寺田寅彦

『誰でも簡単に聴ける神の声-イタリア番外編』

コロナ前の話であるが、今から8年ばかり前に写真撮影の旅でロ-マのバチカンにあるシスティ-ナ礼拝堂に行った時の事。…30年前に訪れた時には無かった事が起きていて興味を持った。…それはとみに増えた観光客によって礼拝堂の中が喧騒で渦巻いていた時の事。その騒音を鎮める事と威厳を保つ為に、礼拝堂の真上の天井画『天地創造』の辺りから、突然、低音の実に響く声で人々を圧して諭すように唯一言、…『silent』(静かに・沈黙を守って…)の言葉が頭上から降って来たのであった。…『be quiet』(静かにしなさい)でなく、より音として垂直的な韻のあるsilent!。…この声はかなり効果的で、その神々しく響く声で観光客は〈あたかも神から叱られたかのごとく〉みな一瞬で静まってしまったのであった。(なるほど、上手い策を考えたものだ)と私は感心した。

 

 

……その、あたかも人々が神に懐いている共通なイメージを具現化したような声を聴きながら(…これはバチカンの司教達が一般までも広く面接した声の審査で、神に近い声の主を決めたに違いない!)と思った。…そしてこの声の実際の人物を見てみたいと思った。

…著名なバリトン歌手から、それこそテルミニ通りの場末にある居酒屋の酒臭い常連客(アントニオ、ドミニコ、エドモンド、パオロ、…果てはイタリア人以外の日本人の低い声の持ち主でたまたまロ-マに在住していた、佐藤弘之、彌月風太郎…まで幅広く)を集めて、〈うん、神に近い!!〉という男を司教達の投票で決めたに違いない、そう思って私は一人で顔を想像して面白がっていた。…女性には声美人という言葉があるが、実際に会って見たら、(え⁉…これがあの…)という事も可能性としては案外高い。要はイメージ、…そう世界は、イメージで成り立っているのである。

 

…………今はバチカンの重要な収入源で、ローマ観光の欠かせない場所と化したシスティ-ナ礼拝堂。しかし、未だ観光などという概念が無かった時代、かつてこの場所は、己を研鑽する人にとっては魂の巡礼の場所であった。例えば18世紀を生きたゲ-テの『イタリア紀行』を読むと、今と違い、ミケランジェロが描いた壮大な天井画『天地創造』のすぐ間近までゲ-テは松明を手にして昇り、そこでの感激を、畏怖の心情までも込めてその著書に熱く記している。…また、20世紀初頭を駆け抜けるように生きた一人の日本人画家が、この礼拝堂を訪れて、その聖なる空間とミケランジェロの凄みに打たれ、誰もいない無人の礼拝堂の大理石の床上で号泣した事があった。その号泣の様があまりに激しいので、一人の神父が近寄り、突っ伏して泣く男の肩にそっと手をかけてなだめたという。…その画家の名を佐伯祐三という。

 

敬愛する寺田寅彦氏の書いた『人魂』の話を先日面白く読んだ。寺田氏の二人の子供が同時に各々少し離れた場所で人魂が暗闇の上に上がっていくのを見た事から、氏は優れた物理学者の視点から鋭い分析をして、その場合の人魂は眼の構造が生んだ光の錯視であることを解析したのであるが、しかし寺田氏は人魂の存在そのものは否定していない。…そればかりか、文章の最後で(私どもの子供の頃は人魂を敬い、かつ畏れたものであるが、最近の子供は人魂を怖れなくなってしまった。それはかわいそうな実に不幸な事ではないだろうか)という意味の文章を書いていた。…同感である。いつしか人々は大人も子供も怖れる、畏怖するという感覚を失くしてしまった。それは科学万能、第一主義の果てに立っている不毛である。畏怖が生み出す豊かな不可解な存在との共存が、如何に人生を面白くするかという自明の事を私達は失ってしまって既に久しい。

 

 

