…2月1日から4回、集中的に連載した『モナリザ』の話は、前回で一応の完結となったが、少しく語り残した事があったので、今回はその補記の話から書く事にしよう。
………私のアトリエに在る原寸大の精巧な『モナリザ』の複製画は、長らく独占放送の形でルネサンス番組を放送していた日本テレビのスタッフの方から記念に頂いたという話は、以前のブログで書いた。
…或る夜、その方達と会食をしていた時、話題は面白い方向に進んでいった。…額とガラスから『モナリザ』を外して、彼らがモナリザを撮影していた時、…立ち会った関係者はみな、生のオリジナルのモナリザその物が放つ、凄みあるアニマや不気味さを直に目撃して、息を呑んだという。至上なまでに美しいという印象を越えて、むしろゾッとしたというのである。

……興味深いその話を聞いて、私は以前から気になっていた或る質問をした。(…モナリザは薄いポプラの木の板に描かれていますが、その板の側面はご覧になりましたか?…ひょっとして、絵の具のような痕跡は無かったですか?)…と私。
…すると、その方は(…えぇよく覚えています。薄い板の側面には確かに絵の具の薄く擦ったような痕跡が幾つかありました)と断言した。…瞬間、私の眼は僅かに光った。……何故ならこの答は、以前からずっと知りたかった事であり、私はそれが叶って興奮した。…レオナルドがモナリザを描いていた時の情景が、次第に透かし見えて来たからである。
…描かれた当初、『モナリザ』は現在の物より左右に7cmずつ幅が広く、そこにはテラスの円柱が描かれていた事は確かである。…絵を観ると意外と気づかないが、よく観ると左右の端に黒くて丸い塊状の物が見える。…それは円柱の台座であり、長い間、それを切断したのはナポレオンの仕業だと伝説のように言われていた事があった。
…切った理由は、彼がモナリザを、妻のジョゼフィ-ヌの寝室に掛ける時に、用意した額縁に絵の左右が多少大きく入らなかったので、なんと額の幅に合うようにモナリザの両端を切ったというのである。
……真しやかに聞こえるこの話は眉唾物であるが、では誰が何の為に切ったのかが、長い間結論が出ないままであった。…私は(切ったのはレオナルドに間違いないが、それを確認するには、切った側面を見ればすぐわかる筈。…その切断後になおもレオナルドは仕上げる為に描いていたと思われるので、…ならば絵の具の痕跡があれば、間違いない)と、以前から思っていたからである。…しかしル-ブル美術館の関係者か修復家以外、それを確認出来ないのが難であったが、意外な話の展開から、積年の疑問があっさりと解けたのであった。
…ここに、モナリザの画像と、もう1枚、モナリザが描かれていた正にその時にレオナルドを訪問したラファエロの線描模写があるので、それを掲載しよう。

…では、レオナルドは何故、モナリザの両端を切断したのか?…考えられる理由は2つある。…1つは、完成間際の時点で、左右にテラスが在る事で、絵は旧態の絵画の概念の域を出ず、真ん中正面の女性像に迫真的な生々しいリアリティが立ち上がらない事に気づいたレオナルドが両端を切断した。
…もう1つは、この頃に、モナリザの絵と平行して進んでいたのが、前回に述べた、立体画像に見える為の研究(…つまり、光は角膜を通り、瞳孔、水晶体を通過して角膜にあたる。水晶体はレンズの役割をし、網膜は明るさ、形、色が認識され、その情報が視神経を通って脳に伝わる事で、物が立体的に見える)…という原理と、視覚の構造を追求する為に描いた夥しい数の眼球を切断した素描が残っているが、それはおそらく、レオナルドがモナリザを描いていた、1504年前後頃と平行していると、私は推理している。
…そして、モナリザが完成間近に近づいた頃に、レオナルドは、モナリザと、弟子に描かせた同じサイズのモナリザの模写を平行に並べて、立体に可視化して見える為の様々な試作実験を行ったという事が、或る確信を持って私には透かし見えているのである。
…レオナルドが遺した、膨大な数のメモを記した手稿があるが、その中に、レオナルドの凄さがわかる、興味深い或る品々が書かれている。…卵白、水銀、食塩水…といった記述である。…もうおわかりであろう。…そう、レオナルドの手稿には写真撮影に必要な、鶏卵紙を想わせる記述がそこには書かれているのである。…モナリザの本画と模写を二点並べ、僅かにずらして二つの角度から撮影し、プリントしたその写真を並べて、レンズを付けた眼鏡で見れば、画像は立体的に見える筈。…そのより立体に見える為に、モナリザの左右の柱は視覚の障害になると判断して、レオナルドは切断した。…私の推理は、その方向に傾いているのである。…果たして、レオナルドの試みはどれくらい可視化したのであろうか?
とまれ、私が好きなこういう言葉が残っている。…「中世の、人々が未だ深く眠っていた暗黒の時代に、唯一人だけ不気味に眼を醒ましていた人物がいる。…レオナルド・ダ・ヴィンチである」と。
……次回のブログは、一転して舞台が東京。…『歩くのをやめた人形の話…in上野』。…乞うご期待です。



このように世界が加速的に明らかな狂いを呈して来たのは、やはりあの時がその始まり、いや世界のバランスを辛うじて括っていた紐が切れた瞬間ではなかっただろうか。

……フランスでの現地詠など753首他を含む圧巻のこの歌集には……「シャルトルの薔薇窓母と見まほしを共に狂女となりてかへらむ」・「眞冬さへ舞ふ蝶あればうつし世の黄色かなしもカノンのごとく」・「寒月はスピノザなりしか硝子磨き果てたるのちの虚しき日本」・「扇ひらくすなはち宇宙膨張のしるし星星は菫のアヌス」………と、私が好きな作品をここに挙げれば切りがない。
ウクライナに続々と侵攻して来るロシア軍の戦車、またそこに搭乗しているロシア兵の赤ら顔を見ていると、昔、1964年に公開された、ハナ肇主演の松竹映画の或るタイトルを思い出した。その名もズバリ、



昨日、漫画家の








「モナ・リザ」の絵を今一度、見てみよう。手を組んだ女人像は私たちの視点と水平に描かれている。では、その視点のままに背景に目を移せばどうであろうか。…あきらかに背景は、上部から眼下を見下ろした俯瞰の光景として描かれている。つまり「モナ・リザ」には二つの異なる視点が、それと知れずたくみに混淆されているのである。レオナルドは記す。「自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる」と。私たちが「モナ・リザ」を見て先ず最初に覚える印象は、美しさではなく、むしろ奇怪とでも云うべき不気味さである。しかし、それは私たちが共通して抱く主観というよりも、レオナルドの記述のとおりに解せば、それは前もって画家自身が意図したものという事になる。訳者はそれを「奇怪」と訳しているが、原書の言葉には如何なる解釈の幅があるのであろうか。残念ながら原書は入手不可の為、訳者を信じる他はないが、訳の幅はそれ程には無いのではあるまいか。ともあれ、私たちが「モナ・リザ」に対して抱く奇怪なる印象、それはあらかじめ画家がこの絵を描く際に秘めた一つの主題としてあった事は確かな事と思われる。果たして画家は「奇怪さ」を帯びさせることで、この絵に如何なるメッセ―ジを宿らせようとしたのであろうか。……」








東京・渋谷の






