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『作品の行き先』

銀座の画廊香月での個展も後半に入ると、九州、四国、北海道などの遠方から遥々来られる方が増えてくる。そして、自らの肖像を直に映す鏡を選ぶかのようにして、感性に触れてくる作品が次々と選ばれていく。かくして作者である私は、その不思議な出会いと観照の場に立ち会っている存在として、コレクションの行方を見届けるのである。

 

しかし私が、この作品だけはどうしてもその人に持ってもらいたいと強く願った作品が、かつて二点だけあった。その一点の持ち主は、画廊主であるだけでなく、クレ-展や瀧口修造へのオマ-ジュ展など、美術館レベルを超える企画展を次々と実現して、現代の美術市場を高いレベルで牽引し、今では伝説的な存在として語られている佐谷画廊主の、故・佐谷和彦さんである。そして佐谷さんにこの作品をと強く願ったのが『エルエスコリアルの黒い形象』という横幅2メートルをゆうに越す大作のオブジェであった。個展初日、画廊が開いてすぐに佐谷さんは画廊に来られ、その作品を観るや即決で購入を決められた時には、私は本当に感動した。そして…何かその先に開けるものが待っているとも直感したのであった。−予感はすぐに形となった。国際的に評価の高い美術家のクリストが来日して打ち合わせの為に佐谷さん宅を訪れた際に、私のそのオブジェに目が止まり、〈この作者は誰なのか!?〉と鋭く質問し、絶賛していったのであった。クリストが帰った後すぐに佐谷さんから、その時のクリストの言葉を伝える興奮した電話が入り、私は強烈な自信と、ぶれないスタンスをその時に我が物としたのであった。 佐谷さんの広い書斎にはデュシャン、タピエス、瀧口修造、荒川修作、エルンスト…といった名品がずらりと並んでいるが、一目でクリストは私の作品に釘付けになったという。私の作品が、美術という狭いジャンルを越えて、他に類のない独自性を帯始めていくのは、正にその頃からである。

 

…そして二点目が、今回の個展に出品している『黒のオブジェ〈エリュア-ルの詩片のある〉』という作品である。この作品には視覚を通してしか表現出来ない、秘めた詩的実験というものが試みられており、制作途中から詩人の野村喜和夫さんに持ってもらいたいという想いが密かにあった。しかし、個展に出品している以上、何方が購入するかはわからない。コレクションは、先に購入を決めた方の権利である。…とはいえ、私の想いは妙に通じる事が多く、ぎゃらり-図南(富山)、そして会期が半ばを超えた画廊香月でも、その作品は人々の視線を掻い潜るかのようにして、ひたすら野村さんの到来を待ち続けていた。そして先日、野村さんが画廊に来られて、一目でその作品の購入を即決されたのであった。…思えば、なかなかに不思議な事ではある。

 

野村喜和夫さんは、詩の分野における賞をことごとく受賞している、名実共に現代詩の第一人者であるが、私との付き合いも古く、二人での共著も刊行されている。詩人のランボ-を主題とした私の版画から始まり、個展の度に必ず野村さんの目線に触れ得た作品を購入されており、今ではコレクションの数はかなりの数に達している。その野村さんは、今秋の開設を目指して今、広いご自宅を大々的に改装して、詩とダンスのスタジオ、そして、コレクションされている私の作品を全て展示する空間を作り、完成後には誰でも見られる一般公開に踏み切るという構想を打ち明けられた。…ゆくゆくは野村さんと私が組んだ、詩とオブジェを絡めた実験的な新作での試みもリアルタイムで展示していく予定である。…ともあれ、個展は広く開かれたものであるが、例外的に、この二点のようなコレクションのケ-スも私にはある。作品の行方、… そこには様々な人々との、不思議な交感の生きたドラマが潜んでいるのである。

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『今夜はフラゴナ−ル』

部屋の改造をしていると、思わぬ物が現れる事がある。先日はパリ滞在時に書いていた日記が出てきたのでアトリエの庭に出て、久しぶりに読んでみた。すると次なる記述が目に止まった。「3月24日、米田君よりTELあり。解剖学者フラゴナ-ルの人体標本を見る許可が下りた由。極めて吉報なり」と。

 