確かに畏怖の感情は、豊かさの根源に繋がっているな。……そう思っていたら数日して、正に然りという新刊本が、比較文化学者・映画評論家の四方田犬彦氏から送られて来た。題して『人形を畏れる』…そのあとがきで氏は「私は、いや私達は、かつて存在していた神聖なるものを見失ってしまった。恐れおののくという感情を忘れてしまった。…」と書いていて、先に書いた寺田寅彦氏の言葉と重なってくる。…はじめに本を開いてパラパラと全体を見ると、この本は八章から成り、源氏物語折口信夫谷崎潤一郎ココシュカデカルトベルメ-ルベルナ-ル・フォコンつげ義春…と多彩な人物が人形と絡めて次々に登場していて興味がそそられる。

 

 

 

…ではさっそく読み始めようと、第一章の「人形を畏れる」を開くと、いきなり、2頁目に私の名前と、私がかつて持っていた脚が破損した江戸時代後期の人形(画像掲載)の事が書かれていて驚いた。……文章は「美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。……」という私の語りから始まり、私から四方田氏に人形が渡されていった経緯がミステリアスに書いてある。…ここに掲載した人形がそれであるが、四方田氏は他の本でも何回かその人形について書いている。氏のオブセッションと想像力のフェティシズムに、直で侵入している、それは強度に畏怖な感情を揺さぶっている人形である。……とまれこの本は、氏の文章力と博覧強記な知性の高さを骨としてなかなかに面白く、私は一気に読破した。……「畏怖の持つ闇の深さと豊かさ」に興味のある方には、ぜひお薦めしたい新刊の書である。

 

 

 

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『10月―新作オブジェの大きな個展、近づく』

……今日は9月24日。彼岸も過ぎて、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで10月19日から始まる個展が少しずつ近づいて来た。……毎年連続して開催されて来たこの個展も、今年で14回目になる。今までに制作して来たオブジェの作品数は既に1,000点を越えているが、そのほとんどがコレクタ―の人達の所有するところとなり、今、アトリエに残っているのは僅かに30点くらいである。オブジェの前に制作していた銅版画も刷った枚数は5000点以上になるが、全てエディションは完売となっていて、手元には作者が保有するAP版の版画が少しあるだけで、これは表現者として実に幸せな事だと思う。感性の優れたコレクタ―の人達との豊かな出逢い、そして、手元に旧作が残っていないという事の自信が、次なる新たなイメ―ジの領土への挑戦の促しとなり、それらが相乗して、制作への集中力をさらに鋭く高めてくれるのである。

 

…………毎回、主題を変えて開催して来た今までの個展図録を通しで見ていると、自作に懐いているオブジェへの視点や構造、ひいては、この「語り得ぬ、物語りを立ち上げる装置」への想いが、次第に変わって来ている事に気付かされ、様々な感慨がよみがえって来る。……そして今回新たに制作した作品を見ていると、以前にもまして、象徴性や暗示性が増して来ているように思われる。

 

 

今回の個展のタイトルは『射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋』。新作オブジェ72点は全て完成し、今は、求龍堂から刊行される個展案内状の校正刷りのチェック段階に入っている。案内状作りは個展を象徴的に表す大事な仕事。まだまだ神経の張った日々が続くのである。

 

今回の個展に向けての制作が始まったのは3月の初旬であった。作品全てが完成したのは8月の末。……計算すると6ケ月で72点、1ヶ月で12点の計算になる。しかも1点づつに完成度の高みを自分に課して作って来たわけだが、不可思議な事に作って来たという実感がない。オブジェ、この限りない客体性を持った、不思議なる詩的装置を作るという事は、一種の憑依的な感覚によって集中的に成されているのかもしれない、……と振り返ってみてあらためて思うのである。

 

私が未だ20代前半の学生であった頃、私が信頼している美術評論家の坂崎乙郎さんや、池田満寿夫さんは、私の作品が放つものを直感的に読み取って、感性が鋭すぎて身が持たないのではないかと危ぶんだ事があるが、大丈夫、私はまだ生きている。……集中力と速度、これは私の表現者としての生来の資質なのであろう。だから制作のペ―スはコントロ―ルしていて、時折は興味ある場所に出掛け、気分転換を図っている。

 

 

