森岡書店

『A・ランボーと私』

昨今の、ただたれ流すだけのCMと違い、昔のコマーシャルにはニヤリとさせる機知があった。例えば、30年以上前であるが、フェリーニの映像世界を想わせる画像がCMで流れ、小人の道化師や火吹き男たちが怪しい宴を催している。そこに、十代で『酔いどれ船』『地獄の季節』『イリュミナシオン』の文学史における金字塔的詩を発表した後、詩を棄て、死の商人となってマルセイユで37歳で死んだ天才詩人アルチュール・ランボーの事が語られ、最後に殺し文句とも云えるナレーションが入る。すなわち「アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!」という文である。そう、アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!

 

18歳で銅版画と出会った私が、最初から重要な表現のモチーフとしたのが、そのアルチュール・ランボーであった。現在、版画作品として残っているのは、僅かに4点であるが、おそらく40点近い数のランボーの習作が生まれ、そして散失していったと思われる。アルチュール・ランボー研究の第一人者として知られるJ・コーラス氏が私の作品二点を選出し、ピカソジャコメッティクレーエルンスト達の作品と共に画集に収め、二度にわたるフランスでの展覧会に招かれたのは記憶に新しい。又、20代から先達として意識していたジム・ダインのランボーの版画の連作は、私の目指す高峰であったが、そのジム・ダイン氏からの高い評価を得た事は、私の銅版画史の重要なモメントであり、そこで得た自信は、今日の全くぶれない自分の精神力の糧となっている。つまり私はアルチュール・ランボーによって、強度に鍛えられていったともいえるのである。

 

18日まで茅場町の森岡書店で開催中の、野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展では、私のランボーの諸作も展示され、野村喜和夫氏収蔵のランボーの原書や、氏の個人コレクションも展示されて、異色の展覧会となっている。会期中は4時半から8時迄は毎日、会場に顔を出しているが、17日(金)の野村喜和夫氏との対談も控えている。当日は6時30分から受付が始まり、7時から対談がスタートする。定員制のため50人しか入れないが、聴講を希望される方は、早めに森岡書店まで申し込んで頂きたい。

 

この展覧会があるので、野村氏とはよく話をする機会があるが、つい本質的な内容にお互いが入り込んでしまうので、なるべく対談の時まで入り込まないように自重している。ぶっつけ本番となるが、今からどういう話が展開していくのか、自分としても多いに楽しみにしているのである。とまれ、この展覧会、会期が短いが緊張感の高い展示となっているので、ぜひ御覧頂ければと思っている。

 

 

 

 

 

 

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『コレクションも創造行為である』

画廊香月での三週間にわたる個展が先日、盛況のうちに終了した。作品をコレクションされた方の六割が画廊香月の知巳の方や、ふらりと画廊を訪れた方であった。つまり、私の未知の方が即断で作品をコレクションされたという事は、コレクターの層が大きく拡がったという事であり、表現者である私にとっての大きな自信となっていくものである。私とコレクターの方との関係は、作品のイメージを中心に置いた右と左の対の創造者同士であると思っている。人生は一度限りである。私は生ある限り、この関係を今後も大切にしていきたい。

 

アトリエでの静かな時間がようやく戻って来た。庭に出ると、葉群らの間から蜥蜴が銀の光を反射して、とても美しい。一年中で最ものどかな春の一刻である。フェルメール論の執筆の際に作った〈カメラ・オブスキュラ〉を久しぶりに取り出して来て窓外を見る。不穏な地震の気配は足下でなおも不気味に動いているが、迫り来るかもしれないカタストロフィーの予感を抱きつつも、レンズ越しに見る光景は、午前の静まりを映して事も無しである。

 

 

