア」と呼ばれ、16世紀の綺想の建築家パラディオによる建造物が数多く残るこの街は世界遺産にも登録され、中世の面影を色濃く停めている。私がビチェンツァを訪れたのは20年前の夏であった。パラディオ作の郊外のヴィラや、バジリカ、そして画家のキリコに啓示を与えたオリンピコ劇場などを巡り歩いた午後の一刻、歩き疲れた私は宿に戻り束の間の仮眠をとっていた。すると窓外に俄に人々のざわめきが立ち始め、嗅覚に湿った臭いが入り込んで来た。- それは突然の驟雨であった。私はバルコンの高みに出てビチェンツァの街を見た。

 

西脇順三郎の詩集「Ambarvalia」の中に、「・・・静かに寺院と風呂場と劇場を濡らした、/この静かな柔い女神の行列が/私の舌を濡らした。」という描写があるが、私はこの古い硬質な乾いた石の街を銀糸のようにキラキラと光る雨の隊列が濡らしていくまさにその様を見て、〈官能〉が二元論的構造の中からありありと立ち上がるのを体感し、私の中に確かに〈何ものか〉がその時に入ったという感覚を覚えたのであった。・・・・・・夜半に見るビチェンツァの街は私以外に人影は無く、私はオペラの舞台のような不思議な書き割りの中を彷徨うようにして、この人工の極みのような街を、唯ひたすらに歩いた。・・・そして私の中で、今までの私とはあきらかに違う〈何ものか〉が生まれ出て来るのを私は直感した。それは銅版画のみに専念していた私から、オブジェその他と表現の幅を広めていく私へと脱皮していく、まさにその契機となるような刻であったのだと、私は今にして思うのである。

 

今月の11日(月)から23日(土)まで茅場町の森岡書店で、私の新作展が開催される。タイトルは、そのビチェンツァの街に想を得た『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』である。今回の個展は、今後の私にとっての何か重要な節になるという予感が漠然とではあるが、私にはある。タイトルにビチェンツァが入ってはいるが、それは私の創造の中心にそれを置く事であり、イメージは多方へと放射している。パリ、ブリュッセル、そしてイギリスのポートメリヨン等々、様々なイメージが〈ビチェンツァ〉を核にする事で立ち上がっているのである。まさに現在進行形の私の今の作品を見て頂ければと願っている。

 

〈追記〉

写真の撮影や取材などでヴェネツィアへはその後も幾度か訪れているというのに、私はその僅か手前にあるビチェンツァの街を再び訪れてはいない。イメージの深部にいつからか棲みついてしまったこの不思議な街のくぐもりに光を入れるのを恐れるかのように、私はこの街に対してまるで禁忌にも似たような距離をとっている。今年は本が二冊刊行される予定であるが、いずれは私は〈詩集〉という形でもこのビチェンツァの街の不思議を立ち上げてみたいと思っている。ビチェンツァは、様々な角度から攻めるに足る,捕え難い妖かしの街なのである。

 

北川健次新作展『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』

2013年3月11日(月)〜23日(土)

時間:13:00〜20:00(会期中無休)

場所:森岡書店 tel.03-3249-3456

東京都中央区日本橋茅場町2−17−13第二井上ビル305

*地下鉄東西線・日比谷線「茅場町」下車。3番出口より徒歩2分。

永代通りを霊岸橋方向へ向かい橋の手前を右へ。古い戦前のビル。

(会期中は作家が在廊しております。)

 

 

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『個展開催中』

1月30日から2月24日まで、私の個展『光の劇場 ー魔群の棲むVeneziaの館で』が京橋の72ギャラリーで開催されている。72ギャラリーは本来は写真のギャラリーであるが、今回は、ヴェネツィアとパリで撮影した中からの主要な作品と、オブジェ・コラージュ・ミクストメディアの中から選んだ作品を第一会場と第二会場で構成して展示してある。個展のタイトルが示すように、水都・廃市・魔都としてのヴェネツィアを〈劇場〉に見立て、その光の中に息づく魔的なるものの顕現をそこに謀っている。個展の企画の依頼を受けてから一年後の実現となったが、美術の画廊とは異なる写真のギャラリーからもこのような話を頂く事は本当に嬉しい事である。写真家としての私の形は、二年前に沖積舎から刊行された写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』に凝縮されているが、写真の仕事の次なるステップの為に六月のイタリアでの撮影を予定している私としては、必要な節となる重要な個展になっていると思う。