パリ市の郊外に、18世紀に始まる獣医学校−メゾン・アルフォ-ルがある。映画『存在の耐えられない軽さ』に登場する異形な建物である。…この舘の中に解剖学者フラゴナ-ルが作った何体ものエコルシェ(人体剥皮標本)が封印されて在る事はあまり知られていない。…様々な動物の標本、人の片腕、片脚、羚羊、猿、男の頭、…三人の胎児の死体を立たせて作った『踊る胎児』や『ヘラクレス』のポ-ズを模して作った巨大な長身の男の標本、…しかし分けても注目すべき物は、ロジェ・グルニエの小説『フラゴナ-ルの婚約者』に登場する、馬に跨がった一人の女の標本である。その解剖学者の婚約者であった10代後半の女性は、結婚を両親に反対されて自殺したが、彼はその遺体を掘り出して、標本にした。「……両者とも皮膚はすっかり剥ぎとられている。鋭く切り込まれた筋肉の下から、静脈は青く、動脈は赤く浮かびあがり、色鮮やかな網の目を作りだす。馬は脚を曲げ、ギャロップのかたちを示していた。女は頭を僅かに後ろにのけぞらせ、乾いた唇から歯をのぞかせて、言い知れぬ恐怖に大きく見開いた琺瑯製の眼は極度の不安を叫んでいるようだった。…」(『フラゴナ-ルの婚約者』より)。

 

この驚くべき標本がパリに在る事を知ったのは、私宅に毎月送られてくる月刊誌『太陽』の「パリ-光の都市」の特集であった。不気味極まる写真がその中に在った。ある日、拙宅にその雑誌の編集長をしているS氏が遊びに来たので、話題はその話しになった。…しかし、その標本は非公開の為に取材許可が下りるまでにそうとうな時間と手間を労したという。…近く1年間の留学を控えていた私は、「僕も見たいなぁ、それを!」と言うと、「北川さん、個人で見れるほど甘くないですよ。…絶対に無理です!!」と言われた。「絶対に無理!!」と言われると、絶対に突破してみせるという異常なエネルギーが湧いてくるのが私の常なる癖である。…そしてバルセロナから、滞在をパリに移した私は、その突破に向けて、パリの部屋で獣医学校の校長宛てに手紙を書いた。…今までに私が書いた文章の中でも突出した内容であったと思う。学士論文的な品を保ちつつ、わかりやすく、かつ深い。…それを、知人で東北大学から派遣されていたA氏に仏語に翻訳してもらい、パリに詳しい知人の米田君に渡して、後は結果を待ったのであった。

 

私がパリの友人達に、そのフラゴナ-ルの話しをすると、誰も聞いた事がないという。完全な非公開ゆえに当然であろう。…しかし、私に取材許可が下りたと知るや、ぜひ見たいという人が続き、待ち合わせ駅改札口に集合した時には、つごう6人になっていた。しかも全員が手にカメラを持って来ている。… 折しも雨がぱらつき始め、舘に着いた時は、激しい豪雨になっていた。校長とはお会いした瞬間から波長が合い、私は持参したボルドーのワインを、A氏の手から渡させた。A氏が一番真面目な顔をしていたからであり、私があらかじめ打ち合わせておいた通りに、ワインを校長が喜んで手にした瞬間に、A氏は流暢な仏語で、写真撮影の希望を申し出た。校長は、勿論と言って快諾してくれた。(ちなみに、この半年後にロンドンで、私はエレファントマンの骨格標本…あのマイケルジャクソンが巨額の金を出してでも欲しいと、ロンドン病院に購入を申し出た、その非公開の標本を見る為に私は再び策を練るのであるが、その話しはまたいつか。)…そして私達は案内されて、舘の奥深くにある重い鉄の扉の前に着いた。校長が鍵を取り出して、ギシギシと擦った音を立てながら扉が開かれ、私達は世にも恐ろしい死体標本が夥しく林立する中を通って、目的とするフラゴナルの婚約者(別名—花嫁)の前に立ったのであった。その背景の巨大な硝子窓に激しい雨が吹き付けており、時折、不意の侵入者である私達を怒るかのように、春雷の青白い光がバリバリと、その窓を強く揺らした。私達は三脚を立て、夢中でシャッターを押した。…圧倒されたのか、誰もが無言であった。

 