……その気分転換を兼ねて、9月のある日、田端に在った芥川龍之介の家跡を訪れた。…高校生の頃から芥川龍之介は好きでよく読んでいて、昭和2年に自殺した芥川のその場所をいつか訪れてみたいと思っていたのが、漸く実現したのであった。折しも田端にある田端文士村記念館では、詩人の吉増剛造企画による芥川龍之介展が開催されていて、なかなか見応えのある展示内容であった。会場には芥川関連の貴重な写真や資料が展示されていたが、私が興味を持った写真は、出版記念会の席で向かい合って写っていた、芥川と谷崎潤一郎の姿であった。小説における筋の是非をめぐっての芥川vs谷崎の大論争は、近代文学史上で最も興味深い論争であったが、今、この二人の天才は仲良く、巣鴨の染井墓地横の慈眼寺に並ぶように眠っている。

 

私は昔、コロタイプで精巧に印刷された芥川龍之介の河童の墨絵(確か2mくらいの原寸大)を持っていた事があった。……芥川が自殺したその部屋に、死の直前に描いて放り投げてあった河童(自画像)の絵と自讚の言葉である。その言葉は今でも覚えている。「橋の上ゆ/きうり投げれば水ひびき/すなわち見ゆる/禿のあたま」である。……上ゆの「ゆ」は、からの意味。……橋の上から……である。その現物がないかと探したが会場になかったのは残念であった。

 

……会場を出て、2つ鉄橋を越えて、崖の石段を上がるとそこが芥川龍之介のいた家の跡である。……以前に池田満寿夫さんは、「芥川龍之介とビアズレ―は似ている。共に若い時期にはまるが、その後は熱病が引いたように関心が薄れていく。」と何かの折りに語っていて、上手い事を言うなと感心した事がある。……この二人は、若い時期の先鋭な感性に直で響いてくるものがあるのかもしれない。……夏目漱石はその逆。

 

 

 

 

 

……田端は、芥川龍之介以外にも室生犀星菊池寛野口雨情堀辰雄……などの文士が住み、大龍寺という古刹には正岡子規の墓がある。その墓の前に立ち、かつては漱石が、そして私が唯一、先生とひそかに呼んでいる寺田寅彦氏がこの墓の前に立った事を想い、時間の不思議な流れを思った。……そして、寺のすぐ前に、女優の佐々木愛さんが代表をしている劇団文化座(80年以上の歴史を持つ)があり、その劇団の人としばらく言葉を交わした。いつか機会を作って、是非この劇団の芝居を観てみたくなった。

 

 

 

 

……田端駅裏には田端操作場があり、かつては、佐伯祐三長谷川利行が、その生を刻むように画布に向かって筆を走らせた場所であった。…………半日ばかりの探訪であったが、この日は、過去へと往還出来た貴重な時間と体験になった。……しかし、開発は加速的に進み、風景はますます不毛と化している。……このような過去の豊かだった時代を偲び、体感できるのも、今後はもう不可能になって来るに違いない。……いにしえを訪ね、気分転換を兼ねて充電を図る事は、日本ではもう最後の時かとも思ったのであった。

 

 

 

……10月19日から始まる個展に関しては、順次このブログでも書いていく予定でおります。……さて次回は一転して、最近私の身近に起きた怪奇譚を書こうと思っています。……乞うご期待。

 

 

 

 

 

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『……去年(こぞ)今年……』

個展が始まった10月半ば頃から急に減り始めた感染者数が、12月の半ば辺りから次第に反転増大を見せはじめ、新顔のオミクロン株なる招かれざる客が欧米を席巻し、今や日本も面的に、その拡がりを見せている。しかし、内実、ジワジワと迫っている眼前の危機は、むしろ地震の方であろう。

 

 

 

 

 

……実は、今年最後のブログは、都市型犯罪として昨今問題になっている自殺願望の犯人からの「巻き添え被害」から身を護る方法について書こうと思っていたのであるが、何故かふと気が変わり、そうだ、地震について書こうと考え直して書き始めたら、正にその数分後の11時33分頃関東地方に震度3の地震が起きた。……私が度々書いている、いつもの予知体験ともまた違う、この直感力。……私は鯰なのであろうか!?

 

……実は昨日、アトリエの奥で、天井の高みまで夥しく積み重なっている作品を入れる硝子の函(約80個くらい)を見て、さすがに地震が来ると崩れて危ないと思い、低く平積みにする作業を終えたばかりであったが、やっておいて良かったと思う、この予感力。……私はやはり、正体は鯰なのであろうか!?