思潮社から荷物が届いた。開けてみると、野村喜和夫氏との詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』が現れた。遂に本が出来上がったのである。装幀家・伊勢功治氏の高い美意識と、思潮社の藤井一乃氏の詩集における可能性の追求が徹底されていて実に美しい造本となっている。刊行を記念した展覧会が5月13日から一週間、茅場町の森岡書店で開催される。17日の6時からは野村氏と私との対談が予定されている。定員は50名で参加費は2000円。聴講をご希望される方は予約制なので、森岡書店或は、このオフィシャルサイトに早めに御申し込み頂ければ嬉しい。野村喜和夫氏は文学の角度から、そして私はヴィジュアルの角度から各々が天才詩人アルチュール・ランボーの表現世界と関わってきたわけであるが、今その二つが一つに結びついて「詩画集」という本のオブジェに結実した。その経緯を二人が語り、その後で野村氏の自作の詩の朗読もある。定員に達し次第〆切のため、ぜひお早めにお申し込みください。

 

詩画集の表紙の帯に記された文「詩のことばが写真とオブジェにからまりながら、どこまでも都市を彷徨い続ける。ランボーに魅せられ、ダンテに導かれた二人の作家による、現代版〈地獄くだり〉。」が示すように詩人の野村喜和夫氏とは、〈ランボー〉を通じて不思議な感性の共振がある。その共振と異和が揺れながら結晶となった、極めて美麗で、危うい毒が詰まった本である。

 

お申し込み:森岡書店

Tel: 03-3249-3456(13:00〜20:oo)/E-mail: info@moriokashoten.com

 

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『個展がまもなく終了』

画廊香月での個展も残り数日(27日まで)となった。今回の大きな成果は、今までに私の作品をコレクションされている方々に加えて、未知の方がかなりの数で、私の作品と直接出会い、コレクションされていっている事である。昨今の、存在感の薄い作品を作る作家が多い中で、「芸術は美と毒と深いポエジーを併せ持った強度なものでなくてはならない!!」という私の信条と、画廊香月のオーナーである香月人美さんの理念が一致しているせいか、この画廊を訪れた方の多くが、その事を理解しており、実に手応えのある個展になっている。今回の個展を勧めて頂いた先達の美術家の池田龍雄さんも時折、画廊に来られて成り行きを見守って頂いている。本当に有り難い事であるし、私は池田さんと御会いする度にとても良い波動を頂きプラスのエネルギーとなっている。昨年の秋から数え、七ヶ月で七回の個展を開催して来た。たいていの作家が、決められた、たった一つの画廊で二年に一回のペースで個展をやっている事を思えば、ギネス入りのようなペースで駆け抜けて来たわけであるが、この画廊香月での個展を節目として、しばらくは個展は行わない。「風林火山」ではないが、動く時は疾風のように駆け抜け、静まる時は無明に見る山影のごとく、全くの静まりの中へと私は入ってしまう。すなわち次に備えての、というよりも、次なる未知のイメージの領土に向かって行く為に、感性を研ぐのである。とは云え、個展は行わないが、五月は詩画集の刊行記念展(森岡書店)、六月は『名作のアニマ –  駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴 』(不忍画廊)が続いて予定に入っている。

先日、早稲田大学の近くで、思潮社の藤井さん、装幀の伊勢さんと集い、詩画集に入れる作品の色校正の最終チェックを行った。実に美しい仕上がりで、今月末の完成が待ち遠しい。また不忍画廊では、六月の展覧会と合わせたように駒井哲郎氏の名作が集まり、池田満寿夫氏の作品は、普段はあまり見る事の出来ない、西脇順三郎氏との詩画集の名作『トラベラーズ・ジョイ』が展示される予定になっている。駒井・池田・両氏のポエジーの在りようは異なるが、各々に銅版画の権能において極を究めたものである。なかなか見応えのある、昨今に類のない展覧会になるであろう。

 