…それから数年後、本郷の東大医学部の解剖学標本室の中に私はいた。ここも一般人は入れないのであるが、何故か私は自由に出入りを許されている。「…………と、いうわけで私はフラゴナ-ルのエコルシェ(剥皮標本)を見たわけですよ。」と語る私の言葉に、教授M氏の手がピタリと止まり、その目が一瞬光った。…M教授の膝には死んだオランウ-タンが在り、先ほどから教授は剥皮標本を作りながら、私の話に聞き入っていたのである。「君は本当にあのフラゴナ-ルの標本をみれたのか!?」教授の話によれば彼が留学時に見学申請をしたが、どうしても許可は下りなかったのだという。…「君、あのフラゴナ-ルという男は、…天才というようもむしろ…怪物だよ」と言葉が続く。ちなみに今、この膝の上にいるオランウ-タンの標本を、ここまで作るのに半年がかかっているという。…それを、あの男はたった3日間で仕上げてしまうのである。私はパリで、校長から見学の帰りがけに頂いたフラゴナ-ルの研究書を訳したのであるが、生涯に作った標本は2万体、しかしその多くがパリ革命の際に破壊されてしまったのである。
…それから数年後に東大のM教授が急死したという報を受け取った。私達が話しをしていた、あの研究室での急死であったという。…………パリでのこの非日常的な体験は、帰国後に「イメージを皮膚化する試み」という主題へと変容し、『DE SPECULO-或いはスピノザの皮膚の破れ』、『Study of skin—Rimbaud』などの作品の生まれる源になった。 ……… 暖かかった午後の日差しがいつしか薄れて来て、冷たい風が、このアトリエの庭に吹いてきた。…私は日記を閉じて、部屋へと入った。

 

フラゴナール

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『恐るべき探求と実験—勅使川原三郎』

昨日、荻窪にある勅使川原三郎氏のダンススタジオ「カラス・アパラタス」で、『静か』-—無音のダンスを見た。…いや、見たというよりも、その強度な引力に引き込まれて、不思議な美的体感を強烈に享受したと記した方が正しいか。…私は以前から時間の許す限り、勅使川原氏によって次々と繰り出される「身体表現を通してのポエジーの生成の現場」に立ち会って来た。しかし、今回のダンスにはまた格別な意味があり、その特異な生成の場に立ち会えた事の感動、興奮を御し難いままに、この文章を書いている。(このような事は私には珍しい事なのである。)

 

タイトルにある『静か』とは、正に1時間という絶対空間の中で、一切の音(音楽)を封印して、ひたすらに身体表現の可能性を追うという、ダンスの分野史上初めての試みなのである。私は今回の公演のお知らせを頂いた時に、すぐにその試みの意図を直感した。しかし、まさかという思いも抱いていた。何故なら、無音の中で、しかも長時間踊り続けるという事は、耳栓をして目隠しをしながら完璧に踊るにも等しい至難の試みであり、しかも立ち会っている観客を美的空間に引き込むという、難易度の高いものがあり、…… ダンス史上、この事に果敢に挑戦した者は皆無だったからである。

 

かつてはジョンケ-ジが『4分33秒』というタイトルで、ピアノの前に座ってピアノの蓋を開いたままに、一切弾く事をせずにジャスト4分33秒後に蓋を閉じて終わるという試みがあった。しかし、身体、…つまりは心臓の鼓動をも音楽であるという問いがそこにあるとしても、マルセルデュシャンが『秘められた音に』という作品で開示した「観念の中にも美はある」という思念の影響下にあった事は否めない。 しかし、あえてこの難題に挑んだケ-ジの試みは、果たして音楽の多面性を拡大し、音楽分野のそれまでの領域を突き破った功績は大きいものがある。

 

しかし、ケ-ジは無音、不動のままに試みは終わったが、ダンスは事情が大いに違ってくる。何よりも身体を止める事なく、常に動的緊張のままに集中を切らしてはならないのである。 ニジンスキ-はストラヴィンスキ-やドビュッシ-の音楽を表現の際の絶対不離のものとして公演し、以来、土方巽、大野一雄の時代まで、世界のダンス表現に音楽は欠かせない必須の、むしろ当然必要なものであった。音と絡む事によって、身体はそのリズムを刻み得るからである。「音楽には気をつけろ」と言ったのは、ジュネかコクト-であったと思うが、この勅使川原氏の試みの前には、ダンスは聴覚と視覚を併せ持つというのが既存の発想としてあったのである。

 

観客の中の一人として、私はその開演の時を待った。前日までは、佐東利穂子、勅使川原三郎両氏が各々にソロを無音で踊り、今日は対のデュエットの初の試みなのである。佐東氏は動、勅使川原氏は静の動きを見せながら、動の中には静のヴェクトルが、そして静の中には激しい動へのヴェクトルを、まるで水銀が放つ、あの彷徨引力のように透かし見せながら、眼前に奇跡のような美の結晶が鮮やかに紡ぎ出されていく。勅使川原、佐東両氏が各々に孕む幻視の時間が、そして時に二人の交点が結ばれる瞬間に立ち上がる幻視の時間が、更には私達観客が絡んでいる現実の時間という、つごう四つの時間が交響して、無音の中の豊穣へと私達を引き込んでいき、私達の内なる感性を揺さぶって、今までに体感した事のないカタルシスの感覚を覚えて、私は、このダンス史上、画期的な瞬間に立ち会っている事の興奮の中にいた。…天才ニジンスキ-はやがて狂いの静まりの中に入って伝説と化したが、勅使川原三郎氏に狂いが訪れる事は絶対に無いであろう。…彼にあっては、〈狂気〉や〈オブセッション〉もまた幼児の掌中にある親しい玩具と等しく、既にして馴染みの物だからである。そうでなければ、誰がこのような「無音」に挑むなどという、美の禁忌への侵犯を着想するであろうか。いや、美の本質は禁忌の側にこそ息づいているのである。…思うに、藤原定家の危ういまでの先鋭なる美、或いは、一秒に百年を可視化して顕在化して見せる世阿弥の美意識とその試みの近くに、勅使川原三郎氏はいるように思われる。