 

……閑話休題、地震についてあれこれ考えていたら、ふと、文芸では地震という主題をどう扱って来たのかが気にかかり、俳句で地震を詠んだのがないかと調べたら、それが続々とある事を知り驚いた。実に数千以上もの俳句があるのである。中でも目立ったのは正岡子規

 

 

・年の夜や/地震ゆり出す/あすの春

 

・只一人/花見の留守の/地震かな

 

・地震て/大地のさける/暑さかな

 

・地震して/恋猫屋根を/ころげけり

 

 

……と.まだ視線は客観的で優しい。他には、幸田露伴の「天鳴れど/地震ふれど/牛のあゆみ哉」。北原白秋の「日は閑に/震後の芙蓉/なほ紅し」……内田百閒の「蝙蝠や途次の地震を云ふ女」……寺田寅彦の「穂芒や地震に裂けたる山の腹」……。例外は、高澤良一という人の句「冷奴/地震のおこる/メカニズム」、……固いマントル、それを深部から激しく揺らす熔けた岩漿(1000度近いマグマ)の関係から地震は起きるので、この冷奴の喩えは、風狂の気取りを装って、一読面白いがいささか俳句の本領からは遠いかと思う。

 

……私の関心を引いたのは京極杞陽の「わが知れる/阿鼻叫喚や/震災忌」・「電線の/からみし足や/震災忌」。……そして圧巻は、1995年兵庫県南部地震で被災した、禅的思想と幻視を併せ詠んだ俳人・永田耕衣の「白梅や/天没地没/虚空没」。……一輪の白梅と、絶体の阿鼻叫喚との対峙、この白梅の非情なる美の壮絶さ。……また詠み人はわからないが、大地震後に襲ってくる、あの背高い津波の是非も無しの魔を詠んだ俳句「大津波/死ぬも生くるも/朧かな」を最後に挙げておこう。

 

 

……思うのであるが、来年の1月中旬から3月末の間にかけて、何やら不穏であったものの極まりが、何らかの爆発の形を呈して露になりそうな、そんな予感がしてならないのは、何も私だけではないだろう。……北川健次、遂に陰陽師として動くのか!?……それとも只の鯰の過剰な妄想だけで、事は収まるのか。…………とまれ、ここは静かに高浜虚子の、去年今年(こぞことし)から始まる名句を挙げて、今年最後のブログを閉じようと思う。

 

……ちなみにこの俳句は、地震ではなく新年が開けた時の虚子の心境を詠んだ句であるが、虚子が住んでいた鎌倉の駅前にこの俳句が貼られた時、それをたまたま通りかかった鎌倉長谷在住の川端康成が一読して、その言葉の凝縮のアニマに打たれ、背筋を電流が走ったという。……昭和25年正月時の逸話である。

 

 

 

「去年今年/貫く棒の/如きもの」

 

 

 

陰陽師・安倍晴明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『彼方に光る物—— あれは!?』

①先日、友人のTから電話があり、話の流れでTの伯父にあたる人が早朝に亡くなられたという事を知った。私はすかさず、「今日あたり、家の電気系統に何らかの異常が必ず起きる筈だから注意しておくように」と促した。しかしTは「伯父は現世に執着するような性格ではないから・・・」と笑って、本気にとりあおうとしなかった。

 

果たしてその翌日、Tからメールが入った。「居間のテレビが突然映らなくなってしまった。・・・原因は不明で、こんな事は初めてである」と。私はやはりと思った。というのは、このような現象は私の友人間で度々起きており、事実、父が亡くなった時も、家のブレーカーが突然切れて停電になった。ご存知のとおり、ブレーカーを切るには多少の人為的な力がなければ切れるものではない。それが無人の場所で起きたのである。察するに、私たちの意識の核にあるエクトプラズムと称される電気エネルギーを帯びた臨体が呈する何らかの交換作用と思われるが、私はこの現象を、死者が生者に見せる最後の感情 – 想いの変容だと分析している。だから私たちは身近に死者が出た場合には注視して、この現象を受容し、それをもって最後の決別とすべきだと思っている。この現象に対して、恐怖や嘲笑ではなく、静かなる意識と慈愛をもって、この「不思議」に応えることこそが、生者が死者に対して見せるやさしさではないかと思っている。

 