 

 

 

 

 

さて、魔都としてのヴェネツィアであるが、歴代の館の主が決まって自殺(ピストル自殺が多い)しているという、実在する妖しい館、ダリオ館の存在は今も気になって仕方がない。窓外に見る運河(カナル・グランデ)の水がメランコリーを生むのであるならば、運河に面した多くの館から悲劇は起きる筈。しかし何故にダリオ館だけが・・・・!?二年前の厳寒の冬に行った時は、もう人は住まなくなったといわれたダリオ館に、高い塀を伝って忍びこむ予定でいた。しかし、観光客の絶えた夕暮れ時に行ってみると灯りがついていたのには驚いた。また新たな悲劇の誕生が用意されていたのである。カナル・グランデに面した館を購入するには桁違いの百億単位の資金が要る。後で調べた記憶では・・・確かオリベッティ社か何処かが購入したらしい。今年の六月は北イタリアの墓地にある彫刻を巡って撮影する予定であるが、ヴェネツィアも予定に入れてある。ヴィチェンツァ→ブレンタ運河→ヴェネツィアは更なるイメージの充電として、やはり私には好ましい。昨日、写真家の川田喜久治さんが個展を見に来られ、私は次の撮影にあたり貴重なアドバイスを多く頂いた。生涯現役たらんとする川田さんの気概からは、本当に多くのプラスの強い波動を頂いている。一定の場所に停まらず、次の新たなるイメージの狩猟場を求めて表現者たる者は歩まねばならない。表現者にとって「生きる」とは、そういう事である。今回の個展は約1ヶ月間と長く、その間の2月10日(日)には、画廊での私の講演『写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密』も予定に組まれている。定員は30名で事前申し込み制となっているので、ご興味のある方はぜひ御参加下さい。

 

北川健次写真展(オブジェ・版画・コラージュ他も併せた展示)

『光の劇場 – 魔群の棲むVeneziaの館で』

72Gallery (TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHY内)

1月30日(水)ー 2月24日(日)

休館は月曜日と火曜日(平日ですのでご注意ください)

水~金   12:00~20:00

土・日・祝 12:00~19:00

最終日は17:00まで

 

 

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『浅草の幻影』

1994年の5月に刊行した月刊誌『太陽』は江戸川乱歩の特集であった。この時の切り口はなかなか面白く、怪人二十面相に合わせて二十名の作家が探偵よろしく各々のテーマで乱歩の迷宮に挑んでいる。荒俣宏(窃視症)、高山宏(暗号)、赤瀬川原平(レンズ嗜好症)、団鬼六(ユートピア)、久世光彦(洋館)、鹿島茂(サド・マゾ)・・・・etc。そして私も原稿を依頼されて〈蜃気楼〉を主題に書いている。最初電話が編集部から入った時、私に与えられた主題は、実は〈洞窟〉であった。〈洞窟〉ならば『パノラマ島奇譚』になってしまう。私はその主題をお断りして、「蜃気楼だったら書きますよ」と提案した。〈蜃気楼〉を主題に乱歩の代表作『押絵と旅する男』について書いてみたかったのである。

 

『押絵と旅する男』の舞台は明治23年に浅草に建立され、大正12年の関東大震災で崩壊した浅草凌雲閣(通称十二階)である。高さは67メートルあり、その屋上からの眺めは絶景であったらしい。幻惑を求める人々は帝都にいながらにして乳色の官能に霞む、さながら白昼夢のような光景を堪能していたようである。乱歩はその小説の中で記している。

 

「あなたは十二階へお登りなすったことがおありですか?ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」と。

 