 

この作品『静か』は、3月に勅使川原氏がスウェーデンのイエテポリ・バレエ団へ振付・創作する「Tranquil」(トランキル=静か」に先駆けての公演である。日本と西欧では、沈黙への感覚に違いがある。故にどのような反響になるかは興味が尽きないものがあるが、いずれにしても、ダンスの概念を突き破り、更なる美とポエジーの可能性を切り開いた、この『静か』という作品が伝説の中に刻まれていく事は間違いのない事である。…この作品は、荻窪のカラス・アパラタスで、2月1日、2日、3日、4日まで公演が行われる予定である。ぜひご覧になられる事をお薦めしたい極めて優れた作品である。

 

カラス・アパラタス のお問い合わせは、http://www.st-karas.com/ TEL 03-6276-9136

 

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『その時、私は24才であった』

横浜高島屋での個展が終わった。今まで発表しなかった作品や新しい試みも展示したので、昨年秋に東京で御覧になれなかった方も興味を持たれたようである。いろいろな出会いがあったが、中でも関西からはるばる来られ、今回の個展で、版画『Bruges – グラン・プラスの停止する記憶』を購入された女性の方は、特に印象的であった。私に「以前あなたの事はTVで見ていて知っていたわよ!」と突然言われ、別に犯罪者でもないのに一瞬ドキリとしたのであった。

 

私はタレントではないので、それほどTVには出ていない。以前にフジテレビでダ・ヴィンチについて語り、日本テレビでは拙著『モナリザ・ミステリー』が刊行された際に出ている。「水と終末論」についての番組にも出た。しかし話しぶりからすると、もっと昔の私をどうやらその方は知っているらしい。

 

…… それは38年前にNHKの教育テレビで日曜日の夜8時から放送された若い世代向けの1時間番組であった。(題名は忘れてしまった。)突然NHKのプロデューサーから連絡が入り、芥川賞を受賞したばかりの池田満寿夫氏に対し、各々のジャンルでこれから飛躍しそうな若い男女二人とを、30分づつ対談させるという内容であった。そしてプロデューサーが選んだ若者二人が、私と女優の桃井かおりさんであった。共に24才である。台本も何もない、いきなりのぶっつけ本番である。その本番前に私たち三人が控室で1時間ばかり談笑していると、三人の感性が合ったのか、面白い話がどんどん飛び出した。プロデューサーがあわてながら、「あんまり面白い話はここではなく、どうか本番でお願いします」と言われたので、私たちは少し静かになった。

 

最初は池田満寿夫X桃井かおりで本番撮りが始まった。バーのカウンターを模したようなセットで酒を飲みながら話が始まる。各々1時間くらい話をして、その中から30分づつを編集する。話のテーマは私たちに自由に任されていたので、桃井さんが出したテーマは〈男と女〉というくだけた内容であった。それに比べ、私が出したテーマは硬かった。〈文学と美術の間(はざま)で 〉という愚直なまでに真面目なものだったのである。当時42才だった池田氏は24才の尖った若僧である私の話に、しかし真剣に応えてくれたものであった。それ以前に画廊や焼き鳥屋などで既に何度も話は交わしていたが、本番時に私が出す質問はかなり鋭かったらしく、私たちはいつにない深い話 ― 言葉(語り得るもの)と語り得ぬ暗示を常とする美術について語り合い、その番組はかなり反響が大きかった。

 

あれから38年の月日が経った。既に池田満寿夫氏は逝かれ、ふと振り返ると、今の私は美術と文学の間(はざま)を一人切り開きながら、北川健次という独自のジャンルを作ろうともがいている。思えばあの時、池田氏に向けた問いは、池田氏を通して、おそらくは文学にも関わっていくであろう彼方の自分に対しての問いかけであり、予感であったのかもしれない。後日にニューヨークから送られて来た池田氏の手紙の末尾にもそれは記してあった。「…… あなたの美術と文学との関わり合いに僕は大きな関心があります。」と。