②中公文庫から刊行されている、地球物理学者の寺田寅彦著『地震雑感/津波と人間』と題する随筆選集の中に、「震災日記より」という章があり、そこに興味深い記述がある。「八月二十六日 雲、夕方雷雨。月蝕雨で見えず。夕方珍しい電光(Rocket lighting)が西から天頂へかけての空に見えた。丁度紙テープを投げるように西から東へ延びて行くのであった。一同で見物する。この歳になるまでこんなお光は見たことがないと母上が云う。」

 

それから六日後の九月一日、あの関東大震災が起きている。寺田氏は別章の「地震に伴う光の現象」と題する中で、徹底してこの予知的現象の実見録を古今東西の文献の中に求め、その多なるを詳細に記述している。資料の追求は日本だけにとどまらず、紀元前373年のギリシャの都市ヘリケで起きた大地震に、この現象の最も古い記述があった事、又、ドイツの哲学者のカント(1724〜1804)が執筆した「地震論」の中に、1755年に起きたリスボンの大地震(マグニチュード8,5)を実見したカントが、「大地の揺れ始める数時間前に空が赤く光った」と、大気の異変を表す徴候を記している事などを報告している。寺田氏は「地震の第一原因については、まだ少しも確かなことが言われないと言ってもいいかと思う。従って、原因の方から理論的に地震の予報の出来るようになるのは未だいつのことだか見込みが立たない」と記しているが、それは今日もなお同様かと思う。東大と京大が各々に発表した地震発生の確率の数字の全くの異なりを見るにつけ、私たちは、もはや学者たちに見切りをつけ、確たる予兆のひとつである、この発光現象に注視を向け、自衛を考えることの方がよほど現実的かと思う。今日ではツィッターなどがあり、(悪質な風聞には留意しつつも)一瞬にして、この情報の伝播は可能なのである。数日前から数時間前に現れる、この現象を重視する方が、直前に出るあの忌まわしい警告よりも、よほど生存の確率が高いかと思われる。

 

寺田氏の文は最後に、「地震がして空が光るという事が考えられるか、と云えば、それは考えられる事で、地上50メートルの辺りに真空放電のありやすい処があるし、これは空中の放電である、空が光るということである、と言う方が簡単に説明が出来るかとも思われる。どうも古今東西の記録を比較して見ると、その中には今度の実見者の云う事から推定される現象と、符節を合わせるようなものが多く、私はこの現象は、地震の研究上、かなり注目すべき現象で、これを研究してみたいと思っている。」と、結んでいる。これは80年以上前の記述であるが、日本人として初のノーベル賞候補にさえ挙った寺田寅彦氏の遺訓を継ぐような、開明的な真の知的な人材は果たして今日存在するのであろうか。残念ながら私は、寡聞にしてそれを知らない。

 

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『寺田寅彦 Part②』

夏目漱石が重度の「うつ」であった事は知られているが、弟子で物理学者の寺田寅彦氏も軽い「うつ」であった。その寺田氏は『春六題』という随筆の中で「桜が咲く時分になると此の血液が身体の外郭と末梢の方へ出払ってしまって、急に頭の中が萎縮してしまうような気がする。・・・・そうして何となく空虚と倦怠を感じると同時に妙な精神の不安が頭をもたげて来る。」と記し、「・・・此のような変化がどうして起こるのかは分からないが、一番重要な原因は、やはり血液の循環の模様が変わった為に脳の物質にどうにか反応する点にあると、素人考えに考えている。」と記している。~ 1921年の事である。

 

 

先日のNHKのTVで『ここまでわかった、うつ病の最新治療』というテーマの番組を見た。もはや日本人で100万人以上の患者がおり、私の知人であった大学教授や画廊主も、うつが原因で自殺をとげている。ために身近な問題事として見入った。番組はアメリカの先端医療で、実に七割ものうつの患者が普通の生活を取り戻している事例を紹介し、その治療法として抗うつ剤ではなくTMSと呼ばれる装置で磁気刺激を前頭部に与える方法を映し出していた。そして、うつが心の病ではなく脳の病であり、その原因が「前頭葉の血液量が少なくなる事にある」と語っていた。原因が血行不良にある事が判明したのは、ベトナム戦争後の1980年頃からの患者の急な増加からであったという。しかし、それより60年も早く、我が寺田寅彦氏は素人考えといいながら、早くもうつの原因を予見していたのであった。この直観力!!