話は戻るが、画廊香月での展示は、香月人美さんのアイディアで、(壁面に、まるで映画などに登場するイギリスの館の壁面に夥しく掛けられた絵のごとく、)作品が全面に展示されている。私も以前から密かに一度はやってみたいと思っていたこの展示法を、遂に香月さんは断行し、今までになかった効果を上げてコレクターの方にも好評である。どの作家にも出来るという展示法ではないが、私の作品においては非常に画期的な良い効果を上げていることは確かである。そこから考えて、私のイメージの特質もまた見えて来ようかと思う。ともあれ、個展はしばらくは封印となる為に、まだ御覧になっておられない方には、ぜひ御覧頂きたい今回の個展である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『満開の桜に寄す』

名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、美学の谷川渥さん、それに東大の国文学教授のロバート・キャンベルさん等、多士済々の方々がたくさん会場に来られて、盛況のうちに新作個展が終了した。個展の手応えが大きく、企画者の森岡督行さんからは、さっそくまた来年の個展の依頼の話を頂いた。森岡書店のレトロモダンな空間は、私のオブジェが面白く映える空間である。また新しい試みをしたいと思う。

 

個展が終了した翌日、東京国際フォーラムで開催中の『アートフェア東京』に行く。今回も海外を含めて多くのギャラリーが、自分たちの推す作家の作品を出品しているが、玉石混交の観があり、そのほとんどが芸術の本質からはほど遠い(石)として映った。その石の群れの中に在って、唯一光彩を放つ〈玉〉として映ったのは、またしても「中長小西」であった。またしても・・・・と云うのは、数年前のアートフェアで中長小西が出品していた天才書家・井上有一の、それも彼におけるトップレベルの作品や瀧口修造のそれを見て以来、私がアートフェアの印象をこのメッセージに書く際に必ず登場するギャラリーが「中長小西」だからである。その中長小西の今回の出品作家の顔ぶれは、斎藤義重山口長男白髪一雄松本竣介ジャスパー・ジョーンズモランディピカソフォンタナジャコメッティデュシャン、そして今回は私の作品も出品されている。未だ存命中の私の事は差し引くとしても、それにしても堂々たる陣容であり、他の画廊を圧して揺るがない。私の作品も含め、その多くに早々と「売約済み」が貼られ、如何に眼識のあるコレクターの人達の多くがこの画廊を意識しているかが伝わってくる。かつての南画廊、佐谷画郎以来、ギャラリーの存在が文化面にも関わってくるような優れた画廊は絶えて久しいが、オーナーの小西哲哉氏は、その可能性を多分に秘めている。若干四十一歳、研ぎ澄まされた美意識を強く持った、既にして画商としての第一人者的存在である。

 

昨年の秋に「中長小西」で開催された私のオブジェを中心とした個展は大きな好評を得たが、その小西氏のプロデュースで次なる個展の企画が立ち上がっている。未だ進行中のために多くは語れないが、その主題は、今までで、ドラクロワダリラウシェンバーグの三人のみが挑んだものであり、難題にして切り込みがいのあるものである。ここまで書いてピンと来た方は相当な美術史の通であるが、ともあれ今後に御期待いただければ嬉しい。

 

その日の午後に、国立近代美術館で開催中のフランシス・ベーコン展に行く。予想以上に面白い作品が展示されていて、かつてテートギャラリーでベーコンの絵を見て、ふと「冒瀆を主題とした20世紀の聖画」という言葉を吐いたのを思い出す。教皇を描いたベラスケスやマイブリッジの連続写真などが放つアニマをオブセッショナルなまでに感受して、その振動のままに刻印していくベーコンの独自な表現世界。今回の展示で秀れていたのは、展示会場で天才舞踏家・土方巽の「四季のための二十七晩」の映像が上映されていた事であった。この演出法はまことにベーコンのそれと共振して巧みであった。ずいぶん昔であるが、私は土方巽夫人の燁子さんとアスベスト館の中で話をしていて、急に燁子さんが押し入れの中から土方の遺品として出して来て私に見せてくれた物があった。それはヴォルスやベーコンの作品の複製画を切り取ってアルバムに貼り、そこに自動記述のように書いた、彼らの作品から感受した土方巽の言葉の連なりであった。その中身の見事さ、鋭さは三島由紀夫のそれと同じく、「表現とは何か!?」という本質に迫るものであった。私はそれを夫人からお借りして持ち帰り熟読した事があったが、そこから多くの事を私は吸収したのであった。そのアルバムが、今、ガラスケースの中に展示されていて、多くの人が熱心に見入っている。このアルバムの意味は、次なる舞踏家たちへの伝授の為に書かれたものであるが、精巧な印刷物として形になり、文章も活字化されて伝われば、一冊の優れた“奇書”として意味を持つ本となっていくに充分な内容である。ともあれ、このベーコン展はぜひともお薦めしたい展覧会である。