 

個展で初めてお会いした女性の方から言われた突然の言葉。それは、私を38年以上前に引き戻してくれる懐かしいものであった。…… 昨年夏に刊行した『美の侵犯 ― 蕪村 X 西洋美術』に続き、次作への執筆を促してくれる、それは嬉しい言葉であった。個展にはいつも面白い出会いが待っている。今年もまたいろいろな出会いがあるに違いない。

 

 

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『絶対のメチエー名作の条件』の事が展覧会評に掲載されました。

前回このメッセージ欄にてご紹介した展覧会『絶対のメチエー名作の条件』の事が、2月26日の毎日新聞の展覧会評に掲載されましたので、ご紹介します。まだ展覧会をご覧になっておられない方は是非ご覧下さい。

 

『絶対のメチエー名作の条件』の事が展覧会評
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『絶対のメチエ ― 名作の条件』

4月20日(日)まで、東京メトロ半蔵門線「水天宮前」駅近くにある美術館「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」で『絶対のメチエ ― 名作の条件』と題する展覧会が開催中である。出品作家は、ルドンエゴン・シーレヴォルスフォートリエルオーホックニー、サルタン、メクセベルゴヤ、そして日本の作家は、加納光於駒井哲郎川田喜久治斎藤義重浜口陽三長谷川潔、そして私を含む計16名である。この展覧会の立ち上げに際し、私は美術館から顧問としてアドバイスを求められたので、展覧会名とその主題(名作とマチエールとの必須関係)、そして出品作家に写真家の川田喜久治氏を加える事によって、〈マチエールとはただ単に表象の物質感を指すという安易なものではなく、見えるものと見えざるものとの両義性を孕むミステリアスな問題である〉という、この展覧会の主旨が明瞭に立ち上がる事などを提案した。思えば、作家も評論家も気付いていない事の一つに、美術の分野から「名作」という言葉が冠せられるような作品が生まれなくなってから久しいものがある。特に版画の分野では・・・・。私はその辺りの事を、先月号の美術誌の『美術の窓』に書いているので、その文の冒頭をここに記しておこう。

 

「芸術とは、元来私たちの感覚の髄を突いてくるものであるが、その強度が薄くなったあたりから、現代の美術表現の迷走が始まったと言えるであろう。わけても今日の版画家たちの作品が見せる衰弱ぶりは、目を覆うばかりである。― 求心性を欠いた曖昧な主題、未熟なメチエ、その核であるべきマチエールの不在、そして何よりも表現者本人の批評眼の欠如。この展覧会は、そういった状況に対する懐疑から立ち上げた〈美の襲撃〉といってよい、秘めた主題をも孕んでいる。」(後略)

 

1月25日から始まっているこの展覧会はかなりの盛況で、多くの版画ファンたちが訪れて、自問するように長時間をかけて、じっくりと作品との無言の対話を交わしているという。私は初日に訪れてみて、写真家の川田喜久治氏に加わって頂いた事が正解であった事を確信した。川田氏の代表作のひとつとも言える、イタリア・ボマルツォの怪物庭園を撮った「地獄の入口」と題する写真作品は、私とルドンの作品の間に展示されているのであるが、その強度なマチエールが放つ光と闇の輪舞の凄みは、写真の意味を〈記録〉にしか見ない凡百の写真家たちや現代の版画家たちに、痛烈な美と魔の刃の切っ先を突きつけているのである。そして、ルドンの代表作、駒井・加納の秀作、ホックニーの最高傑作、またメゾチントの表現の地平を切り開いた長谷川・浜口両氏の作品が初めて並ぶ事など、本展の見所は多く、この展覧会に寄せる学芸員の方たちの情熱が伝わってきて、見応えのある内容になっている。また併せて、〈銅版画という硬質な表現における可能性とは何か!?〉を問い続けながら形にして来た、私の作品も御覧いただければ嬉しいかぎりである。

 

さて、今の私は、3月15日から銀座の画廊・中長小西で開催される二回目となる個展『反重力とバルバラの恩寵 ― ダンテ「神曲」地獄篇より』のための制作で、ほとんど毎日、アトリエの中にいる。既にコラージュ40点近くは作り上げ、今はオブジェの新作に取り組んでいる。先日降った雪がアトリエから見る庭を白く染めはじめ、それが次第に積もり、なおもしんしんと降り続く白の抒情は、私のノスタルジックな情感を呼び起こし、オブジェに注ぎ入れんとするポエジーの核とリンクして私を喜ばせた。雪は、雪国で育った私の遠い記憶を突いてきて、私を元気にしてくれる。その時、作品と向かい合っている私は今の私ではなく、幼年の時の私がそこにありありといるのである。