美術大学の学生として私が上京したのは昭和45年。浅草十二階が崩れ去って半世紀近い年月が流れていた。しかし・・・浅草には、その残夢のような奇妙な建物が立っていた。昭和三十二年に十二階を模して建てられた浅草仁丹塔である。画像を御覧頂きたい。この写真はちくま文庫の「ぼくの浅草案内」からの引用であるが、撮影したのは著者である小沢昭一氏である。今は消えた都電を前景に、その背景にそびえ立つ建物が仁丹塔である。白く彩色されたその高塔はまさにキッチュなもので、浅草の雰囲気と奇妙に馴染んでいた。しかし、今日のスカイツリーのような話題性も当然無く、それを見上げて眺めやる人もおらず、時間の隙間にそれは消えていきそうであった。そして・・・事実、時の忘れ物として取り壊されるという噂も立ち上っていた。—–或る日、その仁丹塔をしげしげと眺めている男がいた。男は思った。「あの建物の中は果たして・・・・どうなっているのだろうか」と。—–そして男は思い立ったように、その塔へと向かった。その男とは・・・・私である。

 

塔の入口手前には、奇妙な世界への関門のように、〈蛇屋〉が店を開いており、ガラスケースの中には、数匹の蝮(まむし)が黒々ととぐろを巻いていた。入口から中へと入っていくと全くの無人で螺旋状に階段が上へと続いていた。構造的には配線盤が在るだけの、印象としては巨大なテーマパークの残骸のようである。更に上へと登る。すると・・・上の方からパタパタという奇妙な音が落ちて来た。真白い空間の中を上っていくと、そこに見たのはいささか現実離れのした光景であった。二羽の白い鳩がパタパタと羽撃きながら、出口を求めて空(くう)を彷徨っているのであった。真白い建物の中の真白い二羽の鳩。何故このような所に!?入口から何かに誘われるように迷い込んだのであろうが、まるでそれは〈浅草〉が持っているからくりめいた妖しい気が、私にふと見せた幻惑のように、その時は映ったのであった。まっさらな白い幻影のような、しかし眼前に今在る現実の光景。しかし、それから先の記憶がまるで無く、唯その時の光景だけが、乾いたパタパタという羽音と共に今も記憶の内にありありと在る。

 

記憶は時を経て、今ようやく作品という形で、それは形象化されようとしている。真白い張りぼてのような仁丹塔の中で見た真白い鳩の光景・・・。そして時を経て訪れたヴィチェンツア、パドヴァ・ヴェネツィア・・・の冬の旅の記憶。それらが絡まって秋の個展の為のオブジェやコラージュに今、変容しているのである。幾つか用意されている個展の中の或るタイトルは『密室論  - ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』である。私は記憶の中から今しあの二羽の鳩を空へと解き放つような想いで制作に没頭しているのである。

 

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『仮面劇場』

昭和の終わりと共に消えていくかと思われた職業の一つに「チンドン屋」というのがある。しかし、それが若い世代から支持を得て、地道ながらも息を継ないでいるという。つまり、“不思議と消えない職業”なのである。

 

29日(土)まで個展を開催中の森岡書店は、茅場町・霊岸橋川岸に立つ古いビルの3階にある。昼は気持ちのいい光が差し込み、窓を開けると眼下に幅広の川が流れていて、ちょっとアムステルダムのような趣きがある。昨日の昼下がり。来場者が多く会場が賑わっていた時、そのチンドン屋の音が風に乗って聞こえて来た。窓外を見ると、霊岸橋の上を流して行く四人のチンドン屋が見えた。そして、やがて見えなくなり、来廊者も引いて展示空間が再び静かになった。「あの音は、迷惑ですよね。」とオーナーの森岡さんが話す。展示してある作品はヴェネツィアの写真、それと聞こえて来たコテコテの和の音とは、確かにミスマッチであるだろう。

 

展示作品の中の一点に、ヴェネツィアのカーニバルの仮面を被った人物が映っている写真がある。何気なくそれを見ていた時、ひとつの疑念がふと立ち上がった。−−−街中に貼ってある殺人犯の指名手配写真。何年経っても容易に捕まらない逃亡犯。それと先程のチンドン屋が重なったのである。白塗りの誇張した化粧、それは素顔を隠した仮面である。その姿でコンビニに立ち寄っても、或は電車に乗って移動しても−−−それは日常の一コマの情景にしか映らない。もし先程見た橋上の連中の中に、「その人物」がひょっとして紛れ込んでいたとしたら、さあ、どうだろう−−−。そんなことを考えていると、再び、あの音が聞こえて来た。チンチンチンとはしゃいだような鐘の音、哀愁を帯びたクラリネットの悲しい響き−−−。それが風に乗って、遠くから、そして時に近くから切れ切れに聞こえて来て、やがて−−−消えていった。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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