 

個展が終わると同時に、今年の桜が急に満開となってしまって慌ただしい。桜はハラハラと散り始めの時が私は一番好きである。今回は、桜の下に仰向けに寝ころばり、頭上から降ってくる桜ふぶきを浴びるように見てみようと思っている。梶井基次郎の小説のように、春に香る死をひんやりと透かし見ながら・・・・。

 

追記:先日、慶應義塾大学出版会から坂本光氏の著書『英国ゴシック小説の系譜』という本が刊行された。表紙には私のオブジェ『Masquerade – サスキア・ファン・アイレンブルグの優雅なる肖像』が、装幀家の中島かほるさんの美麗なデザインによって妖しい光を放っている。久世光彦氏との共著『死のある風景』(新潮社刊)以来、私の作品を最も多く装幀に使われているのは中島かほるさんである。この本はなかなかに興味深い。味読して頂ければ嬉しい。

 

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『本が二冊刊行間近!!』

 

拙著『「モナ・リザ」ミステリー』が新潮社から刊行されたのは、2004年の時であった。美学の谷川渥氏や美術家の森村泰昌氏をはじめ多くの方が新聞や雑誌に書評を書かれ、“我が国におけるモナ・リザ論の至高点”という高い評価まで頂いた。しかし本を刊行してから数年して、私はとんでもない発見をしてしまったのであった。

 

今までの美術研究家たちの間では、ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」と呼ばれる、あの謎めいた作品について何も書き記していない、というのが定説であった。しかし私は、あれほどの作品である以上、作者は必ずや何か書き記しているに相違ないとふんで、徹底的にレオナルドの手記を調べたのであった。評論家とは異なる画家の現場主義的な直感というものである。そして・・・遂にそれと思われる記述を、その中に見つけ出したのであった!!これはレオナルド研究の最高峰とされるパリのフランス学士院でも、未だ気付いていない画期的な発見であると思われる内容である。そして、その内容は驚愕すべき記述なのである。しかし、私の「モナ・リザ」の本は既に出てしまっている。私は発見した喜びと共に、本が出る前に何故気がつかなかったのかを悔やんだ。又、後日にもう一つの新事実までも「モナ・リザ」に見出してしまい、ますます完全版を出す事の必要を覚えていた。・・・それから七年が経った。

 

一冊の本が世に出るには、必ずそこに意味を見出してくれる編集者との出会いがある。私にとって幸運であったのは、歴史物の刊行で知られる出版社- 新人物往来社のK氏が、その発見に意味を見出し、たちまち刊行が決まった事であった。今回は文庫本である為に発行部数も多く、若い世代にも読者の幅が広がるので、刊行の意味は大きい。福井県立美術館の個展で福井のホテルに滞在している時、また森岡書店での個展の合間を見ては執筆を加えており、先日ようやく校正が終った。そして私は文筆もやるが写真もやるので、表紙に使うための画像をアトリエの中で撮影し、全てが刊行を待つばかりとなった。本の刊行は3月2日が予定されている。又、同社からは続けて四月に私と久世光彦氏との共著『死のある風景』も新装の単行本で刊行される事になっている。新潮社から出した時は、『「モナ・リザ」ミステリー』というタイトルであったが、今回は加筆した事もあり、タイトルを『絵画の迷宮』に変えた。とまれ、刊行は間もなくである。ご期待いただければ嬉しい。