 

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『偽』

今年1年間の日本のありようを漢字一文字で表わすのは、京都・清水寺の大僧正の仕事であるらしいが、毎年「?」という違和感を覚えていた。今年もやはりそうだった。今年は「輪」であるという。私だったら、〈歪〉〈空(から)〉〈虚〉〈脱〉〈偽〉〈疑〉・・・・・などが浮かぶが、まぁ今年は『偽』がふさわしいだろう。そう思っていたら、何と韓国も『偽』を挙げていた。知らなかったが、中国や韓国でも一年の世相を漢字一文字で表わす習慣があるらしい。中国の今年のそれは知らないが、想うに孤立の『孤』であろうか・・・・・。

 

今年の後半は偽装問題が次々と明るみに出たが、たとえばエビ料理を例に挙げれば、普通のエビの味をブラックタイガー風にするのは、調理上の当然のテクニックとしてあるのだという。又、それを見破れない私たちの文化の底の浅さも、つまりは浮き彫りになるわけで、これは現代の日本を正に映した事象のようにも思われる。

 

偽装と直結するとは言えないが、例えば骨董市に行くと、明らかに偽物の棟方志功の版画などがあったりするが、警察が踏み込んだといった話は聞いた事がない。また逆に店主がその価値を知らず、おかげで私は月岡芳年の『英名二十八衆句』を二点、信じられない安価で入手出来た事もある。芥川龍之介・江戸川乱歩・三島由紀夫といった面々もコレクションしていた逸品である。さて、ここに掲載した書は勝海舟と山岡鉄舟の書であるが、各々に二十八万と十五万の値が付いていた。本物であればかなりする物であるが、高からず安からず、つまりは(掘り出し物感)を揺さぶる絶妙な価格である。因みに手元にある勝海舟の手紙の資料と比べてみたが、どう見ても別人といった観がある。

この話をもっと膨らますと、例えば伏見にある〈寺田屋〉はどうであろう。薩摩藩の侍同士が殺し合った寺田屋事変・龍馬の常宿・幕府の役人に囲まれた時、おりょうが全裸で階段を駆け上がって急報した際に入っていたという風呂までが今に残るという龍馬ファンならずとも必見の場所である。今日まで残っていることの不思議を、むしろ奇蹟と熱く感じながらこの地を訪れる人は今も絶えない。大の龍馬ファンで知られるタレントの武田鉄矢氏などは学生時に訪れて興奮の延長で一泊したという。私も学生時に訪れて、熱く高揚しながら階段の手摺りをさすったものである。しかし、史実に照らせば、寺田屋があった辺りは全て、鳥羽伏見の戦の時に焼けて全てが灰燼と化している。この事を知った時はさすがに〈あの時の青春を帰せ!!〉という怒りと虚しさが突き上げたが、今は、まぁ良いかという想いになっている。一種のテーマパークと見れば、それも諒とする感じであるが、そう思わせるのは、つまりは龍馬の魅力の投影のようなものかもしれない。しかし、京都の壬生にある新撰組屯所のあった八木邸の子孫は、かつて私にこう言った事がある。〈うちのは間違いなく本物で、寺田屋はんとは違いますからね!!〉と。・・・・・。しゃべり方は柔らかい分、その内に京都特有のトゲを覚えたものである。

 

赤穂事件から今年で310年以上経ったが、浪士たちの墓所である泉岳寺は今も線香の煙が絶えない。ここにある資料館には、かつては赤穂浪士たちの遺品と称する物が、ザクザクと展示されていた。吉良邸前の米屋に潜入していた浪士(確か・・・前原伊助と神崎与五郎であったか!?)の話はスリリングであるが、その米屋の看板までもが展示されているのを見た時には、私は興奮のあまり脳内出血をしたものである。しかし、さすがに各方面から疑惑を呈されるようになってからは自粛したらしく、最近訪れた時は、展示物が五十分の一くらいに激減していたのには唖然としたものである。おそらく客寄せの為に明治の頃に、浅草の道具市あたりで、夕暮れ時に住職か誰かが、それらしい物を買い集めていたのであろうが、その姿を想えば〈切なさ〉すら漂ってくるものがある。偽装に対する言葉を書けば〈いっそ知らずにいたかった〉、そして〈知らぬが仏〉という言葉になろうか。知らぬが仏、・・・・・まことに古人は含蓄のある、うまい言葉を考えたものである。