 

『うつ病』を定義すれば、「前頭葉の血流不足により、不安や恐怖の感情を司る〈扁桃体〉が刺激され、その機能が暴走する事」であるという。アメリカの最新医療はここまで突き止めており、前述したTMS装置を多くの病院が取り入れて多くの患者が立ち直って日常生活を取り戻している。しかし、我が国の現状は、効き目が50%以下しかない抗うつ剤を使い、ために改善は見られず患者は日々増加し続けている。アメリカのTMS装置が画期的に効果があると判明しながら、日本は臨床実験からと称していっこうに取り入れる気配がない。理由は、利権か、それともビジネス故か・・・・。ともあれ、ゆるみ歪んだ日本という国は、うすら寒い国である。願わくば一日も早く日本にも導入される日が訪れる事を願うのみである。

 

扁桃体が、芸術・文学・そして犯罪に如何に深く関わったかの事例として、私は『モナリザ・ミステリー』という本の中で詳しく書いた事がある。その代表的例として、ダ・ヴィンチ三島由紀夫、〈少年A〉の三人を挙げ、扁桃体を共通のキーワードとした不気味なトライアングルを立ち上げた。私たちが自分の意志だと思っている事が、脳科学的に見れば、扁桃体が或る条件下において生じて見せた、ある反応の一様態であるという事は、考えてみれば怖いことである。煎じ詰めていくと〈自分の存在とは何か?〉のその先に、無化が立ち現れてくるからである。ともあれ、このままで書き終えれば、今回のメッセージはいささか暗いものとなる。ここは寺田寅彦氏の俳句を挙げて終るとしよう。あれ程の明晰な頭脳から・・・何故?と思わせるような迷句である。こと程さように脳は迷宮・・・と思わせる名句である。

 

蝸牛(かたつむり)の 角がなければ のどか哉

 

睾丸に 似て居るといふ 茄子哉

 

 

補記:かくいう私の24歳の頃に詠んだ俳句もついでに挙げておこう。

 

 

蜻蛉(とんぼ)捕り 十年ぶりの 帰宅哉

 

 

 

 

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『この本、「光の王国」が面白い!!』

私が勝手に「平成の寺田寅彦」と呼んでいる分子生物学者の福岡伸一氏が、秀逸なフェルメール論『フェルメール・光の王国』という本を刊行した。私も以前に紀行文の取材でパリのパサージュに関する執筆を頼まれた、ANAの機内誌「翼の王国」に長期連載していたものを一冊にまとめたものである。『デルフトの暗い部屋』というフェルメール論を、私は10年以上前に文芸誌の「新潮」で発表したが、それは、フェルメールの謎に光を当てるために、レーウェンフックスピノザを重要な存在として登場させたものである。福岡氏の視点もいささか重なったものがあるが、氏の独自な切り口には共振するものがある。本質にまったく言及していないフェルメール論は数多くあるが、久しぶりに、フェルメールの絵画が持つ不思議な引力の秘密に迫り、その正体を解かんとする労作である。ぜひ御一読をお薦めしたい。

 

さて、最近、12月から来年にかけて私の本の刊行予定が次々と入り、打ち合わせが続いて個展の時以上に多忙な日々となっている。一つは28日から始まる福井県立美術館での個展のカタログの校正チェック。それから、まもなく沖積舎から刊行される私の写真と詩を切り結んだ、今までにない形の写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』の早急な制作進行。そして今月急に入って来た、拙著『モナリザ・ミステリー』の文庫化の話と、久世光彦氏との共著『死のある風景』を新装化した再版の話である。それとは別に詩人・野村喜和夫氏の詩と私の作品を絡めた詩画集(思潮社刊行)の為の打ち合わせと作品制作。1月の個展(森岡書店)のための新作・・・。このように続々とお話を頂くのはありがたく、私は各々に期待以上に応えたいと思っている。プロの骨頂とプライドにかけて。しかもこれとは別に、展覧会に絡めて福井新聞に私の半生記『美の回想』の連載(八回)を書き始めている。師走という程に年末は忙しい。『モナリザ・ミステリー』は新たに発見した事も書き加える為、執筆もある。風邪など引いている場合ではない。写真集は早々と購入予約も入り始めており、ありがたい!!!とにかく〈頑張りたい〉の日々を今、慌ただしく生きている。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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