 

 

 

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『再びのゼロへ』

吉村昭の『関東大震災』を読んで、学者による予告的発言が、いかに本人にとってリスクがあるかを私は痛感していた。だから、先日、東大地震研究所から発表された「四年以内に70%の確率で巨大地震が来る」という数字には疑念を持っていた。数字に対して人々が抱くイメージから見れば、70%という数字はリスクから外れた絶妙な数字なのである。(・・・計算から弾き出された本当の数字は、実はそのまま出せばパニックを生む数字・・・例えば一年以内に92%の確率ぐらい出ているのではあるまいか?)・・・そんな事を考えていた、まさにその時、グラッ、グラッと揺れはじめた。山梨が震度5弱、私方でも3の大きな地震である。

 

やがて地震は治まったが、私はハッとした。開催中の個展で、壁に掛けてある作品が全て床に落ちている光景がありありと浮かんだのである。1時からのオープンであるが、私は朝の8時に家を出て、電車に乗り、茅場町駅へと向かった。もはや焦っても運を天に任すだけなのに、心が騒ぐ、気が焦る!!急行に乗り換えたが、電車の走りがとても遅い・・・。車内で気を紛らわすために、子供の頃の楽しかった事を思い出した。(・・・まぶしい太陽の下での林間学校、初めて食べたぶどうの美味しかった事・・・etc.)。あぁ、無理である。(・・・担任が、早く海から上がれと必至な形相に変わる!ぶどうの皿がカタカタと激しく揺れる!!)

 

森岡書店の入口の窓ガラスから中を見ると、作品は無事であった。さすが、帝都時代に建てられたビルは強い。- そして個展も28日に無事終了した。厳寒にもかかわらず昨年を上回る数の作品がコレクターの方々にコレクションされる事になった。地方からの電話やメールでの作品問い合わせも多く頂き、最後の二日間は、来客が全く途切れない程の盛況であった。特に嬉しかった事は、新作のミクストメディアの新しい試みに対し、コレクターの方々が、実に深く鋭い理解と共鳴を示して頂いた事である。硬質な人工性から真逆の表現主義とロマンチシズムの詩情へと、私の今の作品は変わりつつある。それに対して示して頂いた評価は、表現者である私を勇気づけてくれるのである。そして私は再びゼロから出発するのである。会場にいらして頂いた方々、そして作品を購入して頂いたコレクターの方々に、この場を借りて深くお礼を申し上げる。本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

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『展覧会日記』

先日、火災報知器の点検のためにアトリエ内で脚立に乗っていた業者が、頭上から私に問うてきた。「あのう、お客さんって、ご職業は・・・何ですか?」と。「職業・・・、まぁ自由業みたいなもんですよ」と私。業者は更に「いやぁ、自由業でもだいたいは何なのか、こういう仕事をしているとわかるもんですが、お客さんみたいな人は初めてですよ」と語った。確かに・・・そうかもしれない。山積みの本(美術・文学・雑学・・・)、ルドンゴヤベルメールデュシャン他の版画・・・、オブジェに使う奇妙な断片の数々・・・、頭部の欠けたマヌカン人形、カメラ、壁にはりつけた、まるで犯人のようにされた、詩人ランボーの大小の写真の数々(・・・これは現在制作中の作品の為に、脳を刺激するため)etc・・・。

 

自分の職業は、まぁ大きく分けると〈美術家〉が一番近いのだろうが、自分の作品を〈見る人の想像力を揺さぶる装置〉と考えている点で見ると、美術家からは少し逸脱している。時に写真、時に詩を、そして時には文筆もやる。そして時に、奇妙な事件が発生した時は、個展が間近でも、その犯人の動機に興味を持ってしまい、関連資料を集めることに熱中してしまう。ダ・ヴィンチも、自らを画家と定義せずに好奇のままに生涯を終えた。先達のごとく、自分も好奇のベクトルを追って、未完のままに終えようか。