 

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『北の大地にて』

飛行機に乗るたびに思うことであるが、離陸時のあの感覚は他には変え難い、一種の性的恍惚感のようなものがある。ある程度の高度に達して向きを変える瞬間、飛行機がゆらりと揺らいで、貧血のように頼りなく思う時がある。一瞬思う、落ちるのでは?・・・・という感覚、あれがたまらないのである。その瞬間に、私は決まったように思う事がある。飛行機が飛ぶのは〈揚力〉の力だというのは実は嘘で、やっぱり、機長や乗客全員の総力による〈気力〉で飛んでいるのだと・・・・。

 

「雪原に映える、美しい白樺林」

というわけで、私は先月末から五日間の日程で北海道を訪れていた。豪雪で知られる岩見沢にある北海道教育大学で集中講義をするためである。札幌に宿をとり、毎朝、岩見沢間を特急列車で往復する日々が始まった。最初の二日間は快晴であったが、三日目は吹雪であった。車窓から見る白樺林、そして遠景の平野のすべてが白一色となり、風景の総てがかすんで何も見えなくなってしまった。私はその様を見ながら、昔日の、まだ小学生であった頃の自分を想い出していた。

 

私が生まれた北陸の福井も、その頃は未だ冬の厳しい豪雪地帯であった。映画の『八甲田山・死の行進』の何人もの兵士が寒さで死んでいく場面が実にリアルに感じられるような,一寸先が全く見えない吹雪の中を、集団登校のまとまった小さな影が学校(が在ると思われる方向)に向かって必死で進んで行く。呼吸をすれば、冷たい風と雪が口中に襲うように入ってきて息すらも危うくなる。先頭の子供は見えず、唯、自分の前を行く,2、3人の後姿の影について行くのである。灰白色の平野に道はなく、私たちは凍った田んぼの上の積雪を踏みしめながら、一歩また一歩と進んで行くのである。その途中で、突然、前にいた子供の姿がズボリと沈む。張った氷が割れて泥田の水の中に沈み始めるのである。その両脇を私たちは無言のままに抱え上げ、年下の子供を引き上げる。この土地に生まれた事の宿命を皆で受け止めるかのように誰もが無言。・・・・そして無言のままに、再び歩き出すのである。

タレントでモデルの〈みちばた三姉妹〉は、小学校の後輩になるらしいが、彼女たちの頃は気象体系が変わって、福井も豪雪地帯ではなくなってしまった為に、一転して冬の登校も気楽なものであっただろう。・・・・・・・・想えば、その冬の厳しさに鍛えられたのは、結果として良かったと思う。一度しかない人生、これ全て自己責任。だから自主的な姿勢で人生をプロデュースしていく気力が、それと知らずに自分の中に宿っていったのだと私は今にして思うのである。

講義の方は学生達の関心度がとても高く、手応えを覚えながら進める事が出来た。今回の私の講義を企画された、教育大学教授の福山博光さんは知的な考察対象の幅の広い方であり、今日の美術における問題点において共有するところが多く、私は自分からの希望で、授業のわくの中に福山さんとの対談も組み入れてもらう事にした。福山さんは既に私の作品(オブジェ・版画)も数点コレクションされており、今回、授業の参考にと持参したオブジェも即座に気に入られてコレクションに新たに加えて頂いたのは、望外の喜びであった。福山さんとは、長いおつき合いが今後も続いていくという嬉しい予感が私にはある。ともあれ、今回の北海道行は、充電となる得難い体験であったといえよう。

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『個展②』

TVで度々見かける女優・男装の麗人・毎日、決まった時間に必ず現れて私の作品を誉めていく謎の〈七時十分の男〉・・・・etc。一般の方、旧知のコレクターの方の他に、びっくり箱から現れたような方々が時々、突然訪れてくるから、個展はもう一つの楽しみがある。

 

昨日はちょっと不思議な事があった。オブジェ・版画・コラージュの各々の作品が五点ばかりその日はコレクションされたのであるが、買われた方が皆、福島の人であったのには驚いた。しかも、初めてお会いする方ばかりである。その中の御一人であるW・J氏は御自身が美術家であり、福島大学の文学・芸術学系の教授をされていて、来年春に私を大学に呼んで講義をさせようという考えを持っておられ、その交渉の為に来廊された由。今まで画廊で直接作品を購入される事はなかったが、展示してあった私のオブジェを見て気に入られ、即決でコレクションを決められた由。私はW・J氏と話し始めて、たちまち感性の共通するのを覚え,打合せは順調に進んだ。私が福島の桃は岡山や山梨よりも甘くて美味で大好きであるという事を話したら、授業は桃の季節である七月に決まった。私の講義のテーマはおそらく、『複眼の思考』になるであろう。W・J氏は文化人の手形を作品にするシリーズを作っていて、今までに仲代達矢・三枝成彰・細江英公・山下洋輔・吉増剛造・・・といった方の手を型取りして発表を展開されている。来夏は私も型取りされる運命にあるらしい。W・J氏の作品カタログを拝見すると、舞踏家の大野一雄をモデルにした連作もあり、なかなか、その造型思考には独自のものがあるのを直感した。W・J氏とは長いお付き合いになっていくという予感がある。