 

昨日は、個展開催中の森岡書店の社主 – 森岡氏が用事のために留守となり、私は会場に一人で(留守番を兼ねて)いた。しかし、私の目は輝いていた。この場所を知った時点から、画廊空間よりも、自分が探偵事務所を開くならばこの場所!!と思っていた空間に一人でいられる事の幸福を味わっていたからである。今回の個展を見るために来られた方々との応対をしながら、時間帯によっては静寂に充ちた時となる、この何とも名状し難い魅力ある空間の中で、私は様々な作品の構想が湧いてくるのに驚いた。よほど空間と相性が良いのかもしれない。探偵映画などの撮影によく使われるのも当然で、限りなくミステリアスなのである。

 

 

リラダン研究家の早川教授をはじめ、自分の眼を確かに持った感性の豊かな方々が訪れて来られ反響も良く、エディションが遂に完売の作品も出た。寒い中を会場に来て頂き本当に感謝したい。しかし会場の中は実に温かい。個展も後半に入った。更に面白い出逢いが待っているであろう。

 

 

 

 

 

 

 

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『前回のつづき』

28日まで個展を開催している東京茅場町にある井上ビルは、昭和2年の建立。つまり85年前の建物である。たしか阿部定事件が昭和11年だったから、それよりも古く、イメージを辿っていくと、掲載した写真のような頃であろうか?ビルを入って3階の個展会場-森岡書店へと上っていくと、階段辺りが時間の澱にたっぷりと包まれていて、何とも懐かしい気持ちが立ち上って心地良い。このビルはその頃の「気」を孕んで静かに呼吸しているのである。このビルに初めて来た人に聞くと、誰もが不思議なタイムスリップの気分になるというのも頷ける。

 

生き急いでいるわけでもないが、ここ数年来、私は集中的に個展を開催している。しかし必ず前回とは異なる新たな試みを行っている。だから毎回見に来られるコレクターの方々はそれが面白く、また驚きであると云う。唯、新しい試みだけではなく、更に完成度が高まっている事にも挑戦の意識を持っている。これはプロの表現者としての矜持であり、自分に対する批評でもある。その新しい試みの作品を、初日に来られたN氏が早々と評価してコレクションに加えられた。N氏とは旧知の間柄である。私の多くの作品を所有しておられるが、しかし氏の眼力の鋭さを私もまた認めており、その関係には心地良い緊張がある。この緊張は、作家活動にとても大切な波動を与えてくれている。つまりN氏のような存在は、私にとって今の自分を直に映し出す鏡のようなものである。現在形の仕事への、ありのままの直な批評がそこには在るのである。

 

 

 

 

会期中、ほとんど私は毎日(前述した二日間を除いて)森岡書店に行き、午後の1時すぎ頃から夜の7時すぎ頃までは在廊している。そして食事をして帰った後、今一つの事が待っている。詩人の野村喜和夫氏の詩と、私の作品を一冊の詩集に絡めた本が、企画で思潮社から刊行されるために、新たな〈ランボーの肖像〉に挑んでいるのである。詩人の野村氏は、現代詩における最も先鋭な表現者の一人である。氏の表現も常に新たなイメージの領土を求めるように、停まることをしらない。野村氏の生きざまに応えるべく、ハイセンスにして、しかも底光りのするような作品を作りたいと思う。

 

 

 

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『新作個展が始まる』

リルケ『マルテの手記』『ドラクロアの日記』と共に、時としての私の枕頭の書である。その中で、リルケは、「詩は感情ではなくて経験である。一行の詩をつくるのには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。・・・」と記しているが、ここには幾分かの真実があると私は思う。この一節に触れる度に、私はかつて歩いたセビリアのサンタクルス街のパティオの原色の花々を、またトレドのアルカンタラ橋の夕景を、又、ポートメリヨンの村の灯やブルージュの霧に接した事などの一刻一刻を思い出し、旅の記録の重なりが、私の想像力におけるポエジーの胚種となって変容して、今の私の表現に、感覚と共にそれを支える構造体となっている事を強く実感する。私の作品は、つまり、〈視覚を通しての見える詩〉であるという認識が、私にはあるのである。

 

さて、13日(金)から東京茅場町にある森岡書店で私の個展『召喚-フレミングの仮説』が始まった。新作のミクストメディア作品や写真・オブジェ・版画を併せた20点以上を出品している。森岡書店は今回で三回目。毎年最初の個展はここで始まる。以前にも記したが、昭和二年築のミステリアスなビルの中にある。この空間は、私の作品世界とあまりにピタリと合っており、作品の虚構性が現実とリンクし合って、不思議さの尽きない展示となっている。

 

会期は1月28日(土)までで日曜のみ休み。開廊時間は午後1時から夜の8時までなので、夕刻からゆっくりと来られる方も多い。私は19日(木)と、25日(水)は休むが、それ以外は1時の始まりと共に森岡書店に在廊の予定。今回の個展は、最近刊行した私の写真集も直接販売している刊行記念展になっている為か写真関係者も多く、初日の今日は、パリのオデオンで写真のビンテージ物や写真集を商っている御夫妻なども来られた。会期は二週間、ぜひご来場されたし。

 

 

 

 

 

森岡書店:中央区日本橋茅場町2-17-13 第二井上ビル305

TEL.03-3249-3456 www.moriokashoten.com

地下鉄東西線・日比谷線「茅場町」3番出口より徒歩2分。

永代通りを霊岸橋に向かい橋の手前を右へ。

古い戦前のビル(第二井上ビル)3階。

 

 

 

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『この本、「光の王国」が面白い!!』

私が勝手に「平成の寺田寅彦」と呼んでいる分子生物学者の福岡伸一氏が、秀逸なフェルメール論『フェルメール・光の王国』という本を刊行した。私も以前に紀行文の取材でパリのパサージュに関する執筆を頼まれた、ANAの機内誌「翼の王国」に長期連載していたものを一冊にまとめたものである。『デルフトの暗い部屋』というフェルメール論を、私は10年以上前に文芸誌の「新潮」で発表したが、それは、フェルメールの謎に光を当てるために、レーウェンフックスピノザを重要な存在として登場させたものである。福岡氏の視点もいささか重なったものがあるが、氏の独自な切り口には共振するものがある。本質にまったく言及していないフェルメール論は数多くあるが、久しぶりに、フェルメールの絵画が持つ不思議な引力の秘密に迫り、その正体を解かんとする労作である。ぜひ御一読をお薦めしたい。

 

さて、最近、12月から来年にかけて私の本の刊行予定が次々と入り、打ち合わせが続いて個展の時以上に多忙な日々となっている。一つは28日から始まる福井県立美術館での個展のカタログの校正チェック。それから、まもなく沖積舎から刊行される私の写真と詩を切り結んだ、今までにない形の写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』の早急な制作進行。そして今月急に入って来た、拙著『モナリザ・ミステリー』の文庫化の話と、久世光彦氏との共著『死のある風景』を新装化した再版の話である。それとは別に詩人・野村喜和夫氏の詩と私の作品を絡めた詩画集(思潮社刊行)の為の打ち合わせと作品制作。1月の個展(森岡書店)のための新作・・・。このように続々とお話を頂くのはありがたく、私は各々に期待以上に応えたいと思っている。プロの骨頂とプライドにかけて。しかもこれとは別に、展覧会に絡めて福井新聞に私の半生記『美の回想』の連載(八回)を書き始めている。師走という程に年末は忙しい。『モナリザ・ミステリー』は新たに発見した事も書き加える為、執筆もある。風邪など引いている場合ではない。写真集は早々と購入予約も入り始めており、ありがたい!!!とにかく〈頑張りたい〉の日々を今、慌ただしく生きている。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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