 

画廊からアトリエに戻ると、嬉しい便りが届いていた。コレクターの三宅俊夫さんから、福山に念願の画廊を開設したというお知らせである。氏が30代からコレクションされてきた作品の数々を月替わりで展示されるのだという。スタートは「北川健次 — オブジェと銅版画」展、12月は「瑛九のフォトデッサンと池田満寿夫の版画」展と続き、4月の「横尾忠則の世界」展まで好企画が次々と組まれている。 特に関西方面の方はぜひ足を運んで頂きたい。三宅さんのこだわりの美意識が詰まった画廊である。

 

高島屋での個展はいよいよ後半に入り、18日まで続く。今年最後の個展である。

 

 

 

 

 

三宅俊夫さんの画廊紹介

「miyake」

〒720-0056 広島県福山市本町4-5 2F

bouji161@yahoo.co.jp

open(水~土)12:00~18:00

(日・月・火・祝日休廊)

TEL.070-5675-6712

 

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個展始まる!!

日本橋高島屋の美術画廊Xで、10月30日(水)から11月18日(月)までの会期で、私の個展『ガール・ド・リオンの接合された三人の姉妹』が始まった。今回はコラージュ50点以上・オブジェ12点、そして銅版画・写真作品の大規模な展示である。台風一過、初日から快晴が続き、早々と多くの方々の来場で会場は賑わっている。

先日は加納光於さんが来られたので、前々回のメッセージ欄で書いた加納さんのオブジェへの私的解釈の件をお話しした。つまり、加納さんのオブジェとは〈観念〉であり、主体が別に在り、眼前のオブジェとして在るのは、その主体から投影された影である。その影の特異で独自な在り様を通して、そこから別所に在る主体の実相を透かし見る事。加納さんの作品を見るという事はその行為に他ならないと。・・・・その事をお話しすると、加納さんは強い興味を示された。今までに誰も語らなかった解釈の切り口であるが、かなり本質を突いているという旨を語られた。評論家とは違い私は実作者である。ゆえに実作者にしか見えて来ない解析の切り口、舞台裏に共にいる者にしか見えない解釈というのものが確かにあるように思われる。勿論、解釈に正解などというものは無い。唯、その対象についてあまねく思索をめぐらすという行為が面白いのである。

 

加納さんに続いて、推理小説家の折原一(おりはらいち)さんが来られた。折原さんとの話題は一転して、『八ツ墓村』のモデルとなった、昭和13年5月21日の夜半に実際に起きた連続殺人事件『津山三十人殺し』に集中する。私も折原さんもかつて各々に現場となった岡山県津山にある貝尾村の寒村を訪れている。折原さんはこの事件を近々に書かれる由。その構想を伺ったがなかなかに面白かった。私は個展に折原さんが来られた場合を予想して、あらかじめ用意しておいた、この事件関連の面白い二枚の写真をお見せした。戦後GHQが津山の裁判所の資料から横収したもので、現在はアメリカ公文書図書館収蔵の珍しい写真である。まさかそれが見れるとは思っていなかった折原さんは驚かれた。もともと折原さんの目は細目がちであるが、その瞬間あきらかに瞳孔が広がったのを私は見てとった。おそらく、何かヒントが浮かんだに相違ない。ともあれ折原さん、津山事件を扱った新しいミステリー小説の完成を楽しみにしています。

 

続いて美術家の池田龍雄さんが来られた。池田さんは、かつての初年兵で、特攻隊帰りである。故に気組みが違う。話題は〈空中戦において後ろに敵機が来た時に、どう旋回して振り切り、逆転の優位に立つか〉という話である。熱く語られる池田さんのお話に私の中の〈少年〉が熱くなる。そんな話に燃えてどうするのか?というご意見もおありかと思うが、やはり面白い。これは宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の主題とも重なるものである。個展は始まったばかり。久しぶりに又、面白い方々との出会いが待っている。

〈つづく〉

展覧会場入口にて↓

オブジェ作品(部分)

オブジェ作品

コラージュ作品

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